101話:白原真鈴失踪事件解決編其ノ弐
一旦落ち着くということで、全員、校長室の応接用スペースの椅子に腰を掛けていた。場にいるのは5人で、席は4席であったが、こけしは机の上に置かれるため、問題がなかった。そうして、乃々美が応接用の紅茶を皆に配り、一息ついたところで、乃々美から話を始める。
「まず、誰もが気になっている白原さんのことは後にしましょう。まず、居長さん、貴方のことを教えてくれないかしら。一応、病院の診断では心意性の麻痺で、陰陽師の診断だと、魂の損壊によって二度と下半身を動かすことが出来ない、って話だったと思うんだけれど、違ったということなのかしら」
そう、本来、ここに居長孝佳という人物が自分の意思で、自分の足で訪れるなどということはあり得ないのである。例え松葉杖を突いていようとも。自走用の車いすという手立てもあることにはあるが、街なかを車いすで一人で移動するというのは非常に難しい。ましてや、山奥にあるこの高校に来るのは無理だろう。
「はい、確かに、そう診断されていましたし、それが事実だったのだと思います。でも、不思議な体験をしたんです」
そう孝佳は言った。不思議な体験、と彼女が前置くほどの体験は一体どのようなものなのか、と真鈴以外が孝佳に注目した。
「まず、稲荷先輩、今一度、魂がどうなっているか、見てもらえませんか?」
そう言われ、九十九は、微妙な顔をする。魂を修復することができないのだから、以前と変わらないに決まっているのだ。常識的に……陰陽師界の常識的に考えて、絶対と断言できた。だから、九十九は乗り気ではないのだ。しかし、孝佳の身に起きた謎を解明するために必要なら、と九十九は前に見た時と同様に、霊力を纏わせ、孝佳を診る。
――そして、驚愕した。
「嘘、治ってる……?!そんなはずは……?!」
常識が覆った。本来あり得るはずのない処置が行われていたのである。何度見ても、何度確認しても孝佳の魂は普通の人間と変わらない状態に戻っていたのだ。
「はい、戻っているんです。今年、じゃない、もう去年でしたね。去年の11月のことでした。魂を元に戻してもらったんです」
そんなバカげたことがあるわけがない、と普通の陰陽師は言うだろう。しかし、九十九はサルティバの恩恵があるし、魂を治癒するという特殊な力を持つ者がいてもおかしくはないと思っていた。ただし、それは人ではない何かである、と。
そして、孝佳は語り出す。去年の11月にあった、不思議な出会いと、それによる不思議な出来事について。
孝佳が入院してからだいぶ経つものの、長い間、部屋にはひとりだった。元々、二人部屋なのだが、一人で占拠しているので少々罪悪感があったのだが、孝佳に対して支払われている治療費が治療費だけに、待遇がいい方だったのだ。よほど他が満室で、入院が必要な急病人が運ばれてこない限り、一人部屋だっただろう。
何の運命のか、その部屋に、入院患者がやってきた。そのあわただしさに、孝佳は眠れなかったのでよく覚えている。そして、相手の見た目が特徴的だったのも余計、記憶に残させたに違いない。
薄い褐色の肌に、燃えるような赤い髪をした女性だった。日本人離れしたその見た目に、孝佳は、酷く美しいと思ってしまった。まるでその美しさに虜にされるように、見入ってしまった。
しかし、彼女は目を覚まさなかった。当初は何度か警察等が来ていたようで、扉の外で看護師と問答している様子が見られて、その声に孝佳は怒りを隠せなかったほどだ。
しばらくすると、その客に、見舞客が現れるようになった。幼い少女の様で、日本人らしい見た目の彼女は、とても、眠ったままの女性と血縁関係にあるようには見えない。そんな2人の様子を見ているうちに、幾日かの日が過ぎて行った。
そんなある日のことだ。夜、誰もが寝静まった、そんな時間に、ふと目を覚ました孝佳は、眠り姫と目が合った。ついに意識を取り戻したのか、と孝佳が思っていると、眠り姫はその美しい唇を開き、言葉を紡ぐ。
「貴方、魂が食い破られているのね。冥府の狗にでも食われたのかしら?」
そんな風に言って笑う女性に、孝佳はなぜだが、とても信頼を抱いた。そして、自分に合ったこと、その診断結果を女性に伝えた。
「なるほどね、呪いの鏡か。そういうのは、魂が回収できなから嫌いなのよね。全く。さて、それじゃあ、少しいいかしら、魂を戻すわ。これをしたら、しばらく目を覚まさないでしょうけど、次に目が覚めた時、貴方の魂は元通りよ」
そう言って、女性が何かを呟いた瞬間、孝佳の意識は遠のいた。あまりにも一瞬で、何が起きたのかは分からなかったけれど、孝佳は元に戻ったのだ。
そうして、次に目を覚ました時には、女性はいなくなっていた。行方不明ということだったが、そのうち、謎の黒服たちがやってきて、荷物も何もかも跡形もなく持って行ってしまったのだ。
孝佳は、その後、順調な回復を見せたものの、使っていなかった下半身の筋肉が元通りになるわけもなく、リハビリ生活を余儀なくされ、11月下旬から12月中を使ってずっとリハビリをしていたのだった。
こうして今に至る。その女性が何者だったのかはすべてが謎で、何も分からなかった不思議な体験だ、と孝佳は語った。
しかしながら、真鈴は知っていた。その人物がどこの誰で、どうしてそのようになったのかを。その一切合切を知っていたのだ。
「その女性は、一体、何者なんだろう。少し、ウチの力を使って調べてみようか」
魂を操れるともなれば、ぜひとも押さえておきたい人物であるため、家の力を使おうと大丈夫だろう。しかしながら、それを真鈴が止める。
「やめとけ、日本政府が関わってるし、英国王室も関わってる。変に勘ぐると、目を付けらるぞ」
そんな忠告。目を付けられるとは、一般的な意味も、そして物理的な意味もだろう。式で監視という目が付けられる。
「煉夜君は、知っているんだね。まったく、八千代は厄介な人に目を付けたものだよ」
肩をすくめる九十九。もっとも、その心中では目を付けたのは八千代だけではなく、自分もか、と自嘲していた。
「英国の国籍を取得した元日本人、ユキファナ・エンド。それがそいつの名前だ。11月ってのも、丁度、あいつが、風塵家でやり合った時期と合致するしな。まあ、死神だから魂を操れて当然だろうさ」
真鈴が、孝佳の魂から感じた見知った魔力は、ユキファナのものだった。なので、その時点で、おおよそ、そう言った状況だったのだろうという予測は立てることが出来た。
「死神とはまた面妖な……、陰陽師の私が言うのもなんだけど、常識的に考えるとありえないと思っちゃうよね」
九十九は苦笑した。真鈴が言うから信じていることだが、別の誰かから聞いた話なら笑い飛ばしていたかもしれない。
「まあ、非常識な面で言えば、俺も大概だしな。ハゲ……稲荷一休も相当な非常識だ。そういった意味では、本当に人のことは言えねぇな。お前のサルティバの恩恵も普通かどうか、って点で言えば普通じゃないし」
ある意味、煉夜達の一つ前の世代が型通りの陰陽師だっただけに、余計にその前の世代や今の世代がおかしいように感じられる。まあ、その中にも例外は居たのだが、主に例外とされる者たちは他家に嫁いでしまったというのも大きな原因である。
「えっと、稲荷先輩って普通の陰陽師じゃないってことですか?よくわからないですけど」
話についていけないこけしは、なんとなく断片で分かったことを問いかける。それに対して、孝佳が苦笑しながら割って入って言う。
「よくわかってるわけじゃないけど、つまり、この魂を直した人は死神で、稲荷先輩も、今真鈴の中に入っている人もそれと同じくらい非常識な存在ってことですよね」
孝佳の理解力にこけしが「おお~」と声を上げていた。一方、乃々美は、いろいろと考えていた。
「確か、雪白煉夜、と名乗っていたと思うのだけれど、【日舞】の雪白家の人ということでいいのよね。でも、噂すらも聞こえてきていないからそんなに有名ではないはず。非常識というには自意識過剰というか、自画自賛が強いのじゃないかしら」
乃々美はそれなりに司中八家や裏の事情にも通じている。だからこそ、怪しげなグッズを集めている趣味を持つのだが、そちらに詳しいということは、そちら側の情報も手に入るということだ。九十九などは前々から噂に聞いていた。それこそ、高校に入る前から知っていたほどだ。しかし、「雪白煉夜」などという名前を乃々美は初めて聞いた。
その乃々美の反応に対して、反応を示したのは真鈴ではなく九十九だった。九十九は苦笑しながら乃々美に言う。
「自画自賛なんかじゃないですよ。実力で言えば、今の司中八家で彼に並べるのは武田信姫さんぐらい、それも一緒の戦場で肩を並べても大丈夫というレベルの話で、彼の本気は未知数。おそらく、噂の青葉の御方にも届くと私は思っています」
かつて、稲荷家で対面したときは、九十九も「雪白煉夜」という存在に負けるはずがないと思っていた。だが、改めて、その規格外を噂として聞いていた。特に、武田信姫。彼女の発言が九十九に強い影響を与えた。
「それに、彼はさっき真鈴に使ったように、魔法使いでもあります。陰陽師として規格外でありながら、魔法すらも簡単に放つんですよ。これが普通だと思いますか?」
サルティバの恩恵である程度、魔法が使えるのではないかという予測を立てていた九十九は、実際に使用したところを目の当たりにして、確信を持った。なお、真鈴が気軽に魔法を使ったのは、身体が入れ替わった所為で、監視が無くなっていたからなので、別にうかつに使ったつもりはなかった。
「信姫なら、本気を出さない俺に対してなら、十分勝てるさ。それに、おふてんちゃんなら十分に信姫とやり合えるどころか、信姫より強いしな。案外、この辺は強い奴が多いさ」
この場にいる誰もが「おふてんちゃん」という謎の人物について誰か分かっていなかったが、九十九が評価した人物以上の人物がいるということがわかった。九十九も小柴とは面識があるが、「おふてんちゃん」などという奇怪ななあだ名で呼ばれてしまえば分かるものも分からないのは道理というものだった。
「ま、そんな意味のねぇ強さの話なんかよりも、明確にしとかなくちゃならない話があるだろ。ほら、白原真鈴。お前がこけしになっちまった日に何があったのか、それを語ってもらおうぜ」




