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うろな町の不思議な人々  作者: 稲葉孝太郎
第1章 コンビニデザート盗難事件
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第7話 万引きの条件

 バットの快音。沸き立つ歓声。店主のそばに置いてあるラジオから、アナウンサーの絶叫が響き渡る。

 野球中継のオーバーリアクションを聞きながら、池守は手帳の記録を眺めていた。食べ終えたラーメンは、既に油を浮かべて冷えきっている。昼休みは残り30分。箸を動かす間にこねくりまわした考えを、順番に整理している最中だった。

 その隣で姿勢を正し、黙って正面を向いているのは、昨日紹介されたばかりの高校生、吉美津いづなだった。少年の異様な落ち着きを前にして、池守は彼の年齢に若干の疑いを抱いてしまう。まるで老人のようだ。

 そんなことを思いながら、池守は唇を動かした。

「吉美津くん……だったかな?」

 名前を呼ばれ、少年はにわかに首を45度捻った。

「はい」

「君は、今回の事件についてどう思う?」

 刑事が高校生に助言を求める。おかしな光景だが、池守は敢えて恥を忍んだ。ひとつには捜査が息詰まりかけていることもあったが、それ以上に、吉美津は遠坂から預けられた助っ人なのだ。ならば、大いに利用させてもらおう。それが、池守のポリシーである。

 池守が見守る中、吉美津はその薄い唇を開いた。

「まだ、何も言えないかと……」

 曖昧な物言い。池守は、少し踏み込んでみる。

「それは、何もアイデアがないという意味かな?」

 失礼な言い方だが、これくらい挑発した方がいいだろうと、池守は計算した。

 しかし、それでも吉美津は物腰を崩さず、冷静に対処してくる。

「いえ……まだ何かを断言するのは、時期尚早ということです……」

 池守は手帳を閉じ、それを胸ポケットに放り込んだ。

「……そうかもしれないね」

 コップの水を飲み干すと、刑事は攻守を交代する。

「じゃあ、俺がここまでの結論を話す。何か間違っている点、あるいは思いついた点があったら、遠慮なく指摘してくれないか?」

 池守の提案に、吉美津は静かに頷き返す。

 それを見た池守は呼吸を整え、自説を披露し始めた。

「事件の鍵になるのは、いつゼリーが消えたか、これに尽きると言っていいはずだ。ゼリーを店内に並べたのは白川というアルバイトの男で、それを同時刻に確認したのは、早見。彼女から話を聞いたのは君たちの方だから、俺には伝聞でしか内容が分からない。そもそもどうやって聞き出したのかもよく分からないんだが……まあ、それはいいとしよう……」

 息を継いだ池守は、横から少年の視線を感じる。

 なぜこの歳になって年下にどぎまぎしなければならないのか、池守は内心首を捻った。

 だがもう時間がない。池守は先を続けた。

「君たちの話によれば、早見は白川がゼリーを並べるシーンを見ていない。ただ、そばを通りかかったとき、棚に不審な点はなかったと言っている。そういう理解でいいんだね?」

 池守の質問に、吉美津は曖昧に頷き返す。

 少し不安を覚える池守だったが、時間に押されてその気持ちを押さえ込んだ。

「となると、だ。白川と早見が共謀して葦原をハメたのでない限り、ゼリーはそこにあったことになる。しかも、その後は霧島が雑務をこなし、2人が棚に近付いた形跡はない。もしここで棚に不審な点があれば、やはり霧島が気付くだろう。すると、3人が口裏を合わせていない限り、白川と早見が帰る7時までは、犯行時刻から除外していいはずなんだ。そうだろう?」

 そう尋ねた池守に、吉美津は別の質問で返した。

「3人が口裏を合わせている可能性はないとお考えなのですね?」

 池守は一瞬口を噤んだ後、伸びかけた無精髭に手をあてた。

「……ないと思うな」

「なぜです?」

「昨日の夜、話をした限りでは、霧島はそういうタイプには見えなかったんだよ」

 突っ込まれるかと思ったが、意外にも吉美津は沈黙を守った。

 池守は安心し、先を続ける。

「さらに霧島の話では、8時半までは異常はなかったという。そうなると、犯行時刻は8時半から10時の間に絞られるわけだ。この90分のどこかでゼリーは消えた、そう考えていい。そして、一番怪しいのは……」

「葦原くんがレジで一人きりになった時間帯……ということですね……」

 吉美津の補足に、池守は軽く首を縦に振った。

「だが葦原は犯人じゃない……俺はそれだけは信じている……。そこで、俺は一晩考えたんだが……」

 池守は微妙に体を動かし、空っぽのグラスを半ば宙に上げかけた。その無意味な動作は、投資した時間と得られた結論が、明らかに不均衡であることを匂わせている。

 吉美津は、黙って池守の言葉を待った。

「……結局、出発点が間違っていたんじゃないだろうか?」

「……万引きではない、という仮説ですね?」

 少年の理解の早さに、池守は少しばかり戸惑った。自分の心を見透かされたようで、気味が悪くなったのだ。

「ああ……そういうことだ……。そもそも、俺たちが万引き犯でないと認定したのは、大量の商品を持ち出せないと考えたからだろう……。確かに、4時から8時半までの間は、複数の眼が店内に光っていた。だがそれ以降は、葦原が一人きりだった時間帯があるんだ。彼がゼリーの棚を常時監視していたとは思えない……だとすれば……」

 池守は、この推論に強い確信を持っていた。証拠はないが、店長の自作自演を疑うよりはよほどありえそうに思われる。コンビニで商品が盗まれたとなれば、それは万引きと相場が決まっているのだ。

 そう考えた池守に、吉美津が口を挟む。

「お言葉ですが、その推論、少しお待ちいただきとうございます」

 少年の妙な言葉遣いを訝しがりつつ、池守は耳を傾けた。

「少々心理的な側面から考察してみましょう……。万引きというのは、大雑把に言えば2つの動機から生じます。ひとつは生活苦で、食事に困った老人などが、しばしばスーパーで食料品を万引きするのがそれです。もうひとつは、全く金銭とは関係のない、スリルを求めた犯行です。恵まれた中高生が軽い万引きに走るのが、この場合に当たります。いずれの類型も、甘味の大量失踪にはそぐわないかと……」

 少年の犯罪講義に、池守は首肯せざるをえなかった。事実、中高年の万引きの大半は、食糧の調達、あるいはアルコールなどの嗜好品の入手が目的である。他方で青少年の万引きに限定してみると、その対象は極めて些細なもの、例えばガムなどであり、大規模な窃盗にまで発展するケースは稀だった。

「しかし……だとするとどうなる……?」

 池守は、人差し指でコップの縁をなぞった。彼の推理は、暗礁に乗り上げている。

 そこへ、吉美津が言葉を掛けた。

「池守さん……ひとつよろしいでしょうか……」

 ああ何でも言ってくれと、池守はそんな表情で少年を見つめ返す。

「今回の事件、犯行の手口ではなく動機から入った方がよいのかもしれません。ゼリーを20個近く盗む動機を考えれば、自ずと可能性は見えてくるかと……」

 吉美津の韜晦じみた言い回しに、池守は眉をしかめた。

「どういう可能性だ?」

「犯人は、事件をわざと発覚させたかったのではないでしょうか?」

「わざと……発覚させる……?」

 長年刑事を努めている池守にとって、これは盲点だった。自分から犯行を明らかにさせたがる犯罪者など、普通は存在しないのだ。

 もし例外があるとすれば、池守にはひとつしか思い浮かばない。

「愉快犯か……?」

「……そうかもしれません」

 他の可能性がまだあるのだろうか。少年の返事に、池守はさらに言葉を継ごうとした。

 そのタイミングに合わせて、ポケットの携帯が鳴る。休み時間の終了を知らせるタイマーだ。

 池守は舌打ちすると、渋々席を立った。

「吉美津くん、いろいろと参考になったよ。ここは俺がおごるから、今日はここで」

「いえ……別におごっていただかなくてもよいのですが……」

「高校生に捜査を付き合わせて、はいさよならじゃ体裁が悪いだろ?」

 そう言ってニヤリと笑う池守に、吉美津は無表情にお礼を返す。

「どうも……ありがとうございます……」

「それはこっちの台詞さ。じゃあ、遠坂によろしく。近日中に会おう」

 2人の推理劇は、一旦そこで幕を閉じた。

 会計を済ませて店を出る池守を見送った吉美津は、しばらくその場に腰を落ち着け、先ほどの刑事の推論をもう一度追っていた。

 数分したところで、店の入口が開き、吉美津は後ろを振り返る。

 敷居の向こう側には、背丈の低い少女が立っていた。入江である。

 新聞から顔を上げた店主が、子供と見紛う来客に眼を見張った。そんな店主の反応を無視して、入江はゆっくりと吉美津のそばに歩み寄ると、その唇を動かす。

「そちらはどうでしたか?」

「五里霧中ですね……犯人の目星がつきません……」

「店長ではないのですか?」

 店長という言葉に、カウンター奥の店主がぎょろりと目玉を動かした。

 この場は不味い。そう考えた吉美津は、その重い腰を上げる。

「外へ出ましょう。話は、その後で……」

 暖簾をくぐった2人は、炎天下のアスファルトへ靴底を乗せた。汗を掻きながら右へ左へと通り過ぎる人々とは対照的に、吉美津も入江も涼し気な顔をしている。そして、そのままうろな駅の方向へと歩き始めた。

「歩くのは疲れます」

 入江が、無感動にそう言ってのけた。

「白昼堂々アレを使うのは、人目につきますので……」

 そう答えた吉美津の横で、ふと入江が顔を上げる。傍目から見れば、兄妹のような身長差だ。吉美津は視線を落とすと、作り物のような少女の眼が光る。

「いづなくん、今夜決行しましょう」

「今夜ですか? また急な……」

「遠坂先生も、そう言っていました」

 恋は盲目。そんな格言を思い出しつつ、吉美津は抵抗を止めた。

「分かりました……集合場所は?」

「いつもの空き地です。うろな町までは、私が運びます」

 吉美津が頷き、そこで会話は終わった。

 2人はだらだらと大通りを歩き、うろな駅へと向かって行った。

 

 ◇

  ◇

   ◇

   

 閉じた瞼の裏に光る、眩いライト。

 男が意識を取戻したとき、そこは見知らぬ建物の中だった。全く影のない、白とも銀ともつかぬ壁に囲まれ、男はベッドの上に寝かされている。

「何だここは……?」

 辛うじて動く舌を使い、男はそう呟いた。

 しかし、答える者はいない。

 男は、自分の身に何が起こったのかを思い出そうとした。まだはっきりとしない頭を振り絞ってみると、自分が経営するコンビニを出て、自宅へ戻ろうとしたとき、ふと空が明るくなった記憶が蘇る。

 確か夜だった。その後の出来事を、男は思い出すことができない。

 男はもう一度室内を見回す。ドアが見当たらない。見えない方向にあるのだろうか。そう考えて首を捻ろうとした瞬間、切れ目のなかった壁に黒い空間が現れ、人影が揺らめく。

「起きたようです」

 子供の声。女の子だろうか。男は限界まで顎を引き、正面に目を凝らした。

 男の予想通り、小柄な少女が視界に映る。ただその隣には、さらに2人の人間が立っていた。1人は大人の女性、1人は高校生くらいの美少年。

 いずれにせよ助かった。そう信じた男を無視して、3人は相談を始める。

「どうしますか? 記憶を直接トレースしますか?」

 意味の分からない台詞。それは、少女のものだ。

 話し掛けられたのは、隣に立っている大人の女性らしい。女性は身長差に苦労しながら視線を落とし、少女と目を合わせる。

「どのくらい時間がかかるの?」

「抽出に3時間、コーディングに3時間というところでしょうか。さらに、7月23日の重要な点だけを編集する必要があります」

「……時間がかかり過ぎるわね。例のやつでお願い」

「分かりました」

 男は、目の前の会話を全く理解しなかった。ただ、少女が女の指示に軽く頷き、こちらへやってくるのだけが見える。

「お嬢ちゃん、助けてくれ。動けないんだ」

 男はそう言って身を捩った。手足どころか胴体も言うことを聞いてくれない。何かで拘束されているようには思われないのだが、神経が麻痺してしまったかのようだ。

 少女は男の懇願を無視して、彼の眼を覗き込んできた。能面のような顔が、男の視界を覆う。男は少女の冷たい瞳に囚われ、それを見つめ返した。

「……!」

 男の意識が飛んだ。首の緊張を解き、後頭部を硬い台に打ち付ける。

 男は痛がりもせず、ぼーッとした目付きで、天井を見上げていた。

「遠坂先生、準備完了です。10分以内でお願いします」

 少女が後ろに下がり、代わりに女が男のそばに立つ。そして、すぐに口を開いた。

「あなたが大通り前コンビニの店長ね?」

「……そうだ」

「葦原瑞穂というアルバイトを首にしたのもあなたね?」

 遠坂の声は、少しばかり怒りを含んでいた。

 しかし、一切の感情を失った男は、黙って頷くばかりだ。

 女は、質問を継ぐ。

「彼を首にした理由は?」

「店内の商品を……盗んだからだ……」

「証拠は?」

「状況からして……彼としか……考えられない……」

 男が口を噤み、遠坂も怪訝そうに若干視線を逸らした。自分の考えが的を射ていなかったときの戸惑いを垣間見せている。

 女は、犯人を追い詰めるように、さらに質問を放つ。

「それは、あなたの自作自演じゃないの?」

「……違う」

 男の返答に、遠坂は軽く眼を見開いた。

 しばらく沈黙を続け、2、3歩その場を右往左往する。

 視界の外側から、若い男の囁き声が聞こえてきた。先ほどの少年のものだろうが、男にはそれを考える力もない。

 女は虎のような徘徊を止め、再び男の頭上に視線を落とした。

「あなたがゼリーの紛失に気付いた経緯を教えてちょうだい」

 女の質問に、男はすぐには答えなかった。その理由を了解しているのか、遠坂は急かすこともなくその場に佇んでいる。

 1分ほど経過したところで、男は唇を動かした。

「夜の10時に……私はいつも……店の売上を精算する……。まずはレジの金をチェックして……それを売上伝票と……照らし合わせる……のだ……」

「そのとき、3000円ほど合わないことに気付いたのね?」

「……違う」

 男の返答に、遠坂は眉をしかめた。

「違う? どういうこと?」

「レジの金は……あった……。レジから……金が盗まれたのでは……ない」

 男の説明に、遠坂は納得したらしい。話を戻すため、もう一度声をかける。

「じゃあ、どの時点で気付いたの?」

「在庫を……確認したとき……」

「在庫の確認はどうやって?」

 男は再び沈黙する。じれったそうに待つ女の前で、男は記憶の整理を進めた。

「棚の商品を……バーコードで……管理する……」

「もう少し詳しく説明してちょうだい」

「数の減った商品から……順番に……リーダーで……読み取る……。それによって……品出しと売上と……在庫の数を比較し……差をチェックする……のだ……。もともとは……万引き被害の……管理システム……全てコンピューターで……処理されている……。だから最初に……被害額が判明……した……」

 遠坂は顎に手をあて、直立不動の姿勢を取った。

 そして、おもむろに話をまとめ始める。

「……つまりこういうことね。あなたはまず、レジのお金と売上をチェックし、両者には誤差がないことを確認した。それから、棚の商品をバーコードリーダーで読み取っていき、仕入れた数−買われた数=在庫の数になっているかどうかを調べた。そのとき、在庫の数が予想より遥かに少ないことに気付いたのね?」

 長々とした遠坂の説明を聞き終え、男は数秒視線を泳がせた後、静かに頷き返した。

「でも、それならなぜ店員を疑ったの? あなたの話では、これは万引きチェック用のシステムなんでしょう?」

 女の口調は、問いつめているというよりも、何かを確認したがっているようだった。

 男はすぐに答えを返す。

「ゼリー24個は……多過ぎる……」

 やはりそうか。そんな表情を浮かべて、女は質問を打ち切った。

「そろそろ10分ね。目が覚めるとまずいんじゃない?」

 遠坂が、誰かにそう尋ねた。

「では、もう一度眠らせましょう」

 姿は見えないが、先ほどの少女の声だ。

 その瞬間、男の視界は完全に暗転した。

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