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うろな町の不思議な人々  作者: 稲葉孝太郎
第6章 合格通知不達事件
67/71

第65話 意思の確認

これは1月18日(土)のお話です。

「ルナさん、食べる?」

 葦原は、まかないでもらったコロッケの包みを差し出した。

 やわかな湯気が、包みの端からゆっくりと立ち上っている。

「ありがとうございます」

 ルナはそれをひとつ受け取り、礼を述べた。

 葦原も、自分用のまかないを袋から取り出す。バイト先から公園までの距離が短かったからか、包みはまだ熱く感じられた。葦原が包みを外すと、キツネ色に焼けた揚げ物が顔を出した。形や大きさの具合からして、野菜コロッケであると察せられた。

 葦原は白い息を吐きながら、それを一口頬張った。ルナを盗み見ると、彼女はまだ包みを開けてすらいなかった。

「お腹いっぱい?」

「いえ、食事はまだ済ませていません」

「コロッケが嫌いとか?」

「……葦原くんに、ふたつ質問があります」

 葦原は、齧りかけのコロッケを唇から離し、じっとルナを見つめた。

 ルナは、いつもの探偵じみた視線を、少年に向けてきた。

 葦原は、自分が尋問される番であると気付いた。

「合格通知の件?」

 ルナは頷くと、すぐに先を続けた。

「園長の西谷(にしたに)さんは、葦原くんのアパートを知っていますか?」

「西谷さん?」

 葦原は両手を膝に揃え、しばらく空を見上げた。

 凧がひとつ、北風に吹かれてくるくると舞っている。

「……知ってると思うよ」

「なぜですか?」

「一人暮らしを始めるときに、住所を教えた気がするから」

「それは確かですか?」

 葦原は、もう一度念入りに記憶を探った。

 そして、首を縦に振る。

「間違いないね。おじさんに、『教えるな』って言われたけど、こっそり教えたから。そのせいで、はっきり覚えてるよ」

「……」

「信じられない?」

「いえ、信じます。もうひとつの質問ですが……」

 ルナはそこまで言って、しばらく押し黙った。

「どうしたの?」

「葦原くんは、今回の事件の真相を知りたいですか?」

 ルナの問いに、葦原はハッとなった。

 彼女の台詞が意味するところは、ひとつしかない。

「……犯人が誰か分かったの?」

「状況証拠は、ある人物を指しています」

「状況証拠って?」

「2つあります……が、それを言うと、誰が容疑者か、すぐに分かります。葦原くんは、クライアントとして、真相を知りたいですか?」

 ルナが何に遠慮しているのか、葦原には見当がつかなかった。いつものルナならば、葦原に断ることなく、さっさと答えを言ってしまいそうに思われたからだ。

「知りたくないって言ったら?」

「それっきりです」

 葦原は俯き、冷たい地面を見つめた。知りたいとも、知りたくないとも言えなかった。より正確に言えば、知りたくもあったし、知りたくもなかった。受験票の紛失は、葦原に淡い不安を覚えさせた。誰かに恨まれているのではないかと、そう感じていた。けれども、心当たりはなかった。そのことが、かえって不気味であった。だから、真相を知って、その不安を解消したいという気持ちが、彼の心のどこかに芽生えていた。

 一方、知りたくないとも思った。真相を知ることが、必ずしも安寧をもたらすとは限らなかった。かえって、後味の悪い思いをするかもしれない。その疑念は、ルナが容疑者を口にしないことから、ますます深まった。

 容疑者は、間違いなく自分の知人であった。

「先に、僕からも質問をしていいかな?」

「どうぞ」

 葦原は少し躊躇し、それから唇を動かす。

「犯人を野放しにしたら、同じような事件が起こる?」

「……その点については、何とも言えません」

「なぜ?」

「動機が分からないからです」

 ルナの回答に、葦原は少しばかり驚いた。

「どういうこと?」

「そのままの意味です。状況証拠は、ある人物を指しています。が、その人物がなぜ今回のような事件を起こしたのか、それが分かりません。こればかりは、本人に直接尋ねるしかないと思います」

 葦原は逡巡した。

 再犯の可能性がないならば、真相は暴かなくてもよいと思った。しかし、ルナはその点を明らかにできないと言う。少年は1分ほど沈思黙考して、次のような結論を出した。

「もし同じような事件が起きたら、僕に容疑者を教えてくれないかな」

 最も穏健で、最も消極的な解決策だった。

 未来の多い少年にありがちな、現状の引き延ばしであった。

 ルナは、少年の瞳を見つめ返す。

「……了解です。似たような事件が発生したら、連絡をください」

 ルナはそう言って、コロッケの包みを開けた。湯気は、もはや立たなかった。葦原も、自分の持っている包みが、冷たくなっていることに気付いた。冷め切らないうちに、葦原は野菜コロッケをさっさと口に含んだ。

「それにしても、よく証拠を見つけ出したね。僕には、さっぱりだよ」

「証拠と言っても、物証ではありません。状況証拠です。ただ、容疑者は絞れましたので、物証を手に入れようと思えば、手に入れられると思います。例えば、指紋など……」

「どうやって?」

「それは企業秘密です」

 肝心なところをはぐらかされた葦原だが、何だか愉快な気がした。

 ルナは変わっている。しかし、憎めない変わり方をしている。映画の中からできてた女スパイのようだと、葦原はそんなことを思った。

「そう言えば、この前、学校で面白いことがあったよ。瀬戸(せと)さんって人がね……」


  ○

   。

    .


 月の明るい夜だった。

 ルナは凍える月を見上げながら、静かに時を待っていた。

 腕時計の短針は、10の数字を指し示そうとしていた。

 1分が過ぎ、2分が過ぎ、とうとう10時になった。人気のない広場には、生き物の気配すらしなかった。夏場と違い、草木も枯れ果てていた。

 薄い雲が月の端に掛かったところで、小さな足跡が聞こえた。

 ルナは観賞を止めて、広場の入り口に視線を向けた。赤銅色のちゃんちゃんこを着た人影が、街頭にうっすらと照らし出される。辺りを見回して、広場にゆっくりと入って来た。

「こんばんは」

 人影は、やや明るめの挨拶をした。

 雲が再び晴れ、人影の(おもて)が露になった。

 それは、西谷だった。

「こんばんは、西谷さん」

烏丸(からすま)さん、こんな時間に呼び出して、びっくりしましたよ」

「申し訳ありません。内密の話ですので」

 目下のシチェーションを、ルナはあまり奇異だと感じていなかった。

 そして西谷も、そこまで狼狽した様子を見せなかった。

 ルナは相手が平静であることを知り、早速口を開いた。

「葦原くんの合格通知を盗んだのは、西谷さん、あなたですね」

 それは、質問というよりも、むしろ確認に近かった。

 西谷は眼鏡の奥から、じっとルナの瞳を覗き込んだ。

「……どうして分かったの?」

 ここまで降参が早いとは、ルナも予期していなかった。

 けれども、かえって手間が省けたとも思った。

「理由は、2つあります。ひとつは、今朝のあなたの失言です」

「失言?」

「私は西谷さんに、『葦原くんのアパートで、受験票が見当たらなくなった』が、そのことを知っているかと尋ねました。覚えてらっしゃいますか?」

 西谷は、黙って頷いた。

「あなたはそのとき、『郵便事故』だと推測しました」

「ええ、そうだった気がしますね……それが何か?」

「よく考えてみてください。私は『葦原くんのアパートで、受験票が見当たらなくなった』と言ったのです。アパートに届かなかったとは言っていませんし、ポストから紛失したとも限定していません。なぜ『郵便事故』だと思ったのですか?」

 ルナの問い掛けに、西谷は口を噤んだ。

 その顔は、ルナの推論の構造を、的確に把握していると思われた。

「私は岩瀬(いわせ)くんにも、似たような質問をしました。正確には、『葦原くんの合格通知が紛失した件について』知っているかと尋ねました」

「……彼の答えは?」

「『間違って捨てたんだろ』……です。こちらの方が、遥かに素直な回答だと思います。少なくとも、不達ではなく、純粋に紛失したと解釈した点が、質問の形式と合致しています」

 西谷は、白い溜め息を吐いた。

 最初から諦めているように見えたが、それでも形作りの抵抗を見せてくる。

「トンチンカンなことを言ったとは、受け取ってもらえないのかしら?」

「それにしては、ピンポイント過ぎます。……それと、もうひとつ証拠があります」

「まだ何か変なことを言ったかしら?」

 ルナは黙って、封筒を取り出した。

 西谷は目を細め、アッとなる。だが、すぐにその驚きを隠した。

「これは、葦原くんの合格通知が入っていた封筒です。あなたは、うまく切手を剥がしたと思ったのでしょうが、糊が残っていました」

「私が剥がしたという証拠はあるの?」

「そこからでは見えないと思いますが、糊の形は、左上隅が直角なのです」

 西谷は、わけが分からないという顔をした。

 糊の形状の重要性が、伝わらなかったのである。

「西谷さん、あなたは左利きですね」

 ルナの指摘に、西谷は左手をわずかに動かした。

「ええ……そうだけど……」

「スコップと湯呑みの持ち方から、そう察しをつけました」

「でも、切手は右利きでも剥がせるのよ」

「剥がし方の問題です。右利きの場合は普通、左上隅から剥がします。逆に、左利きの場合は、右上隅から剥がします。このとき、どの部分の糊が一番残り易いと思いますか?」

 西谷は口を開け、何かを言おうとした。しかし、声にはならなかった。

 ルナは、先を続ける。

「左上隅から剥がした場合、すなわち右利きの場合は、右上隅が残り易いのです。しかし、この封筒では、逆側が残っています。つまり、剥がした人物は左利きである可能性が、非常に高いのです」

「でも、世の中に左利きの人間なんて、いくらでもいるじゃありませんか」

 ルナは頷いて、封筒をポケットに仕舞い込んだ。

 そして、真っ直ぐ西谷を見つめ返す。

「はい、ですから私は、状況証拠しか持っていないことになります」

「だったら、シラを切れば良かったかしら」

「いえ、残念ながら、物証を得ようと思えば、できるのですよ。封筒の指紋とあなたの指紋を照合すればいいのです。あるいは、葦原くんのアパートのポストに、あなたの指紋がついているかどうか、それを確かめることも可能です。そこまでしなければいけませんか?」

 ルナが言い終える前に、西谷は首を左右に振った。

「降参します」

 ルナは、満足げに首肯した。

「最後に、ひとつだけ質問があります。なぜこのようなことを?」

「それは答えられないわ」

 西谷の返答は、早かった。電光石火のようであった。

「動機を教えてもらえないのですか?」

「ええ」

「どうしても?」

「あなたに探偵を依頼したのが誰なのか、それを教えてくれたら、答えてあげるわ」

 西谷の挑発に、ルナは軽く息を吐いた。

 真っ白な風の流れが、南へと消えていく。

「……それは、できません」

「だったら、おあいこね」

 ふたりは睨み合うように対峙した。

 先に口を開いたのは、ルナだった。

「分かりました……これ以上は追及しません」

「ありがとう」

 西谷は謝意を述べた。

 それは助かったというよりも、何か別のところに向けられているような気がした。

「今夜はもう寒いから、早く帰りなさい」

「西谷さんこそ、お気をつけて……」

 ルナは西谷に背を向けた。襲われる気配はなかった。

 広場の出口で振り返ると、そこには月を見上げる西谷の姿があった。


  ○

   。

    .


「……ということがあったのです」

 ルナは紅茶を飲みながら、部下のふたりを見比べた。

 金髪の木村(きむら)とスキンヘッドの田中(たなか)は、半分感心したような、それでいて呆れたような顔で、ルナの話に聴き入っていた。

「で、そのことをクライアントに告げたんですか?」

 そう尋ねたのは、木村だった。

 木村はコーヒーを片手に、ビスケットをバリバリ頬張っていた。

「いえ、クライアントは、真相を知りたくないと言いましたので」

「変な話ですね。調査を依頼しといて」

 ルナは、葦原の名前と身分を伏せていた。

 だから、そこに至った経緯も、ふたりには断片的なことしか伝えていなかった。

「どう思いますか?」

 ルナの質問に、木村は首を傾げた。

「何がですか?」

「結局、動機だけは明らかになりませんでした。こういうのは苦手です」

 ルナは、正直に認めた。

 今回の件で身にしみて分かったのは、自分が他人の心理に疎いということであった。人間的な感情を持つ部下の方が、うまく謎解きをしてくれるのではないかと期待していた。

 しかし、そんな期待とは裏腹に、木村も田中も、渋い顔をする。

「俺にも分かりませんよ」

 ルナは、スキンヘッドの方へ視線を向けた。

 田中はさきほどから腕組みをして、唇を真一文字に結んでいた。

 何かを考えているように見えた。

「田中さんの意見は?」

 田中はさらに沈黙を続け、それからゆっくりと唇を開いた。

「ひとつ、間違ってるところがあるんじゃないか」

 間違い。その台詞に、ルナはティーカップを持ったまま、動きを止めた。

「……どこがですか?」

「ルナ様の推理は、一見尤もらしく思える。そのNって奴が自白したんだから、実際に切手を剥がしてポストに投函したのは、N本人なんだろう。しかし、Aのポストから合格通知を引き抜いたのが誰かは、分からない」

「なぜですか?」

「Nは誰かを庇ってるんじゃないか?」

 その可能性を、ルナは考えていなかった。

「誰をですか?」

「怪しいのは、話に出て来たIとK……これは俺の推理だが、ポストから合格通知を引き抜いたのはIとKのどちらかで、本当は処分するつもりだったんじゃないだろうか。だが、Nはそれに気付いて横取りし、切手を剥がし、ポストに再投函した」

「何のために?」

 ルナは、ティーカップを置く。

「Aが困ると思ったのかもしれない。IとKを庇いつつ、Aに合格通知を返すには、郵便事故に見せかけるしかなかった。これなら手続上の遅れが出ても、切手を貼り忘れた高校側の責任になる。もっとも、それは杞憂だったみたいだがな」

「その線だと、Iの方が怪しいな。KはAに惚れてるんだろ」

 木村は、さも当然のように、そう口を挟んだ。

 これに驚いたのは、田中ではなくルナだった。

「そうなのですか?」

 木村は、目を白黒させる。

「ルナ様の説明だと……そんな気がします……」

 ルナは、紅茶の水面を見つめた。桑原の怒った顔が映る。彼女の恋愛感情など、ルナにはまったくの初耳であった。どうして木村にはそう推論できるのかも、よく分からなかった。

 沈静するルナの意識を他所に、田中は先を続けた。

「いや、IもKも等しく怪しい」

「だけど、KはAの高校入学を知らなかったんだろ。ルナ様の話だと、Aの高校入学を聞かされたとき、ほんとに驚いてたみたいじゃないか」

「合格通知を盗んで入学を阻止したと思い込んでいた、って可能性もある」

「……なるほどね」

 木村は、コーヒーを啜り、もう一枚ビスケットを摘んだ。

 ぱらぱらと崩れた破片が、スーツのズボンに落ちる。

 ルナはそれを見ながら、自分の推理もまた崩れ落ちて行くような、そんな気がした。

とにあさんの『URONA・あ・らかると』から、瀬戸さんをお借りしました。

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