013話:記憶の狭間
活気溢れる城下町。少し見上げればそびえたつ城が見えるだろう。王都ミルディナ。大通りは小奇麗になっているが、少し裏通りに入れば汚れや汚物、腐臭が充満して酷い状態だ。その臭いが漏れないように魔法で密閉しているから余計に酷い。見える所だけ綺麗にして見てくれだけを取り繕っている。そんな腐った街の裏通りに一件の店があった。
バーともカフェとも取れるような外観で、場所柄あまり人の寄ってこない店、ゲローィ。その店内には9人程の人々が集まっていた。ローブの男、屈強そうな戦士の男、弓兵のような恰好の美男子、魔法使いの老婆、雌の二足歩行の狼のような獣人、子供のように見える女、人とも獣とも違う何か、そしてマスターの少女、都合9人。
「ねぇ、なんでさぁ……」
マスターがグラスを拭きながら客に向けるような声とは思えないフランクな口調で呆れるように他の客たちに言う。
「指名手配犯の集会場になってんのよさー。ウチは普通の飲み屋だってんのよ」
そう、9人中8人がある理由から世界中で手配されているのだ。国間の仲が不仲にも関わらず、世界中に手配できるのは、偏に冒険者クランと言う独立組織のおかげだろう。
「習慣……か?」
ローブの男……青年が答えた。ローブで顔は見えないのだが、マスターはなぜかにやけていることを確信した。
「レンヤ、マジで集まるのやめてよさー。客が来なく何のよ」
マスター……サユリ・インゴッドはレンヤに向かってそう言った。レンヤは、苦笑しながら集まった面々を見る。流石のレンヤもここにいる面子を見て反論する気など湧いてこなかった。
「いいじゃないかい、どうせ客なんぞこないだろう?イヒヒヒヒヒッ、まだ儂らの金が入る方が経済的にはいいじゃないか」
魔法使いの老婆、ユーダ・ヴァセルが言った。なお、「魔女」と言う呼称が使われないのには訳がある。
「そういや、面々で思い出したがレンヤ、【創生】殿はどうした?」
屈強な戦士の男、ハッスリンがレンヤに言う。それに対してレンヤは困ったような顔をして、少し迷ってから言う。
「『二方』へと少し用事があると言っていたな」
レンヤの言葉に反応したのは人とも獣とも違う何か、ヴァルボスだった。ヴァルボスは驚いたような表情でレンヤに言う。
「『二方』と言えば【四罪】の領域のはずダ、もしや【四罪】と……?」
ヴァルボスの言葉に首を振ったのは弓兵のような恰好の美男子、ジーバ・シールジンだった。ジーバは、渋い顔をしていたが、煉夜にはなんとなくその理由も検討がついていた。
「【四罪】殿と【創生】殿が手を組むとは考えにくい。あの2人は価値観が違い過ぎて、よく【虹色】殿に仲裁されていたと聞いている」
雌の二足歩行の狼のような獣人、ヲルインが、ジーバに対して奇妙なものを見るような目で問いかける。
「聞いているゥ?誰に?アタシャこれでも長く生きる老犬だけどヨォ、そんな奴らの込み入った話なんざァ、耳に入ってきたことは一回たりともありゃァしないよ。それに奴らを『殿』なんてつけやがるってこたァ、あんた、もしやして……」
ジーバは苦い顔をして弁解しようとしたが、それを手で制して、子供に見える少女、イミツェラが言う。
「ここにいる人間、多かれ少なかれ、世と外れたことをしているものよ。ヲルイン、貴方が老狼なんて珍しいことになっているのもアレを持ちだしたことが原因でしょうし、ユーダは人間を材料にキメラや薬を調合しようとしていた……いえ、調合していただったわね。ヴァルボスなんか、既に生まれからして世から外れていたせいで何の罪もないのに指名手配されてしまっている。ハッスリンくらいなものだよ、ただ、戦いの最中に誤って上官を殺害して逃亡程度で全世界に指名手配されたのは。まあ、身分の高い男を殺したから仕方がないとは思うけど。レンヤに関しては、知らないし興味もないけれどね。彼の方が言っていたとおり、器だろうから……」
イミツェラの言葉に、皆が目を伏せたが、レンヤだけは言葉の意味が分からなかった。その言葉に心当たりがなかったからだ。
「どういう意味だ、器ってのは……。それに、彼の方って」
レンヤの言葉に、イミツェラは意味深に笑うだけだった。そして、ギィと軋んだ音を立ててローブの女性が来店する。
そうして、ローブの女性を加えて、彼らは再び話に花を咲かせる。これが、雪白煉夜の思いでの欠片である。
そんな日々を思い出しながら、煉夜は目の前の沙友里を見るのだった。サユリ・インゴッド。その名を名乗っていたマスター。
「いったたたぁ、お尻打ったんだけど……。それで、レンヤ、ここはどこなのよさ」
キョロキョロと周囲を見回す沙友里は、どことなくさっきまで自分がいた場所とは根本的に何かが異なること、そして、なつかしさを感じることに。
「京都、で分かるよな、流石に。これで分からないほど向こうにいたわけじゃあるまいし」
煉夜の言葉に、ハッとした沙友里は周囲を見回して、そこが路地裏であることを悟った。そして、近くから聞こえる雑多な声や音。それが今まで自分が暮らしていた王都の路地裏とは全く異なるものであることに気付く。
「きょ、うと……って、あの京都さね?キョリットとかじゃなくて、日本の?」
キョリットは王都からしばらく言ったところにある村の名前である。煉夜は苦笑しながら頷く。水姫は何が起きたのか、目の前の何が起きているのか、それが分からず、困惑のまま固まっていた。
「つーか、お前んちのすぐ近くだぞ?」
煉夜はあっけらかんとそう言った。その言葉に沙友里はぽかんとしてから周囲を見回した。その間に、復活した水姫が沙友里を見た。
「待ちなさい、一体、何が起こったというの?式神の契約の儀に似ていたけれど、それでも何かが根本的に違うわ。貴方は……何を知っているというの?」
狼狽えたようで、その瞳の奥にはきちんと意思が籠っていた。その様子をみた煉夜は、ため息を飲み込んで答える。
「マシュタロスの外法、そう呼ばれるものですよ。貴方がたの領分が及ばない域の話ですよ。俺の知っていることなど、微々たるものですし」
煉夜の言い方に頭にくる水姫だが、自分の学んできた陰陽師の常識がまったく通じないのもの事実であった。だからだろうか、掴みかかろうとしたわけでも詰め寄ろうとしたわけでもないのに、水姫は自然と煉夜の手をがっしりと握っていた。
その瞬間、2人は互いに違和感を覚える。何かがおかしい、そう思って水姫は熱くなった左手を見る。同時に煉夜は、胸に熱を感じ手で押さえた。互いに何が起きたのかは分からなかったが、何かがあったことだけは悟った。
「なるほど、痴話喧嘩の最中に落ちてきちゃったわけね。でもレンヤ、【創生】に殺されるんじゃないのよさ?」
沙友里の言葉で、2人は互いの手を離した。手を離した瞬間に違和感が消失したので、水姫は手を何度か閉じたり開いたりして感覚を確かめる。
「お前な……ユリファの性格はよく知っているだろう?」
お互い旧知の仲である、ある女性のことを思い浮かべる。レンヤにとっては師であり、友であり、よきパートナーであったが、沙友里からしてみればレンヤを尻に敷く恐妻女房だった。レンヤからしてみれば過ごした時間が長すぎて、彼女の存在について恋人だとか夫婦だとかそんな考えを持つ関係ではなくなっている。
「よく知っているから言っているのよさ……、まあ、あんたのそう言うところは相変わらずで安心したのよ……さ?安心していいのかしら?」
自分で何を言っているのかよくわからなくなった沙友里は首を傾げた。安心していいか悪いかで言うと悪いだろう。
「それにしても、……あれだけ長い時間を向こうで過ごしたっていうのにこっちは変わらないもんさね。どうなっているのよさ」
沙友里も煉夜ほどではないにせよ、向こうで長時間過ごしている。しかし、実際、こちらで過ぎた時間は煉夜以上であるもののそんなに過ぎていない。
「さあな、お前がここからいなくなって数年ってところだろうぜ。……向こうで数十年程度なのになんでこっちで数年も経ってるのかは俺にしてみれば謎だがな」
煉夜は向こうで百数十年と過ごしたのにも関わらず3ヶ月と言う時間だけだった。それに対して沙友里は向こうでの期間が短いにも関わらずこちらで過ぎた時間は煉夜よりも長いのだ。
「そんなことは知らないのよさ。……それよりも彼女さんはいいの?何やらめちゃんこ睨んでいるのだけれど」
ずっと会話に置いてけぼりの水姫は煉夜を睨んでいた。自分の左手をさすりながら、煉夜と沙友里の関係を考えているようにも見える。
「か、彼女じゃないわ。わたしは雪白水姫よ」
沙友里はその言葉に煉夜の方を見たが、煉夜は別段普通の態度だったので婚約者などではなく兄妹なのだろうと判断した。その判断は間違っているのだが。
「あー、ウチはサユリ・インゴット……じゃない入神沙友里っていうのよさ」
思わず向こうで名乗っていた名前を使うところだったが、そのあとすぐに言い直した。その名を名乗るのはいつ振りだったかと、沙友里は考える。そんなレベルの古い話で、よくもまあ、自分の名前がスッと出てきたものだと自分で感心していた。
「入神……?」
水姫はその名前に引っ掛かりを覚えたが、煉夜がすぐさま補足をしようと喋り出した。
「ええ、彼女、サユリはあの喫茶店のオーナーの娘さんですよ」
水姫が引っ掛かったのはそこではないのだが、それもまた驚かされる事実だったので意識をそちらに傾ける。
「行方不明と聞いていたのだけれど……?」
訝しむような様子なのは、行方不明だと聞いていた沙友里と煉夜の関係性がより一層分からなくなったからである。まさか、互いが行方不明の間に知り合っていたとも思わない水姫にはどこで知り合ったかなどと言うことは知る由もないことだ。
「ええ、ですが今戻ってきたのでしょうね。マシュタロスの外法によって」
もう何が起こっているのか分からなくなって水姫は頭が痛くなる。頭を押さえながら、水姫は考えるのを辞めた。
「はぁ……、まあいいわ。興が削がれたわ。お店に戻りましょうか」
水姫の言葉に、煉夜があることを思いつく。
「ええ、ですが戻るのは俺と貴方だけです。サユリ、お前はしばらく外を回ってから10分くらい後に来い」
その言葉に沙友里は首を傾げたが、鋭い水姫はなんとなく理由が分かったような気がして思う。
(この男は、気が利くんだか利かないんだか……)




