141話:真田郁改造計画・其ノ弐
田中津は、若干困惑していた。花火の言う「彼ら」が、学生生活の中で出会った人物であることは知っていた。が、あまりにも若い。高校生と思しき、その人物が、本当に、アイドルの売り方を変えることができるのか、その信頼に足るのか、そう思ってしまうのは無理もないことだろう。
そも、雪白煉夜は、このハナミナプロダクションを訪れるのに高校の制服というものをチョイスしていた。一応、依頼として請け負っている以上、変な格好は避けるべきであり、そうなるとスーツか制服というものになる。スーツという選択肢がないわけではないが、見た目的な意味では、という注釈が付くが年相応の格好をすると言う意味で制服ほど身分と所属を示しやすいものはなかった。
社長に挨拶をする様子を、唖然としながら見る津に、花火……花美が近づき、囁くように言う。
「津さん、高校生だからといって疑りや侮りを抱く気持ちはわかりますが、彼ら……いえ、この場合は『彼』ですが、普通だと思っていると頭痛が酷くなりますよ。柔軟な思考をお勧めします」
伊達花美は、煉夜のことを知らないが、林中花火は煉夜のことを知っている。花火と違い、花美は主人格の知識を万全に共有しているわけではないが、それでも、青葉雷司、雪白煉夜、九鬼月乃という三人のことは、知識として知っている。
「……ええ、分かったわ」
にわかには信じられないが、花火がそういうのだから、と津は、一応、煉夜を受け入れた。それで、社長と花火に挨拶を済ませた煉夜が次に挨拶に来たのが津のところだった。
「…………」
煉夜は、津に対面したとき、数秒の沈黙をした。一瞬、眉を寄せそうになる津に、煉夜が言う。
「足を痛めているようですね。それも慢性的なものだ。挨拶は座ってからにしましょうか」
その言葉に、思わず津は、いや、その場の全員が固まる。社長と津は足のことを見抜かれたことに、花火はその事実を初めて知ったことに。
煉夜の言葉もあり、固い空気の中、それでも、その場にいた全員が、用意されていたパイプいすに座った。一席余る形になっているのは、郁が不在だからだ。
「それでは改めて、私立山科第三高校二年の雪白煉夜です。育成などという大層なことはできませんが、助言程度なら、ということでお招きに応じたしだいです。お見知りおきを」
手を差し出されたので、それに握手で返す津。そこで、何とか我に返り、自身の自己紹介をする。
「私は、ハナミナプロダクション所属のマネージャー、田中津です。この度はよくぞいらしてくださいました。私の担当するアイドルに対して方向転換の御助力を願えたらと思います」
お互いが堅い挨拶を交わす中、花火が、「ん?」と声を漏らし、全員がそちらに注目をする。見られた花火は、若干慌てた素振りで、
「あ、いえ、雪白君、三鷹丘学園三年生のはずでは、と思っただけのことでして」
花火の知識では、自身の一つ下。19歳の彼女から見れば、煉夜達は18歳、高校三年生であるはずだった。しかし、自身の知る所属と違うことを言う煉夜に、思わず声を漏らしてしまったのだ。その言葉で今度、注目を集めたのが、煉夜である。
「ああ、はい、そう言えば林中先輩は知りませんでしたね。去年の夏、京都に転校することになりまして、あの一件に絡みまして二年次編入という形になりました」
その言葉に、花火は「そうだったのですね」と業務的な対応をした。花火は「あの一件」というのがどの一件なのかは分からなかったが、何らかの事情があったのだろうと判断し、あくまで業務的対応で済ませた。
「では、身の上話や挨拶はここまでということにして、本題に入らせていただきたいのですが、……ところで、今回、方向転換を希望しているという御当人はどちらにいらっしゃるのでしょうか。できれば実際に会ってみたいのですが」
煉夜の言うようにこの場に、郁はいない。煉夜は地下鉄を使って、東京駅から来たが、郁は別の路線で御茶ノ水駅から歩いてくる。その御茶ノ水駅までの電車が人身事故で遅延しているのだ。
「電車の事故で遅刻ですか。まあ、仕方のない話ですし、事故を予見して来い、とも言えませんからね。では、先に、現状、どのような方向で売り出しているのか……」
と、煉夜が、本人がいなくても確認できるようなことを確認しようとした時、煉夜の知覚域に、見知った気配がやってきたのが分かった。それも、かなり慌てたように。ここまでお膳立てされれば、煉夜も流石に、今回のプロデュース相手が誰であるのかを察せずにはいられなかった。
「と、言おうと思いましたが、御当人も来たみたいなので、やはり、そちらを先に済ませましょうか」
その言葉に、一同が、「え?」と思う。足音すら聞こえていないのに、何を持って、「来た」と断ずるのか、と。しかし、その疑問を抱きながらも、エレベーターの音と、そこから慌てて出てくる足音で、本当にやってきたと分かる。
「す、すみません、遅れました!」
ぜー、はーと肩で息をしながら事務室に入ってきたのは、間違いなく、みらくるはぁと幸村ちゃんこと真田郁であった。
「大丈夫だから落ち着きなさい。お客様もいらしているから、アイドルがあまりみっともない姿を見せるものじゃないわよ」
そう言って、津は、立ち上がって冷蔵庫からペットボトルの水を出し、郁に渡す。郁は、受け取るとそれに口を付けながら、「お客様?」と内心で首を傾げる。
そして、視線は吸い寄せられるように煉夜の方へと向かっていく。煉夜と目が合った瞬間、
「ごふっ、げふっ、ごほっ」
思いっきり水を噴き出した。流石に、煉夜がいたのは想定外過ぎた。一瞬、幻覚かと思うほどに、それは意外な来訪者だった。
「ちょっと、大丈夫?」
水をいきなり噴き出した郁に、津が驚いたように近づいて、タオルを渡す。スポーツタオルだが、レッスンやトレーニングなどをするために、汗をかくアイドルが多いため、事務室にも常備されていた。
「ふぁい、大丈夫です……」
タオルで口元を拭きながら、郁が答える。煉夜と郁の関係を知らない面々は、慌てていたために、飲んだ水が気管支に入ったのだろうと勘違いした。
「えっと、それで、煉夜君がなんでここに……?」
一応、落ち着いた郁が、席に着き、それで郁が話を切り出した。助言者が来るという話は、津を通じて前もって知っていたが、それが煉夜だとは思わなかったのだろう。
「……?
郁、彼のことを知っているの?」
郁と煉夜、一見、何のつながりもないように見える。旅行の件も、郁は、ホテルが取れなかったこと、現地の人に宿を貸してもらったことなどは津に報告しているものの、全てを教えているわけではない。
「あ、はい、京都で偶然。でも、本当になんで?」
首を傾げる郁に対して、煉夜は苦笑いした。この状況は、煉夜とて予想外であり、苦笑いしかできなかったのだ。
「まあ、因果応報というか、自業自得というか、自分の蒔いた種というか……」
言葉のままだった。真田十勇士に入れ知恵をしたのは煉夜であるが、その仕事がそっくりそのまま自分に返ってくるとは思わなかった。
「自業自得、とは?」
津が、煉夜の言葉に反応する。言葉の意味ではなく、何故その言葉なのかを聞いているのは明白だろう。
「この仕事は、おそらく、真田十勇士からの依頼でありませんか?もしくは、それに依頼された誰か、か。実を言うと、その非公式ファンクラブである真田十勇士に、みらくるはぁと幸村ちゃんを方向転換させるためのアドバイスをしたのは自分でして、まさか、結果として、自分に仕事が回ってくるとは思っていませんでしたが」
マッチポンプを疑われそうなほどに出来過ぎた偶然だったが、煉夜としては、もしや必然だったのではないか、とも思っている。
「確かに、真田十勇士の望月六郎こと、花見台機会工房社長、花見台成臣様からの直々の依頼でした」
その言葉に、煉夜は驚いた。流石に、青年実業家みたいだという感想は抱いたものの、起業しているとは思っていなかったからだ。正確には、起業し、失敗し、自殺した青年を乗っ取り、立て直したのだが。
「参考までに、どのようなアドバイスを送られたのですか?」
どのような、と問われて、煉夜は、あの日、真田十勇士たちに送ったアドバイスを思い返す。
「確か、郁からのまた聞きになりますが、方向転換に踏み切れない理由は、ただでさえ少ないファンが、方向転換後もついてきてくれるかが不明瞭のためと伺ったので、ファンたちがどう思っているのかを実際に聞いたところ『事務所の方針なのではないのか?』、『ファンが口出しできる問題ではない』など、どちらかと言えば、方向転換に賛成の様だったので、現状を説明しました。
そして、ファンたちの意見という形で署名を渡すこと、無理だとは思うがスポンサー企業などが付けば定期的な仕事が入る上に、資金も得られるため方向転換に確実性が増す、等のアドバイスをしたはずですね」
その煉夜の言葉を聞いて、津は、成臣の資料を思い出していた。確かに、煉夜が今説明したことを実行したら、あのような資料になるだろう。そして、煉夜はその資料を、まだ見ていない。つまり資料の内容から、アドバイスを逆算することすらできないのだから、偶然の一致でないのなら、煉夜がアドバイスしたのは間違いないだろう。
「なるほど、郁に会った時点で、相応のプロデュースはなさっていたのですね。ですが、合縁奇縁、この度、さらにプロデュースをしていただくことになった、と。それで、お引き受けしていただけるということで、よろしいでしょうか?」
再度、確認と念押しの意味での言葉。それに対して、煉夜は困ったように笑う。正直、断ることもできたが、ここまで関わってしまったのだから、もう覚悟を決めるしかなかった。
「ええ、はや……伊達先輩のことも有りますし、乗りかかった船というやつです。お引き受けしましょう」
津と煉夜は握手を交わした。契約成立である。




