015話:傍観者
その日、煉夜は珍しく何もない日だった。アルバイトも課題も修行もない、そんな日に空を見上げる。京都に来てからしばらく過ぎたが、いろいろなことがあったものだと考える。水姫や八千代をはじめとした京都司中八家やおふてんちゃんなどの学校の友人、懐かしい異世界を知る沙友里。この世界には魔法や超能力の類はないと思っていた。されど、存在するという事実に、驚きながらも徐々に馴染んでいるのは懐かしいからだろうか、と思考を巡らせる。
まだ残暑の所為か熱気の所為でぼーっとする頭で思い出す。横になった煉夜の胸元から零れ落ちるこぶし大の大きな宝石。込み上げる懐かしさと悲しみに煉夜はかぶりを振る。そして無理やり起き上がった。
忘れたくても忘れられない彼女、愛しいその顔を脳の奥底に沈めると涼しさを求めるように煉夜は外へ出る。熱に浮かされた様な気分だったが、それでも、家の中でぼーっとしているような気分ではなかったのだ。
しばらく歩いて、見つけた小さな公園のベンチに腰をかける。誰もいない寂しい公園。遊具もなく木とベンチだけという簡素な公園だった。地面の様子を見るに昔は遊具がいくつかあったのだろうが安全性の心配から撤去されたのだろう。
ボロボロのベンチも安全とは言い難いものだが、今すぐに崩れるということはないだろう。そんなベンチに座って空を見上げている煉夜の様子はどこか近寄りがたい雰囲気を持っていた。
そこにある少女が通りかかる。少女の目には一瞬目の前の光景がブレて別の光景とすり替わる。ベンチは岩に、公園は砂漠に。幻想的な風景にすり替わって、思わずかぶりを振った少女の目には公園とベンチ座る友人の兄が映っていた。
空を見上げている煉夜は彼女に気付いていない。だから彼女はゆっくりとベンチの方に近づき、煉夜の横に腰を掛けた。
不意に横に座られたことで煉夜は顔を降ろして横を向く。そこには煉夜を見るおふてんちゃんがいた。顔の近さに思わず驚く煉夜だが、どこか既視感を覚える光景に驚きすらも消えた。
「お兄さん、こんなところで何をやっているんですか?」
悪戯っぽく笑う彼女の顔はどこかの誰かを髣髴とさせて煉夜は思わず目をパチクリとする。しかし、ただの幻覚だと思いなおし、おふてんちゃんに笑って言った。
「風を見ていたんだ」
空ではなく風を見ていた、と煉夜は言った。風は見えるものではない。それは煉夜でも同じである。でも、煉夜はそういった。
「高神の風……」
おふてんちゃんの口から漏れ出た言葉に、煉夜は目眩がした。全く同じ言葉を同じような状況で聞いたことがあったからだ。そもそもおふてんちゃんが知るはずの無い単語を話している時点でおかしい。
「あれ、今、何か言った様な……でも、なにを……」
直後、硬直したように動かなくなってから彼女はそう言った。まるで無意識の発言であったかのような物言い。現に、おふてんちゃんは全く何を言ったか把握していないようだった。
「気のせい……か?」
熱気にやられた頭が幻聴を聞かせたのだろうか、と煉夜は考えて、それ以上考えるのを辞めた。そして、横にいるおふてんちゃんを見て、その頭にぽふんと手を置いた。まるで火邑の頭を撫でる時のように。
「え、わっ、あ、ちょ、な?」
何が起こっているのかよくわかっていないおふてんちゃんは混乱しまくっていた。自分が何を言っていたのかを考えていて煉夜のことを全く意識していないタイミングでのことで、半ばパニック状態である。
「何をしているんですか、お兄さんっ!」
何をされているのか分かったおふてんちゃんは恥ずかしさと、そしてなぜか嬉しさから頬を真っ赤にしてそう言った。
「ん、ああ、悪い悪い」
煉夜自身、どうしておふてんちゃんの頭に手を置いたのかは分からない。けれどそうしなくてはならないような使命感があったことだけは確かだった。
「もう、お兄さんてば……できれば子ども扱いは辞めてほしいんですけど」
口をとがらせて拗ねるおふてんちゃん。その様子は子供のようで、でも大人が子供のふりをしているようでもあった。その不思議な感覚に煉夜はどうしようもない戸惑いを覚える。
「子ども扱いはしていないさ。ただ、……いや、何でもないよ」
おふてんちゃんは煉夜を見ていた。心の奥底にうずく誰かが彼を欲しているように、心の奥から彼を求めている。心臓が飛び出そうなほどに音を立てる。
「あの……お兄さん」
おふてんちゃんが手を伸ばす。僅かな距離、ただでさえ振れそうな距離にいるのになぜか渇望するかのように、煉夜へと……。
「あー!おふてんちゃんとお兄ちゃんだっ!」
そんな声が公園はおろか住宅街にまで響いた。おふてんちゃんは思わず伸ばしていた手を引っ込める。無論、声の主の正体は2人ともがすぐに分かった。
「火邑」
「火邑ちゃん」
煉夜とおふてんちゃんがその名前を口にする。煉夜の妹の火邑だ。能天気に駆けよってくる様子は先ほどまでの熱気よりも暑苦しいほどだった。
「なーにしてるの?」
相変わらずな火邑に2人は笑う。そして、火邑は無理やり煉夜とおふてんちゃんの間に割って座る。
「もう、お兄ちゃんてば部屋にいないからどこに行ったのかと思えば、こんなところでおふてんちゃんと会ってるなんてずるいよ」
そんな風に拗ね気味の火邑。その様子は年端もいかない子供のようで可愛らしい。その様子に苦笑する2人。そんな風に3人で楽しく笑い合っていたから、煉夜は近づいてくる気配に気づくのが遅れたのだ。
「よっ、相変わらず兄妹仲がいいな、お前は。そっちの彼女は初めましてかな?」
手を軽くあげて挨拶をしてくる青年。茶色の髪に茶色の瞳、鍛えられていることが分かる肉体。煉夜は彼をよく知っていた。
「雷司っ!」
青葉雷司。京都に来る前に居た場所で煉夜の親友とも言える存在だった青年だ。煉夜はなぜ彼がこんなところに居るのか、と言う疑問よりも先に再会の嬉しさを感じていた。
「ったく、両親の都合で偶然こっちに来たんだが、まさかこんなところでお前に会うとはな」
そう言って背後に停車していた車を指す雷司。どうやら両親はあの車の中にいるようだった。煉夜は月乃の姿も探すが無いことからいないのだと判断した。その視線に気づいた雷司は補足するように言う。
「月乃なら一緒じゃないぜ。あくまで家の用事だったからな。おっと、悪い、そっちの彼女には自己紹介もしていないもんな。俺は青葉雷司。こいつの三鷹丘での親友だぜ」
おふてんちゃんに向かって自分の名前を名乗る雷司。おふてんちゃんはあっけにとられたように「は、はぁ?」と声を漏らした。
「それにしても陰陽師たぁ恐れ入ったな」
と普通に言う雷司に対して驚いたのは煉夜だった。一般人であるおふてんちゃんの前でそんなことを大っぴらに言う雷司に対してどうするか困ったのだ。
「お、おい」
煉夜は目でおふてんちゃんを見て雷司にそのことを伝える。それを見た雷司は失言に気付いたようだが、雷司にしてみればおふてんちゃんからにじみ出る気配が一般人とは思えなかったのだ。
「ああ、陰陽師のことですね。知っていますよ?火邑ちゃんやお兄さんに会う前から雪白家や水姫さんとも交流が有りましたし、他の司中八家ともかかわりがありますから」
あっけらかんというおふてんちゃんに煉夜は口をポカンと開けた。まさかおふてんちゃんがそのことを知っているとは思っていなかったのだ。
「え、おふてんちゃん知ってたの?」
雷司を交えた煉夜達は会話を弾ませる。その様子を車内から見ていた青年に見える男はぼそりと呟いた。
「あの彼は……この世界の始祖かな。歪なほどに歪められた寵愛を受けているみたいだな」
意味の分からない言葉に彼の妻である雷司の母、紫炎は首を傾げながら煉夜を見て夫には何が見えているのだろうか、と思った。
「それよりも、彼女の方が問題だ。彼女はおそらく俺や静巴と同じだぞ」
紫炎は夫がどちらのことを言っているのか分からなかったが、自分の息子とその親友と仲良く話す少女たちを見るのだった。
次章予告
前編
学校帰りに誘拐事件に巻き込まれた煉夜。誘拐された京都の重工業会社の娘とともに誘拐犯をぶちのめす。そして、その誘拐された少女には秘密があった。
後編
引っ越し前に紫炎に何かあったら頼れと言われていた煉夜は試しに言われていた家に挨拶に行ってみることにした。助けてもらうなら事前に挨拶くらいしておくのが礼儀だろうと思ったのだ。そして、各家を回る煉夜だったが、そこで奇妙な話を聞く。それは京都を揺るがす大事件の前兆だった。
――第二章・司中八家編




