146話:真田家の事情・其ノ参
長野県長野市北部にある真田家。京都にある司中八家の家々や魔導五門の家々と比べてしまうと、そんなに大きくないように見えるが、普通の家としては十分に大きい家だった。
そもそも長野市の北部は北信五岳の黒姫山や飯縄山などがある。なお、英国に言っている唄涙鷲美鳥が神獣白猛幽孤と出会った山も長野市に入っている。また、その美鳥がいた神社も同様に長野市内である。
こう記して分かるように、長野県は山が多い。その山手に真田家は建っている。およそ三階建てと思われる家は、片流れの屋根で、正面へのでっぱりはあまりない印象の一軒屋だった。
郁が真田幸村とは縁もゆかりもないが無いというように、由緒正しいというような和風の家ではなかった。
しかしながら、その家の前に立つ人物は、和風と言ってよいものだろう。和装の男である。はるばると、この長野までやってきた煉夜は、その人物が郁の父なのだと思ったが、隣にいる郁の発言から、違うことが分かる。
「伊沼のおじさん?!」
郁の言葉に、にっこりとほほ笑み、煉夜……真鈴の外見をした煉夜には軽く頭を下げて挨拶をした。
「久しぶりだね、郁ちゃん。いやぁ、お父さんに話があってきたんだけど、相当気が立っているみたいでね……、何かあったのかい?」
伊沼、という名前にどこか引っ掛かりを覚えた煉夜だったが、長野に知り合いなどいないために、気のせいだと判断して、郁と伊沼という男性とのやりとりを見守る。
「うん、まあ、いろいろとありまして……」
「そうかい。まあ、また落ち着いたら話に来ようかな、と思っているんだけど。そちらはお友達かな?」
完全に傍観者状態だった煉夜は、話しかけられてから、自分に話しかけられたのだと気づいた。だから、相手には若干戸惑ったように見えただろう。
「あ、はい。白原真鈴と言います」
ぺこりと頭を下げてから、脳の奥で何かがひらめく。そして、伊沼という名前について知っていることを思い出した。
「そうかい、白原さんね。僕は、伊沼藤吉郎というんだ」
伊沼藤吉郎。その人物に対して、煉夜は、確認の意味も込めて、あるいは知っていることが正しいかどうか、ことも踏まえて、
「伊沼藤吉郎さん。雷隠神社の御頭目殿ですよね」
藤吉郎の動きが止まった。白原真鈴という存在、それが何者であるのか、一瞬の思考が巡るが、記憶にない。
「君は、……何者だ?」
だからこそ、そのまま質問するしかなかった。その筋の人間ならば、特に伊沼藤吉郎という名前を知っている人間ならば、その大半が藤吉郎の知人のはずだからだ。
「お生憎ながら、あたしは単なる白原真鈴でしかありませんよ。ですが、八巫女三席……もう、『元』になっているかもしれませんが、八巫女三席の唄涙鷲美鳥さんとは知己があります」
無論、真鈴と美鳥には接点などないが、おそらく連絡を取り合っていないだろうと思われる美鳥の知人関係を藤吉郎が調べることもないだろうと煉夜は推測して、適当に話した。
「そうか、美鳥君が。……彼女とも決別して随分と経っているが、されど、まだ彼女は八巫女三席だよ。専用武器も渡したままだしね」
長野県にある雷隠神社では、頭目である伊沼藤吉郎と同等の頭目である三人を合わせた四頭目……四大天とされるものと、その部下に値する八巫女を主とした組織である。四大天の伊沼藤吉郎、空前末由、似鳥尚右染、瑠原矩晃。彼ら四人の地位は、司中八家当主と同率か少し下くらいだろう。
そもそも、この日本において、神社や寺というもの明確に理解している人間はあまりいないだろうが、神道系が神社、仏教系が寺という曖昧な区分で十分だろう。その神道系に類する神社には神が存在する。神の社と書いて神社と呼ぶように、神を降ろした社である。
八百万の考えからも分かるように、その昔、神道が浸透していた頃は神社が多く、後に仏教が到来し、仏教が覇権を取ってからは寺が増えたわけである。
後に戦国時代になると、比叡山の焼き討ちに有るように、寺を徹底的に潰した武将がいた。織田信長である。寺を焼くなどと言えば聞こえは悪いが、当時、最も信仰されている仏教において、僧兵と呼ばれる存在がいた。仏教を守るための兵士である。つまり、武士にとって敵となったのは、他の武士の他にこの僧兵も含まれるのだった。
話を戻すが、平安から戦国、江戸と経て日本で寺が衰えたのは、明治時代以降である。政府の政策にある「神仏分離」からなる「廃仏毀釈」により、寺にある仏像などが多く壊される事態となった。
そして、政府は神道教化の方針で行くこととなるが、後に、それは廃止されている。しかしながら、多くの寺が勢力を衰えさせたのは事実だった。
古くは、平安の頃より陰陽道を中心に政治に携わった神道、並びに神社は、仏教台頭でなりをひそめていたが、司中八家があるように、陰陽師という形で密接に関わり続けていた。
されど、なりをひそめるということは、すなわち、俗世と距離を置くか、俗世に溶け込むか、の二者択一である。そして、天月神社のような俗世に溶け込み、一般的な神社となったものと、雷隠神社のように、俗世と離れ、独自の体系を築いた神社があるのだ。
この四大天というものも、独自の体系が生んだ言葉であり、仏教における大天とは関係ない。大きな天を四つに別つほど偉大な四人と言う意味だが、それが生まれた当時を知る者は存命していない。また、八巫女という概念も、異界のアルノフィア公国が巫女衆に由来していることも誰も知らないだろう。
「しかし、美鳥君は今どこにいるのかも分からないんだが、友人がいたとは……」
「少なくとも国内にはいないので、滅多には会えませんけどね」
流石に居場所を正確に喋る気はなかった煉夜は、そんな風に答える。すっかり蚊帳の外の郁はというと、家をぼーっと眺めていた。
「そうか、この国を出ていたのか。まあ、彼女だったらどこでもやっていけそうではあるが……」
藤吉郎がそんな風に呟いた時、歩いてくる巫女の姿が映る。煉夜は少し前から感知していたが、それほどに強い霊力の持ち主でもあった。
「伊沼様、お戻りになられないので様子を見に伺いました」
その所作は、人として、巫女として、美しく鮮麗されたものだった。巫女の中の巫女。かつて、美鳥が憧れた、巫女の頂点。
「ああ、雪姫君。すまないね。少し立ち話が長引いてしまったよ」
煉夜は、その顔をどこかで見た様な気がした。されど、思い出せない。一方の彼女も煉夜……真鈴の顔をジッと見ていた。
「……戯れもほどほどにしないと身を滅ぼしますよ、レン」
その微かに囁くかのような声に、反応できたのは煉夜だけだろう。煉夜の研ぎ澄ませた聴覚だけが、その声を拾っていた。煉夜のことを「レン」と呼称する人物には、一人しか思い当たらない。されど、それはあり得ない話であった。
「伊沼様、似鳥様がお呼びになっていました。それに、彼……いえ、彼女にはいずれ会うこともあるでしょう。美鳥さんも含めて、です。今は、さほど詮索しなくとも、その時、また、話せばよいでしょう」
まるで未来を知っているかのような言葉。だが、藤吉郎にとって、それはいつもの古都であったために、さほど気にした様子はなかった。それよりも、
「また会う運命、か。僕は生憎、予知や占い、預言の類は苦手だから知らないが、君がそう言うのならそうなんだろうね」
四大天にも得意な分野というものが存在する。藤吉郎が降霊や祀事、末由が神威や霊言、尚右染が預言や占、矩晃が供えや対話と、主に得意なものを分類するとこうなるだろう。そして、彼女は、そのどれもが相応にできる存在であった。
「では、あえてこう言います。また会いましょう、レン」
名前の部分だけ、煉夜にしか聞こえないように言う辺り、煉夜のことを良く知っているようである。
「さて、郁ちゃん。また、今度、ゆっくり話をしようか。そちらの白原さんも、どうにもまた会うらしいから、よろしく頼むよ」
そうして、二人は去っていく。そうして、煉夜と郁は、改めて、真田家に向き合った。ピンポーンと軽快なチャイムの音。煉夜は、先ほどの女性のことを頭の隅に追いやりながら、今日の本当の目的を思い出す。




