136話:プロローグ
みらくるはぁと幸村ちゃんこと真田郁や伊達花美こと林中花火などが所属するアイドル事務所、ハナミナプロダクション。
小さいながらも、どうにかやっているそのハナミナプロダクションで一番売れているのは、「LillyPureCats」という二人組カップルアイドルだ。百合カップルを公言しているため男性ファンが少ないかと思いきや、思いのほかに売れたのである。
それゆえに、大忙しのアイドル活動中なのが野戸理乃と戸松姫燐であった。郁と同期で、昔は郁と三人で活動していた理乃と姫燐だが、現在は、郁と随分、差が開いてしまった。それでも、二人は郁のことを気にかけている。
そして、田中津。郁のマネージャーにして、ハナミナプロダクションの経営にも関わっている。アイドルデビューできるのではないかというほどの容姿だが、「アイドルデビューに関する話は禁忌」と御触れが出ているため、誰も触れない。
その津が頭を抱えていた。それは、今朝がた事務所にやってきた一人の青年に関係している。機械工学系の青年実業家、花見台成臣。最近になって、その分野で台頭してきた企業、花見台機械工房の社長である。名刺にも顔にも偽りなしの本人が来たとあっては、アポなしとはいえ、流石に社長に会わせないわけにはいかない。
応接室に通した後、席を外した津は、中でどのような会話が行われているのかが分からない。しかし、社長自らが来るということは、それだけ重い何かということであり、会社に何かあるのではないか、と頭を抱えるのは無理もない。
「津さん、社長がお呼びです。応接室までくるように、と」
別のマネージャーに呼び出される津。成臣の帰りの案内でもさせられるのか、と思いながら、津は応接室まで向かった。戸をノックし、返事を待ってから開ける。
「失礼します。社長、何か御用でしょうか」
応接室に入ってみれば、いまだ帰るような雰囲気ではなく、どちらかと言えば談笑していたようだった。予想とは違い、全く重苦しくない雰囲気に若干拍子抜けしたような気分になりながらも、呼ばれた理由が分からずに津は困惑する。
「津君、これを読んでみてくれ」
社長が津に資料を渡してきた。何の資料だろうか、と表紙を見ると、「みらくるはぁと幸村ちゃんに関する方向転換志願について」と題された資料だった。自身の担当するアイドルに関わるものであるために、呼び出されたことに納得するも、成臣の存在が未だ分からず、そちらを気にしつつ読み進める。
中に書いてあったのは、みらくるはぁと幸村ちゃんの方向転換を支持するファンの署名と花見台機会工房のイメージガールとしてみらくるはぁと幸村ちゃんを推薦し、スポンサーにもなるというものだった。
読んで成臣の存在に納得がいったものの、どうしてそうなったのかが全く分からずに困惑は強まる一方である。
「津君、君は、この資料、どう思う?」
そんな抽象的な問いかけに対して、津は、しばらく考える。ハッキリ言って、良いことには間違いない。だが、うまい話には裏があるとも言うし、怪しいというのも事実だった。
「ありがたい話だとは思います。あの子に関しては、ファンを失うことを考えると、無駄な方向転換ができませんでしたから。花美さんみたいに、今ついてきているファンを振り切っていいと断言できるようなタイプでもないですしね」
政胸時代の花火は、最初の路線から色気に走ってしまったために、ファンがことごとく悪いタイプしかおらず、それに辟易していたこともあり、全てのファンを捨ててもいいとして方向転換が可能だった。しかし、郁の場合は、元からファンの総数が少ない上に、ファンのタイプもいいと言っていい。捨てるなどできなかった。
「ですが、これを行うことで、正直、花見台機械工房にメリットなど無いと思うのですが、どうして、花見台社長がこの話をお受けになったのかが分かりません。ぶしつけなこととは思いますが、そこにはどういった理由が?」
おかしな点があるとすれば、そこだろうというものを津は指摘する。売れているアイドルをイメージガールにするならば、相応のメリットもあるだろうが、将来性にかけるなどという無謀な賭けともいえるこの状況にメリットは無く、むしろ失敗に対するデメリットの方が大きいだろう。
「ふむ、確かに。僕がスポンサーにつく理由が不明瞭かもしれない。だが、それは、僕を花見台成臣だとした場合だ。真田十勇士、望月六郎。こう名乗ったらどうだろう」
その言葉で納得しないわけがなかった。津はいつも見ている十勇士の中に、成臣と同じ顔がいることを言われてから思い出す。いつもの格好ではなくスーツだったために結びつかなかったのだ。
「安心してほしい。動機こそ不純かもしれないが、きちんと会社の会議を通して持ってきた案件だ。僕だけでなく会社も納得してスポンサーに付くことになっている」
流石に、社長の独断でそんなことができるはずもなく、社員であったり、幹部であったりの会議は通している。その辺りは六郎の……成臣の人徳というものも大きいだろう。
「なるほど……ですが、方向転換の方針が難しいですよね。あの子の性格を考えるに、清楚系や元気系が向いているのですが、弊社には、既に、花美さんがいますし、ここで被らせるのは悪手でしょう。いっそ、花美さんとコンビを組ませようかとも思いましたが、花美さんの売り方からすると、それも向かないでしょう」
花火は清楚系として売れているのもあるが、あくまで、政胸時代のお色気路線からの下地があるからこそ、それが生きている部分もある。ここで郁と組ませるのは、双方にとって得策ではないと津は判断した。
「十勇士の中でもそこは問題として話題に出ていた。不思議系……なかでもオカルト系統はどうだろうか、というものもいたが、その辺は、資料として主張がまとめてあるから、そちらで判断してほしい。我々はあくまで、彼女の舞台での面だけで、実際にどういう売り方が向いているのか考えようにも、想像の部分が多くなってしまう」
いくら日常的にストーカーをしているとはいえ、それで郁の内面が分かるわけでもなかった。だからこそ、結局は、マネージャーたちに任せる他無かったのである。
「ああ、だったら、花美君の時の『彼ら』に相談するのはどうだろうか。花美君の成功の裏には彼らの存在が大きいわけだし」
社長の言葉に、津は、一瞬だけ何のことか分からずに考えたが、すぐに花火の方向転換の時のことを思い出す。
「ああ、『彼ら』、ですか。直接の面識がないので分からないですが、確かに」
花火の後輩で、方向転換のきっかけを作ってくれたという「彼ら」ならば、郁の方向転換にも一役買ってくれるのではないか、と思うのも当然だろう。あの状態の花美が今の状況にまで成り上がるきっかけを作ったともいえるのだから。もっとも、「彼ら」が行ったのは、あくまできっかけづくりであって、今の清楚系として売れている状況を作ったわけではないのだが。
「それでは、スポンサーの件と方向転換の件、了承してもらえたということで大丈夫かな。仕事もあるのでそろそろお暇させてもらうよ」
成臣は、そう言って、立ち上がる。津は見送りのために、立ち上がろうとしたが、社長によって制される。
「津君には、花美君に連絡を付けてもらう仕事の方が優先だ。見送りは別の物に行かせよう」
確かに誰にでもできる見送りの仕事と、津にしかできない郁のための仕事なら、後者の方が、津が優先して行うべき仕事なのだろう。
「では、よろしく頼むよ」
成臣と社長が応接室を出ていく。残された津は、ため息を吐きながら、まず自分がやるべき仕事へと向かうのだった。
「花美さん、ちょっといいかしら」
事務所で打ち合わせが終わった花火に、津が声をかける。花火のマネージャーもいるが、今回は、花火への私的な用事と言ってもいい。社長に頼まれた仕事ではあるものの、用がある相手は、伊達花美というアイドルではなく、林中花火という一個人であるという意味だ。
「はい、津さん、どうかしましたか?」
地毛であったやや茶色の髪を清楚系ということで黒く染めた髪に、元から大きい瞳をカラーコンタクトでさらに大きく見せ、さらに黒ぶちの伊達メガネ。服装は仕事中ではないからかなりカジュアルにまとめている。髪型も、仕事中のおさげやストレートとは違い、今日はシニヨンである。
「ええ、少し話があるので、社長室まで来てもらえないかしら。急ぎの用事ではないから、時間が有れば、でいいのだけれど」
花火は、マネージャーを見て、ため息交じりに頷くマネージャーを確認すると、津に頷いた。流石に、マネージャーも社長室に来いというの簡単に阻めない。
「わかりました。今から伺います」
そうして、社長室に、社長と津と花火がいた。花火のマネージャーは外で控えている。社長の目が何度か、花火の胸に吸い寄せられるのを津が咳払いで制しつつ、話が始まる。
「花美さん、実は、今、みらくるはぁと幸村ちゃんの方向転換について、話が進んでいるんだけれど、それに力を貸してほしい人達がいるの。ここまで言えば分かるわよね」
花火の察しの良さは、それなりに有名である。そもそも、出身校がかなり頭のいい高校であるために、花火の頭の良さも社内では有名で、今度クイズ番組にでる方向で話が進んでいる企画もある。
「ええ、分かりました。ですが、彼らも忙しいですからね。三人ともの協力はたぶん難しいですよ。連絡はしてみますけど」
そう言いながらプライベート用のスマートフォンを取り出す花火。このプライベート用と仕事用のスマートフォンだが、花火の場合は単に、連絡先などで分けているわけではない。
花火の仕事用のスマートフォンとは、SNSに自撮り画像をアップロードする時などに鏡に映るものとしても使うので、派手な装飾やカバーを付けると清楚系のイメージと食い違うので、シンプルなケースで、色も白と統一している。中まで清楚系で統一しているため、根本的にプライベート用とは異なる。
「では、すみませんが、少し席を外します」
そう言って、プライベート用のスマートフォンを片手に、社長室の外へと出ていく。花火は仕事関係の連絡は、人前で行っても、プライベートの連絡を人前で行うことは決してない。




