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白雪の陰陽師  作者: 桃姫
青葉騒動編
111/370

111話:青葉裕音の怠惰

 冬の寒空が、厳しい冷え込みを運んでくる一月。市原(いちはら)裕音(ゆのん)は夫たちと共に里帰りをしていた。元々、高校生の頃は、家を離れ、家に連絡すら取ろうとしていなかった時期があった。母と従弟を失った悲しみと、その原因である家を憎んでいたからである。幸いなことに、裕音が高校3年生の時に、夫と出会い、その夫が家のしがらみを全て解決したのである。よって、今の裕音は言えとは何の遺恨もなく、実家としてくつろいでいるのだ。


 非常に目立つことこの上ない桃色の髪をボサボサに跳ねさせながら、裕音は起きた。昼ももう間近な午前11時に起床した裕音は欠伸をしながら、伸びをする。ダボダボのTシャツに短パンのみで寝た裕音は、凍えるような寒さに体を震わせる。流石に真冬にこの格好で寝るのはマズかったと思いながら、部屋の暖房を点ける。しばらくの間布団にくるまりながら、部屋が暖かくなるのを待つ。数分としないうちに温かくなる部屋。何をするか考えながら、裕音は再び欠伸をした。


「ユノ姉、……だらしなさすぎるよ」


 ふすまを開けて部屋に入ってきた妹の華音(かのん)がそんなことを呟いた。かつては、裕音を僻み、関係は悪かった。しかし、裕音の夫がしがらみを解決した際に、華音と一悶着があったために、裕音と華音の関係が戻るにつれ、裕音の夫と華音も近づいていくという以前よりも複雑な関係になった挙句、結局、裕音も華音も同じ人物を夫にすることになった。


「いろいろと気が抜けちゃってねぇ……。ここに来るまでに片付けることが多くて」


 一月に集まるという話は数か月前に挙がっていたことであり、集まるためには、その時点で抱えていたものを終わらせるなり、一区切りつけるなりが必要になるのである。裕音も抱えていた厄介な案件をどうにか始末して、この京都へとやってきたのだ。


 裕司や小豆の件よりも面倒なものを、いろいろと片付けるために、日本中のあちこちを動き回っていたのだ。裕音の持つ力は《古具(アーティファクト)》である《破魔の宝刀(ブレイク・ダークネス)》と姫野の血統たる治癒力だ。


 そも、裕司と小豆が行き会った(ぬえ)をはじめとした幻魔怪異は裕音が最も得意とする相手であり、かつ、多少の怪我なら数分もなく治るのだから、あちこちに引っ張りだこなのもうなずけるだろう。


「青森の件と四国の件が特に重くて……。青森の吸血鬼は青葉家の関係者だったから割とどうにかなったんだけれど、結局、吸血鬼VS河童仙人の戦いに巻き込まれて……。四国は刑部とかいう巨大狸爺とゴリラ妖怪の大戦争を止めたのよ。てかゴリラ妖怪ってなのよ。狒々とかの猿ならまだしもゴリラって……」


 疲労を重ねた日々を思い出しながら、そんな風に愚痴った。妖怪というものは、実在する現象や実在する物、また大衆が想像を共有する物が元になる。かつて、麒麟と呼ばれた幻獣、鯨すらも海外では幻獣と呼ばれていた、鬼蜘蛛や鵺の様に、様々な動物が混じり合ったもの、柳の枯葉と言われた幽霊、大衆の間で話題になった口裂け女や人面犬。


 この場合、ゴリラの妖怪なるものは、日本人の間にゴリラという存在が認知されたからこそ生まれたものなのだろう、と裕音の夫は言っていた。確かに、ゴリラや象などの動物は、近代になってから認知されるようになった動物であり、象の様に江戸時代に一部に認知されたようなものも含めて、全国に正確に認知されるようになったのは、動物園や水族館、本や映像技術の普及以後である。


 しかし、逆に、正体が明らかになるということは怪異たりえないということでもある。分からないからこそ伝聞で奇異な要素が足され、噂され、妙な存在として妖怪になり得るのだ。それが分かってしまっている以上、それを妖怪として認識することは普通ない。


 インターネットの普及により、その動物が何であるかを、おおよそ知ることが可能になった以上、それに奇異な要素を付け足すことはほとんどないだろう。それは正確性というものだ。正確に知っている以上、それ以外の想像の余地がない。


 ゴリラという動物はB型しかいないだの、ドラミングだの、様々な情報がある。それらにも科学的根拠がある以上、怪異的な付け足しは無いだろう。


 ではなぜゴリラの妖怪のような奇怪な存在が四国に生じたのか、というと、不明としか言えない。



 裕音の言う「刑部とかいう巨大狸爺」とは隠神刑部(いぬがみぎょうぶ)刑部狸(ぎょうぶたぬき)と呼ばれる妖怪のことだろう。日本三大狸話の一つである「松山騒動八百八狸物語」にも登場するほどの妖怪界の大御所である。


 四国というエリアにおいて、「狸」というのは土着の妖怪として有名である。曰く、狸が狸を生み、それを繰り返す後八百八の狸が生まれ、八百八狸(はっぴゃくやだぬき)として知られるようになった。その狸の長こそが「隠神刑部」であると伝えられている。また、狸は狐と並び「人を化かす」として知られているが、四国の狸は「神通力」を持っていたとされ、特別な力を持っていたともされている。

 狸の長として他に有名な「佐渡(さど)団三郎貉(だんざぶろうむじな)」なども特別な力を持っていたとされている。貉とは主にアナグマであるが、新潟県の佐渡島では狸のことを貉と呼び、この「団三郎貉」も狸である。


 つまりは、延べ八百八以上の狸とゴリラ妖怪の動物戦争に裕音は巻き込まれたのである。元来、妖怪同士の争いに人が介在するようなことはないが、この場合、ゴリラの妖怪が前述のように不明な経緯で現れたことから介在せざるを得なくなった。当然ながら、裕音は土着であり、出自もはっきりしている刑部の側に付き、来る日も来る日もゴリラを切り伏せるという長い戦いに挑んだのであった。


「いや、河童仙人って何よ。あとゴリラ妖怪。おっそろしいわね~、ユノ姉はやっぱり結婚してから戦うことも増えた?」


 かつては身内同士の喧嘩か、司中八家同士の争いでくらいしか力を使わなかったが、今では、あちこちで使うようになって、戦いも増えただろう。それは、家を出て、青葉に入ったからであるともいえる。

 華音は、市原家を支えるということで、裕太や結衣もいるものの、市原家からそう離れることはできないが、市原家を出て、青葉家に嫁入りした裕音にはそんなしがらみもなく、あちこちに戦いに行く日々だった。


「まあ、ねぇ。夫が夫だから、ってよりは、家が家だからかな。元々、ウチが特別だ、って考えていたこともあったけど、あっちはウチ以上に特別だったわ。ウチなんて、なんて事の無い一般家庭みたいなもんよ、青葉に比べれば」


 かつて、陰陽師として栄えていたころならいざ知らず、今となっては、確かに、金と少し不思議な力があるだけなのかもしれない、と思えた。それだけ青葉という家は特殊だったのである。否、言いようによっては、市原家が特殊でなくなったのである。


 陰陽師として最も有名とされる安部(あべの)清明(せいめい)が生きていた頃、世は妖怪だらけだった。そも、同年代で言えば、(みなもとの)頼光(よりみつ)やその四天王が妖怪退治をしていた時代でもある。そのころの陰陽師は今の裕音と同様、多くの戦いを行っていた。頼光を例に挙げるなら、有名な土蜘蛛や酒呑童子の退治があるが、それ以外にも数多の鬼や妖怪と戦っているのである。


 そう考えるならば、妖怪幻魔の減った今日(こんにち)に、市原家が普通の家に近づいているというのもおかしくない。逆に言えば、そんな戦う場の減ったはずの環境において、常に戦いに身を投じているような青葉家がおかしいのである。


 それは時代に流されないというのか、時代を逆光しているというのか、兎に角「世の理に逆らっている」とでもいえばいいのだろう。


「まあ、辰祓が源流で、ウチもさかのぼれば、この世界外から存在したことになるんでしょうけど」


 ボソリと呟く裕音。辰を祓う辰祓を元にした立原家。それを源流に置く、一を祓い無にすることを掲げた一祓を元にした市原家。


「それにしても、かったるいわねぇ……。正月休みくらい怠惰に暮らしたいものだわ」


「ユノ姉の場合は、基本的にぐうたらしてるでしょ……。仕事を振らなきゃ基本的に怠けるんだから……。ま、だから仕事来た時は大変になるんだけど」


 それは裕音の性分の様なものである。高校の頃は生徒会長として、様々な仕事が山の様にあったので、常に働いてはいたものの、高校3年生にしてミランダの仲間との戦闘やそのほかの様々を経て、結果として就職もしなかったために「基本ぐうたら」の部分だけが残ってしまったのである。


 実家の家業を継いだ華音たちの方が数段忙しい。裕音としては、仕事をしていたらしていたでキッチリやることはやるタイプになっていただろう。しかしながら、現在の立場において、定職に就くのは難しいのだ。今回の青森や四国の件の様に、緊急的にどこかへ行くことがあるからである。

 その点において、今の夫との婚約者でまともに働いているのは、華音と、一部では正妻との噂もある花月グループ令嬢と扱いが雑な天龍寺家当主妹とメイドくらいではないだろうか。もっとも、メイドに関しては、仕える相手が裕音の夫なので、給料が発生しないため稼いでいるとは言えない。


「あのねぇ、前もって仕事をこつこつやっておけば、っていうけど、ゴリラ妖怪退治なんてどうしろっつのよ。何ができるっつーのよ」


 そんな風に言う裕音。それに華音は呆れたように肩を竦めた。そして、ため息交じりに言うのだ。


「そんなギリギリで戦ってると、本当にヤバイ時に、死んじゃうよ?」


 その声は真剣だった。冗談でもなんでもなく、真剣に裕音を心配してのものだった。だからこそ、裕音は笑って答える。


「性分なのかしらね、ギリギリであればギリギリであるほど、この髪は赤みを増すし、ギリギリであればギリギリであるほど、この力も強くなる。だから、きっと大丈夫」


 そう笑う裕音のポケットに入っていた隊証が淡く光る。「遺伝、って嫌なものねぇ」と優しい女性の声が小さく聞こえた様な気がした。

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