126話:追跡者の正体其ノ一
郁は、なんやかんやと雪白家に馴染んでいた。元々、人柄がよく、アイドル活動のせいか、世渡りもうまい彼女は、雪白家でも、普通に数日泊まる許可を得ることが出来た。宿泊費が浮くのは、悪いことではないだろう。正直、まとまった休みでもなければ使うことのない金ではあるものの、だからといってドブに捨てていいわけがなく、節約できるには越したことはないのだ。
そして、一晩が過ぎた。火邑は空き部屋を提供すると言っていたらしいが、大掃除した後とはいえ、埃も溜まっている部屋に押し込むわけにもいかず、火邑の部屋に泊まることになった。もっとも、埃まみれの空き部屋とどちらがましだったかは微妙なところだが。
そうして、朝、いつまでも寝ている火邑とは違って、煉夜は、毎朝の様に起きて、訓練をしていた。
この訓練に関しては、木連も許可していることであるため、別段、隠れてやっているわけではない。
雪白家の屋敷の裏手にある道場とまでは行かないものの、剣を振るえるスペースがある離がある。その離で、煉夜は木剣を振るっていた。陰陽師の修行だけでなく、剣の修行までやり始めたことについて、木連は、「陰陽師といえど、体を動かすことは多い」との理由で許可を出した。
煉夜は修行というより、イメージトレーニングに近い。剣はほぼ我流なので、どうしても型などはないためイメージトレーニングとして、かつての敵との戦い方を模索していくほかない。
そして、研ぎ澄ませた神経で、剣を振るう中、その知覚領域に入り込む気配を感じて、そのまま声をかける。
「何の用だ?迷子になっても来るような場所じゃないと思うが」
その声は、そのまま離に近づいた郁に投げられる。彼女は、ビクリと肩を震わせて、中を覗いた。剣を振るう姿に、郁は目を奪われる。
「どうした、火邑の部屋になら案内するが?」
ほとんど人の動きと言い難い動きであるが、本人には自覚がない。あくまでイメージの通りに、無意識に動かしているだけだ。そして、超獣を一体屠って、剣を降ろす。
「ふぅ……、やっぱり、あそこは下からの方が効果的か……。あの時はユリファに迷惑をかけたからな。やはり、斬り方ひとつで変わるんだろうなぁ……」
イメージトレーニングの結果をぶつぶつと呟きながら、離の出口へと向かう煉夜。木剣は途中の壁に立て掛けた。いつもそこに置いている。特に特別なものでもない。
「それで、いつまでそうしてるんだ?」
床に置いていたタオルを拾って、汗をぬぐいながら、再び煉夜は声をかける。その言葉で彼女は我に返る。そして、慌てて煉夜に言葉を返す。
「あ、うん、えっと、トイレに行った後に、音が聞こえてきたから、何かなと思って、こっちに来たんだけど」
そもそも郁は商売上、早起きすることが多い。その関係から、どうしても、早くに目が覚めてしまう。これは久々の休みながら、気分が休みになり切らない仕事の弊害というものだろう。
「なるほどな。それじゃあ、火邑の部屋まででいいか?」
そう言って、郁を先導する煉夜。しかし、郁の眼には、先ほどの煉夜の動きが目に焼き付いて離れなかった。研ぎ澄まされた動きに、鋭い剣捌き、人並み外れた動き、それらの全てが、郁の心に強く残ったのだ。
「あの、……煉夜君は何で、あんな風に剣を振ってたの?剣道とかじゃないよね?」
高校の選択科目で剣道があった郁は、受けていないものの、最初の説明で剣道がどのようなものか程度の知識はある。だからこそ、煉夜の動きは明らかに剣道とは異なる何かであるように見えた。まあ、当然のことながら、剣道で教わる基礎のような部分を煉夜は、剣術としてすら習っていない。それゆえに、普通ならするであろう素振りというのすら煉夜は行わないのだ。
そもそも素振りというのは、剣道における基礎中の基礎とも言える部分であり、それは、竹刀を振るというただの動作ではないのだ。
そも日本における剣道というのは諸外国の剣術とは異なり、精神鍛錬に重きを置く。無論、諸外国の剣術に精神が含まれないかと言えば否だ。当然のことながら、精神の鍛錬というのは「戦う」ということにおいて非常に重要な意味を持つ。
ただし、剣道というのは、あくまで「剣の道」であり、「剣が示す道」であり「剣で示す
道」でもある。
剣道はあくまで、試合をし、勝敗を決める武道である。しかし、剣術は死合いを交わし、生死を決める武術・技術である。
それゆえに、考え方に決定的なまでの差が生じる。剣道ならば、勝った後、負けた後を考えるが、剣術ならば、生き抜くことだけを考える。
話は逸れてしまっているため、話を戻すが、すなわち、素振りとは、剣を振るうという一動作だけではなく、剣を振るう心を身に着け、剣に慣れ、剣を知り、剣の道を歩むというのが素振りの本懐である。
素振り三年とも言い、素振りを三年もすれば、剣の基本は身に付くという。それは振るう筋力や振るい方という話だけではなく、剣のその本質が身に付くという話である。
しかし、煉夜は、どちらかと言えば剣術が主体となる。それも人以外の存在と生き死にを懸けた戦いをするためのものだ。それゆえに嵌った型はなく、また、心や意思、慣れは実戦で身に着けたために、素振りという部分がない。
「体を鍛えるためってぇか、体をなまらせないためだな。だいぶなまってるし……」
いつに比べてだいぶ鈍っているのかというと、当然向こうに居た頃と比べて、である。こちらに戻されてから、ロクに剣を振っていなかったのだ。鈍りもするだろう。最近は、振るう機会も増えてきているが、その振るうべき時に、鈍りを感じさせないのが、必要なことである。本来ならば、その辺の山にでも言って魔獣や超獣相手にやり合うのが、一番効率がいい。されどこの世界にはそんな山々はない。それゆえにイメージトレーニングを行って補っているのだ。
「へぇ、……まるで格闘家とかそんな感じのことを言うんだね。常に戦ってるみたい」
特に高校生という年齢も考えると、体を鈍らせるというような発言はあまり似合わない。そもそも高校生ならば、部活動やそれ以外の体育の授業、通学、その他諸々で、一定の運動はしている。部活動に入っていない、もしくは部活動が休止中ということも考えられるが、前者なら身体が鈍るなら部活に入ればいいし、後者なら剣道とは違うということで何部なのかが分からなくなる。
「常に戦ってるか……、常に戦ってたってのが正確だな。まあ、そんな話はどうでもいいだろ」
そう、生きるために戦っていた。それが普通であり、そんな世界で幾百年。それゆえに、その世界で得た、渇望が、闘争が、葛藤が、超常が欲しくてたまらなかった。それこそ、この世界の全てがどうでもいいと思うほどに、あの世界が恋しかった。
言葉にどこか棘を感じ、ムッとする郁。しかし、何か気に障ることを口にしたのだろう、と思い直し、煉夜に声をかけようとした。その瞬間、煉夜の手が郁に「立ち止まれ」と言っているように挙げられる。
「え……」
何を意味しているのかが分からず、郁は疑問の声を漏らした。しかし、煉夜は、そのようすを気にしている余裕もなかった。
視線を感じた。それも複数の視線である。だからこそ、止まって、知覚の範囲を広げて、その出所を探ったのだ。
そして、その出所と正体に気付く。下手したら、このまま、この家に足を踏み入れかねないだろう気配に、煉夜はため息を吐いた。そして、火邑の部屋ではなく、煉夜の部屋へとまっすぐに向かう。郁は、その後をただ追うだけだった。
「ったく、なるほどな、そう言うことだったのか。……自覚はない、ってのが厄介極まるだろうがな」
そんな風に呟きながら、煉夜は聖剣アストルティを手に取る。郁は、煉夜の部屋を興味深か気に見ていたが、思ったよりも普通の部屋で意外に思う。郁は煉夜のストイックさから、部屋には何もないのでは、というような想像をしていた。
「悪いな、火邑の部屋に行く前に、一旦、外に出る。その恰好のまま、外に出るのが寒そうだったら上着を貸すが?」
何故外にでるのかが分からなかったが、煉夜が手にした物体に関係があるのだろう、と頷いて、煉夜のコートを借りた。離も外廊下を通るため、凄く寒かったので、このコートのぬくもりに一時、ホッとする郁。
そのまま、本当に玄関に向かい、外に出る煉夜と郁。郁はコートだから分かりづらいが、火邑の寝巻なので若干恥ずかしい。
「さて、と。まだ、4人か。あとの6人は来てないってことでいいのか?」
そんな風に誰かに問いかけるように言う煉夜に、首を傾げる郁。視界には誰の姿もなかった。だが、煉夜には分かっている。
「そこの影と、その塀の後ろと、その生垣の奥、そして、そこの壁、だろう?」
煉夜の言葉につられて、郁は、そのすべての箇所を見るが、どこかに人が居るようには、とても見えなかった。しかし、その各所から染み出るように何かが姿を現す。
「あっ!」
声を漏らさずにはいられなかった。それは郁がよく知ったファン筆頭達の姿。真田十勇士を自称する彼らの中の4人だった。
「なぜ分かった?結界の張ってある家といい、貴様、何者だ!」
ドスの利いた声で煉夜に向かって言葉を投げる男。やや小太りで眼鏡をかけたスーツの男性。いわゆる、会社の課長や部長と聞いてイメージする見た目。少なくとも、そこそこ金を持っていそうにも見える。
「何者?そう言うお前らこそ、人間じゃねぇだろう?何者だ?悪魔に妖精ってのは気配の感覚で分かるんだがなぁ……」
悪魔、それに妖精ときた。郁は何を言っているのかさっぱりわからずに、やはり首を傾げる。煉夜の持っている聖剣アストルティすら、彼女には劇の小道具だと思っているので、何らかのドッキリをしかけられているのかと思うほどだった。
そうなれば、ホテルに泊まれないということや、そこから流れるように雪白家に泊まれることになったことに納得がいく、と思ってしまう。しかしながら、これはドッキリでもなんでもない。全てが現実である。




