106話:プロローグ
市原家の広間、そこにいる面々に市原家次期当主と名高い市原裕華はため息を吐くほかなかった。市原家現当主の市原裕太は
そこにはおらず、市原結衣の姿もない。裕太の息子の市原結太も今日は控えている。広間の上座に座っているのは、裕華の父である。まあ、家主もいないので、この中で言えば順当な座り位置だろう。そして、裕華は、そんな父から他へと目を移していく。
広間に居る中でもとても目立つ髪色に、裕華は自然と目が引かれていた。いまどき大阪のおばちゃんですら見ることのない桃色の髪。まさにドピンク。瞳は薄桃色で、どう考えても普通とは言い難い容姿である。そんな普通じゃない見た目の彼女は青葉裕音といい、裕華の母、華音の姉である。つまり、裕華の伯母にあたるのだが、彼女もまた、裕華の父の婚約者の一人である。ややこしいことこの上ないが、裕華にとっては、裕音はあくまで伯母であると結論付けた。
その横には裕華と同様にため息を吐きたそうにしている青年と、まるで我が家のごとくくつろいでいる女性がいた。女性はしきりに庭を見ては「変わった」だの「変わってない」だの言っているので市原家に縁がある女性なのだろうと裕華は思った。
青年は、青葉裕司といい、「黒天白者」と呼ばれている。一方、女性は無ノ淵小豆という。本来、市原家とは縁もゆかりもない女性なのだが、特殊な事情がある。
裕華の父の婚約者は、この場に他にもいる。他の母たちに比べるとやや年下に見える女性が裕音たちの対面に座っていた。事実、裕音や裕華の父よりも年下なのだが、差は1歳か2歳である。彼女は青葉律姫といい、旧姓は冥院寺である。あの帝矛弥の主である。相田きいを護衛するように矛弥に命じたのも彼女である。
その横には白いシルクの手袋で腕を覆っている女性と、活発そうな青年が座っている。女性の方は青葉姫聖といい「偽王の虚殿」と【殲滅】を受け継いだ異能者である。青年は青葉静姫といい剣の才を持つ異能者である。どうやら彼女達に連れはいない。
そして、この場にはもう1人、裕華の父の婚約者がいる。一見おとなしそうな女性だが、裕華はその奥にある武道の血を感じた。彼女は青葉紫炎。古流武術の名門、明津灘家の失われた流派を極めた女性だ。
その横にいる青年は、青葉雷司であり、その近くには、その妹の青葉紫風と青葉紫水がくつろいでおり、さらに、雷司の連れとして九鬼月乃がいる。
これに裕華の母親である市原華音を加えたのが広間に居る「青葉家」の「司中八家」関係者である。その言葉の通りに、司中八家外にも裕華の父の婚約者はたくさんいるのだ。両手に花どころではない。
「何だ、姫聖は風音君を呼ばなかったのか?」
集まった面々を見ながら、裕華の父はそんな風に意外そうな顔で言った。それに対して彼女はため息を吐きながら言う。
「先輩は先輩でやることがあるんですよ。私のお願いでそれを妨げるわけにはいきませんよ。私も私でやらないといけないことがあるのに……」
裕華は、その風音君という人物を知らないが、どうにも姫聖の大切な人物であることは間違いないようだった。裕華はなぜか煉夜を思い出す。この広間で同じく煉夜のことを思っている人物が居た。九鬼月乃である。
「おい、月乃、煉夜が気になるのは分かるが、そわそわしすぎだ。話が終わったら外に探しに行っていいからひとまず落ち着け」
月乃に雷司がそう声をかける。その言葉に、裕華が反応する。最近まで英国に共に居たので耳に馴染んだ名前だったのかも知れない。
「あ~、煉夜なら、今、厄介ごとに首を突っ込んでるからあるのは解決してからの方がいいわよ」
裕華と煉夜が共通でやっているアプリケーションのコメント欄に「女体化なう」という何とも言い難い文面があり、裕華は苦笑していたのだ。何をやっているのかと呆れ顔をした。
「……貴方、煉夜の知り合いなの?」
月乃のやや対抗心を見せる顔に、裕華はため息を吐きそうになるが、何とか抑え、雷司の方を見ながら言う。
「ええ、そこの彼のお母さんが、何かあったらウチに来るように言ったから、律儀に挨拶にきたのよ、その時にね。まあ、この間の英国でも……って、あ!父さん、英国の剣、資料にまとめといたから後で目を通しといて!」
月乃と話している途中で、先日の父から受けた依頼をきちんと終わらせたことを伝えていなかったことを思い出して思わず声をかける。
「ん、ああ、さっき通し終わった。雪白煉夜君に手伝ってもらったんだろ?彼にもいつか会いたいんだがな……。まあ、今は会いはしないが、彼に関してもいろいろ今、立て込んでいるはずだしな」
まるで、煉夜の現状を知っているかのような父の物言いに、裕華が眉根を寄せた。本人が言うように、知己が無いはずなのに、なぜ現状を知っているのかが全く持って謎なのだ。
「灰猛魂猿っていう魔物がな……、今からだいぶ昔に秋世のばあちゃんが封印したらしいんだが、その封印が一年くらい前に切れたらしくて。まあ、魂を入れ替えて、より強力な者の肉体を手に入れようとするらしくて、雪白君もそれに巻き込まれているんだよ」
まるで見ているかのような物言いに、雷司が微妙な顔をしていたが、父の「魂を入れ替える」という話を聞いて、裕華は「女体化なう」の意味が分かった。
「なるほどね、それで女体化ね。まあ、あいつの場合は肉体由来の力よりも、魂由来の力の方が多いから、体が入れ替わったところであまり支障はないでしょうけど」
裕華は煉夜の力を間近で見ていたし、父からの情報である程度のことは分かっていたから、煉夜の力の源が何であるかを把握していた。
「まあ、この辺の話は姉さんが持ってきたらしいんだけど、正直に言えば、俺も姉さんが今どこで何をしているかが全くつかめてないからな……。とりあえず、魂の専門家ってことでギリシャから助っ人を招集しておいたから、丁度来る頃合いだろう。……いや、ミランダのことだから迷っている可能性がないでもないが」
ミランダ・ヘンミーと裕華の父が出会ったときも、ミランダは迷子であった。そんなことを思い出しながら、ため息を吐いた。裕華の父の姉、つまり伯母なのだが、たまにふらっと現れては消える謎の人物であった。裕華ですらまともに話したことがなく、雷司もあまりない。この場に居る子供たちとその連れの中で、その伯母をよく知っているのは小豆であろう。
「いやぁ~すっかり、仕切り屋が定着してはるなぁ、お義父さん」
当の小豆は、いろいろと話をする裕華の父を見てそんなことを漏らした。その物言いに、彼はゾッとして、酷く物を言いた気な顔をしていた。
「おい亞月、お前にそう言われると、激しく死にたくなるから辞めろ。前から言ってるだろ、裕司と結婚するとかしないとか、その辺は当人の問題だから勝手にすりゃいいけど、『お義父さん』とかそんな風に呼ぶなよ。終いにゃぶん殴るぞ!」
語調の粗い父は珍しいのか、裕音と小豆と裕司を除く、その場の面々が静かになる。「ぶん殴る」など女に対して言っていい言葉ではないし、普段の彼も決してそんなことを言うことはないのだが、小豆だけは別であった。
「お、ヤルんか?来んなら来ぃや!」
そして言われている側の小豆も、特に気にした様子はなく、むしろ喧嘩上等とも言える姿勢だった。その様子は、まるで兄弟か幼馴染のような、そんな年頃の近い相手に見せる様子の様でもあった。
「こぉら、二人とも、静かにしなさい。もう、貴方は昔から妙なところで妙な突っ張り方をするんだから……。亜っくんもそうよ。ったく、落ち着きの無い弟が二人いるみたいな気分だわ」
喧嘩でもするのではという様子の二人を止めたのは裕音だった。裕音の方が、夫よりも年上だった。もっとも、この夫の場合はいろいろ複雑なのだが。
「先輩、相変わらずですよね……。まあ、そういう先輩も子供っぽくて好きですけど」
そんな様子を見て、律姫がそんな風に呟くのだった。その様子を見ていた姫聖は、呆れかえっているし、静姫も見慣れたもので気にしていない。
「まあ、昔と変わらないことがいいこととは限らないけどね。ホントに……」
華音は、ぐぐぐと拳を握りしめて「また揉まれた」と歯をかみしめていた。裕華は呆れるように母を見て、父を見てもっと呆れた。
「ったく、煉夜は相変わらず忙しそうだし、父さんは相変わらずこんなだし、いつも通りと言えばいつも通りだが、いろいろアレだな……」
雷司が嘆くようにつぶやいた。煉夜が忙しいということに関しては、雷司は半ば予想していた。あの雪白煉夜が、住む場所が変わった程度で、厄介ごとに首を突っ込まないわけがないのだから。
「よし、決めた!久々の京都やし、うち、裕司連れて、ちょい京都観光してくるわ。うちの居た頃とどんくらい変わってるかも気になるし」
小豆がそう言って、木刀片手に、もう片方の手で裕司の襟首をつかみ、立ち上がる。全く準備の出来ていなかった裕司はいきなりのことに首が絞まりそうになっていた。
「ぐえっ、な、なにすんじゃ。てか、京都観光とか聞いてな……」
逃げようと暴れる裕司をものともせず、小豆はそのまま引っ張っていく。部屋では裕司の「俺はゆっくりしたい」や「休みたいんだぁー!」という声がどんどん遠くなっていくのが聞こえていた。
こんなグダグダな青葉家の騒動の話である。




