014話:入神家
カラン、カランと入店を告げるベルが揺れ、水姫と煉夜が入店した。相変わらず店内には人が居らず、水姫が煉夜を連れて出てから誰かが来たような様子もない。
「お、やっと戻ってきたのかい?それで、話はついたかい?」
マスターが笑顔でそう言った。それに対して煉夜は申し訳なさそうにしてから水姫をどうするものかと考えた、が、水姫は仕方なさげに言う。
「申し訳ありませんがこの男とは少々家で話をつけたいので早退と言うことでお願いします」
あえて冷たくそんなことを言い放つ水姫に煉夜は苦笑する。そして、苦笑しながらも水姫が自分の考えを理解していることに酷く感心した。
「あー、そうかい。大丈夫だよ。見てのとおり人も全然来ないからね」
マスターがそう言ったのは煉夜達にしてみれば予想通りだった。だから、煉夜は慌ただしく荷物をまとめると水姫とともに足早に店を後にしたのだった。
一人になったマスターは、煉夜の様子にぽかんとしていたが、すぐに気を取り直して来店客に備えることにした。その辺は流石大人と言うところだろうか。そして、しばらくの間、グラスを拭いたり、ナプキンやスプーンの補填をしたりしていると、不意に音が鳴る。
――カランカランカラン
入店を告げるベル、しかし、いつもと違った。音の鳴り方が、ドアの開き方が、独特たるその鳴らし方にマスターは何かが引っ掛かった。
「ただいま」
そして、さらりと聞こえてきたその声にマスターは条件反射で言葉を返す。
「おかえり」
返してから、マスターの時間は止まった。いや、違う、動き出した。あの日、本当は言うはずだった「おかえり」を今、言った。
「さゆ……り?」
かすれた声で愛しい娘の名を呼んだ。恐る恐る振り返る。手がふるえ、スプーンの束が床に落ちた。
「うん、そう。ただいま」
今となっては沙友里の体感として父親の方が年下なのだが、それでも父は父と感じるのは人間の本能だろうか。年下の父と言う妙な感覚に沙友里は苦笑する。
「本当に沙友里なのかい?」
自分の眼が信じられないと言わんばかりに、沙友里に問いかける。マスターは会いたい一心に見た幻影じゃないかと疑いだした。
「はぁ……本当なのよさ。ったく相変わらず寂れた店なのよさ」
子供のころから変わらない妙な癖のある言葉遣い、それは間違えようのない沙友里のものである。呆然自失と言うようなマスターに沙友里は仕方なく近づいて頬を抓る。
「っあいっ!」
痛いとも聞こえるようなそうでないような奇妙な悲鳴を上げてマスターが現実に目を向けた。痛いということは夢ではない、痛いということは触られた、つまり実体がある、幽霊ではない、マスターの頭の中を様々な情報が錯綜した。
「本当に、本物の沙友里なんだね」
マスターは再度確認の意味を込めて、三度目となる問いかけをするのであった。それに対して沙友里は肩を竦めて言う。
「何度聞かれても、わたしは入神沙友里なのよさ」
しつこいまでの確認に溜息を吐きたい気持ちとそこまで自分を思ってくれていた父への感謝の気持ちが混じり合った沙友里は何とも言えない顔をしていた。
「沙友里、今ままで一体どこで何を……」
沙友里は聞かれるであろうと思っていたので、ため息を吐きながら嘘はあまりつきたくないので嘘にならないギリギリのことを話すのだった。
「そうさね……、あの日、わたしは突然奇妙な光にあって、気づいたら遠い国にいたのよさ。訳も分からず、言葉も分からず、そんな中拾ってくれたおばあさんがいたのよ。そして、おばあさんのやってた喫茶店を運営して生活してた」
「なるほど、その稼ぎで日本まで戻ってきたってわけか」
マスターは沙友里の言葉に勝手に納得してしまった。訂正も面倒なので沙友里は笑いながら「まあ、そんな感じ」と返す。
「とりあえず、今日はもう店を閉めよう。そして、ゆっくりと話をしようか」
こうして、今日の営業を終了し、店は静寂に包まれ、家には明かりが灯った。
翌朝、店を閉めたいところだが昨日早く店を閉めた上に今日は閉店とあっては常連客が心配したり、客足が途絶えたりしてしまうということで店を開けることにしたのが、マスターにはやらなくてはならないことがあった。捜索願の取り下げである。捜索していた沙友里が帰ってきた以上、これ以上警察に手間をかけてもらうわけにはいかないので、マスターは沙友里に店を任せて警察に行くことにしたのだ。
「じゃあ、なるべく早く帰ってくるから。そうそう、バイトの子も今日来るだろうけど仲良くするんだよ」
いつの間にバイトなんて雇っていたのだろうと沙友里は思ったが、仲良くしない理由もなかったので頷いた。
そして、しばらく仕込みをしていると、土曜日の午前8時30分だというにも関わらず裏口のドアが開かれた。沙友里は聞いていたアルバイトにきた人物だろうと思い裏口を見た。
「よぉ、沙友里。その様子だとある程度話はできたようだな」
裏口から入ってきたのは沙友里のよく知る顔なじみの煉夜であった。こんな時間に裏口から何の用だ、と思った沙友里だったが、煉夜の様子に「まさか」と思った。
「バイトって、もしかしてあんたなのよさ?」
その言葉に頷く煉夜。そして、沙友里は盛大なため息を吐きたいような気分になったのだった。よりにもよって、と言うのが沙友里の感想だった。
「まあ、いいか。楽はできそうなのよ。んじゃ、開店前にあれをやろうかしらね」
沙友里は自分の首からぶら下がったビー玉大の結晶を取り出した。そして、それに口づけをして「呼び掛け」る。
「――生じよ、[料理機器]」
沙友里の呼びかけにより、宝石が光を放ち、彼女の手元や机の上に料理道具が大量に現れた。その様子を見た煉夜が呆れたような目つきをしていた。
「ふぅ、料理道具はきちんと持ってこれてよかったのよさ」
並ぶ料理道具の数々には日本、というよりも世界でも見慣れない奇妙な形をしたものもあるのだが、どれも沙友里の愛用品である。
「世界広しと言えど幻想武装を料理道具として使ってるのはお前くらいだろうな」
幻想武装・イリュージャ・アルージエ。煉夜と沙友里が持つ……と言うより彼らの暮らしていた世界では持つ人の多い画期的武器システムだ。宝石は媒体でしかなく、その実体は魂に記録される。つまり宝石を通して武器に呼びかけると魂からその武器が呼ばれる仕組みだ。通常は武器などの格納に用いられるが、宝石の大きさによって魂から引き出せる総量も決まる。こぶし大ともなれば複数の武装を格納できるほどだが、それだけのこともあって王族や皇族レベルでないと持っている者はないだろう。
「ふん、あんたに言われたくないのよさ。あんたのティーカップと執事服の方がよっぽど変わってるし、そもそも包丁とかは武器にもなるけどティーカップでどう攻撃するのよさ」
沙友里の言葉に苦笑する煉夜。あながち沙友里の指摘も間違いではない。ただし、それは沙友里が見た範囲の幻想武装でしかないのだが。
「まあ、俺は二度と幻想武装を使う気はねぇからさ、どんなアホみたいな幻想武装でもいいだろうが」
言葉の通り、煉夜は二度と幻想武装の枷を解く気はなかった。それは煉夜にとっての戒めであり誓いでもある。
「そう言えばわたし、あんたの幻想武装を見たのはあの一度切りだったのよさ。何か隠している、そう思うのだけど、気のせいってことにしといてあげるのよさ」
そんな騙し合いのような会話をしながら2人は開店の準備を進めていく。まるで昔に戻ったかのように、あの頃のように。
「ははっ、こうしてるとあいつらが顔を見せそうな気分だぜ」
「んな賞金首共が雁首そろえるような状態は勘弁なのよさ。まあ、あの中で2番目に賞金が高いあんたみたいなのが働いているのも問題なのだけど」
世界中に手配される賞金首と言うのは軒並み額がそこらの小悪党と比べて高いものだが、その中でも高いのは例外たる6人を除けばある条件でつくものだが、沙友里は煉夜がそんなことをするはずもないと思っていた。しかし、同時にその条件を満たしていないのにそんな額がつくはずもなく煉夜が何者なのかよく悩んでいたのだ。
「ま……こいつが■■殺しなんてするわけないのよさ」
そんな風に沙友里はつぶやく。その言葉は煉夜の耳には入らなかった。それほどまでに小さな囁きだった。
「さて、開店準備は整ったな。そろそろ時間だし、始めるか」
煉夜の言葉で我に返った沙友里は身だしなみを整えて準備ができているか点検する。そして煉夜に言う。
「んじゃ、開店といくのよさ」
そして喫茶店は開店する。扉の「close」を「open」に変え、カウンターの向こうに2人で鎮座する。
「相も変わらず人が来ないのよさ」
それこそゲローィと同じで人通りの少ない場所にあるため全然人が来ない。煉夜達にとってはそこがまた妙に懐かしくもある。
「ま、こんなもんだろうぜ。客がきすぎるのもどうかと思うしな」
「でも、来ないよりも来る方がいいに決まってるじゃないのよさ」
そんな風に小言を言いながら仕事をする2人は夫婦のようにも見えたし、兄妹のようにも見えた。そして、誰も来ないまま時間だけが過ぎていく。
「ただいま」
裏口からマスターが帰ってくる。煉夜達はマスターの方を見て揃って挨拶をするのだった。
「おかえりなさい」
「おかえり」
その言葉にマスターは微笑む。「ただいま」に帰ってくる「おかえり」がある。それだけでマスターの心は満たされる。優しい日々。ずっと望んでいた娘との日々。二度と戻ってこないのではないかと思っていた日々。渇望した幻想。それが今目の前にある。
――カランカラン
と入店のベルがなる。今日初めての客がやってきた。




