123話:幽霊ホテル怨霊跋扈・其の弐
5限も半ばというところで、教室のドアがノックされた。一瞬ざわつく教室を教員が静め、ドアを開けた。そこに立っていたのは、煉夜の見知った顔。雪白水姫、煉夜の従妹だった。水姫は教員に二言三言話すと、煉夜を呼ぶ。
「帰り支度をして、このホテルへと向かいなさい。私は先に行っているから」
そう言って、メモを渡して帰っていく。そこそこ急ぎの様だったのか、ドアを閉めると、駆け足とまではいかないものの、若干早歩き気味の水姫の足音が聞こえた。
「そう言うわけなんで早退します」
煉夜はそそくさと荷物をまとめる。雑に鞄に荷物を詰め込んで、水姫の後を追うように、教室を出ていく。それを咎める者はいなかった。
廊下を歩いている頃には、もはや水姫の姿は、窓の外に小さく見えていた。追いつこうと思えば追いつけるが、先に行っていると水姫が言っていたことから、一緒に行く必要はない、と判断して、普通に歩いて向かうことにした。
水姫が渡したメモには、京都駅前のホテルの名前と住所と簡単な地図が書かれていた。煉夜も、その前を何度か通ったことが有るので、どのホテルかは容易に理解できた。
そうして、ホテルへと向かう道すがら、自動販売機の前に、キャリーバッグを持った女性が居るのが目に留まった。住宅街に近く、旅行者が来ることは少ない道なので、煉夜の意識に残ったのだろう。
――チャリン、チャリン
彼女は、財布をひっくり返して、六枚の硬貨を落とした。その瞬間、煉夜に身の毛もよだつような悪寒が走る。思わず足を止めた。女性の気配は常人のそれではない。異質な何かであったのだ。
六枚の硬貨を拾いながら、煉夜は女性に話しかける。見た目の頃から年上とは判断したが、気配の異質さから敬語を使うという選択肢は外した。
「大丈夫か、あんた」
話しかけられて、きょとんとしながら対応するその様子に、危険性は無いと判断して警戒のレベルを一つ下げる煉夜。拾った小銭を彼女に差し出した。
「え、あ、はい。すみません」
彼女は手を受け皿の様にして小銭を受け取る。受け取った後も。煉夜の顔をじーっと見ていた。猫糞などを懸念しているのか、と煉夜は思い、言う。
「たぶん、これで全部だと思うが?」
それでも、まだ、少し呆けながら、彼女は煉夜を見ていたが、やや反応遅れで、言葉を発する。
「あ、いえ、ありがとうございました」
煉夜は、彼女が、六枚の硬貨を財布に戻すのを確認して、再び歩き出した。流石に、水姫を待たせすぎるのもまずいだろう。
「気を付けろよ。色々危ないからな」
そんな風に、通りすがりざまに彼女に言う。今回は、危険はないと判断したが、異質さの正体は未だに不明だ。うかつにそんな気配を出していたら、殺されても文句はないだろう。そう言う意味で煉夜は「気を付けろ」と彼女に忠告したのだが、彼女は全く理解していなかった。
ホテルに近づくにつれ、煉夜の知覚域に奇妙な気配を感知するようになった。それもおそらく、目的のホテルの周辺である。どっかで知った気配の質に、それが悪魔のものであると気づくのには、そう時間はかからなかった。
そうなれば、ホテルに向かう理由もおのずと分かる。煉夜も向こうでは、降霊術師や死霊使いと戦ったことが有るが、それらが使う憑依の類を退治するのが目的だろう、と判断した。そして、そのホテルへとついた。「KEEP OUT」という黄色と黒色の目立つテープで囲まれたホテルは、ボロボロだった。
ホテルの前には、既に水姫が、ホテルの関係者と思しき女性と話していた。水姫は、やってきた煉夜に気付く。
「ようやく来たのね。今からこの建物で行うのは、日本における陰陽師の需要の数割を占めていることよ」
日本における陰陽師の役割として、国を危機から守るというのがあるが、それはあくまで司中八家に限り、陰陽師の家が全て国のために動いているか、というと微妙なところである。では、日本で、陰陽師はどのような活動をしているのか。
まず一つは、霊脈の管理である。京都は司中八家が管理しているが、それ以外の地区の霊脈の管理は、それぞれの担当の陰陽師ないし、それに近い存在が行っている。青森県の恐山におけるイタコがそれに当たる。他にも九州の福岡県八女市における日向神家など。
次に、霊的案件の処理である。これは、国家規模の物ではなく、街などで普通に起きうる案件の処理である。これは地域によって変わり、役所の中にそのための組織を作った場所や私立探偵のような立ち位置の場所など様々。
そして、今回のホテルの件は後者の中でも割合が多いものである。
悪魔憑き、魔憑き、禍憑きなど呼ばれかたは様々だが、主に悪魔や悪霊に憑りつかれた人間のことを指す言葉である。普通は、一般の陰陽師が担当する案件で、司中八家の人間が出てくるほどではないのだが、稀に強い禍憑きが現れたときには、司中八家が担当するのだ。
「つまりは、祓魔師ですね。……もっとも、悪魔の程度は知れているようですが」
祓魔師、エクソシストとは、聖王教会に属していた位階の一つでもあるが、聖騎士王アーサー・ペンドラゴンと円卓の騎士が聖王教会の主体となる頃には、別の教会組織を形成し独立している。
もっとも煉夜は、エクソシストには会ったことが無いので、どのような存在なのかは、あくまでゲームに由来する知識となっている。だが、それでも、悪魔を払うという仕事は存在していたので、似た存在ならあったことがあるのだが。
「西洋のそれとはものが違うわ。そもそも、教会の祓魔師が相手取るのは『魔に憑りつかれた者』や『魔に魅入られた者』よ。そこにはいるかどうかは定かではないけれど、吸血鬼や狼男などの人外も含まれるけれど、日本のこれは、妖怪退治ではないわ」
そもそも、妖怪退治など、司中八家クラスでもものによっては難しい案件であり、それを一介の陰陽師ごときに任せられるか、という話なのであるのだが。
「禍憑きの退治には、専用の呪符を使うの。それらは司中八家専用に中空宮堂から取り寄せているの。貴方にも渡しておくわ」
普段、陰陽師の修行で用いているのとは異なる意匠の呪符だった。煉夜は触れて理解する。その呪符は、悪魔祓いに特化したものだった。正確に言うならば、悪魔を祓うためだけの呪符だった。
通常、煉夜が陰陽師の修行で用いているような「水を出す」、「火を出す」、「式を出す」といったものは、ある程度、使い手の方で調整ができる。しかし、この呪符は、一定以上の霊力で使えば必ず所定の作用だけをするものだ。
もっとも、その理屈も分からなくはない。悪魔を祓えるのだから調整しだいでは憑りつかれた人間の魂にまで影響を与えかねないからだろう。
「じゃあ、禍憑きの退治を始めるわよ」
ホテルへと足を踏み入れる水姫。主に禍憑きは、意識が無いケースが大半であり、ホテルやビルディングでは、階数を大きく移動することがない。それゆえに、近くの階まではエレベーターで移動し、その後、階段で移動するのが定石である。あくまで、相手に知能が無い場合にのみ使われる。
そうして、ホテルの中層階までやってきた2人。煉夜にはどこに禍憑きが居るのか、しっかりと感知できているが、感知できない水姫は、かなり慎重な足取りだ。煉夜は、「この階にいない」と教えることもできたが、やり方に口を出して反感を買うのもどうかと思い、無言を貫いた。
「この手の依頼は、年間10から20件近く来るので、今のうちになれておきなさい」
と気を紛らわすためか、煉夜に言う水姫。それには京都という土地柄も影響している。歴史があるということは、それだけ、人が居たということである。多くの人が多くの時間を過ごした場所というのは、霊が居付きやすい。それゆえに、怨霊も発生しやすいのである。だからこそ、司中八家が手を出さなくてはならないような案件が相当数発生する。それを八等分して10から20件というのだから、かなり多いだろう。
階段を上がっていく。徐々に、破壊音が近づいてくるのが分かる。その気配が思ったよりも階段の出入り口に近く、煉夜は、警戒する。
そして、水姫が階段を上り切った瞬間、勢いよく何かが飛んでくる。煉夜は、咄嗟に水姫の身体を引き寄せ、抱え上げる。階段という地形上、それを行うのは造作もなかった。
「なっ……!」
水姫が何かを言おうとしたが、それよりも早く、煉夜が、水姫を抱えたまま、壁を垂直に駆けあがったために、思わず目も口も閉じる。
「えっと、……こんなところか……」
煉夜は、呪符を触りながら、その正確な使い方を探った。普通はそんなことが出来るはずもないのだが、そこは煉夜だからというところだろう。
「ちょっと……、その呪符は……!」
「『椿、榎、楸、そして我が祖、柊。四木の宗に連なりし【カナミ】の名において、汝を封ずる』!」
呪符が水姫を攻撃したなにかへと飛んでいく。そして、その効果をいかんなく発揮し、あっけなく、それを封印した。水姫は純粋に疑問を抱く。呪符こそ、司中八家共通だが、封印の呪文は家ごとに違う。それをどうやって導き出したのかが、全く分からないのだ。それも、呪文は秘匿というわけではないが、他家の前で使うこともないため、別の家から聞いたという可能性が無い。つまり、煉夜が知ることは不可能とも言えた。
「低級から中級ってところか、……しかし、どこか活性化した魔力を感じた気がしたが、何だ……?それに階段、まるで下に向かおうとしていたかのように」
そう、水姫が反応できなかったのも仕方がない。暴れ出した階の10階下から上がってきていたので、ただ暴れるだけの禍憑きが9階近く降りてくるとは考えにくかったのだ。降りてきたことに理由があるとするなら、何かに惹かれたことに他ならないだろう。




