116話:青葉紫水と虚飾
人の嘘に色があるとしたら何色だろうか。そんなことを誰かが言っていた。青葉紫水は何の興味もないように、こう答えるだろう。
「色なんてありませんよ。そこにあるのは気味が悪いくらいの『虚飾』だけ」
真っ赤な嘘、ホワイト・ライ、ブラック・ライ、人が言葉として嘘を表現する時に、色を使い表現することがある。それは嘘という見えないものを「装飾」して分かりやすくしているだけであり、実際の嘘に色など存在しない。しかし、紫水は、こうも言うことだろう。
「ただ、……本当に色を付けてみることが出来るなら、一定の色など存在しないでしょう」
と。そして、それは現に、彼女の見ている世界なのだから。生まれながらにして、人の嘘を見ることの出来る少女、青葉紫水。これは、その彼女の物語の始まる前の物語。
どのような美女であろうと、どのような美青年であろうと、青葉紫水の前では酷く醜く見えた。「人とは嘘を吐く生き物である」とは誰の言葉か、しかしながら、それは紛うこと無き事実である。重い嘘から軽い嘘まで、人は嘘をつき続ける。
人は嘘を吐かねば生きていけないのだから、それは仕方のないことなのだろう。紫水は少なくともそう考えている。
人が生きていく上で、コミュニティというものは必要だろう。そのコミュニティを追い出されぬようにするためには「嘘」という飾りで思っていないことを吐き、周りに合わせ続けないといけないのだから。
中には素直に自身の言葉を吐露する者もいるだろう。青葉紫水の周りでは、青葉紫風という分かりやすい例が居る。もっとも、青葉紫風は持ち前の性格から、特定のコミュニティを必要とせず、また、陰口を気にしないという部分が大きい。
もっとも、嘘の向け方を熟知し、それを使うもののことも紫水は知っている。自身の父である。彼は、嘘を使い分け、嘘と真実を、虚と現を織り交ぜ、相手から情報を奪ったり、条件を優位にしたりと嘘を熟知している。それも、普段は嘘を吐かないのに、である。その資質は、王や隊長のそれであるだろう。
だから、ピアスを付けて帰ってきた青葉紫風がその言い訳に嘘を吐いたのは、紫水にとっては非常に印象的な出来事だった。嘘というよりは言い訳に近いものだったが、それでも、珍しい嘘の色に、紫水は目を見張った。
「まあ、紫炎も怒るのはそこまでにしておけ。それ、ピアスの穴、あけてねぇし。しかし、珍しい付与の仕方だな。相当の腕だ……。センスも中々……」
ピアスのことで、紫風と紫水の母は真っ先に目を付け、怒っていたが、それを宥めたのは父だった。それも、ピアスなのに穴をあけていないという意味不明なことを知っていたかのように話しながら。その上、その言葉に嘘はない。
「一応、一般人には見えない類の物、って言われてるんだけど、まあ、うちの両親には見えるだろう、って前もって言われてたから驚かないけどさ……」
肩を竦めながら、紫風がそう言う。その言葉に嘘はない。そして、さらに紫風は言葉を続ける。
「エリファス・レヴィ。それがこのピアスを作った奴よ。ついでにサンジェルマン伯爵にもあったけれど」
その言葉に、「ほお」と父が声を漏らしていた。紫炎はよくわかっていないようで、何も言っていない。無論、紫水も意味は分かっていない。
「なるほど、【最古の術師】の魔術派の一人、エリファス・レヴィ、か。それに錬金術派の幹部のサンジェルマンねぇ。一応聞くが、サンジェルマンは、まだ女だったか?」
嘘ではないと分かっていながらも、父は、紫風の言葉を確認するように問いかけるのだった。それは、実際にあったことがあるものでないと意味が分からないだろう。
「ええ、相当に綺麗な女だったわよ。父さんとも昔あったことがある、みたいなこと言っていたわね。会った時はひよっこだったけど風格はあったって言ってたわ」
嘘の無い会話。嘘みたいな話でも、嘘ではない。世の中はつくづくおかしいと思う紫水であったが、それはあえて口にしなかった。
「ひよっこ、ねぇ……まあ、それもそうか。しかし、エリファス・レヴィと言えば、近代魔術のまとめ役、なるほど、通りで珍しい付与の掛け方なわけだ。色々と混ぜてあるんだな」
そんなことを話ながら、その日は過ぎていく。
あくる日、紫水は、することもなく、かといって、明津灘家にいるのも居心地が悪いので、出かけてみることにした。
人の世は嘘に満ちている。それゆえに、紫水は物心ついたときには達観せざるを得なかった。なまじ世渡りを考えてしまうだけに、嘘を嘘と指摘せずに、時には話に乗り、時には話を逆手に取り、世間という嘘の海を渡り歩いてきた。
嘘の無い世界など存在しない。存在しえない。もしそれがあるとするなら、無の世界であろう。何一つない、無の世界こそ、嘘の無い世界と言えるのかもしれない。
「――世界は虚構でできている。――世界は嘘で成り立っている。――世界は幻、本当のことなどほとんどない。――故に、世界を偽るのは簡単だ」
そう、嘘が世界を織りなすならば、世界を作り上げるのは簡単だ。故に、嘘を知る彼女は「想像」を「創造」するのが難しいことではない。
「嘘って何でしょうね。人間が常に嘘を吐き続けるのなら、もしかしたら嘘の方が真実なのかもしれないでしょう?そうなったとき、嘘は嘘でなくなりますよね」
それは誰に対する問いかけでもなく、ただの独り言。そう、独り言のはずだった。しかし、それに返事をするものがいた。
「ハハッ、面白いことを言うんだね、君は。嘘が真実で、真実が嘘、なるほど、そう言う考え方もあるのか」
その少年は、酷く白い少年だった。黒い髪に黒い瞳をしておきながら、その白い学生服の印象が強すぎて、紫水は「白い少年」としか思えなかった。
「でも、ボクにとって嘘とは嘘で、真実とは真実でしかないけれどね。嘘は嘘でも千差万別。醜い嘘から美しい嘘まで存在する。ボクは嘘の全てを否定することはしない。美しい嘘はやっぱり美しいからね」
紫水は今まで生きてきた中で、美しい嘘というのを見たことがなかった。たいていが色の薄い嘘。つまり薄っぺらい嘘。そして、偶に見る色が濃すぎて「見にくい嘘」。つまり醜い嘘。それらに美しいと感じる要素は皆無だった。
「時に、君は、嘘に色があるとしたら何色だと思う?」
白い少年は、少年らしからぬ、乾いた笑みを浮かべて、そんな風に紫水に問いかけた。その問いに、紫水は少女らしからぬ大人びた雰囲気で答える。
「色なんてありませんよ。そこにあるのは気味が悪いくらいの『虚飾』だけ」
その答えに、白い少年は、少しばかり驚いた顔をした。それが紫水の見た目に見合わないほどに達観した答えだったからだろうか。
「しかし、人は黒い嘘や真っ赤な嘘と言う。もっとも、白い嘘、黒い嘘は善悪を最も分かりやすく表現したものであるし、真っ赤なというのも赤の他人と同じで『明らかな』を示しているんだけれど、それでも、色があるとしたら、君は何色だと思う?」
人が言葉として、表現として、色を用いていることを明言してもなお、彼は紫水にそう問いかける。
「色なんてない、と言っているのに……。ただ、……本当に色を付けてみることが出来るなら、一定の色など存在しないでしょう」
それが彼女の見る世界。美しさの欠片もない、失望と虚飾の世界。常に移ろい、変わり続ける嘘に塗れた、人の業の世界。
かつて、生まれてから常々、社交の場に出続けたために、人の感情の機微が分かり、その負の感情を感じ取ってしまう少女が居た。人というものを信じられずに、小学生ながらに非常に達観し、警戒し、距離をとっていた。そんな少女は、ある青年に出会い、負の感情以外を知り、人に希望を見出せた。
しかし、青葉紫水にはその出会いがなかった。それゆえに、いまだに人を信じられない。人の嘘、負の面と言う意味では、その少女と非常に近い境遇が、出会い一つでこうも変わる。
「一定の色がない、それは常に移り変わるということかな?まあ、そうだろうね。まあ、もっともボクには見えないから分からないけれど」
その瞬間、紫水は目を見張る。嘘だった。少年は嘘を吐いた。そして、それは白い嘘だった。ホワイト・ライ、優しい嘘、という意味ではなく、文字通りの白い嘘。しかし、美しい嘘だった。
美しい嘘とは何だろうか。声が美しいと嘘も美しくなるのだろうか。優しい嘘だと嘘も美しくなるのだろうか。美しい人が吐く嘘は美しいのだろうか。
初めて見た美しい嘘を前に、紫水は、呆然とした。そして、同時に、「見えないから分からない」ということが嘘であるということも判明した。つまり、目の前の少年もまた、嘘が見えるということに他ならない。
「白。そう見えたかい、君にも」
白い少年は、そっと囁くように紫水に問いかけた。
「いいえ、何の話でしょうか」
紫水は、あえてそう返した。嘘で返した。そうすることで、白い少年が本当に嘘が見えるのかを試したのだ。
「なるほど、君は青色か。どうにも君の魂は青く染まり切っているようだ。いや、青というよりは蒼かな」
そんなふうに呟きながら、白い少年は、手を前に出した。
「さて、自己紹介もしていないのに長話をしてしまったね。ボクは廿六木鎖丞。君は?」
「……青葉、紫水」
互いの名乗りに嘘が無いことは、見て分かった。
これが、青葉紫水と廿六木鎖丞の嘘に塗れた出会いだった。直感とセンス、それからいびつな能力を持つ、青葉紫水の表面に浮かび上がった「嘘を見る」力と、ある事情から悪魔と契約して手に入った廿六木鎖丞の「嘘を見る」力、二つが出会ったことから始まる物語の前日譚である。




