149話:真田家の事情・其ノ肆
時間は少し遡る。煉夜と郁が、真田家を訪れる少し前の話である。長野県長野市の北よりにある長野駅。真田家への最寄り駅も、この長野駅である。その駅で、郁は、煉夜と待ち合わせをしていた。
男を連れて行くと話にならないという無茶な注文を、男である煉夜にした郁は、「何とかするから先に行ってろ」という煉夜の言葉を受けて、朝に長野についていた。しかし、実家にはまだ戻らず、駅で煉夜を待つことに。
そもそも、長野駅で待ち合わせにしたのは、監視対策でしかなかった。東京から一緒に行動していたら、会社が雇ったと疑われること間違いなしである。
そう言う経緯もあり、長野駅で煉夜のことを待っていた郁は、ベンチに座ってぼーっとしていた。地元である上に、郁の家は相応の大きさなため、いわゆる地元の名士などと言われるため、その娘である郁は、そこそこ有名である。そのため、話しかけてくる知人などもおり、さほど待ち時間を長いとは思わなかった。
一時間も待たなかっただろう。どの新幹線に乗っているかは、あらかじめ連絡が来ていたので、どのくらい待つのかの予想は容易だった。
しかし、
「郁、待たせたな」
という、女性の声に、郁は、反応できなかった。この地元において、郁を「郁」と呼ぶのは家族くらいだが、姉や母にしては口調が違う。つまるところ、自分のことではないという先入観が自動で働いた。
それが自分に向けられたものだと郁が気づくまでかかった時間は、たっぷり20秒ほどを要した。どっぷり20秒と言い換えてもいいかもしれない。
「え、……え?……ええ?………………ええぇ?」
そして理解してからもたっぷり20秒。それもそうだろう。依頼した相手は、男性であり、今の声は間違いなく女性の声だった。しかし、郁の中では、煉夜ならば、女性に変装するくらいできるに違いないという謎の信頼感により、煉夜に任せることにした。
そもそも、煉夜の素からしてすべからくできそうな雰囲気があるが、陰陽師である。声の一つや二つ、変えるのはわけないのかもしれない、とそう思い、郁は、どうにか気を持ち直したのだが、声の主を見て、またもや固まった。
「んん?……えぇ?」
だが、今度の石化は前に比べれば短いものだった。されど、煉夜よりも低い背丈に、煉夜よりも細いと思われる四肢。その肢体は、どう考えても煉夜とは別物であった。
そもそも、煉夜よりも「高い」のならば変装で納得できるだろう。煉夜よりも「太い」のなら同様に納得できたかもしれない。高さならば、シークレットブーツなりなんなりで誤魔化せるし、太く見せるのもどうにかできるかもしれない。だが、低く細くは変装というのを逸脱している。
そこまでくると、それは、もはや煉夜とは別人としか言いようがなかった。
そも、郁はアイドルという職業柄上、人の肉付きに関しては、プロの目利きと言っていいものを持っている。それはアイドルにとって死活問題だからだ。
そもそも、歌って踊るという行為には、トレーニングやレッスンがつきものではあるが、限度というものが存在する。それに加え、ある程度見た目を維持するために、体を絞ることも必要になってくる。
しかし、絞りすぎると、今度は、腹筋が割れ、そう言う路線ならともかく、普通に売るうえでは腹を見せる服が着られなくなるだけだ。なので、その辺の塩梅を見極めたトレーニングと絞りをするためにも、郁の持つスキルは有用である。
だからこそ、
「誰ぇ?!」
という郁の言葉も納得のものだろう。もっとも、煉夜自身もここでまかり間違って、「煉夜君」などと呼ばれたのならば、郁は普段、自分のことをどんな目で見ているのだろうか、と本格的に悩むことだろうが。
「いやまあ、このタイミングを考えて、俺以外であるという選択肢を考える辺りが郁らしいが……」
待ち合わせをしているというのだから、普通に考えれば煉夜であって然るべきだろう。もっとも、だからこそ、煉夜とかけ離れた外見の少女とは結びつかず、こうなったというのも当然のことであるが。
「しかし、まあ、陰陽師の技とでも思ってくれ。それから、ここからは真鈴とでも呼んでくれ。……呼べるか?」
呼んでくれとは言ったものの、郁が親の前でとっさに「煉夜君」呼びをしないだろうか、とも思うと、白原真鈴と呼べと言うのは、少々無茶があるとも思える。
「うん……頑張る」
そう言った経緯もあり、藤吉郎や雪姫との出会いを経て、真田家の玄関に居た。帰ってきた郁は、思いのほかすんなりと家に通されたので驚いていたが、それは煉夜も同感だった。特に、煉夜を同伴していたというのに、特に何事も無く通されたことが驚きだったのだ。
家政婦の可子・ナルーブ・好沢の案内の元、二人は、客間へと通されるのだった。客間に居たのは、真田家長女の真田愛と真田家当主夫人の真田空だった。
「お母さん、お姉ちゃん」
真田家において、郁が全幅の信頼を置いていると言ってもいいのは、この二人だった。無論、父と兄を信用していないわけではなかったが、全幅の信頼を置けるほど仲が良かったわけではないのだ。
「お帰りなさい、郁。そちらは、白原さん、だったかしら。先ほどインターフォンでそう名乗られていたわよね」
郁の母、空は、どことなく、ぼんやりとした雰囲気の様に見えて、その実、頭の回転は速く、物覚えもいい方である。
「しかし、まあ、平坦な女の子ね。……女の子?」
郁の姉、愛は、煉夜(真鈴ボディ)を見て、そんな風に失礼なことを言うのだった。真鈴の身体は、実年齢に比べ、イーブラ=イブライエに居た約一年のラグがあるものの、一年の成長など高が知れている。
確かに、普通と比べれば、背丈や線の細さから、若干、平坦に見える胸だが、平均程度であり、この場合、愛の感性がおかしいだけである。まあ、愛の基準は自分の胸であり、その胸が大きいので、仕方がないことだろう。
「まあ、薄い方だとは思いますが」
しかしながら、煉夜も同様の心持ちらしい。どうにもいつもセットでいる九十九が大きい分、相対的に真鈴が小さく見える上、煉夜の周りで考えると、基本的に平均以上かほぼゼロかに分類されるため、どちらよりかと言われると、真鈴は後者であった。なお、ほぼゼロとして代表されるのは、まだ幼いリズであるため、流石にそこと比べて同じということはなかった。
「しかし、女性でスね。間違いないでス」
すの発音だけやたら英語系の発音の様に聞こえる可子の発言。なお、煉夜には多言語理解を介して普通に聞こえている。
「まあ、可子さんが言うのなら間違いないでしょうけど」
可子・ナルーブ・好沢は謎が多い。国籍不明、自称ハーフだが、事実関係不明、雇われた経緯も不明、そんな謎の家政婦だ、と郁は言っていた。ある日、急に父が雇ったので怪しいことこの上にない、と。
「郁、ようやく帰ってきたか」
そして、その場にやってきたのが、真田繁と郁の弟の真田丸であった。
そして、繁を見た瞬間、煉夜は、内心でただものではないことを判断していた。ただものではない、というのは、人間ではないということではない。
「そして、そちらが、白原真鈴君、だったかね。失礼とは思うが、少し調べさせてもらった。何、ハナミナプロダクションとつながりがあるか、ないか、その程度しか調べていないから安心したまえ」
繁と丸が若干遅れていたのは、真鈴について調べていたからである。丸に関しては言葉そのまま若干であるが、特にこれといった情報が出なかったこと、ハナミナプロダクションの監視には引っかかっていないことなどから、無関係と判断した。しかし、無関係ならなぜ、この姉は、この人物を連れてきたのか、という疑問が残った。
一方、繁は、いろいろと把握していたが、この場ではそれに触れていない。
「さて、では、話を聞こうじゃないか。郁、一体、どうしてこうなったのかを」
そうして、郁は、ぽつぽつと自分がアイドルになった経緯を話し出す。要所要所で愛と空も注釈を加えながら、話していくのだった。煉夜の援護が必要な場所は少なく、あまり出番はなかったが、必要に応じて手助けはした。
「なるほど、しかし、アイドルという不安定な業種でやっていくのは難しい。それはお前が一番分かっていることだろう。切欠は掴んだかも知れない。しかし、それがいつ無くなるかも分からない。切欠は切欠でしかないのだ」
確かに、売れていなかったという点において、難しいということは郁が一番分かっているというのはあながち間違っていなかった。売れない苦労は、人一倍してきたつもりだ。
「だから、アイドルという職業に付くことは認めん」
しかしながら、そうなると生じる問題が無論ある。だから、煉夜は、それについて繁がどう考えているのか、聞いてみる。
「しかしながら、不安定ながらもアイドルという職にはついているわけですが、それを辞めるとなると次の就職先が必要になりますよね。ですが、アイドルを辞めての再就職というのは難しいのは明白です。それは会社を経営しているお父さんの方が分かるのではありませんか?」
日本の職業倫理において、現在はだいぶ改正されつつあるも、やはり、前の仕事を辞めて新しい仕事をするというのは、悪く思われがちである。それも、前職がアイドルともなれば、余計にそう言った目で見られるのは間違いないだろう。
そう言ったことは、人を雇っている、雇用者である繁の方が分かることであった。不安定を辞めろと言うのであれば、安定した職に就くだけの用意が必要になるが、郁の年齢等も考えるといろいろ難しいのは明白であった。
「ふむ、一理あるが、最低限の学力さえあれば、ウチの会社で事務でも何でもやる仕事はある。最悪、現場の下働きなどでもな」
流石にそれなりの企業だ。コネクションでの採用は難しいだろうが、入社試験をきちんと突破することができるのならば、面接の方はいくらでもやりようがあった。
だが、煉夜は、そこである方法を考えついていたのだった。




