121話:プロローグ
窓を流れる景色が、早々と切り替わっていく。新幹線に乗って、席に着いてからそう時間は経っていない。このしばらくの間を経て、ようやく一息ついた。2ヶ月ぶりのまとまった休みに、四六時中一緒だったマネージャーの顔がなくなり、ようやく休みになったのだという実感が湧く。激動の数年による疲労は、彼女の眠気を誘う。微睡の向こうへと誘われながら、この数年の記憶がよみがえる。
高校在学中に進路を決めかねて、高校卒業後、アイドル養成学校に入った。4年間過ごし、結果、3人組地下アイドルグループ「PureCats」として活動を始める。養成学校でも仲が良かった2人とのグループなので、比較的に気分は楽だった。楽しいだけではないし、狂うしいことも多い日々。それでも充実していた。大人気とまで行かないものの、テレビ出演もしたし、ファンも増えた。1年半記念ライブも大いに盛り上がる。
しかし、そんな日々は呆気なく終わる。他のメンバー2人の恋愛が発覚。それも2人それぞれではなく、2人同士の恋愛であった。百合発覚問題は週刊誌にもとりだたされたが、会社はそれを逆手にとって、「百合カップルアイドル」として2人を売り出した。2人組アイドル「LillyPureCats」として爆発的なヒットをたたき出し、地下から抜け出した。
1人なった彼女を、会社も売り方に困ったのだろう。迷走に迷走を重ねた挙句、戦国武将系アイドル、「みらくるはぁと幸村ちゃん」として売り出されることになる。しかし、戦国武将ブームは若干下火になりかけた状態で、乗り遅れながら表舞台に出ることになったのである。
そうなってからは、地方巡業ばかりで移動に移動を重ねて、地方に行ってもろくに観光もせずに、家と地方を行ったり来たりするだけの日々。哀しいかな、今回の休みも、年末年始の巡業を終えた後、上にいるアイドル達が休む時期にテレビの仕事が入るはずだったが、売れてきた新人に譲るということでできた休みである。
彼女は、まとまった休みが取れると、「普段できないことをしよう」と旅行に出ることにしたのだ。旅行先に選んだのは京都である。
日本の観光名所としては、北海道、沖縄に並ぶ名所である。時期が時期だけに北海道は寒いし、沖縄は混んでいると思い、京都を選んだのである。
そして、この京都こそが、彼女の人生に大きな影響を与える転地となるのだった。
京都駅で新幹線を降りた彼女は、その空気を肌に受けて、仕事の疲れを全て置くように伸び、その感想を口にする。
「ここが京都かぁ……」
思わず口にした感嘆の声。訪れるのが初めてというわけではないにも関わらず、心中は新鮮な気持ちでいっぱいだった。それは仕事ではないからだろう。普段なら、長居もできない。交通技術の発展から、東京と京都を数時間で移動できるようになった現在では、日帰りも間々あることなのである。
「さぁってと、まずはホテルに荷物を預けないと」
そんなに売れていないアイドルの彼女が、普段、高価な買い物をするわけでないにしろ、高級ホテルに泊まるような金銭は無いため、駅前の普通のホテルを既に予約していた。ホテルの位置も分かりやすくて、楽……だったはずなのだが。
「んなっ……」
思わず言葉が出なくなる彼女。それはそうだろう。ホテルを取り囲む黄色と黒色の「KEEP OUT」の文字。中から響く何かが崩れるような音。もはや、それはホテルと呼べない何かでしかなかった。
「もしかして、本日ご宿泊のお客様ですか?」
呆然と立ち尽くす彼女に、ホテルの受付嬢のような恰好をした女性が話しかける。彼女は頷いて、プリントアウトした宿泊に関する予約確認を見せる。受付嬢は手元の資料と見比べて、その存在を確認した。
「申し訳ありません。本日、少々事情があ」
言葉の途中で、背後に窓ガラスが落ちる。幸いにも、ホテルの窓ガラスは強化合わせガラスのため、飛散することはなかった。受付嬢の笑みというには苦しいつくり笑いも、かなり限界が来ているようだった。
「少々事情がありまして、当ホテルは全館閉鎖とさせていただいております。お客様には、他のホテルをご用意しているのですが……、その……」
何かあるのはホテルを見れば分かることだった。代わりのホテルを用意しているのも普通に考えれば、当然のことだろう。しかし、その受付嬢は言葉に詰まっていた。
「その他のホテルの空が非常に少なく、お客様のホテルがまだ用意できていない状況でして。何度かお電話させていただいていると思うのですが」
そこで彼女は気づく。新幹線でうたた寝していて、その後は、そのまままっすぐにここまで来たために、スマートフォンなど確認していない。もっとも、新幹線の中で電話に出ることもなかったので、駅でそのことを知るか、ここでそのことを知るかの差でしかないのだが。
「……分かりました。じゃあ、代わりのホテルは大丈夫です。ホテル代は返ってくるんですよね?でしたら、こちらでどうにかします」
彼女はそんな風に受付嬢に言った。無論、当てがあるわけではない。しかし、彼女は仕事柄、カプセルホテルやビジネスホテルに泊まることも多いし、場合によっては漫画喫茶でその日をしのぐことも不可能ではない。
「もちろんです。当然のことながら、全額返済いたしますし、今回の件でおかけした分、プランなどでの御旅行の場合は、全額こちらで負担しますし、プランなどでない場合でも、かかった金額が明確に分かるものを提示していただければ負担いたします」
そんな話が現実にあるか、ということで、本来ならあり得ない話だろう。しかし、今回は、国が関わっているため、そのような補償が出来るのである。この件に関しては、既に司中八家を通じて、ホテルに全額払わせるためのやり取りも済んでいる。
「分かりました。じゃあ、これで……」
彼女は、受付嬢に別れを告げて、京都の町へと歩いていく。若干途方にくれながら。
知らない街で、当てもなく動くというのは、当然のことながら心細くもなる。観光しようにもキャリーバッグが邪魔で、自由に動くのは難しい。ならば、やはり宿の確保が最優先となる。しかしながら、ホテルが探しても見つからなかった代わりのホテルをそう簡単に見つけられるはずもなく、かといって、漫画喫茶だと荷物を置いてどこかに行くというのが難しい。
そうなると次に当てにするのが民泊などだろう。しかしながら、これも京都だと難しい。そうなってくると、大阪や奈良のホテルに泊まるというのが手段としては最上なのだが、そちらの予約状況もいっぱいいっぱいだった。
冬休みならともかく、それも明けたこの時期にどうしたことだ、と思わず首を傾げかねない状況だが、日本の都心にあるホテルが、時期関係なく満室に近い状態が続くこともあることを考えるとおかしな話ではないのかもしれない。
「どうしよう……、せっかくの休みですら、こんなことになるなんて、やっぱり運無いのかなぁ……」
それはため息も出るだろう。久々にまとまった休みが取れて、旅行に言った矢先に宿を失い、行く当てもなく彷徨うことしかできないのだから。観光もへったくれもない。この現状を打破する方法は、全く見えない。
「もう、帰ろうかな……」
せっかくの休みで、家からも仕事からも解放されたかったのに。実家に戻るという選択肢もないわけではないが、正直に言えば、それも避けたかった。
「とりあえず、飲み物でも買おう」
そんな独り言をつぶやきながら、自動販売機に小銭を入れようとする。それは疲れからか、偶然か、財布を地面に落とした。
――チャリン、チャリン
そんな音を立てて、小銭が地面に散った。彼女は、「もう!」と苛立たし気に財布を拾って、その後、小銭へと手を伸ばす――が、
「大丈夫か、あんた」
そう言いながら、落ちた硬貨を拾う陰。見たところ、彼女よりも数歳年下と思われる青年だった。
「え、あ、はい。すみません」
青年は小銭を差し出していたので、受け皿の様に手を出して、それを受け取った。彼女はぼーっとしながら、青年の顔を凝視していた。
「たぶん、これで全部だと思うが?」
学校帰りなのか、制服を着た彼。しかし、よく考えると時間的に、学校帰りというにはやや早いのだが、彼女はそんなことには気づかない。
「あ、いえ、ありがとうございました」
彼女の手には六枚の硬貨が握られていた。青年は、彼女が硬貨を財布に戻すのを確認すると、そのまま歩いていく。
「気を付けろよ。色々危ないからな」
そう言って去っていく青年。危ないとは何のことだろうか、不審者でもでるのか、と彼女は一瞬考えたが、そう言えばホテルも大変なことになっていたのである。普通の街よりも危ないのかもしれない、と納得した。
もっとも、彼の意図した発言とは意味がはき違えられているのだが、それを彼女が気づくはずもない。
夕刻になっても、結局、彼女は宿を見つけることが出来なかった。仕方がないので、漫画喫茶でも探そう、と思い立つ。
今は、公園のベンチでスマートフォンとにらめっこしていたが、やることを決めれば行動は早い方がいいに決まっているのだから。顔を上げると、じっと見られていた。
公園と言っても住宅地の中にある狭い公園だ。対面のベンチともそんなに距離は無い。だから、対面のベンチに座っている高校生くらいの女子に見られていることに気付いた。
そして、その見られていることに気付いたことに気付いた女子たちは、彼女の方へとやってくる。
「あの、こんなところでそんなものを持って、ずっとスマホを弄ってるから、何か困ってるのかなぁって思ったんだけど」
「ちょ、ほむちゃん、たぶん年上の人だから敬語を使わないと」
2人はそんな風に言う。なので、彼女は事情を説明した。ホテルが使えないので、行く当てがない、と。
「あ~、……あのホテルのお客さまだったんですか。災難ですね。幸い、その件自体は、お兄さんが行っているので、もう片が付いているとは思うんですけど。やはり営業再開までは時間がかかるでしょうね。ウチでどうにかしたいのはやまやまなのですが」
丁寧な女子の方は、何やら事情を知っているようであったが、何かを悩んでいた。それとは対照的に、明るい女子が言う。
「あ、じゃあ、火邑の家に泊まりに来ればいいと思うよ。幸い、部屋はいっぱいあるし、たぶん事情を話せば大丈夫だと思う」
女子が言う事情というのは「ホテルに泊まれなくなった」というので可哀想的な意味合いだが、原因的な意味合いとして明るい女子の家は断れないだろう。




