122話:幽霊ホテル怨霊跋扈・其の一
新学期も始まってから数日が過ぎた。一月の中旬だ。寒さは強まるものの、雪は降るか降らないか、そんな天気が続く、微妙な頃合い。煉夜は高校に登校した。私立山科第三高校は私立ということもあり、それなりに設備が整っている。それゆえに、冷暖房設備はそれなりに整っている。
「おはよ~、レンちゃん、今日も寒いねぇ」
教室で巛良桜丙の新刊、「丑返り」を読んでいた煉夜に、紅条千奈が、そう話しかけた。
「ん、ああ、まあ、寒いな」
そんな風に話を合わせる煉夜。世間話に付き合うのもいいか、と本に栞を挟み、閉じる。紅条千奈、幼馴染であるものの、煉夜はほとんど覚えていない。数百年のブランクが忘却した記憶の一つだ。
「アタシって冷え性じゃん。だから、もう冷たくて冷たくて」
そう言いながら煉夜の首筋に手を持っていく。別に冷たさで驚くようなことはなかった。だが、煉夜の顔は手が触れた瞬間に歪む。冷たさからくるものではない。
「今、……いや、……」
千奈に触れられた瞬間、周囲の魔力が根こそぎ持っていかれるような感覚に陥った。しかし不思議なことに、千奈が何かに魔力を使っているようには感じられなかったのである。つまり、千奈に触れた魔力が消失した。だが、そんな筈はない。なぜなら、千奈自身が魔力を持っているからだ。
触れた魔力を消失させる特性を持つ神獣と戦ったことのある煉夜だからこそ、その相手が魔力を持っているはずないことはよくわかっていた。
だが、その時気づく。千奈の魔力があまりにも一定であることに。魔力が一定、ということは本来あり得ない。常に微量なりとも変動する。それが微動だにしていない。つまり、何らかの作用で、千奈の魔力を一定にする力が働いているのである。先の魔力が無くなったのも、それに巻き込まれただけだ。
「あははっ、レンちゃん、変なカオ!そんなに冷たかった?」
それも、千奈には自覚がない。自覚がないだけに質が悪く、自覚がないだけに恐ろしい。普通の人間の魔力量ならば関係ないのだろう。千奈が常に持っている一定の魔力よりも低いからだ。しかし、千奈よりも強い魔力を持つ者で、千奈に触れられた瞬間に、その魔力の何割かを根こそぎ奪われる。
「いや、別に冷たくはないが……」
何とも言えなかった煉夜に、「もう、変なレンちゃん」と言いながら、千奈は自分の席に着く。ジャラジャラとキーホルダーのついた筆箱を机の上に出していた。中でも、円の中に三角形があり、円から何本か棒が下がっているキーホルダーに目が行く。結構な大きさなために目立つ上に、何故か2つついている。
「なんだ、この三角形のキーホルダー。こんなの邪魔じゃないのか?」
そもそも筆箱自体、箱というよりペンケースと呼ぶのが普通なくらいの、小さなものだ。もっとも、女子である千奈はこの小さなペンケースから魔法のように何本も色ペンを取り出す収納テクニックを持っているが。
端的に言えば、ペンケースよりもキーホルダーの方が大きいのだ。邪魔にならないはずもない。
「ジャマじゃないよう。もう、レンちゃんてば……。ほら、アタシって三角が好きじゃん?」
「いや、知らねぇけど」
煉夜が覚えていないだけで、確かに千奈は昔から三角形が好きだった。そうは言っても、あくまで好きというだけで、|三角形に興奮する異常性癖ではない。
「俺がお前に関することで覚えてるのはジャング……」
「あぁ~!!」
煉夜の言葉を遮ろうと、必死に攻撃を仕掛ける千奈。それを難なく避ける煉夜。どうやっても千奈では煉夜に攻撃を当てられなかった。
「うぅ……、そもそも、あのジャングルジムだって、アタシがジャングルジムが好きすぎて離れられなかったから起きたんだもん。フリョのジコってやつよ」
そんな馬鹿な、と思うかもしれないが、子供の心理状況などそんなものだ。優先順位の混濁。それによる失敗。
「まあ、お前が三角形が好きだろうが、ジャングルジムが好きだろうがどうでもいいんだが……、いや、それが関係……ないな」
千奈の魔力がどうなっているのか関係あるんじゃないか、と一瞬思った煉夜だが、そんな趣味嗜好が関係していてたまるか、と肩を竦めた。そうして、煉夜は再び本を開く。
「煉夜君、読書もいいけれど、もう朝のホームルームの時間だからね」
煉夜の読書はそんな声で遮られる。仕方なく再び栞を挟み、本を置いた。煉夜は、朝の世間話に少々時間を使いすぎたか、とやや後悔した。
「はい、それでは、ホームルームを始めます。う~ん、例年よりも長い冬休みだったせいで、まだ休みボケをしてる人が多いかな?3学期がそんな調子だと、3年生に響くからね」
時折、手を叩き注目を集めながら、焔藤雪枝が言う。実に担任らしい振る舞いだが、彼女も彼女で、休みボケが酷かった。そもそも、冬休みが例年より伸びた理由の一端は彼女にもある。そして、その大半を寝ていた彼女は、いまだに体の節々が動かしづらい。まだ身体が若いからどうにかなっているが、これがあと数年もすれば……。
「でも雪枝ちゃんも、そんなこと言って、冬休みは遊んでたんでしょ?」
そんな風に生徒からヤジが飛ぶ。完全になめられているが、雪枝の見た目が幼すぎるのが原因である。どうしようもない。
「そんなことありません。先生は決して遊んでません!」
そう、意識が安定せず寝ていたのだ。時々、起きていたが、やはり死神化した影響か、正月はずっとこたつでゴロゴロしていたのだ!そう死神化した影響か!
「まあ、おおよそ、寝ていたんですよね」
そう小さく呟いたのは、英国にも同行していた望月姫毬。学校では、この正月明けそうそうに「親が離婚して姓が望月になりました」といい、手続きも済ませ、今は望月姫毬で通っているが、かつては百地姫毬と名乗っていた。
「望月さん、何か言いましたか?」
雪枝がそんな風に凄むが、全然凄みが出ていない。端的に言えば、一切怖くなかった。しかし、その雪枝の言葉に、千奈が呟く。
「あ、そうだ、望月ってミョージに変わったんだっけ?」
人のデリケートな話をほいほいと口に出す千奈にクラスメイト一同が、微妙な顔をした。頬をひきつらせていないのは、煉夜と姫毬と雪枝くらいである。
実のところ、雪枝は、姫毬の苗字が望月になったことを英国で聞いているのだ。故あって苗字を偽っていた、と。なので、今、頬をひきつらせなかったのは、「親の離婚が原因ではない」という事実を知っていたからだ。
「ええ、まあ、親が離婚しましたから。親が、離婚、しましたから!」
やや言葉を強調させて二度言う姫毬。煉夜は「いい感じに壊れてきたけど、これ大丈夫なのか?信姫は何やってんだか」といい、横から飛んできた針を指の間でキャッチする。
そんなやりとりに気付いていないが、人のえぐってはいけない部分をえぐったと思った千奈は、慌てて謝る。
「あ、その、ご、ゴメ……」
「あ、いえ、全然気にしていないので。主に慰謝料的な意味でウハウハなので、これっぽっちも気にしていないので!」
もちろん姫毬なりのジョークである。英国でブリティッシュジョークを学んだつもりの姫毬はいい感じにおかしな子になっていたが、周囲は、それを離婚のショックで性格が歪んだのだ、といい感じに解釈し、何も言わなかった。
ちなみにブリティッシュジョークは婉曲な表現が多いため、相手に伝わりづらいものが多く、決して、この姫毬のジョークの様に直接的な表現はしない。
「最近、だいぶ壊れてきたが、大丈夫か、姫毬。信姫の仕事がきちんと成り立ってるのか、非常に心配なんだが」
先ほどと同様の言葉を、煉夜はあえて繰り返す。今度は千奈には注目が集まっておらず、煉夜と姫毬に注目が集まっているために針はとんでこなかった。
「もちろんジョークです。ブリティッシュジョークというやつですよ」
姫毬は肩をすくめて、「冗談も分からないんですか?」と小ばかにするように煉夜を挑発する。
「なぜ、ここでブリティッシュジョーク……?アメリカンじゃないのか?」
そんなどうでもいい呟きをするクラスメイト。煉夜は「なんでそこに食いつくんだ、このクラス変な奴ばっかだな」と言うが、お前が言うな的視線が返ってきた。
「それはもちろん、英国に旅行に行ったからです」
「離婚寸前なのに英国旅行?!どんな家族だ!!」
このクラス、モノをハッキリと言うやつが多いな、と煉夜が呟く。千奈を始め、そんな人物が多い様な気もする。
「いえ、英国には一人で旅行に。ああ、いえ、正確には雪白君と一緒に、ですが」
姫毬の答えに、一瞬の沈黙がクラスに訪れた。が、クラスの男子生徒が怒りに震え、雪枝に抗議したことで沈黙は破られる。
「雪枝ちゃん!不純異性交遊ですよ!英国に二人で旅行なんて!認めていいんすかぁ!」
ややこしいことになってきたなぁ、と心でつぶやきながら、煉夜はため息を吐く。姫毬が自ら発言して陥った事態なのだから、姫毬が意図したものなのだろう、と姫毬を見る。すると、若干、同様が見られる顔で煉夜を見ていた。
(あ、これ、意図したやつとかでもなんでもねぇ。単に口が滑っただけだな。本当に大丈夫か、コイツ。冬休みボケで仮面はがれかけてんのか?)
そんなことを思いながら、煉夜は雪枝が事態に収拾を付けるのを期待して、雪枝の言葉を待った。そして、
「いえ、不純異性交遊はありませんでしたよ。そもそも、二人で旅行じゃありませんし。わたしも居ましたから。そもそも望月さんの同行は予定にありませんでしたけどね」
雪枝は事実を淡々と言っただけだろう。しかし、クラスは「ざわざわ」と「ひそひそ」という内緒話で満たされる。それはそうだろう。
雪枝と煉夜と姫毬で旅行。姫毬の同行は予定外。つまり、雪枝と煉夜で旅行する予定だった。つまり教師と生徒の恋愛。
「雪枝せんせー……、いくら、婚期があれだからって、転校生だまして一緒に旅行とか、……犯罪ですよ?」
雪枝が顔を真っ赤にした。自分で言ったことの意味を理解したのだろう。言い訳を始めようと支離滅裂なことを言い始める。
そんな騒がしさは、隣のクラスの1限担当教員に「もう1限始まってるんですけど!静かにしてもらえませんか!」と怒鳴られるまで続くのだった。




