131話:幕間・海野六郎の生活
海野六郎は、「ロクロー」の名でSNSを駆使し、アイドルの追っかけをやっている悪魔と淫魔のハーフである。仕事は自称サラリーマンであるが、その実態は大手企業の幹部役員待遇である。若くしてその地位に着けたのは、偏に悪魔で社長の父、鬼山殺右左衛門とその秘書である母、エヌス・A・鬼山のコネである。しかし、六郎がその地位を自らの意思で手に入れたモノではないことを社員はよく知っているため、六郎を悪く言う人は少ない。
むしろ、海野六郎と名前を変えたのは、両親に対する離反の気持ちなのだろうと勝手に噂されているほどである。
そんな彼は、よくジムに通う。スポーツジムと呼ばれるもので、都内にある大きな施設であり、一階に受付と更衣室があり、エレベーターで好きな用具のあるフロアに向かうことができる。コースの選択も可能で、インストラクターの指導を受けながらトレーニングすることもできる。インストラクターは指名することができるが、仕事が重複していると無理な場合もある。コース制のトレーニングは予約制の部分もあり、基本的にインストラクターのスケジュールで次に来る日時を決める場合が多い。
六郎がよく指名するインストラクターは、春馬詩乃。女性である。しかし、六郎が彼女を指名する理由は至極単純で、最初のコースの時の担当が彼女だったからに過ぎない。
春馬詩乃は、筋肉フェチである。そのフェティシズムを彼女が自覚したのは中学生の頃だった。彼女は、その猛烈なフェティシズムに突き動かされ、運動部の盛んな高校に入学。部活のマネージャーとして筋肉を堪能しながら、自分好みの筋肉を育ててきた。何故かその実力の果て、彼女がマネージャーを務めた体操部、ボルダリング部が全国へ。その噂を聞いた大学が推薦で受け入れ、大学でもその才能を遺憾なく発揮し、現在は、趣味と実益を兼ね、このスポーツジムのインストラクターとなったのだった。
詩乃は、今日の予定を終えると、軽く体を動かすべく、スポーツジムの空いている用具で軽く体を動かして、シャワーを浴びた後、帰路についた。今日は新規客のレクチャーが多く、筋肉成分が不足しているために、詩乃は若干不満だった。
だからだろうか、詩乃は道を歩いていて、見知った筋肉を見た気がして、そのよく見る筋肉に思わず声をかけてしまう。普段ならこんなことはしないのだが、筋肉成分が不足していた欲求だったのかもしれない。
「海野さん……?」
週に一回以上見かける筋肉を詩乃が間違えるはずもなかった。インストラクターとして指導しているのだから、六郎の筋肉は、詩乃好みに膨らんでいる。
「ん……、ああ、春馬さん。外で会うとは珍しい」
六郎は丁度ライブの帰りで、望月六郎や三好伊佐入道と一緒に居た。他の十勇士はそれぞれ帰路についている。なぜこの三人なのかといえば偶然に過ぎない。
「六郎の知り合いかい?彼女か何か、ではないよね?」
と、呟いたのは望月のほうの六郎だった。望月六郎と海野六郎は実は仲がいい。物語の方ではなく、現実的にだ。二人には共通点がある。経営に携わるという。望月六郎は起業した青年実業家に見える通り、起業したはいいものの経営が上手くいかず、人知れず自殺した青年の身体を乗っ取って、会社を経営している。一方の海野六郎は、親のせいとはいえ、幹部役員待遇だ。こちらも経営に関わっている。
そんな事情もあり、二人はそこそこ仲良く、ライブ関連以外でも飲みに行くような仲である。もっとも、結局は途中から「みらくるはぁと幸村ちゃん」の話になって、そっちで盛り上がってしまうのだが、ファンの性というものだろう。
「六郎はそう言う風に勘ぐるのが悪い癖だぞ。彼女は春馬詩乃さんといって、スポーツジムのインストラクターだ」
六郎同士は「六郎」と呼び合うため若干ややこしいが、私的な場でまで会社のような気分を味わいたくないという互いの共通見解により、名前で呼び合っている。
「ど、どうも、春馬詩乃です。中原道寺スポーツジムでインストラクターを務めています」
一応、紹介されたので詩乃は、ペコリと頭を下げながら、いつもの新規顧客などに対応するように名乗った。
「僕は望月六郎。六郎とは共通の趣味を持っていてね。それから仕事柄としても仲良くさせてもらっているよ」
いかにもな青年実業家の風格に、普通の女性ならコロッと落ちてしまうのだが、詩乃的にはあまり響かなかった。筋肉が無いからだろう。
「美好伊佐だ。伊佐入道、なんて呼ばれている。そっちのダブル六郎と同じ趣味で、今日もこうして集まっている仲だよ。まあ、そちら二人の様に働いているわけじゃないから、仕事話なんかでは呼んでもらえないけど」
美好伊佐入道は、対外的には美好伊佐と名乗っている。流石に、美好伊佐入道はキラキラネームの度合いを越えていた。鬼山殺右左衛門よりはだいぶマシな名前であり、六郎はそんなに違和感を覚えないが、一般的に美好伊佐入道と名乗るのはおかしいのだろう。
働いていない発言に関しては、外見的には高校生くらいに見えるため、まだ働く年齢じゃないんだろう、程度に詩乃は認識していた。が、妖精であるため、もちろん普通よりも年齢が高く、働いていないのは文字通り働いていないのだ。
「海野さんは顔が広いんですね。いろんな世代の方と仲がいいみたいで」
高校、大学、インストラクターと一直線で来た詩乃は、あまり交友関係が広いとは言えなかった。無論、インストラクターとして、幅広い年齢層を指導していることもあり、顔が広いと言えば広いが、今日の様に外で声をかけるということも滅多にないので、私的に飲みに行く人なんていうのも少ない。
「そうでもないと思うんだが、……と、それよりも春馬さんはこんなところで何を?」
時間としては、だいぶ夜も遅い時間だ。女性の一人歩きが推奨されるような時間帯ではない。そもそも女性に一人歩きが推奨されている時間などは無いのだが。
「丁度、仕事が終わって帰るところですよ」
帰り道だったため、スポーツウェアなどの着替えが入ったバッグを見せながら言う。シューズも入っているためそこそこの大きさになっている。
「なら、送っていこう。丁度迎えも来る頃だし」
首を傾げる詩乃。「迎え?」と何のことだろうと考えていると、一番近い通りに、黒いリムジンが停まる。そして、リムジンから男が降りてくる。
「お迎えにあがりました」
まるで執事のような恰好ではあるものの、父の運転手である。運転手は、会社に雇われている女性と家に雇われている彼の2人だ。
「ああ、すまないな。それと、彼女も家まで送って行ってほしい」
六郎の言葉に、運転手は、一瞬だけ目を見開いた。そして、詩乃を軽く見やり、しばし沈黙してから答える。
「畏まりました……が、ゆうす……いえ、六郎様。そちらの女性とはどのような関係で?下種な勘繰りをするわけではございませんが殺右左衛門に六郎様が女性といたら絶対に尋ねるように、と」
悪魔と淫魔の混血である六郎なだけに、両親はその女性関係の薄さに困っていた。本来なら、地位も名誉も能力もある六郎は、女性を誑かして遊びほうけるということを両親は望んでいた。普通は違うのだが、悪魔や淫魔にとって、異性を誑かすというのは、当たり前のことであり、その数が多い方が「偉い」のである。
だからこそ、アイドルにうつつを抜かすような現状に、両親は頭を悩ませていた。誑かす方が誑かされてどうする、ということだ。それゆえに、六郎が女性といるという嬉しい状況があったなら絶対に報告するように、と家を始め会社でも暗黙のルールとして広まっている。知らないのは六郎だけだ。
「スポーツジムのインストラクターだ。まったく、親父もおふくろもこういうところはな……」
困惑している詩乃を他所に、六郎はため息を吐く。望月六郎は、それを笑う。同じあくまであり、経営者でもあるため、望月六郎は殺右左衛門の考えにも共感を抱いていた。一方、美好伊佐入道は微妙な顔をしている。妖精にとって、異性というのはあってないような感覚だからだ。
「えと、あの、もしかして海野さんって……」
相当なお金持ちなのでは、と詩乃は頬をひきつらせた。筋トレ仲間として気軽に声をかけていただけに、気安かったのでは、と。
「あ~、六郎は、鬼山の跡取り息子なんだよ。鬼山、聞いたことくらいはあるでしょ?」
望月六郎が、若干苦笑しながら、詩乃に説明する。聞いたことが無いはずもなかった。超有名大手企業。鬼山コーポレーション。
「でも苗字が……」
そう海野六郎と名乗っている。鬼山コーポレーションの跡取りならば、鬼山姓だと考えるのが普通だろう。まさか、アイドルの追っかけのためだけに、真田十勇士になぞらえた海野六郎に改名するとは誰も思わない。
「六郎様は、鬼山佑助様というお名前でした。しかし、ある時、海野六郎と名前を改められたのです」
そう、みらくるはぁと幸村ちゃんに出会って、ファンとなり、名を改めたのだ。運転手もそのことは知らない。
「まあ、改名っていうのは、ある意味、意思の表れだからね。僕も元々は別の名前だったんだけど、今は望月六郎だしね。いや、僕の場合は、今でも公的にはそっちを使うこともあるけど。じゃないと、社名がややこしいことになるし」
「社……名……?」
「そいつも一応、社長だよ。起業ってのをして、一回失敗したけど、今は立て直してる」
美好伊佐入道がそんな補足をする。社長と社長の跡取りという異常な地位の高さに詩乃は頬をひきつらせた。
「まったく、親父にも困ったもんだ。悪いな春馬さん、妙な感じになって」
海野六郎と春馬詩乃。二人の物語は、まだ始まったばかりである。アイドルに心酔している六郎と筋肉しか見ていない詩乃。この二人が、どうなるのか、それはまだ、誰も知らない。




