109話:青葉騒動日記其ノ参・喫茶料理
超獣白猛巨兎は寒い地域に生息する巨大な兎型の獣である。子供で体長2メートルから3メートル程度、大人サイズだと大きなもので10メートルを超える。今までに確認された中で一番大きいものは50メートルを超えていたらしく、かなりの苦戦を強いられたという記録が残っている。超獣という通り、本来は単独撃破などができる存在ではない。
何と言っても、その最たる特徴と言えるのが、氷の魔法を使うことだ。それが超獣たらしめている所以と言っても過言ではない。魔法を使う魔物などは少なくないが、超獣白猛巨兎が使う氷の魔法は、その体躯から放たれることもあり、範囲が広く効果も絶大だ。元々極寒地に生息するだけあって、会うだけでも相応の防寒が必要だが、氷の魔法の前では、防寒など無意味と化す。
また、極寒地で防寒するということは、それ相応に着こまなくてはならない。よほど性能のいい魔法道具を使えば別だが、大体は着こむ必要がある。そうなると、動きを阻害する。巨躯を相手に、動きづらい状態だと潰されるか、魔法の餌食になるだけだろう。
倒し方としては、強力な火の魔法を用いるか、鈍器で突き飛ばすのがいいと一般的には言われている。ただし、高位の剣士となると、首を落としたり、急所を突いたりすることで倒す場合もある。
そして、その肉は、脚部などは脂身も少なく引き締まった肉で、腹部は脂身の多い肉と部位によって随分と変わるが、どの部分もおいしく、魔物食の中の定番の一つと言っても過言ではない。煉夜もたまにだが、狩ってきていたほどだ。
「ちょっと、煉夜もバラすの手伝いなさいよ。あたしだけでこんな血みどろ作業とか……」
ペルニーカが解体される様子を見ていた煉夜に、裕華がそう言った。この場において、解体をしているのは裕華だけだった。いくら料理の出来る九十九といえど、兎の解体などできるはずもなく、できるのは煉夜と裕華だけなのだが、
「そうは言ってもな、聖剣アストルティは家に置いてきたし、解体に仕えるようなものは持ってないんだよ」
そもそも散歩の途中に巻き込まれた騒動からそのまま稲荷家に一泊したために、煉夜は武器として持っているものは幻想武装くらいのものだった。兎の解体ごときに使っては流石に怒られる。
「別に包丁でも借りて、包丁に魔力通せばいいんじゃないの?」
かくいう裕華もそうして解体しているのだ。自前のナイフでは刃が小さすぎて、巨躯のペルニーカを解体するのは難しいのだ。
「いや、俺、魔力の調整が苦手なんだよ。アストルティ握ったら、毎回ピカッて光るだろ。そういうことだ。俺の魔力で包丁に込めたらそれこそ砕け散るっつーの」
煉夜はものに魔力を込めるということはある程度する。それこそ肉体に魔力を込めることもある。ただ、いかんせん適当というか、感覚だよりなのだ。戦闘経験が豊富なだけに、このくらい魔力を込めればいいか、という自身の目測で魔力を込めることが多い。込め慣れていないものに魔力を込めると壊す可能性が高いのだ。
「魔力制御は魔法にも大事でしょうに」
といったのは、裕華ではなく、ミランダだった。ミランダも《死古具》を持つ身で、ほとんど魔法使いとはやり合う機会はないが、稀に、異世界に連れていかれることもあるので、その際に魔法を見る機会は十分にあった。
「俺の場合は、魔力量がアホみたいにあるからな。適当にやってもある程度力技でどうにかなるんだよ。だからこそ、全属性使えるぜ、みたいなことになるんだし」
煉夜が様々な魔法を使えるのは、愛しい師による指導と憧れの魔女による特訓の賜物と言っても過言ではないはずだ。しかしながら、人には向き不向きがあり、魔法の特性もそれが出やすい部分だ。しかしながら、煉夜は、持ち前の魔力による力技でそれをカバーしてしまえている。
「正確に言えば、魔力が多いだけでは全属性使えるわけじゃないんだけどな」
そう呟いたのは雷司。そもそも、雷司の母である紫炎が使う無派という流派は特殊な毛色があり、その中の無派から別れた真・無派と呼ばれるものは、魔法じみたものを使う。また雷司の父が使う天冥神閻流の剣術にも魔法を使うものがある。だからこそ、魔力の量と使える属性というのもそこそこ知っていた。
「え、そうなのか?」
だが、煉夜はそんなことを漏らした。それもそうだろう。師にも魔女にも「魔力が高いから」の一言で説明を済まされてしまっているのだから。
「普通は、一点特化になるものだよ、煉夜。火なら火、水なら水。その適正にね。それこそ、炎魔火ノ音とかみたいな炎特化とかね」
炎魔という魔導五門の名前に煉夜はピクリと眉を動かした。風塵楓和菜という人物に会っているからだろう。
「なるほどな、じゃあ、俺は特殊なタイプってことになるのか?」
あまり実感はなかったが、普通ではないということだ。無論、珍しいというだけで、そこまで特別ではない。むしろ、今、例に挙げた超一点突破タイプの方が珍しさでいえば珍しい。普通は山のように得意なものとそれに近いものが使える。しかし、先の例の2人は、そのタイプの魔法しか使えないのだ。正確に言えば異なるが、雷司の言う普通というのは、例えば火が得意なら火が5割で残りが2.5ずつという形になるが、炎魔火ノ音は火が15、風塵楓和菜は風が10、雷が5と限界突破にも近い形になっている。
人の魔力というのは魂と同様、解明されていない部分が多い分野でもあり、一口に特殊と言っても煉夜の様なオールマイティタイプや烈火隊現二門のような真逆の性質の魔法を使えるタイプまで様々だ。
「あ~、疲れた、ったく、人が解体しているときに呑気に世間話何かしてんじゃないわよ」
包丁を片手に、裕華がそんなことを言う。気が付けばペルニーカは綺麗に解体されていた。煉夜達がしていたのが世間話であるか否かは別として、とりあえず、準備は整ったと言えよう。野菜が少ないのが問題だが、そのくらいは、向こうでどうにかなるだろうし、いざとなれば、鍋ではなくペルニーカの料理を別に作ればいいのだ。
「さて、と。あ、ちょっといいか、偶然にも子供のペルニーカが手に入ってな。解体したのを持っていくから、準備を頼む」
と、煉夜は沙友里に一報入れてから、一行は、煉夜がアルバイトしている喫茶店へと向かうのだった。
一行が喫茶店に着くまで、そう時間はかからなかった。途中で七雲が起きたが、外食だと聞いて喜んでいた。もっとも、外で食べはするものの、作るのは家庭料理みたいなものなので、かつ、料理屋でもなんでもないので外食の定義からしては外れるのだが。
「Close」と書かれた札がある扉を開けて一行は中に入る。カラン、カランとドアのベルが鳴り、来店を知らせる音が店に響く。
「よぉ、準備はどうなってる?」
店に入るなり、カウンターの向こうに居る沙友里に煉夜が声をかけた。ただの包丁を使って下準備をしていた沙友里は、顔をあげた。
「随分と多い客なのよさ。まあ、人数は聞いていたけれど。それにしても、白猛巨兎なんてどこで手に入れたのよさ。この世界で手に入る類のものではないでしょうに」
あっけらかんとそんな風に言う。「この世界で手にはいるものではない」という単語に八千代、九十九、月乃は訝し気に顔を歪める。七雲は話を聞いていない。
「偶然だ、偶然。あと、……」
言いながら視線で、訝しむ面々を示す煉夜。それで沙友里は、事情を知らない人がいることを察する。しかしながら、あんな兎が居る時点でどうしようもないと思うのだが。しかしながら、現実にフレミッシュジャイアントなど巨大な兎はいる。成体とするならば、白猛巨兎の幼体と同じくらいの大きさのものが居てもおかしくはないとも思えてしまうのが、半端に学のある九十九や月乃だった。なお、八千代の中では「もふもふだ」の一言で白猛巨兎の存在は完結している。
「ふぅん、まあ、いいのよさ。じゃあ、ちゃっちゃと調理に移るのよ。――生じよ、[料理機器]」
小さな宝石を取り出し、唱えると、沙友里の周囲にありとあらゆる調理道具が現れる。これが彼女の幻想武装である。
「うわ、何これ……」
思わず八千代が呟いた。それは突然調理器具が現れたことに対するものか、調理器具の多さに対するものか、調理器具の奇抜さに対するものか。
「おいおい、……って、あれ、マスターは?」
「父さんなら、初詣に行ってくるって。それと、まあ、いろいろね。親戚もわたしの件でいろいろ騒がしいから」
行方不明だった親戚が見つかったのだ。それも夏に見つかった。いくら何でも普通は予定が決まっている大の大人が急に会いに来るのは難しい。そうなると、次に休めるのは冬、それも正月になる。そうなれば、連絡などが来るのもこの時期が多いだろう。遠縁の親戚などには、これを機に年賀状で知らせることもあるだろうし。
「さてっと、久々に白猛巨兎の調理となると気合がはいるのよさ。あんたも手伝うのよさ!」
煉夜に声をかける沙友里。昔は、取ってきたものを調理する際にも煉夜が手伝いをしていた。理由は簡単で、せめて調理してやるから手伝いくらいしろ、という話である。
「へいへい。いつもの感じでいいんだろ?」
「いいのよさ。幸いにも、賞金首連中の人数からドッと増えてるわけじゃないから分量もそう変わらないのよ」
かつての日々を思い出しながら、煉夜と沙友里は喫茶店の簡易厨房で料理を始める。流石に本格的なものまではここで作れないが、ここで作れるものを作って、客に出している間に、家のキッチンで別のものを作る予定だった。
「ペルニーター取って」
沙友里が煉夜に言う。ペルニーターとはその名前の通り、ペルニーカの専用調理器具だ。正確には、ペルニーカの脚部専用の調理器具。筋肉質で脂身の少ないペルニーカの脚部は、筋があり、それを叩いてほぐし、切らないと柔らかくならないのだ。そのための器具がペルニーター。
「ほいよ。あ、そっちの紫曜石の包丁貸してくれ。普通の包丁だと脂身が切りづらい」
そんな風に調理していく様子を、残りの面々が半ば呆然として見ていた。普段の煉夜を考えると、真面目に料理するようには思えないのだろう。雷司や月乃も料理をするという話は前々から聞いていたが、てっきり「THE男飯」的な肉の塊を焼いて食うみたいなイメージだったのだ。




