124話:偶像襲来其ノ一
ホテルでの一件についての事後処理を水姫にまかせて、煉夜は一足先に、帰路についていた。本来なら、その辺も煉夜に任せてみるのが今回の禍憑き退治依頼に対する煉夜への試練でもあった。しかし、ホテルがあまりにも損壊しがあった。靴の種類的には、火邑やきいが持っていてもおかしくないヒールタイプだ。逆にすぎていたため、流石に「政府」との交渉が必要となった。司中八家の本家筋である水姫ならともかく、分家筋の煉夜では、交渉には不十分であり、役立たずとなったために先に帰路についたのだ。
煉夜が家に着くと、玄関に見慣れぬキャリーバッグと靴、水姫や小柴は履かないだろう。
キャリーバッグは、どこかで見た様な気がしないでもなかったが、ありきたりな、どこにでもあるようなものだったために、判断しかねた。一応、オレンジのカラーリングから女性の物、と判断できるが、完全にそうとは言いきれない。
とりあえず、火邑の客だろうと煉夜は判断した。水姫の客という可能性は、水姫に友人という図が浮かばないため一切でなかった。他の家族の客ならば、玄関に荷物を放置ということはないだろう。
そうして、部屋に鞄を放り込んで、リビングに向かった。そこでは、食卓を火邑と女性が囲んでいた。
「あれ、さっきの……」
リビングに入ってきた煉夜を見て、女性が呟いた。煉夜が小銭を拾った女性が、食卓で火邑と談笑していたのだ。それで煉夜はおおよそを理解した。
「あ、お兄ちゃん、この人、今日からウチに泊まることになったの」
火邑がそんな風に煉夜に言う。それに対して、煉夜はため息を吐きながら、食卓の椅子に腰を掛ける。
「そうか。まあ、ホテルがあんな状態じゃ、仕方ないだろうし、家が許可してるんだから、俺は全然かまわないさ。俺は、雪白煉夜、火邑の兄だ、よろしくな」
この時点で、煉夜は、彼女が、あのホテルに泊まる予定で、泊まる場所がなかったところを火邑が拾ったのだろうということは予想できていた。
「そうなんです……って、あれ、どうしてホテルのことを?」
彼女は何故、煉夜がホテルのことを知っているのか、と思い、煉夜に問い返すが、煉夜は笑ってはぐらかした。
「あ、えっと、みらく……じゃない、真田郁です」
はぐらかされたために、言えないことなのか、突っ込んではいけないことなのだろうと、彼女は判断し、先の煉夜の自己紹介に返す形で自己紹介をした。
「ああ、別に俺には敬語じゃなくて構わない。この後帰ってくるウチの姫様は別だけどな」
そんな風に冗談めかしながら煉夜は言う。煉夜は彼女の方が年上だと判断しているし、事実そうである。といっても、実年齢で言えば煉夜の方がはるかに上であるが。
「あ、そうなの?えっと、あの、それで、煉夜君は、高校生くらい、かな?」
する話もないが、何かしゃべらないと空気が静まると思った彼女は、なんとなくで適当に話を切り出す。
「ん?ああ、まあ、高校二年生だな」
煉夜は、彼女を観察しながらそう返す。結局のところ、異質すぎる彼女の正体が分からないから、どうしても観察してしまう。それは、百年以上で培った感覚がさせるものだ。
「お兄ちゃん、年齢的には三年生なんだけどね」
にしししと笑いながら、茶化すように火邑が言う。敢えて触れなかった部分に触れた妹に、煉夜は苦い顔をした。
「え、それって留年ってこと?でも、高校生で留年ってよっぽどじゃない?何かやんちゃでも……」
彼女は息を呑んだ。彼女が今まで送ってきた生活の中でやんちゃをするようなタイプの人間が居なかったので、伝え聞く話程度の知識しかない。伝え聞いた話は誇張されたものが多く、ヤンキーというよりも危ない人というイメージが固まっている。
「ご期待に添えなくて悪いが、行方不明と記憶喪失のコンボで、三ヶ月ほどどこにいたか分からないってだけだよ」
それはそれで結構な大事であるが、煉夜は肩をすくめて苦笑う。その空白こそが、今の煉夜を構成しているとも言える。
「え……記憶喪失って、おぼえてないの?その三ヶ月にあったこと、全部?」
記憶喪失、話にはよく聞くが、実際になった人を見ることはそうない。もっとも、道行く人が記憶喪失だったところで、知人ならともかく、他人であれば喧伝でもしていない限り、その人物が記憶喪失かどうかなど知る由もないが。
「全く持って。だからこそ、実感も皆無だよ。気が付けば、時間が経って、周りが騒いでいただけって感じだ」
そんな風に作った言い訳を淡々と述べる。その淡々とした感情のなさは、下手したら嘘だとバレるが、この場合は逆に、実感のこもっていない雰囲気を伝えていた。
「大変だったんだねぇ……、あれ、でも、高校二年生として過ごしてるってことは、少なくとも行方不明になったのは、10ヶ月以上前だよね。じゃあ、もうだいぶ慣れてきたのかな?」
正確に言うならば、それよりも前である。だが、煉夜は別にその辺りを正すことなく、普通に答える。別に間違っているわけではないので、本人にとってはどうでもいいことなのかもしれない。
「まあ、慣れる慣れない以前に、どうでもいいって気持ちが先行してたな」
その答えに、彼女は「どういうこと?」と聞き返す。正直、「不安」や「戸惑い」なら分かるが「どうでもいい」というのは、この場でよくわからないと思われても仕方がなないだろう。
「ああ~、あの頃のお兄ちゃんは荒んでいたからねぇ」
ただ、火邑はそんな風に呟いた。向こうで過ごした時間が長かった煉夜は、当時、向こうが全てという思いに占拠されていた。それゆえに、この世界が「どうでもいいもの」に見えて仕方がなかった。
「ふへぇ~、よくわからないけど、『世界そのものがどうでもいいと思えるくらいの何か』に出会ったのかもね」
それは純然たる彼女の感想でしかなかった。彼女はそう思えるほどのものに出会ったことはないが、家がどうでもいいと思えるくらいのモノには出会ったことが有る。それがアイドルというものだった。
「中々面白いことを言うんだな。普段は何をやっているんだ?詩人かエッセイでも書いてるのか?」
普通の人が「世界そのものがどうでもいいと思えるくらいの何かに出会った」などと談笑で使うことはないだろう。
「え、あ、う~ん。書くことが無いわけでもないかな?」
詩歌を書くことは無くとも、コラムやエッセイは多少書かされたことが有る。ただし、「キャラを守るのよ、いいわね!できないようなら専門の人に頼むけれど、ウチの事務所だと……」と念押しされて泣く泣く書いたのは懐かしい思いでだ。ちなみに、専門の人に頼むというのはいわゆるゴーストライターというやつである。
「なんだ、その曖昧な返事は。よっぽど詮索されたくない仕事なのか……?」
犯罪者じゃあるまいな、と煉夜は眉根を一瞬だけ寄せるが、この人のよさそうな彼女にそんなことが出来るわけないと判断し、微妙な表情をした。
「いやぁ、その、ねぇ。うん、まあ、いろいろあるんだよ。うん。まあ、……知らない方がいいこともあるんだよ」
彼女は、アイドルという職業に誇りを持っている。それは間違いない。しかし、今の自分の姿を誇れるとも思っていない。少なくとも、みらくるはぁと幸村ちゃんが彼女のアイドルとしての全てではない、はずなのだ。
「そんなに言いたくないのか。……逆に気になるな」
正直、煉夜としては、どんな生業でも気にしないのだが、ここまで隠されると、逆に気になってきてしまった。
「ふ、普通の契約社員だよ?」
芸能人の多くは個人事業者扱いであるが、アイドルなどは契約社員扱いの場合もある。彼女の場合はその後者に当たるのだ。
「普通の契約社員はそんなに職業を言うのは渋らないだろう」
まあ、至極当然の反応である。ここまでひた隠しにされると、どうにか暴こうと思うのが煉夜であり、恩恵の力を使うことも検討するのだった。
「お兄ちゃん、たぶんアイドルだよ、確か……まじかるひぃと幸村ちゃん?」
だいぶ前に、テレビで一度見た記憶を手繰り寄せ、火邑がそんな風に言った。名前はほぼ語感しか残っていない。
「みらくるはぁとです!」
と、思わずつい訂正してしまうのは、染みついた癖だった。知名度の低いアイドルは、名前を間違えられることが多い。それも、「幸村ちゃん」の部分はともかく、その前の平仮名は読みづらいため誤読が多い。それゆえに、訂正する癖がついてしまった。
「と、いうことは、本当にアイドルらしいな」
「うぐっ……」
盛大にやらかしたとしか言えない彼女は、言葉に詰まる。習慣というのが如何に恐ろしいものであるかを実感しながら、ため息を吐いた。
「そうなの。みらくるはぁと幸村ちゃんという名前でアイドル活動をしてるの……」
ばれてしまったものは仕方がないと、彼女はそう説明をした。それを聞いた煉夜は、
「いまどき戦国武将系アイドルでやっていけるのか?」
と指摘した。正月に、雷司ともそう言った話をしたので、煉夜はやけにそこが気になったのである。
「正直、あんまり……。今回の休暇も後輩に出番を盗られたからだし」
肩を落とす彼女は、虚ろな目になりかけていた。正直な話、今の売り方を続けていても、あまり意味の無いことだというのは分かっている。だが、変える機会もないし、今更方向転換ができるような状況でもなかった。少なくとも今は真田十勇士を事情する熱心なファンがついてくれているのだから。
熱心なファンだから方向を変えてもついて来てくれるとは思う反面、離反する人も少なからずいるのではないか、という思いが事務所で方向転換を切り出せない理由にもなっていた。
「いや、しかしな。方向転換したら売れる可能性も十分にあるだろうに。戦国武将系アイドルで売れなくて方向転換した奴もそれなりに居るだろ?」
そう、まさに、彼女の出番を盗った後輩もその一人であった。彼女が三人組からソロとして切り離された時の少し前の時期は、戦国武将系アイドル量産時代だった。だからこそ、後輩には、その時期にデビューして、後に方向転換した人が多い。
「やっぱり、何か、起爆剤が欲しいよねぇ」
彼女は重いため息を吐いた。




