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うろな町の不思議な人々  作者: 稲葉孝太郎
第6章 合格通知不達事件
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第64話 グレーの濃淡

これは1月18日(土)のお話です。

 土曜の昼下がり、電車に揺られながら、ルナは流れ行く風景を眺めていた。

 減速する色の変化に身を任せて、ルナは今後の捜査方針を模索する。彼女は、今回の事件を解決するだけの情報を、まだ掴み切れていない。封筒の指紋も調べてみたが、「まあ10種類は堅いね」と言われ、その方面からの調査を断念した。根気があれば突き止められなくもないのだろうが、サンプルの蒐集が余りに困難であった。簡単に手に入るのは、葦原(あしはら)の指紋くらいである。どの指で触れたのかも分からないから、左右の5指を正確に採取する必要もあった。人間関係と時間から、ルナはそれを計画の最後に回した。

 彼女の心中にある算段は、もっと非科学的で、もっと探偵じみていた。関係者に事情聴取して回って、当日の状況を再現しようと言うのだ。

「次は、うろな町、うろな町です」

 電車はうろな町のホームに滑り込み、扉が開いた。ジャンパーにジーンズ姿のルナは、寒気に身を晒して、黄色い線の上に靴底を乗せた。そして、改札口へと向かう。うろな駅の自働改札を抜けたのは、まだ数回目であった。

「さて……どうしましょうか……」

 ルナは、人通りの多い駅前を眺めながら、行き先を迷った。週末に来ることは、葦原には伝えてある。しかし、葦原は夕方まで手が空かないと返してきた。バイトだと言う。アパートで待つという手もあったが、夕方以降に会ったところで、行動に移るのは難しいと読んでいた。時間が惜しい。

「……キッズハウスに寄りますか」

 ルナは、自分ひとりで入園できるかどうかを、あまり深く考えなかった。この前の経路を正確に思い起こし、脳内にマッピングされた町の地図を重ね合わせる。

「……近道が何通りかありますね」

 ルナはパパッと計算を済ませて、キッズハウスまでの最短距離を選択した。その間、ルナは周りの風景を記憶しながら、これまでの出来事をもう一度整理した。合格通知の封筒は、一旦葦原のアパートに届いたあと、切手を剥がされたと見て間違いなかった。送り主に返送されたのだから、犯人は切手を剥がした上で、再度投函した可能性が高い。そこが、ルナの頭に引っかかるところであった。

「合格通知の取得を妨害するだけなら、封筒を捨てれば良かったはずですが……」

 そう呟いたとき、キッズハウスの赤い屋根が視界に入った。

 ルナは思考を中断して、勝手に門をくぐった。広場で遊んでいた子供たちの視線が、自然とルナに集まってくる。そしてその中にルナは、強烈な一筋の眼光を感じた。

「あなた、誰の許可で入って来てるの?」

 そう尋ねたのは、桑原(くわはら)だった。

 桑原は砂場で遊ばせていた少女を脇に退けて、腰を上げた。

 彼女の目は、咎めるような圧力を有していた。

「こんにちは、桑原さん」

 ルナの平静な挨拶に、桑原は少しばかり怯んだ。

 けれどもすぐさま、眉間に皺を寄せ直す。

「ここは部外者以外、立ち入り禁止よ」

「少し訊きたいことがあって来ました」

「聞こえなかった? 部外者以外、立ち入り禁止。さっさと出て行ってちょうだい」

「お時間は取らせません」

「警察を呼ぶわよ」

「5分でいいのです」

 馬耳東風なルナの態度に、桑原はわざとらしく溜め息を吐いた。

「変な人」

「よく言われます」

 これがとどめになったのか、桑原はもはや拒否しなかった。

「そこの裏手にベンチがあるから、そこでいいわね?」

「ええ、人目につかないところがいいですね」

「……私を刺す気?」

「丸腰ですよ」

 ルナはそう言って、ジャンパーを左右に開いてみせた。

「何よ、その、『普段は銃器持ってます』みたいなアピールは……」

 ルナは、自分の動作が若干迂闊だったと悟った。

 任務中のときは、そこに小型の改造拳銃が入っている。

 今日はオフ扱いなので、たまたま所持していないだけであった。

「大丈夫です。安心してください。何もしませんから」

「そんなこと言われたら、ますます不安になるけど……ま、いいわ」

 桑原は背中を向けて、そそくさと建物の裏手に引っ込んだ。

 ルナもあとに続く。

 花壇のそばに、古びたベンチがひとつ、老人のように佇んでいた。

 桑原は先に腰を下ろし、ルナに席を勧めることもしなかった。とはいえ、ルナもそれを気にするタイプではなく、さっさと隣に場所を占めた。

「お会いできて光栄です」

 ルナはそう言って、左手を伸ばした。

 桑原は、怪訝そうにその手を見つめ、無視した。

(触れてもらえませんか……)

 ルナは、左手を引っ込めた。無理に触れると、同調できない虞があった。触れずに行える遠隔夢潜は、別の夢案内人(ドリームアドバイザー)が先行している場合にしか使えない。

(子供が起こしに来る可能性もありますしね)

 ルナは、能力を使うのを断念した。

「用事があるんじゃなかったの? 5分経つわよ」

 桑原はそう言って、腰を上げるような仕草をした。

「クリスマス会の招待状についてなのですが……」

「そんなの覚えてないわよ、どこに配ったかなんて」

「まだ1ヶ月も経っていませんが?」

「あなた、12月22日にどこで何してたかなんて、覚えてるわけ?」

 ルナはコンマ何秒で、記憶を辿った。

「はい、その日は日曜日で、私はマンションで8時5分に起床、顔を洗ってから目玉焼きとオートミールを食べ、コーヒーを1杯飲みました。それからメールを27通確認し、そのうち8通に返信しました。3通が仕事の関連で、4通は部下から、残りの1通はトレーニングの日付に関するものです。それが終わったのは、9時41分で……」

「あなた、デタラメ言ってるでしょ?」

 桑原の割り込みに、ルナは記憶のトレースを止めた。

「……デタラメでは、ありません」

「嘘おっしゃい。あなたみたいな年齢で、部下がいるわけないでしょ。何の仕事?」

「それは教えられません」

「はい、嘘確定」

 桑原の挑発に、ルナは乗らなかった。

 別の方向から攻め始める。

「桑原さんは、葦原くんのアパートがどこか、知っていますか?」

「ええ、知ってるわよ」

「訪ねたことはありますか?」

 ルナの問いに、桑原はほんのりと頬を赤らめた。

「そんなの、あなたには関係ないでしょ」

「……訪ねたことがあるのですね。いつですか?」

 ルナの追及に、桑原はカッとなった。

「だから、あなたには関係ないでしょ。何様のつもり?」

「いつですか?」

 桑原は立ち上がると、右手の人差し指でルナを指し示した。

「いいかげんにしないと、怒るわよッ!」

「……私は質問しているだけです」

「そもそも、あなたはみっちゃんの何なわけ? 親戚?」

「いえ、違います」

「じゃあ、何?」

 探偵とクライアントだ。そう答えかけたルナは、なぜか別のことを口走った。

「友だちです」

 桑原は右手で大げさにポーズを取り、鼻でせせら笑う。

「みっちゃんは、そう思ってないみたいだけど」

「どういう意味ですか?」

「だって、みっちゃん、あなたのこと迷惑そうに見てるもの」

 ルナの脳内で、ピリリと電流のようなものが走った。それは彼女の人生において、初めての出来事であった。だから、肉体も言語も、うまく反応できなかった。

「あら、図星って顔してるわね」

「そんなことはありません」

「嘘おっしゃい」

「昨晩も、葦原くんとメールをしました。嫌われているのなら、返信がないはずです」

 ルナは、ただ事実を述べただけだと思った。

 ところが、桑原の顔は豹変した。

「あなた……みっちゃんのメアド知ってるの?」

「はい、知っています」

「ムリヤリ聞き出したのね?」

「いいえ、違います」

「夜中に、何のやり取りをしてるの?」

 質問攻めになったルナだが、面倒とも思わず、一言だけ返す。

「それは教えられません」

 そのとき、頬に痛みが走った。

 ルナは、はたかれた左の頬に、利き手を当てた。

「嘘吐き……あなたが言ってることは、全部嘘よ」

「……」

 ルナは答えなかった。

 窮したからではない。今まで述べたことは、すべて事実である。

 そうではなく、なぜ自分が桑原のビンタを避けなかったのか、それが不思議だったのである。護身術を習っているルナにとって、同世代の少女の攻撃を避けるなど、朝飯前のはずであった。

「ほら、やっぱり嘘なのね。あなた、みっちゃんにまとわりついて、あれこれ迷惑を掛けてるだけなんでしょ。ストーカー!」

「私はストーカーではありません」

「ははぁん……分かったわよ。あなた、水商売でしょ? 年齢の割りには、やたらブランド物ばかり身に付けてるし……さっき『部下』って言ったの、ボーイさんのことね」

 ルナの脳内に、再び電流のようなものが流れた。

 しかし彼女は依然として、その正体が掴めなかった。

「それも誤りです」

「じゃあ、何の商売なの?」

「それは教えられません」

「人に言えない仕事なら、結局同じじゃない」

「桑原さん、あなたは他人のプライバシーに立ち入り過ぎです」

 再び、平手打ちが飛んで来た。

 ルナは先ほどと違い、冷静に桑原の手首を捉えた。

「は、放しなさいッ!」

「こちらに危害を加えるようならば、拘束します」

 桑原は、ルナの髪に手を伸ばしてきた。それも反対側の手で取り押さえる。

 右脚で蹴りを入れられそうになったが、これも軽くかわした。

「放せって言ってるでしょッ!」

「落ち着いてください。攻撃態勢を取る限り、拘束を続けます」

「おい、何やってるんだッ!?」

 ふいの問い掛けに、桑原はびくりとなった。

 筋肉が緩み、逃げ出そうとする。ルナは宣言通り、その手を放した。

裕也(ゆうや)ッ!」

 桑原は、遊技場の方向へと駆け出した。

 ちょうど曲がり角のところに、いつか見た少年が立っていた。

 岩瀬(いわせ)裕也(ゆうや)。葦原の同窓生だ。

 ルナは彼の個人情報を、正確に記憶していた。

 岩瀬の方も、ルナの顔を覚えていたらしい。軽く睨みつけて、すぐに口を開いた。

「おまえ……あのときの……」

「こんにちは、岩瀬さん……烏丸(からすま)ルナです」

 ルナは、あらためて自己紹介した。

 けれども岩瀬の表情は、あいかわらず険しかった。

「おまえ、京子(きょうこ)に何した?」

 京子という名前は、初耳だった。

 しかし、その指示対象は、この場にひとりしかいない。

「桑原さんとは、話し合いをしていただけです」

「嘘よッ! あれのどこが話し合いなのッ! 尋問じゃないッ!」

 ルナは弁解しようとしたが、尋問には違いなかった。よくて事情聴取である。

 岩瀬は、桑原の方を全面的に信頼したらしい。ルナに近付いて来た。

「京子に手を挙げただろ?」

「正当防衛です。桑原さんが先に殴り掛かったので、防御しました」

「嘘を吐くな」

「嘘ではありません。その証拠に……」

 ルナは、左頬を指差す。

「ここに平手打ちされた跡があります。桑原さんには、傷がありません」

 岩瀬は信じられないと言った呈で、桑原を振り向いた。

 言い訳が効かないと思ったのか、桑原は視線を逸らす。

 岩瀬は複雑な表情でルナに向き直り、さらに一歩間合いを詰めた。

「殴られるようなことを言ったんだろ?」

「……分かりません。桑原さんがなぜ怒ったのか、理解しかねていますので」

「前から思ってたが……おまえ、頭おかしいんじゃないか?」

「健康診断では、正常だと出ています」

 ルナののらりくらりとした態度に、岩瀬は「ふん」と唸った。

「じゃあ、さっさと出てけよ」

「まだ用事が済んでいません」

「京子に絡むな」

「いえ……岩瀬さん、あなたに質問したいことがあります」

 ルナの返答に、岩瀬はますます訝るような顔付きをした。

「俺に? ……何だ?」

「岩瀬さんは、葦原くんのアパートがどこにあるか、知っていますね?」

「裕也、答えなくてもいいわよ。追い出して」

 桑原は、背後からそう助言した。

 岩瀬は彼女とルナを、交互に見比べる。

 そして、こう答えた。

「おい、出てけよ」

「質問に答えられないのですか?」

「答えたくないね」

「葦原くんの合格通知が紛失した件については?」

「合格通知? ……何の合格通知だよ?」

「うろな高校の定時制です。……本当に知らないのですか?」

「なんで俺が葦原の合格通知を知ってるんだ。間違って捨てたんだろ」

 くだらないと言った調子で、岩瀬は会話を打ち切った。

 ルナの腕を取り、出口へ引っ張ろうとする。

 ルナは頑強に抵抗した。

「ほら、こっちへ来いよ」

「待ってください。まだ質問は終わっていません」

「裕也、警察を呼びましょう」

 本気なのか、それとも単に脅すつもりなのか、桑原は聞こえよがしにそう言った。

 ところが、驚いたのは岩瀬の方だった。

「そんなことする必要ないだろ。俺が引っ張って……」

「あなたたち、何してるの?」

 ルナの後方で、女性の声がした。

 岩瀬はすぐに手を放し、桑原も口元に手を当てる。

 ルナが振り返ると、そこには園長の西谷(にしたに)が立っていた。

 眼鏡の奥から、じっと3人の様子を窺っている。

「あなたたち、そこで何をしてるの?」

 西谷は、同じ質問を繰り返した。

 誰も答えない。西谷は岩瀬を見、桑原を見、それからルナに視線を固定した。

「あら、あなたは……」

「こんにちは、西谷さん。烏丸ルナです」

「こんにちは……今日は、うちに何か御用?」

「はい、少しばかり質問したいことがあって来ました」

 ルナの回答に、西谷は戸惑った様子を見せた。

 しかし、岩瀬や桑原と違って、西谷は大人びた対応を取る。

「そう……ここは寒いから、中へ入りなさい。誰に質問があるの?」

「……西谷さん、あなたにです」

 西谷は、一層驚いたような顔をした。

「私に? ……入園の手続かしら?」

「いえ、葦原くんについて、少々……」

 葦原の名前が出て、西谷は5%くらい納得したらしい。

「葦原くんは、うちでお世話していないけど」

「しかし、よくご存知なのでは?」

「ええ、多少は」

「それで十分です。私よりも、西谷さんの方が詳しいかもしれませんので」

 偽らざる本心だった。

 ルナと葦原の関係は、まだ一月(ひとつき)ほどである。正確には2ヶ月だが、最初の出会いについては記憶を消去してあるので、そこはカウントできなかった。

「……とりあえず、中へ入りましょう。岩瀬くん、桑原さん、あなたたちは、ブランコを見ていてくれない? 最近、変な漕ぎ方を覚えて、危ないから」

 岩瀬と桑原は返事をして、これ幸いとばかりに姿を消した。

 西谷はルナを引き連れて、例の遊戯室へと案内した。

「今、お茶を淹れますからね」

 西谷は給湯室に消え、それからすぐに湯呑みを持って戻ってきた。

 自分は飲まないつもりらしく、左手にひとつしか持っていなかった。

「どうぞ」

「ありがとうございます」

 ルナはその湯呑みには手をつけず、すぐに本題へと入った。

「西谷さんは、葦原くんのアパートがどこにあるか、ご存知ですか?」

「ええ、知ってますよ」

 西谷は、躊躇なくそう答えた。

「入園者ではないのに、ですか?」

「葦原くんは、一回ここに見学に来たことがありましたからね。おじさんに反対されたから入園しなかっただけで、そのとき入居先を教えてくれたんです」

「西谷さんに、入居先を教えたのですか?」

「心細かったんでしょうね。そういう子は、他にも知ってますよ」

 あとで、本人に確認しよう。ルナはそう考えて、別の質問に取りかかる。

「葦原くんが定時制に入ったことは、ご存知ですか?」

 西谷は、穏やかに頷いた。

「桑原さんから聞きましたよ」

 ルナは、先週の会話を思い出す。

「受験票が紛失した件についても?」

 西谷は、ちょっと驚いたような感じで、目を丸くした。

「いいえ」

「そうですか。実は葦原くんのアパートで、受験票が見当たらなくなったのです」

「郵便事故?」

「……かもしれませんね」

「お茶は嫌い?」

 喉は乾いていなかった。

 ルナはいつもの用心で、お茶には手をつけなかった。

 一言だけ礼を言い、席を立つ。

「あら、もうお帰り?」

「はい、質問したいことは、以上です」

「申し訳ないけど、次に来るときは、なるべく事前に連絡してくださいな。誰もいないことがありますし、こちらも忙しいですから」

「分かりました。今日は失礼しました」

 西谷は門のところまで、ルナを送った。

 にこやかな笑顔で手を振る西谷に挨拶し、ルナは商店街へと向かう。

 葦原のバイト先は、既に聞き出してあった。

 少し歩いたところで、ルナは来た道を振り返る。キッズハウスのくすんだ屋根が、冬の青空に妙に映えた。

「比較的濃いグレーが、ひとりできましたね……状況証拠的に」

 ルナはそう呟いたのち、キッズハウスに背を向けて、再び歩き出した。

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