115話:青葉律姫の嫉妬
京都司中八家が一つ、冥院寺家。洋風の屋敷で、京都の名家とは思えないが、それにはいろいろな事情があった。そんな冥院寺家に、久々に、戻ってきた青葉律姫は、非常にやるせなさを感じていた。
冥院寺家現当主は律姫の姉の夫である冥院寺丹月であり、かつては真柴丹月を名乗っていた。もっとも、冥院寺家を実際に取り仕切っているのは、律姫の姉である冥院寺姫穿である。丹月はどこか間が抜けている上に、姫穿がしっかりした性格なので当然のことかもしれない。ならば、何故、姫穿が当主を襲名しなかったのか、ということには深い事情がある。
元々、律姫も姫穿も冥院寺家の家に伝わる力こそ継いでいるものの、他に異能の類が発現しなかったこともあり、姫穿が京都……というより関西で、律姫が千葉……というより関東で、それぞれ力を持った婿を探していたのである。
姫穿も律姫もどちらも見つけたため、姫穿の方が姉であることから、姫穿とその婚約者である丹月が家を継ぐ資格を得たのである。つまり、異能を持たぬものが当主は名乗れないので、丹月が名目上の当主という形にあるのだ。
そんな冥院寺家には他にも人が居る。姫穿の子供たちである。冥院寺姫丹と冥院寺月姫。
そして、律姫の両親も家に居る。父に関して、律姫は何とも思っていない。しかし、母にはいまだに思うところがある。冥院寺久那。かつての名を、久那・フレール=ヴィスカンテ。その先祖は律姫の夫の前世とも交友があったという。幼いころに時を共に過ごせなかったことから、律姫は未だにぎくしゃくしている。
そして、その律姫に仕える者として冥院寺家にはもう一人いる。帝矛弥という執事服を着た女性。律姫の命で相田きいの保護と支援を担当している女性だ。
「律姫様、これがこれまでの記録です」
律姫は今、休みだというのに、矛弥から、きいの観察記録という名の日記を読まされていた。これがやるせなさの原因である。休みだというのに、他人の日記を見て何が楽しいのだという。
そして、予想通りの平々凡々な高校生の日々が記録されていて、読むのに飽きてきた頃、ある文章で、気分が一変する。
「これは……、一体……」
ある雨の日、相田きいの魔刻がバレたと思われ、矛弥が突撃。戦うも敗北する。そんな記録に目を疑った。律姫は矛弥の強さをよく知っていたからだ。それこそ、司中八家が相手と言えど、負けることはないと断言できるほどに。
しかし、その続きにも驚かされることになる。その戦った相手の助言や情報を元に、天城寺家の悪事を暴き、魔物が召喚されかかるもどうにかなった。
意味不明にもほどがあるが、それだけの大事件を治める切欠が、矛弥に勝った相手だというのだから納得もできる。
「矛弥。この敗北や事件というのは?」
かつて、律姫は矛弥に育ててもらったも同然で、「矛弥さん」と呼んでいたが、今では主人と仕えるものという立場もあり、呼び捨てにしている。
「ええ、律姫様、信じがたいことに、貴方様の夫を思い起こさせるほどの逸材が、雪白家に居ました。あれは普通というカテゴリーに入れてはいけない何かです。魔力量も霊力指数も、そして、秘めたる何かも含めて」
矛弥の言葉に思わずペンを握る手に力が入る。ペンに力場が形成され、中からはじけ飛んだ。冥院寺家に伝わる固有の力、【殲滅】。それは家の二つ名ともなっているものだ。
「転生者の類ですか?」
ペンのインク等気にせずに、律姫は矛弥に問いかける。近年になって増えてきた転生者と呼ばれる存在達。それならば矛弥に土を付けるのも納得がいくというものだ。しかし、
「いえ、違います。おそらく、としか言えませんが、あれは彼のような転生者とは別の存在であると思います」
律姫の夫のことを思い浮かべながら矛弥は言った。それに対して、何の根拠もない。かつて、死神、ユキファナ・エンドは明確に転生者でないと断言していたが、それを彼女らが知るはずもない。
「では、ただの人間でありながら、矛弥に勝ったと?魔化転身なしとはいえ、それは……」
信じられないと思いながら、律姫が紡ぐ言葉を遮るように、矛弥が律姫の言葉を正すように発言する。
「いいえ、魔化転身も使いましたし、眷属も召喚しました。しかし、彼には届かなかったのです」
「その力は……」
律姫は嫉妬していた。それは純然たる嫉妬だろう。その強き力に嫉妬をした。なぜならば、律姫は自身の弱さを自覚していたから。かつて、夢見櫓で娘の大事な人と戦って負けた時、否、そのもっと前から気づいていた。だからこそ、力を懸命に欲した。今、再び、あの青年と戦ったとしても負けることはないだろう。しかし、それでは不十分だった。
「その青年は何者なのですか。雪白家と言えば、雪白水姫という娘しかいなかったはずじゃありませんか?」
律姫は矛弥に問いかけた。そう、律姫が知る限り、雪白家には青年などいなかった。しかし、雪白家に居る、その存在。
「雪白煉夜、雪白家の分家筋の青年です。一時期行方不明になっていた、などいろいろと怪しい部分がありますが、どうにも明津灘家の……紫炎様の息子である雷司君とも親しかったようですね。まあ、そう言った意味では、信用できる存在であることは間違いないかと」
その名前を聞いて、律姫は、市原家に全員が集まった時の、裕華や雷司達と夫の会話を思い出した。つまり、その青年は既に、青葉家に強く関わってしまっている。
「この世界の京都はイレギュラーが多すぎる気がします。何がどうなったらこんな異常なことになるのやら。矛弥、先輩が認めているからには雪白煉夜君がただの人間ではないと仮定してください。おそらく、この世界の始まりは雷司君のはずなので、『別の世界』の始まりの可能性があります。つまり、彼は転生者ではなく転移者か帰還者と言ったところでしょう。それ以外の可能性も否めませんが、想定外の力を使ったというのなら、おそらくその可能性が一番高い」
律姫のその読みは確かに当たっていた。煉夜は、律姫が挙げた中では「帰還者」に該当する存在だ。
「おそらく先輩のことだからそのことには気づいているはず。それを放っているということは、大した脅威にならないか、仲間に引き入れられるのか、それとも、無関係でいられるのか。……雷司君と親しいなら、無関係は無理でしょうけれど」
律姫は新たな懸念を頭に抱えながら、日記の残りを読み終え、特に気になる記述が無いことを確認してから、矛弥に言う。
「いいですか、おそらく、これから、雪白煉夜君は、この世界における重要人物として、世界を動かしていくでしょう。矛弥、もしものことが有ったら全力で彼に手を貸してあげてください。そうそうないとは思いますけど、何やら、歪な因果が関わっているような気がしてなりません。意地悪な女神の、悪戯のような……」
律姫の勘が懸命にそう告げていた。その言葉を矛弥は重く受け止めて、頷いた。それは、主の命だからというよりも、律姫の直感を信じてのことである。
「しかし、世界が動くと言えど、例外達が寄ってくるような状況はないと思うのですが」
矛弥が協力しなくてはならないほどの危機、すなわち、世界における例外の登場。それが現れるのは滅多なことではない。
「いえ、既に周りに幾人かいるはずです。先輩と同じで、つくづく厄介ごとに巻き込まれるタイプのようなので。戦闘もそれなりにこなしているはずですが、転移者や帰還者の場合、この世界は退屈でしょう。別にそれ自体はいいとしても、厄介なのはその彼が満足の行く戦い、本気を出さねばならない戦いが起こることです。その気になれば世界を破壊するかもしれない一撃がこの世界で同等の攻撃とぶつかりあう恐れもありますからね」
煉夜が本気を出すとして、その一撃で世界を破壊できるか、と問われれば微妙なところだが、最悪を想定するとしたら、その想定は間違っていないだろう。雪白煉夜という人間は、この世界において、神を名乗る男女などとも戦っている。それこそ、日本を守る例外と呼ばれる者たちである。もっとも、彼らに対して、本気の一端を見せこそしたが、本気を出したかどうかと言われれば否である。
「さて、難しい話はこの辺にして、そろそろ休みらしく休みましょうか」
先ほどまでの顔とは打って変わって、気を抜いたような顏に戻し、律姫は一息ついた。ただの世界と思っていたら、これほどの異常がその辺に転がっているのだ。おかしくない世界などありはしないが、おかしすぎる世界も普通は無い。
「まあ、どうにもならないときは先輩がどうにかするでしょうし」
その呟きは、矛弥にすら聞こえないまま、空気にとけて消えていった。そう、この世界の行方は誰も知らない。――神さえも、知らない。




