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うろな町の不思議な人々  作者: 稲葉孝太郎
最終章 カラシ入りチョコレート事件
69/71

第67話 バカミス

これは2014年2月15日(土)の話です。

 午後5時。

 遠坂(とおさか)に呼び出された葦原(あしはら)は、町内の喫茶店に来ていた。

「はい、一日遅れだけど、チョコレート」

 年上にチョコを渡されて、葦原は驚いた。

「い、いいんですか?」

「いいも何も、葦原くんのために買ってきたんだから」

 包みは薄紫色をした花柄模様で、どことなく品があった。

 このあたりは、いかにも遠坂好みといった感じだ。

 同世代ならば、赤とかピンクとか、そういう色を好みそうだった。

 葦原は一礼してそれを受け取ったが、すぐには開封しなかった。

「あら? ここで食べてもいいのよ?」

 遠坂の台詞を受けて、横に座っていた蔵前(くらまえ)が振り返る。

「持ち込み可なんですか?」

「別に、チョコレートなら良くないかしら?」

「そこでケーキ売ってますし、どうですかね……」

 遠坂は、商品コーナーを盗み見て、なるほどと頷いた。

「それも、そうね。葦原くんったら、気が利くのね」

 遠坂の解釈は間違いで、葦原は、持ち込みが禁止されているかどうかなど、まったく気にかけてはいなかった。というのも、葦原の思考は、目の前のチョコレートに誘われて、昨日の出来事に結びつけられていたからだ。

 そして、ある発想に至った。

「遠坂さんと蔵前さんに、ちょっと聞いて欲しいことがあるんですよね」

「何かしら?」

「勉強のことなら、相談に乗りますよ」

「いえ……そういうことじゃなくて……」

 葦原は、昨日の出来事を話した。

 話したと言っても、投函されていたチョコにカラシが入っていたというだけで、それ以上のことはないのだが、遠坂は顔を真っ赤にして怒った。

「葦原くんにイタズラするなんて、どこのどいつよッ!」

 店内に響き渡った怒声に、蔵前は慌ててなだめすかす。

「まあまあ、葦原くんの身に何もなくて、良かったじゃないですか」

 いや、舌にはいろいろとあったのだが。葦原は、内心で突っ込んだ。

 一方、蔵前はコーヒーを啜りつつ、葦原へと向き直る。

「しかし、気になる事件ですね」

「ええ、僕も若干……同じようなイタズラが起こると困りますし……」

「イタズラなんですかね?」

 蔵前の一言に、葦原はハッとなった。

「どういう意味ですか?」

「僕は、なんとなく明確な意図があってやったように見えますが……」

「明確な意図?」

「それは、市販品だったとか、そういうことは?」

 蔵前の質問に、葦原は首を左右に振った。

「手作りでした」

「そうですか。ちょっと推理が外れましたね」

「外れたというのは?」

「てっきり、ライバル会社の市販品に細工をして、騒ぎを起こしたのかと」

 どうやら蔵前は、以前の駐車違反事件と同じことを考えていたようだ。

「そういうんじゃないと思います。他に似たような事件も聞きませんし……」

「僕も聞きません。となると、やはりイタズラ……」

 蔵前がそこまで言ったところで、遠坂は口を挟む。

「とは限らないんじゃないの? 手が込み過ぎよ」

「しかし、目的が……」

 そのとき、喫茶店の入り口で、鈴の音が鳴った。

 振り返ると、池守(いけがみ)紙屋(かみや)が、こちらに向かって微笑んでいた。

「遅かったわね」

 遠坂は、池守にそう愚痴った。

「遅いもなにも、勤務中だからな」

 池守はスーツを椅子に掛けて、そこに腰を下ろした。

 その向かい側に紙屋が座る。

「ところで、なんの話をしてたんだ?」

「実は……」

 葦原は、池守たちにもさきほどの話を伝えた。

「ふーむ……こいつは見過ごせんな……」

 注文を済ませた池守は、険しい顔をした。

「え? 犯罪なんですか?」

「そこは難しいが、鬼道(きどう)グループの一件もあるしな」

 その一言に、場の空気が凍り付いた。

「先輩は、鬼道グループによる嫌がらせだと見るんですか?」

 紙屋が心配そうに尋ねた。

「分からん。分からんからこそ、不気味だ」

 コーヒーが運ばれてきた。

 池守はそれを一口飲んで、軽く肩を回した。

「とりあえず、身の回りには注意した方が良さそうだな」

「葦原くん、誰かにつけられてるということはないですか?」

 紙屋は、横合いから尋ねた。

「そういうことは、ないと思います」

 とはいえ、自信があるわけではなかった。プロに尾行されて、気付くことなどできるのだろうか。葦原を、急に不安が襲った。

「んー、楽観視するわけじゃないけど、その線は薄いと思うわ」

 遠坂が口を挟んだ。

「なんでだ? おまえが一番心配しそうなもんだが」

「鬼道グループの脅迫なら、もっと分かり易くするでしょう。壊れた自転車をドアの前に置くとか、窓ガラスを割るとか、あるいは単純に脅迫文を書くとか、そういう。バレンタインのチョコにカラシを練り込んだって、意図が伝わらないと思うんだけど」

「それも、そうか……」

 池守は腕組みをして、うーんと唸った。

「まあ、鬼道グループの復讐じゃなければ、その方がいいんだけどな」

「それにしても、動機が分からないですねぇ」

 紙屋もコーヒーを飲みながら、首を捻った。

「やっぱり、女の子の私怨なんじゃないですか?」

 また話が戻って、葦原は訂正を入れる。

「恨まれてる記憶はないんです」

「ストーカーかもしれませんよ」

 また物騒な。葦原は、身震いした。

 ところが、今度は池守が疑問を呈した。

「いや、ストーカーの線は薄いな。ストーカーって言うのは、大半が露出型で、被害者の前に何らかの形で現れるもんだ。ストーカー被害のトップ3は、つきまとい、交際の強要、無言電話だからな」

 池守はそこまで言って、葦原に顔を向けた。

「そういう被害に会ってるわけじゃないんだろ?」

「そういう経験は、したことないです」

 池守の説明で、葦原は少しだけ安心した。

 けれども、心のどこかに、しこりが残ってしまう。

「どこか遊び心がありますね。本当に危害を加えたいのなら、カラシじゃなくて、例えば絵の具とか、口にするとマズいものを仕込むと思います」

 蔵前の指摘に、池守は少しばかり不満そうな顔をした。

「そうか? カラシにしたのは、何か意味があってのことだと思うが」

「例えば、何ですか?」

「そうだな……例えば……絵の具のような食べられないものを入れると、本当に冗談じゃ済まなくなって、警察沙汰になるとかだな。傷害扱いになる可能性もある」

「傷害事件なんですか?」

 葦原が尋ねた。

「致死量に満たない毒を盛るのは、傷害だよ」

「カラシは、ならないんですか?」

 葦原の質問に、池守は再度、うーんと唸った。

「なんとも言えんなあ。俺は交通課の人間だから」

 そこへ、紙屋が助け舟を出す。

「なる可能性はありますけど、間違いなく不起訴ですよ」

「だろうな。警察の方も、調査に人員を割いたりしないだろう」

 冷たい現実を突きつけられて、葦原は困惑してしまう。

「警察がダメなら、吉美津(きびつ)くんと入江(いりえ)さんに任せればいいわ。明日にでも、うろな町に来てくれるように頼んどくから」

 遠坂の発言に、他のメンバーは眉をひそめた。

「ふたりとも、高校生だろう?」

「大丈夫よ。私が請け負うわ」

「あんまり気軽に請け負わん方が、いいぞ。おまえも高校教師なんだし」

「普段は、ね」

 意味深な言葉を残して、会話は中断した。

 そして、カラシ入りチョコレートの話は、それっきりになった。

 

  ○

   。

    .


 ピンポーン

 

「はーい」

 葦原は、待ち兼ねていたように、アパートの扉を開けた。

 そこには、スーツ姿のルナが立っていた。

「ちょっと遅かったね」

「電車がうまく連絡しませんでした」

 ルナはそう言って、さっさと葦原の部屋に上がった。

 午後7時。普通ならば、高校生の男女が出会う時間帯でもないのだが、ルナはいっこうに頓着していないようだった。大胆なのか、警戒心が薄いのか、よく分からない。

 ルナはテーブルそばの座布団に腰を下ろして、あぐらをかいた。

「で、用事というのは?」

「まあ、そんなに大したことないんだけどさ」

 葦原は、内容を手短に説明した。

「というわけで、ここにその現物があるんだけど」

 葦原は、チョコレートの袋を差し出す。

 それを見たルナは、しばらくの間、口を噤んでいた。

「誰が犯人だと思う?」

 葦原の問いに、ルナは唇を動かす。

「私です」

 ……………………

 ……………………

 …………………

 ………………

「はい?」

「2月14日は、知人にチョコレートを贈る日だと聞いたので、試してみました」

「え……あの……カラシは……」

「広告で『チョコレートはインパクトが大事』と書いてあったので、同僚に『インパクトのあるチョコレート』について尋ねました。『カラシでも練り込めばいいんじゃないか』と言われたので、入れてみました」

 ……………………

 ……………………

 …………………

 ………………

「どうかしましたか?」

「いや……なんというか……きみって……変わってるね」

「よく言われます」

 ルナには、まったく悪びれた様子がなかった。

 おそらく、悪いことをしたという意識がないのだろう。同僚に教えてもらったことを、そのまま実行したという、事務処理的な態度だった。

 葦原は頭を抱えたくなったが、同時に安心感も生まれた。

 誰かのイタズラというわけではなく、隣人……ちょっと風変わりな隣人が、バレンタインの贈り物をしてくれただけなのだ。鬼道グループの復讐という線もなくなった。

「気持ちは嬉しいけど、カラシ入りのチョコは食べられないよ」

「インパクトは、ありましたか?」

 あり過ぎだ。葦原は、思わず突っ込みかけた。

「十分にね」

「それは良かったです」

「良くないよ……」

 そのときだった。

 葦原のスマホが、テーブルの上で鳴った。

 葦原はルナとの会話を中断して、スマホの画面にタッチする。

 メールが一通来ていた。

 

 吉美津です。また事件があったようですね。明日の正午、うろな駅に到着しますので、会える時間を教えてください。入江さんも来ます。では。

 

「……マズい」

「何がですか?」

 葦原は、今日の出来事を伝えようかどうか、迷った。いくらルナの非常識が元凶だったとはいえ、あちこちに言いふらしたのは、葦原本人である。

「池守さんだけに相談すれば良かったかな……」

「もしかして、他の人に話したのですか?」

 ルナは、妙なところで勘が鋭かった。

 いきなり事態を言い当ててきた。

「ちょ、ちょっとね」

「しかし、別に大きな騒ぎにはなっていないでしょう」

 それがなっているから問題なのだ。

 葦原は、困り果てた。一番簡単なのは、吉美津と入江に、事実を伝えることだろう。けれども、どのように伝えれば良いのだろうか。そこが問題だった。

 散々悩んだ挙げ句。葦原は正直に答えることにした。

 話を聞き終えたルナは、よく分からないという顔をした。

「なぜ大げさなことになっているのですか?」

「そりゃ……チョコレートにカラシが入ってたらね……」

「ウィスキーはよくて、カラシはダメなのですか?」

 話が進まない。

 葦原は適当に誤摩化して、それから吉美津にメールを打った。ルナの正体を誤摩化すのに頭を使ったが、要するにイタズラということにしてしまえば良いのだ。

 

 ごめん。知り合いの女の子のイタズラだった。もう大丈夫だよ。

 

 そのメールを送ってから3分後、返信がある。

 

 そうですか。無事で何よりです。いずれにせよ、明日は遊びに行きます。

 

 オッケー。とりあえず、これで一件落着だ。葦原はそう考えて、スマホを片付けた。ルナはあいかわらず座布団の上にあぐらをかいたまま、じっとこちらを見つめていた。

 よくよく考えると、チョコレートをくれたのは、ルナなのだ。

 なんだか気恥ずかしくなってくる。

「あ、その……チョコレート、ありがとう……」

「こういう国民行事があるのを知ったのは、今年になってからです」

「……国民行事ってわけじゃないんだけどね。ただのイベントだから」

「そうなのですか?」

 バレンタインデーの意味を、根本的に誤解しているのではないだろうか。義理チョコ云々以前のレベルで、単に知り合いにチョコを配る日だとか、そういう風に誤解している可能性もあった。自分に渡したのも、特に他意はないのだろう。葦原は、そう思った。

「それにしても、自分で作ったんだね」

「市販品だと、カラシ入りのものを売ってなかったので」

 頭が痛くなるような話だ。

 結局のところ、手作りにも意味はなかったわけだ。

 そう考えた葦原は、軽く溜め息を吐いた。

「次回は、普通のチョコレートでいいよ。市販の板チョコでもいいから」

「今回の分は、捨ててしまったのですね」

「ごめん……食べられないから……」

「だったら、あとで別のものを買って来ましょう」

「んー、そこまでしなくてもいいよ。ところで、最近は仕事、うまく行ってるの?」

「おかげさまで、最近は評判も良いようです」

 それは何よりだ。葦原は、素直に祝福した。

「ま、僕は何もしてないけどね」

「いえいえ、そんなことはありません。いろいろと……」

 ルナの言い回しを、葦原は訝る。

 まさか、自分の個人情報を売ったりしているのではないだろうか。

 一瞬そう疑ったが、ルナの性格からして、そういうことはしなさそうだった。

 もっとも、ルナの職業がなんなのかは、未だに明らかではないのだが。

「探偵業って言ってるけど、どういう仕事なの?」

「探偵は副業です」

「本業は?」

「本業は……被験者の心理カウンセリングですね」

「心理療法士とか?」

「ちょっと違いますが、似ていますね」

 自己啓発などの、インチキカウンセリングではないのか。そう思った葦原だが、それもまたルナには相応しくなかった。ルナには人を惹き付けるところはあるが、カリスマは微塵も感じられない。むしろ、距離を置きたくなるような人物である。

「ま、プライバシーだし、深くは訊かないよ」

「そうしてもらえると、助かります……葦原くんの方は、どうなのですか?」

「うーん、どうってこともないよ。定時制には結構慣れたし、クラスメイトはみんな友だちだし……先生にも不満はないかな」

「アルバイトの方は?」

「バイトの方は、定時制に合わせてシフトが変わっただけ」

 ルナは、訊きたいことだけ訊いて、それっきり静かになった。

 一方、葦原の方は、アルバイトに話が及んで、あることを思い出した。

「僕のバイト先の先輩に、探偵になりたいって言う人がいるんだよ」

「なればいいのではないですか?」

「簡単に言うけどね……きみは、どうやって私立探偵になったの?」

「私の場合は、本業で得たコネとかを使ってます」

 結局、コネか。葦原は、若干失望してしまう。

「普通の人は、そういうのにはなれないのかな?」

「普通の人、というのは?」

「なんて言うか……きみみたいに、本業でコネがない人」

 ルナは顎に指を添えて、空中を見上げた。

「難しい質問ですね。私も、広く社会を見てきたわけではないので」

 それも、そうだ。ルナは、葦原と同世代である。いくら社会人とは言え、人生経験自体はまだ浅いのだろう。葦原とて、アルバイトはしているが、それで世間をよく知っているとも言えなかった。定時制のメンバーの話を聞いていると、自分の経験がいかに一面的か、ということに、否が応でも気付かされてしまうのだ。

「その人に、特殊な能力があれば、道は開けると思いますよ」

「特殊な能力……? 例えば?」

「他人の考えを覗き込めるとか、そういうことですね」

 葦原は、ルナの発言の意味を、うまく咀嚼できなかった。

「要するに、心理分析がうまいってことかな。確かに、それは必要かもね」

「心理分析とは、少し違うのですが……ともかく、堅気の仕事ではないですよ」

 ルナに堅気の仕事でないと言われてしまっては、おしまいである。

 葦原は、苦笑した。

「ま、その先輩がどれくらい本気で言ってるのか、分かんないんだけどね」

「それも、そうですね。そう言えば、今週担当したカウンセリングで……」

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