153話:昏色の出会い・其ノ弐
神奈川県の西の端、足柄山、その裾野にある、とある森。その奥に、大森家はあった。裾野と言っても広い。それゆえに、神奈川県を東西に別つ上で、その西の中心くらいの位置にある。もっとも、正確にいうなれば、そこはずっと大森家というわけではなかった。かつての大森家は小田原にあり、その後、今の位置に移ったというのが正確なところだ。
その森に至るまで、特に襲撃らしいものもなく、煉夜の索敵に引っかかるものもいなかった。しかし、森に入ったとたんに、煉夜の索敵が狂いだす。隣にいる檀の気配すら、察知できないほどに、知覚域が阻害されているのだ。
(森に結界でも張って……あっても俺には意味がないし、どうなってるんだ。敵の攻撃ってことも考えられるが、この状況は……)
正直に言って、マズい。索敵が使えずとも、煉夜は敵の襲撃が有れば反撃できる。しかし、それはあくまで「煉夜は」である。檀が襲撃されても煉夜は反撃できない。それも、暗殺というものの鉄則で言えば、一度の襲撃で、ターゲットを一撃で狙うのが普通だ。殺し損ねたら逃げる。
煉夜を狙うという手を相手がしてくるとは思えない。だからこそ、マズいのだ。この場で、檀を一撃で殺すべく狙われたら、煉夜でも対処は間に合わないだろう。そして、日が落ちてきているのが、余計に状況を悪くしている。暗い中で、檀が襲われる前に反応するのは無理だろう。
「何、この感じ……、やけに、こう、ピリピリするような……」
檀の呟く声。それは煉夜も肌で感じていた。まるで、森全体を包むかのような、巨大な殺気。鳥も虫も、全てが逃げていくのではないか、と思ってしまうほどに強い意思。森の神の怒りと言われても信じてしまいそうだった。
「とりあえず、行きましょう。もはや、森に入ってしまった以上、夜になる前に、目的地に着くことを考えた方がいいはずです」
引き返したところで、行く当てがないまま、夜の街をうろつくわけにもいかない。それよりも、大森家に着いてしまえば、多少はマシというものだった。
それは、襲撃に対する拠点防衛が行えるからだった。正直、ずっと、拠点防衛という形をとると、兵糧攻めのパターンもあるように、不利になるものの、この現状で、何もないままに襲われるよりは、トラップをしかけるなど、ある程度の対策ができる。見張りを立てて、交代で休むこともできるだろう。
「ええ、ここまで来れば、家までは、もうすぐですから」
檀の言葉通り、煉夜の視界には既に、森の中だというのに、武家屋敷のような立派な塀が見えていた。おそらく、大森家を囲う塀なのだろう、というのが分かるが、見た限り、かなり広い。
「このまままっすぐ進んで大丈夫ですか?」
塀に突き当たれば、入口まで、また時間がかかる。それよりも、森を入口の方へと突っ切った方が距離は短くなるのは当然だろう。
「大丈夫です。この先が裏口になりますから」
檀もそれは理解していたようで、煉夜を裏口まできちんと誘導していた。そして、そのまま、警戒は怠らずに、大森家までたどり着いた。
裏口の扉には鍵もかかっており、檀がその鍵で、扉を開けて、煉夜が先行する。先に侵入して、待ち伏せている可能性も考慮してのことだ。一通りの安全を確認して、檀も中に入ろうとした、その時、煉夜は強い殺気と迫りくる何かを感じてとっさに、自らのバッグを盾にした。
バッグは捻じり切られるように、中身を四散させる。煉夜はとっさに、中よりも安全だと思われる、裏口の外へと檀を押し返し、バラバラに飛び散り、地面に落ちたあるものを拾う。
それは、煉夜のバッグをかさばらせていたものだった。布を巻きつけられたそれを、そのまま掴み、敵が次の攻撃を仕掛けてくる前に、体勢を整える。
「アスィヴァル!」
敵と思われる声。それが何かの呪文であることを煉夜は理解していた。だから、咄嗟に、魔法が来るのか、と警戒するが、バッグを引き裂いた物体が消えた。
――次の瞬間、再び飛来する何か。煉夜は、舌打ちしながら、己の持つそれに魔力を込める。周囲を満たす黄金の光と、それを裂きながら飛ぶ黄金の塊。
――ギャリィイイイ!!
金属と金属がぶつかり、奏でる不快な音。耳をつんざくその音。煉夜の持つ「それ」の布は衝突した瞬間に敗れて散り散りに舞う。あらわになった黄金の剣、スファムルドラの聖剣アストルティ。
対して、それと正面からぶつかっているのも金色だった。しかし、剣ではない。長く伸びる柄は、槍であった。黄金の槍。その雰囲気は、いつぞや見た、ミランダ・ヘンミーの《死古具》に似ている。違う点を挙げるのなら、こちらの方が神々しいことだろう。
「――ッ。アスィヴァル!!」
煉夜と拮抗していた力が、消失する。全体重を前にかけて槍とぶつかっていただけに、思わずバランスを崩しそうになる。そのまま前のめりに倒れてもおかしくはなかった。
「ったく、やりづらいったらねぇよ!」
そんな風に愚痴を漏らす。死角から飛翔する槍。それも相当な威力。そして、唐突に消える。この状況で、万全に戦えると豪語するものはそうそういないだろう。気配を探れないのが痛い。普段ならば、どこから攻撃が来るか、索敵できるので、死角を突かれるなどということがないのだが、今は違う。
「イヴァルッ!!」
瞬間、飛翔する槍。煉夜は、フィンガースナップなしに、槍めがけて魔法を放つ。それは、空気の塊だった。
高速で飛翔する槍に、空気の塊をぶつけたところで、多少の抵抗こそあるものの、バッグ同様引き裂かれるのがオチだろう。だが、それは正面からぶつければ、の話である。煉夜は、槍に横から空気の塊をぶつけた。
当然のことながら、穂先だろうと、柄端だろうと、当たれば向きは変わる。軌道が逸れるのだ。逸らしきることさえできれば、槍と正面から衝突することが無い。
しかし、――逸れた軌道が、ありえない曲がり方で修正される。まるで操っているかのように。否、絶対に煉夜に当たるべく、目がけているように。
「追尾型か……!」
煉夜は、槍が飛翔する前に聞こえた呪文こそが、この力を付与しているのだろう、とは理解したものの、分かったからといって、どうすることもできる状況ではなかった。ともすれば、煉夜は、切り札を使わざるを得ない状況まで追い込まれつつあった。
「ようするに、突っ込んでくる小型の魔獣と変わらねぇ!」
しかし、この状況で、煉夜がその切り札を切ることはなかった。意思を持つかのように突っ込んでくるその槍に対して、正面から向き合う。
「来やがれっ!」
ありったけの身体強化とありったけの魔力をアストルティに通す。黄金の光が再び周囲を満たした。もう、日が沈む、その時に、まるでここに太陽が落ちてきたかのような眩しさだった。
されど、槍がその眩しさに目を眩ませるなどということは無く、正面から突っ込んでくる。
煉夜は、その風切音を聞きながら、肺の中の息を全て吐き出さんばかりに、息を吐き、衝突する。
――ギャリィガガガガガガガッ!!!
先ほどよりも大きな金属の不協和音は、森中どころか、街まで響くほどに大きな音を鳴らしていた。ぶつかった衝撃で裏口の戸が吹き飛んだ。
戦闘音を聞き、裏口の近くで身を潜めていた檀は、その吹き飛んだ戸の奥を見た。
襲い来る槍は、いくら逸らしても、軌道を修正して、まっすぐに煉夜を貫こうとする。正面衝突はまさしく悪手だった。真っ向からの対応をしなくてはならないからである。呪文に効果切れなどが有れば幸いだろうが、それがあるかないかも分からないこの状況はまさしくまずかった。
そのうえ、相手は、槍を投げているだけ、つまり、今はフリー、自由にどこへでも動けるというわけだ。煉夜は槍と対峙し続けなければならない。この隙をついて接近しようものなら、対応などできないだろう。
「アスィヴァル!」
背後からの声、そして、ふと消える前方の力。後ろからの強襲を予見した煉夜は、そのまま、前へと転がった。前方に全体重をかけていたから、流れに身を任せるだけだった。
そして、転がりざまに、魔法を放つ。猛烈な風が、土と小石を巻き上げ、背後からの急襲を邪魔した。
「しぶといなっ!」
「お互いさまだ、この野郎!」
相手の言葉に、煉夜は、口悪く返しながら、体勢を整える。一方、相手も、槍を構えなおした。姿を見せた以上、先ほどまでの様に引っ込んで戦うという選択肢は捨てたようだ。
(しかし、何だ、こいつは……。幻想武装無しとはいえ、俺をここまで圧す槍、だと……?)
煉夜は常々、本気を出さない状態なら武田信姫や初芝小柴に劣ると言ってきていたが、今度の相手は、そのようなレベルではなかった。
相手の武器がこの槍以外にもあったなら、相手が遠距離攻撃に徹していたなら、相手が二人以上だったなら、たられば論ではあるが、きっと、そうなれば負けていたに違いない。今も、勝っているとは言えない。むしろ、圧されていた。
一方、その気持ちは、相手も同じだった。
(この槍を使っているのに、こうも攻めあぐねるとは……、何者なんだ……!
それに無詠唱で放つ魔法……まるであの詐欺師紛いじゃないか!)
互いに、本気を出しきっているわけではないが、それでも、相手の実力の高さが想定外すぎて、攻めるに攻められないような状況だった。
(本気を出さないと、マズいか……?)
煉夜が幻想武装を使うかどうか、そのギリギリの状況。そして、それは相手も同じだった。
(あっちを持ちだすか……?いや、しかし、あれは……)
そんな彼らを止めに入ったのは、裏口の外で様子を見ていた檀であった。
「ストォオオオオオオオップ!ストップストップストップ!」
互いに、ジリジリと距離を測りながら、探りながら、構えている状況で、そのど真ん中に滑り込むように入ってきたのだった。まるで状況は、「わたしために争うのは辞めて!」と叫ぶ少女漫画のヒロインのようである。




