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うろな町の不思議な人々  作者: 稲葉孝太郎
第6章 合格通知不達事件
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第63話 返送

これは1月13日(月)〜14日(火)のお話です。

 月曜日の夜、定時制の授業を終えた教室に、風峰(かざみね)が顔を出した。有坂(ありさか)は心当たりがあるのか、こっそり教室の後ろから抜け出そうとする。それを微笑ましく見ていた葦原(あしはら)は、唐突に名前を呼ばれた。

「葦原、ちょっと事務室まで来てくれ」

 やや意外な感もしたが、葦原は鞄を持ってすぐに教室を出た。

 風峰は何も言わず、さっさと廊下を進んで行く。

 用件を告げられないので、葦原は少しばかり嫌な予感がした。

 風峰が口を開いたのは、ふたりが事務室に入り、扉を念入りに閉めたときだった。

「ま、そこに座ってくれ」

 書類が山積みになったテーブルへ、葦原は席を勧められた。

 風峰は、彼の性分に似合わず、深刻そうな顔をしている。

 悪事に心当たりのないことだけが、葦原にとって唯一の救いであった。

「実はな……」

 反対側に腰を下ろした風峰は、こほんと咳払いをして、一通の封筒を取り出した。手続上の書類かと思った葦原は、表の朱書きに喫驚する。

「……合格通知?」

 封筒には、《合格通知在中》の文字が、赤いマジックで書かれていた。

 宛名を盗み見ると、それは葦原の名前だった。

「たまには、こういうこともね?」

 風峰は、おどけたような、申し訳なさそうな顔をして、頭を掻いた。

「ど、どういうことなんですか?」

「いや、どうも切手を貼り忘れたらしくて、戻って来ちゃったんだよ。年末年始は事務所を閉鎖してたから、学校の共通ポストの方に入ったみたいでね。そこはあんまりチェックしてなかったもんで、先週の土曜に気付いた」

 風峰はそう言って、アハハと笑った。

 葦原は怒るのも通り越して、呆れかえってしまった。

 そして、ホッとした。

「とにかく、見つかって良かったです。……これ、いただいても?」

「もちろんだよ。きみの合格通知だからね。手続的には、もう必要ないけど」

 葦原は、もう一度自分の氏名を確認して、封筒を手に取った。

 何だか、妙な気持ちになる。あれだけ捜していた落とし物が、まさかこんな形で出て来ようとは、彼も予期していなかった。

 それと同時に、ルナや桑原には、本当に悪いことをしたと思った。

「それじゃ、用はこれだけだから、お疲れさま」

「ありがとうございました……」

 事務室を出た葦原は、暗い廊下を抜けて、薄ら寒い校門へと向かった。

 午後9時。夏ならばこの時間帯でも、たまに生徒とすれ違うことがあった。部活か何かなのだろう。しかし、冬場は稀であり、ましてや1月は始まったばかりである。校舎は、無人の廃墟と化していた。

 靴を履いた葦原が校庭に出ると、ふいに声を掛けられた。

 振り返ると、有坂と金居(かない)が、電灯の下に仲良く立っていた。

「葦原、どうだった?」

「どうって?」

「風峰の奴、なんか言ってなかったか?」

 ああ、そのことかと、葦原は合格通知の件を包み隠さず話した。

 それを聞き終えたふたりは、腹を抱えて笑う。

「ま、そんなことだろうと思ってたぜ」

「ほんとおっちょこちょいだよね」

 葦原も釣られて笑ったが、ふと疑問に思ったことをぶつけてみたくなった。

「えっと……有坂くんは、誰かを待ってたの?」

 質問を受けた有坂は、少し気まずそうな顔をした。

 口をモゴモゴさせている。言い訳を考えているのだろう。

 その代わりに、金居が答えた。

「風峰さんが喫煙の目撃者を探してるんじゃないかって、焦ってたのよ」

「こら」

 有坂はムスッとして、そっぽを向いてしまった。

 葦原は何と言ってよいのか分からないので、とりあえず下校しようと思った。

「そこまで一緒ね」

 金居はそう言って、有坂の腕を引いた。

 有坂は不承不承という感じで、ついてくる。

 けれどもすぐに機嫌を直して、3人はいろいろと喋った。話題は学校生活よりも、むしろ私生活の方に重点が置かれた。葦原は、ルナとの探偵ごっこについて、一言も口にしなかった。というよりも、ルナの存在自体を隠した。変に勘ぐられると困るからだ。

「じゃ、また明日」

「気を付けて帰れよ」

 金居と有坂はそう言って、闇夜に姿を消した。

 それを見送ったあと、葦原はアパートへの道を辿った。彼が門をくぐったときには、敷地内はしんと静まり返っていた。101号室にも、明かりは灯っていない。ルナは宣言通り、週末にしか姿を現さないようであった。

 鍵を開けて室内に上がり込んだ葦原は、ぐったりと床に寝転んだ。

 合格通知が見つかって、これまでの疲れがドッと出てしまった。

 しばらく天井を見上げた葦原は、おもむろに鞄を開け、封筒を引き出す。中身を確認すると、それは紛れもなく合格通知であった。入学後に貰っては、妙な感じのする代物だ。それでも、嬉しくはあった。うろな高校の一員だという自覚が深まった。

「切手の貼り忘れか……風峰さん、よっぽど慌てて……ん?」

 葦原は、封筒の片隅に違和感を覚えた。

 体を捻って、仰向けからうつ伏せになる。

 蛍光灯の光が、封筒の表面を照らし出した。そして、封筒の左上隅に、小さな三角形をした光沢が浮かび上がった。そこだけ、一際キラキラしている。形を正確に言うと、左上隅が直角になっていて、上辺は封筒の上辺に、左辺は封筒の左辺に水平で、斜線は若干歪んでいた。大きさは、小指の爪先ほどである。

「……切手の跡?」

 葦原は、指先でその光沢に触れてみた。

 粘り気はないが、明らかに紙質と異なっていた。

 葦原はそれを何度か繰り返し、眉間に皺を寄せた。

「切手が剥がれたのかな?」 

 切手の貼り忘れも奇異であったが、剥がれるというのも奇異であった。

 けれども、その光沢の具合と言い、位置と言い、切手の糊としか思えなかった。

「……まさかね」

 葦原はそう呟くと、お湯を沸かし、即席麺を食べた。その間も、視線は何度か封筒に注がれた。さらに、即席麺ばかりは良くないという、ルナの忠告メールも頭をよぎった。それがだんだんと一体になり、食べ終える頃には、封筒とルナを結びつけるようになっていた。

 葦原は無意識に携帯を取り出し、ルナのメアドを検索していた。

「……まずいか」

 探偵ごっこは、先日キャンセルしたばかりである。

 あのときは、半分苛立ちからそうしたのだが、今さら撤回するのも躊躇われた。

 葦原は携帯をテーブルの上に放り、それから宿題に取りかかった。半分ほどやったところまでは良かったが、また封筒が気になり始めた。問題を考えるよりも、ルナや桑原との和解の方に頭を悩ませた。16になったばかりの葦原には、それほど多くの選択肢がない。経験が明らかに不足していた。

 桑原には、単純に謝れば良いと思った。それで、大したことにはならないというのが、葦原の予想であった。他方で、ルナは取っ掛かりが掴みにくかった。彼女の落ち度については既に指摘済みだし、それが暖簾に腕押しであることも確認済みであった。したがって、これはどうにもならないと、諦めざるをえなかった。

 少年はあれこれ考えた挙げ句、ふたりの関係がそもそもおかしいのだと、そういう結論に達した。ルナと自分はただの隣人で、いや、ただの隣人でなくても、そこそこ仲の良い隣人であり、探偵とクライアントではない。そのような関係を設定してしまったことが、決定的な間違いだと、葦原はそう断じた。だから、仕事をキャンセルしたとか、そういうことは全ておじゃんにするつもりになった。アドバイスを受けるだけだ。自分にそう言い聞かせた。

 葦原はそこまでざっと30分考えて、ルナにメールを送った。謝罪文もなく、封筒の一件を事務的に伝える内容にした。その方が、無感動なルナには都合が良いだろうとも思った。

 後片付けをしている間に、早速メールは返って来た。

《封筒の画像を送ってもらえませんか?》 

 案の定、極めてルナらしいメールだった。その一文しか書いていなかった。

 葦原はピントと格闘しながら写真を取り、それをルナに送った。

 すると、すぐに返信があった。

《これでは分かりません。もう少しクリアに撮れませんか?》

 そこから、メールの応酬が始まった。

《これ以上は無理》

《携帯カメラですか? 接写用のカメラは持っていませんか?》

《携帯カメラ以外は、持ってないよ》

 そこで、1分ほど間が空いた。

 葦原はもう一度上手く撮ろうとしてみたが、ダメだった。

《封筒を、下記の住所に送ってもらえませんか?》

 そこには、東京の私書箱が記されていた。

 勤務先だろうか。葦原は、あまり仕事の邪魔をしたくなかった。

《別に、週末でいいよ。来るんでしょ?》

《光沢の成分を調べたいのです》

 葦原は、少しばかり驚いた。そんなことができるのだろうか。

 しかし、ルナに言われると、なぜかできるような気もしてきた。

《調べてどうするの?》

《本当に切手がどうか調べないといけないと思います》

 なるほどと、葦原は液晶を弄りながら納得した。

 光沢が切手の糊だと言うのは、目下のところ、ただの憶測であった。

《ほんとにいいの? 今からで間に合う?》

《明日、着払いの小包で送ってください》

 小包なら、エクスプレスで早く届く。

 葦原は、条件付きで承諾した。

《着払いは悪いから、こっちで払うよ》

《着払いにしてください》

《調べるのにも、お金がかかるんじゃないの? 大丈夫?》

《着払いにしてください》

 もう同じ文面しか返ってこないような気がしたので、葦原は折れた。

《了解。ありがと》

《土曜日には結果をお知らせできると思います。では》

 ふたりのやり取りは、簡単な挨拶で終わった。

 葦原は適当な段ボールを引っ張り出すと、寒空の下をコンビニへと向かった。

 明日送れと言われたことは、とっくに頭から抜けていた。


  ○

   。

    .


「ルナ様は、どうした?」

 金髪にサングラスを掛けた男が、隣のスキンヘッドに尋ねた。

「さっき、研究所の方へ出掛けたぞ」

「研究所? 組織のか?」

「他にどこがあるんだよ?」

 サングラスの男こと木村(きむら)は、肩をすくめて返事に代えた。

「あれか? 定期検診か?」

「定期検診なら、年末にやっただろう。異常なしだった」

「じゃあ、夢潜(むせん)のトレーニング?」

「それは来週だ」

 スキンヘッドのおざなりな回答に、木村は尋ねる気が失せてきた。

 しかし、好奇心は失せない。

「用件は言ってないのか?」

「調べものだとよ。小包を持ってたし、指紋とかDNAとか、そんなところだろ」

「仕事は入ってないんだろ?」

「よく分からんが、何か副業を始めたらしい。その関係じゃないのか」

 スキンヘッドは煙草を灰皿に押し付け、ソファーの上で大きく背伸びをした。木村も、ルナの副業については、ちゃんと耳にしていた。しかしそれは、前々回の失敗で首になりそうだから、新しい就職先を探しているものとばかり思っていた。今や失職の心配はないのだから、なぜルナが副業をしているのか、木村には皆目見当がつかなかった。

「……暇だね」

「ああ」

 ふたりとも手持ち無沙汰であった。忘れ屋の仕事というものは、年中あるわけではない。一回の報酬が大きい代わりに、何週間もスケジュールが入らないこともあった。とはいえ、ルナは多忙な方だ。それは、鬼道(きどう)グループの一件で信頼を回復して以来、否応にも体感できるほどであった。

「こうして転職せずに済んだのも、ルナ様のおかげだな。ルナ様々よ」

 スキンヘッドの男は、誰とはなしにそう独りごちた。

「だけどよ、田中(たなか)、最近ルナ様の様子が、ちょっと変じゃないか?」

 木村は心持ち、声のボリュームを落とした。

 念のため、入り口をチェックする。ルナが帰宅した気配はなかった。

「ああ、それは俺も感じてる」

「この前の日曜も、いきなりどっかへ行って、帰って来たと思ったら寝室に引きこもるし、体調でも悪いのかね」

「思春期の悩みってやつじゃないか」

 田中の推測に、木村は吹き出した。

「何がおかしい?」

「ルナ様に限って、それはねえよ。仙人みたいな性格してるぜ」

「違いねえ。だとしたら、過労かもしれねえな。今度、休暇でも取って……」

 そのとき、背後の扉が開いた。

 ふたりはドキリとして、室内に踏み込むルナの機嫌を伺う。

「ルナ様、研究所の方は、お済みで?」

 木村の質問に、ルナはこくりと頷いた。

「やはり糊でした」

「ノリ? ……何がですか?」

 ルナは、二つ折りになったA4版の封筒を掲げた。

「この部分に、切手が貼ってあったのです」

 ルナは華奢な指で、封筒の左上隅を指し示す。

「はあ……」

 木村には、それ以上の反応ができなかった。

 だからどうしたのだと尋ねるのも、若干気が引けた。

 困惑する木村と田中を他所に、ルナは先を続けた。

「今週末は、予定をすべて開けてください。仕事は入れません」

「ええ、それは別にいいですが……」

 田中は手帳をめくりながら、17〜19日に斜線を引いた。

「休暇ですか? それなら、1週間くらい取っても……」

「いえ、少しばかり急用ができました」

 田中と木村は、お互いに顔を見合わせる。

「ルナ様、俺たちはサラリーマンじゃないですが、土日くらい休んだ方がいいですよ」

 と木村。

「そうです。月曜は、気分が冴えないように見えましたし」

 と田中。

「あれはもう、治りました」

 ルナはふたりに取り合わず、寝室に引っ込んだ。

 そのそっけなさは、どこか冷淡でありながらも、爽やかなところがあった。

とにあさんの『URONA・あ・らかると』から、風峰さん、有坂くん、金居さんをお借りしました。

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