144話:真田家の事情・其ノ一
テレビでの「最近のアイドル特集」の放送から数日経った、ある日、煉夜のスマートフォンのベルを鳴らしたのは、郁からの一本の電話であった。授業中ということもあり、流石に、その場では出なかったが、昼休みに入るなり、さっそく折り返しの電話をかけた。
「もしも」
「煉夜君!助けて!」
もしもしの言葉とほぼ同時くらいに、郁からの声が入る。そのただ事ではない雰囲気に、何事かと煉夜は、思わずそのまま、何らかの手段で郁の元まで駆けつけるべきなのでは、と思ったが、行動に出る前に、電話の相手が変わる。
「申し訳ありません。郁は少々動揺しておりまして。まずは、先日の件、真にありがとうございました。テレビの効果もあり、無事に軌道に乗っています。それもこれも、貴方からのアイデアによるものです。会社に代わりまして、私が御礼の言葉を述べさせていただきます」
淡々とした津の声に、煉夜は、動揺から一転、現実に引き戻された。この場の対応として、ひとまず、津に言葉を返す。
「いえ、それは、そちらが成し遂げたことですし、一番は、郁自身の尽力の賜物でしょう。こちらとしては依頼をできる限りでこなしたまでです」
それは煉夜の本心でもあった。会社にそこまでのやる気がなければ、郁は普通に芸能界を去っていたし、郁自身の努力がなければ同様に、芸能界を去っていたはずだ。
「さて、前置きはこのくらいでいいでしょう。しかし『助けて』というのは、穏便ではありませんよね。一体、何があったのでしょうか。仕事の依頼が多すぎて困っている、嬉しい悲鳴、というようにも聞こえませんでしたし」
そう、先の一件の褒め合いなど、この場ではどうでもいいことだった。肝心なのは、郁からの電話の無いようについてである。
「はい、そうですね。そちらの話をしましょう。ただ、誤解しないでいただきたいのは、私達……ハナミナプロダクションという会社としては、貴方を頼る気はありませんでした。これは郁の独断です。そのことを前提に、話を聞いてください」
煉夜は、その前提に違和感を覚えた。本当に郁の独断だというのなら、郁は津の居ないところで煉夜からの電話をとればよかったはずだ。しかし、現に、津が郁の代わりに事情を説明しようとしているのだから、これは「郁個人からの依頼」という形にしたいということではないか、と推測した。
「分かりました。あくまで、郁個人の判断である、ということですね」
確認の意味も込めて、煉夜は、津にそう問いかけた。すると、電話の向こうで、津の息を呑む音が聞こえた様な気がした。
「察しが良くて助かります」
津は、そう言ってから、煉夜に説明を始める。
「元々、郁は、ご両親の許可を得てから上京したわけじゃないのです。母親の許可はあったようですが、父親はアイドルになることすら知らなかったようです。しかし、この間の放送でバレてしまい、実家に呼び出しを食らったというのが事の発端です。無論、雇用している……というより契約しているのは、我が社なので、我が社が説得に応じたのですが、無意味どころか、怒りを買ってしまいその結果、郁への同行を禁じられ、私達は、郁についていくことができなくなったのです」
煉夜は、納得する。だからこそ、郁の個人的な判断で、という部分が大事になるのだ、と。ハナミナプロダクションからの依頼として行くのは、結局、ハナミナプロダクションの人間が行くのと変わらない。
「なるほど。とりあえず、近いうちに、……そうですね。今週末に、そちらにお伺いします。その時、改めて、詳しい事情をお聞かせください」
授業のことも有る上に電話越しでは、詳細が分からない。だからこそ、直接会って話を聞くために、そう言った。
金曜日の夜、煉夜は、新幹線で東京に向かった。本当ならば、土曜日の朝に行く予定であったが、運よく、新幹線に空席が出ていたので、それに便乗する形で、煉夜は、東京に向かったのだった。
前回の訪問で、勝手が分かっていた煉夜は、ハナミナプロダクションの近くに付くまで、そう迷うことはなかった。流石に呼ばれたからと言って、アポなしで訪問するような気もなく、煉夜は、新幹線の中で、津と郁に連絡をしてある。
そうして、ハナミナプロダクションに向かおうとした時、妙な視線と気配が知覚域にあることに気が付いた。それは煉夜を見ているのではなく、ハナミナプロダクションを見ているようだった。
(たかが娘が無断でアイドルデビューしたくらいで、ここまでするか?郁ももう成人してるんだぞ……?)
煉夜がそう思うのも無理はないだろう。それは、いわば監視である。郁の父親は、明言通り、ハナミナプロダクションの人間及び依頼したと思しき人間を通す気はないのだろう。
この状況で煉夜がハナミナプロダクションを訪ねれば、それもまた、郁の父親には伝わるのだろう。無論、煉夜ならば写真等に写らないようにする技術はいくらでもある。だが、それにしたって、結局、特徴一つでも伝えられれば意味はない。むしろ、疑わしきは通すな、との勢いで、結局、全部シャットアウトされるだけだろう。
しばらく考えた後に、煉夜は、普通に、訪問することを決めた。状況もまだ正確なことが分かっていない上に、いざという時は、使いたくない手段があるにはあるからだ。
先日とは違い、きちんと話は通っていたようで、簡単に中に通してもらえた煉夜は、事務室のある階までエレベーターで向かい、そのまま、事務室の戸をノックして、返事を待ってから開く。
「失礼します。郁からの電話で急遽、こちらに伺ったのですが、郁と田中さんはいらっしゃいますか?」
煉夜の言葉に反応するように、津と郁が顔を見せた。前もって連絡していたとはいえ、本人が来たのを確認して、ようやく一息、といったところだろう。
「ごめんね、煉夜君、わざわざ、また来てもらって。それもわたしの家族の問題なのに」
その郁の言葉に、「確かに」と思わないでもなかったが、流石に口に出すことはなかった。ここまで来れば乗りかかった船というものである。
「まあ、別にそれ自体は構わないんだが、どうにもお前の父親は、それなりの権力者か、それとも相当な親バカで、娘のためには何でもするタイプの様だから、若干心配だな」
このハナミナプロダクションを監視していたことを考えれば、煉夜と同じ推測は容易にできるだろう。だが、監視のことを知らない郁と津は、驚いた顔をしていた。
「煉夜君は、もしかして、うちのこと、調べたの?」
その問いかけに対して、煉夜は首を横に振った。当然のことながら、調べるはずもない。そもそも、権力者であろうか、という予測を立てる前の段階では、調べる気すら起こらないだろう。一応、京都の名家とはいえ、煉夜自身が私的な用件で一般人の家を調べるなど不可能だ。
「いや、全然調べなかった、というか、調べて出てくる家かどうかも知らなかったからな。けど、このビルの入口に監視を置くくらいの人だ、簡単に人を動かせるほどの権力者か、そんなことをやってしまう親バカかの二択だと思っただけだ」
監視、と聞いて、二人は、目を丸くして、窓の方へと向かおうとするので、煉夜が止める。この部屋からは死角な上に、窓の様子も監視されている可能性は否めないからだ。煉夜は、人を感知することはできても、機械の視線までを明確にキャッチすることはできない。それゆえに、監視カメラなどをあらかじめ設置されていれば気づけるかは場合による。
「と、そんな状況ですので、改めて、詳しく説明していただきたいのですが……」
ひとまず、落ち着いた段階で、煉夜はそう切り出した。そして、郁と津による、説明が始まった。
真田郁は長野県の出身である。それは、プロフィールにも記載されていた。長野県長野市に居を構える会社、信繁建設の社長一家の次女である。信繁建設は、スーパーゼネコンにはならないものの準大手ゼネコンと言っていいほどのゼネコンである。
そもそも、郁が家を出たのには、大きく2つの理由があった。まず、高校の時に進路を決めかねたこと。そして、もう一つが、長女と長男の存在である。
基本的に家を継ぐとなれば、長女の婚約者であるか、長男であるか、であり、次女として生まれた郁には、家関係の仕事をするという考えはなかった。
そもそも、それを考えているのであれば、姉や弟同様に、工業高校に進み、端からそちらの道を歩んでいただろう。
父親も父親で忙しいため、家のことはほとんど関与していなかった。姉と弟が家の道に進んだのは、父親の影響というよりは、子供が家を背負って立つという母親の思想の影響が大きかったのだろう。
郁は、と言えば、どちらかと言えば不真面目であり、母の意を汲むような気が回る子供ではなかったこともあり、普通の高校を出て、アイドル養成学校へと進むことを母親と姉だけに話していた。
それは、父親がアイドル活動などという、先行きの見えない仕事を認めるとは思えなかったからだ。
どのような仕事でも先行きの見えないものであるのは間違いないが、自営業やアイドル、タレントのようにいつまでも定期的な仕事があるとは限らない仕事を、郁の父は特に嫌っていた。
それはある意味、自身の経験というものも含まれている。建設業も、依頼が来なければ建てられない。一度仕事を受ければ、土地整備から建設まで、数年単位で仕事があるが、受けなければないのだ。
そう言う経緯から、郁は、父親にはアイドル活動中であることを知らせていなかったのだが、偶然にもテレビの特集を見られてしまったことで、それが露見。アイドル活動を辞めるように、と郁に言ってきたのだった。
しかし、所属アイドルに辞めるように言ってくることを、事務所が見過ごせるわけもなく、その電話に津が割って入って、説得を試みたのだが、結果は状況から分かる通り。そうして、煉夜に泣きついたのであった。
「しかし、そうであったとして、言い訳や逃げ道をいくら作ったところで、郁一人では言い負かされるだけでしょうね。かといって、田中さんや自分もダメでしょうから」
「そもそも、お父さん、基本的にお姉ちゃん含め、男を連れてきたら、その男を切り殺すって言ってるから、煉夜君も説得どころじゃなくなるよ」
煉夜の剣の腕は、トレーニングとはいえ見ているから、父に煉夜が負けるとは思わないが、その後説得できるかと言われたら無理だろう。
「そうなると……、時間は大丈夫か?」
煉夜は時計を見る。時刻は、23時になろうかという時間だった。こんな時間に、電話をするのは失礼であるし、寝ている可能性もあるだろう。しかし、煉夜は、ためらいながらも、その電話番号を押すのだった。




