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うろな町の不思議な人々  作者: 稲葉孝太郎
第6章 合格通知不達事件
63/71

第61話 第二容疑者

これは1月10日(金)〜11日(土)のお話です。

「ええ、知っていましたよ」

 それが、ルナの第一声だった。葦原(あしはら)は、あんぐりと口を開ける。

「知ってた……? いつから……?」

「封筒を発見した時点です。宛名がありませんでしたので」

 ルナはそう言うと、コンビニで買ってきたらしきお茶を飲んだ。彼女のそっけなさが、温厚な葦原の神経を逆撫でする。

 有坂(ありさか)金居(かない)から得た情報により、封筒は郵便局を経ずに投函されたことが明らかになった。そのことを、週末になって現れたルナに伝えたところ、さきほどの返事である。

 これでは、何のためにルナを待っていたのか、分からない。さっさとシャワーでも浴びて寝れば良かったのだ。葦原は、夜の10時まで待ったことを後悔した。

「じゃあ、何で僕に教えてくれなかったの?」

「事件の調査過程を、依頼人に全て教える必要もありませんので……」

「あのね、この事件に首を突っ込んで来たのは、君の方なんだよ。僕には知る権利がある」

「もちろん、依頼人から請求があれば、いつでも情報は開示します」

 これでは水掛け論だ。葦原は諦めて、テーブルの端に頬肘をついた。

 目の前であぐらをかいているルナは、スーツ姿だ。仕事上がりらしい。あいかわらず何の職業なのか、葦原にはさっぱり見当がつかなかった。水商売の線は薄いし、かと言って普通のセールスマンにも見えない。彼女の性格は、明らかに営業職向きではなかった。

「何か開示して欲しい情報がありますか?」

 スリーサイズでも訊いてやろうか。葦原は憮然とする。

 しかし、そういう投げやりな態度もいかがなものかと思い、葦原は本題に戻った。

「これからどうするつもりなの? 両方盗まれたとなると、さっぱりわけが……」

「とりあえず、うろなキッズハウスを訪問してみたいと思います」

 ルナの返答に、葦原は頬肘を外した。

「キッズハウスに……? まだ裕也(ゆうや)を疑ってるの?」

「封筒は、うろなキッズハウスの関係者が直接投函したはずです」

「それは分かってるよ。他にやる人がいないからね。だからって……」

 そこまで言って、葦原は絶句した。ルナは、意味深な眼差しを向けてくる。

「それは……ただの憶測だよ……」

「招待状を投函しようと思ったら、合格通知の封筒に気付き、それを抜き取った。その可能性よりも高いシチェーションがあるなら、説明を願います」

「いや、対案があるかどうかの問題じゃないだろ。証明責任は、君にあるんだから」

「そのために、キッズハウスを訪問するのです」

 葦原は反論に窮した。視線を畳の目に沿わせ、それから再びルナに向き直る。

 ルナは断固とした目付きで、少年を見つめ返してきた。

「……もしも僕は、今回の依頼をキャンセルしたら?」

「それはクライアントの自由です。キャンセル料も発生しません」

 葦原は悩んだ。話が、善からぬ方向へ進んでいる気がしたのだ。キッズハウスに紛失事件の犯人がいる。そのことが、葦原は信じられない。それに、どうやってルナ個人が、証拠固めをするというのだろう。見ず知らずの他人に、関係者が口を割るとも思えないのだ。

「私は明日にでも、キッズハウスを訪問するつもりです」

 明日は土曜日。定時制の授業もない。

 バイトは入っているが、午前中ならば何とかなる。

 葦原は1分ほど考え込んだ後、ルナにこう返した。

「君だけだと不安だから、僕もついて行くよ」

「それは助かります。聞き出すのに、手間が省けますので」

 ルナの言い回しに、葦原のアンテナが反応する。彼がついて行かなければ、どうやって情報を聞き出すつもりだったのだろうか。読心術を持っているわけでもあるまいと、葦原は不審に思う。

「何時がいいですか?」

「開園時間とかないからなあ……。あんまり早いと迷惑だし、朝の10時とかどう?」

「10時ですね。……では、9時半にアパートの前で」

 こういうとき、待ち合わせ場所が自宅なのは助かる。

 定時制とバイトの掛け持ちで、葦原は思ったより疲れているのだった。

「それでは、失礼します」

 そう言ってルナは、腰を上げた。よくよく考えてみれば、深夜に同世代の女子とふたりきりというのも、おかしなシチェーションである。誰かに見られはしないかと、葦原は若干気にかかった。要らぬ誤解を受けたくない。

「じゃあね」

 葦原の挨拶を最後に、ルナは扉の向こう側へと消えた。

 

  ○

   。

    .


 翌朝、葦原が玄関を開けたとき、ルナは既にスタンバイしていた。案の定、男と勘違いされそうな格好をしている。わざとなのだろうか。葦原には分からない。もっとも、ルナのスカート姿を想像してみると、逆に女装と勘違いされる虞もあるのだから、そのあたりを考慮しているのかもしれない。葦原は、肯定的に捉えてみた。

「おはよ」

「おはようございます」

 丁寧語をやたらと使ってくるのも、葦原には気になった。こういうタイプの人間を、葦原はもうひとり知っている。吉備津(きびつ)いづなだ。以前の取り決めで、お互いに敬語は使わないという約束を交わしたくらいである。

 同じことを、葦原はルナにも試みようと思った。

「ねえ、何で僕に敬語なの? 烏丸(からすま)さんって、中学生じゃないんだよね?」

「……いいえ」

「だったら、僕より年下ってことはありえないんだから、普通に話してくれない? ……それとももしかして、僕の方が年下とか?」

 葦原は、その可能性をなぜか失念していた。これでルナの方が年上なら、かなり失礼な会話を繰り広げていたことになるが……。葦原は息を呑む。

「いえ、おそらく同い年だと思います」

「おそらく? おそらくって何?」

「私は一応、16歳ということになっていますので……」

 葦原は混乱してしまう。「おそらく」とか「一応」とか、自分の年齢についてそういう表現をするのは、ありえないように思われたからだ。人間誰しも、自分の年齢くらいはきちんと把握しているはずである。大昔ならともかく、ここは現代の日本。それともルナは、本当は日本人ではないのだろうか。肌の具合などを見ていると、その可能性も捨て切れない。

「んー、まあいいや……とにかく、そのですます調は止めてよ」

「なぜですか?」

「何か気になるんだよね。初体面ならともかく、僕たちはそういうわけでもないしさ」

 ルナは無味乾燥な眼差しで、しばらく虚空を見つめた。

 まさか、嫌だというのではないだろうか。葦原は返事を待つ。

「……分かりました」

 分かってないだろッ! 葦原は叫びそうになる。

「しかし、私はタメ口というものを使ったことがないので……どうにも……」

「タメ口の使い方とか、そんなのないから。そのへんで耳にした通り使えばいいんだよ」

 葦原がそう言うと、ルナは早速頷き返した。

「分かったぜ。……こうですか?」

「……『ぜ』は要らない」

「なぜですか? 駅前などで、よく耳にしますが……」

 もしや、男言葉と女言葉の違いが分かっていないのだろうか。それは、かなりの重症だと思うのだが……。葦原はどう説明したものか、しばらく逡巡した。

「えっと……『ぜ』は男しか使わないから……」

「そんなことはないでしょう。女性でも、使っているのを見たことがあります」

 そりゃ一部だけだろうと、葦原は突っ込みたくなる。

 しかし、使われているのは事実なのだから、これは葦原が嘘を吐いた形になった。しかもボーイッシュなルナが使うと、妙に違和感がないのが腹立たしい。下手をすると、葦原が使うより様になっているかもしれないくらいだ。

 それに、ルナが周囲からどう思われようが、今更な感もある。葦原は、どうにでもなれと言わんばかりに、天を煽ぐ。

「分かったよ。君の好きにして」

「ああ、好きにするさ」

「……やっぱり戻さない?」

「どちらかはっきりしてもらえませんか?」

 ルナの冷たい視線が、葦原の胸を貫く。

 葦原は肩を落とし、溜め息を吐いた。

「じゃ、これまで通りで……」

「分かりました」

 朝から意味不明な会話を繰り広げてしまった葦原は、気を取り直してアパートを出る。土曜日の朝とあってか、人通りは少ない。ジョギングや犬の散歩をする高齢者、あるいは週末も出勤するサラリーマンとすれ違うだけで、見知った人物はいなかった。

 葦原は、後ろを歩くルナを盗み見る。……会話が難しい。ルナの方から話を振ってきたことは、今まで一度もない。葦原は適当なネタを探す。

「……烏丸さん、ひとつ訊いていいかな?」

「別に許可を取る必要はありません。……どうぞ」

「……君はどこからうろな町に通ってるの?」

 沈黙。葦原は、歩を止めた。

「烏丸さん?」

「それはお教えできません」

 許可が要らないって言ったばかりだろ。葦原は内心毒づく。それとも、質問するだけならタダだが、返答は期待するなという意味だったのだろうか。それも腹立たしい解釈である。

 葦原はポケットに手を突っ込み、歩みを再開した。

「社会人なんだよね? 何の仕事?」

「それもお教えできません」

「何でうろな町に探偵事務所を開いたの?」

「それもお教えできません」

 全て秘密というわけだ。葦原は呆れ返ってしまう。

 こうもはぐらかされては、会話を続けようという気も失せた。葦原は黙って先を進む。ルナの方も、それを苦にしていないらしい。ただ時々、空を見上げては立ち止まることがあるので、それが葦原の気にかかった。

「さっきからどうしたの?」

 ルナは、首を上に曲げたまま答える。

「あそこにカラスがいます」

 葦原は、ルナの視線を追う。大きなカラスが一羽、電信柱の上に留まっていた。

 珍しくも何ともない光景である。週末のゴミ漁りを狙っているのだろう。

「あのカラスがどうかしたの?」

「艶がよくて奇麗だと思います」

 葦原は首を左右に振ると、再び歩き始めた。付き合ってられないと、そんな調子だ。

 少し離れたところで、ルナが小走りに追いかけてくる。

「鳥は嫌いですか?」

「んー、好きでも嫌いでもないかな……犬の方が好き……」

「主人に忠実だからですか?」

 そういう問題か。葦原は、動物の好みについてあれこれ考えたことがなかった。アパートはペット禁止なのだから、どのみち飼うこともできない。

「そんなことより、早くキッズハウスへ行こうよ。午後はバイトあるしさ」

「……分かりました」

 ふたりがキッズハウスへ着いたのは、予定より5分遅れのことであった。遊技場では、小さな子供たちが何人か遊んでいる。葦原たちの訪問など、気にも留めていないようだ。

 葦原たちの方も、園児には興味がなく、すぐに玄関へと向かう。チャイムを押そうとした矢先、植え込みのそばから、ひとりの女性が出て来た。

「あら、葦原くんじゃない」

 そう言ったのは、人の良さそうな、眼鏡を掛けた中年女性であった。庭作業でもしていたのか、スカイブルーの事務服に、手袋という出で立ちだった。

 彼女の顔に、葦原は見覚えがある。

「に、西谷(にしたに)さん」

 園長の登場に、葦原は気が動転した。心の準備ができていなかったのである。

 一方、西谷は笑顔で前に出ると、手袋を外して、握手を求めた。葦原もそれに応じる。

「すっかり大きくなって。最近はどう?」

「え、ええ、おかげさまで……」

 社交辞令を述べた葦原は、ちらりとルナを見やる。

 ルナは、積極的に自己紹介をするタイプではない。まるでオブザーバーのように、ふたりのやり取りを傍観するばかりであった。

「あら、そちらのお嬢さんは?」

 お嬢さん。どうやら西谷には、ルナの性別が分かったらしい。このあたりは、さすが教育職というあたりだろうか。

 葦原は、ルナを紹介する。

「彼女は、烏丸ルナさんです」

 葦原は、彼女との関係をぼやかした。西谷はあまり詮索するタイプではなかったが、同じアパートに住んでいるとは、言い辛かったのである。西谷もそれ以上は尋ねず、ルナとも握手を交わした。

「あら、あなた冷え性? 気をつけなさいよ」

「……」

 握手を終えたルナは、じっと手を見ている。自覚がなかったのだろうか。初対面の少女の体調を心配してしまうあたりも、西谷の人柄がよく現れていた。

 だが今重要なのは、ルナの体質の問題ではない。人探しである。

岩瀬(いわせ)くんはいますか?」

 岩瀬の名前が出た途端、西谷は残念そうに首を振った。

「ごめんなさい、今日は親類の人に呼ばれて、いないのよ」

「……そうですか」

 何と言うタイミングの悪さだ。葦原は困り果ててしまう。

 第一容疑者が行方不明とあっては、ここへ来た意味がないというものだ。

「そ、それじゃ、また明日にでも……」

 そのとき、ルナが少年の背中を小突いた。振り返ると、視線が合う。

 微妙なアイコンタクトを交わしてから、葦原は彼女の考えを推し量った。

「他の人はいますか? 桑原(くわはら)さんとか……」

「ええ、彼女ならいるわよ。……呼んで来ましょうか?」

「い、いえ、場所だけ教えてもらえれば」

 西谷は、キッズハウスの裏手を指示した。どうやら桑原は、そちらの花壇を担当しているらしい。礼を述べた葦原は、ルナを引き連れて、裏手へと回る。

「どうしたの? 残れって感じだったけど……」

「私はまだ、岩瀬くんと決め打っているわけではありません。他の容疑者を探します」

「うーん……あまり嫌疑を広めるのは、どうかと思うんだけど……」

 葦原がそう言いかけたところで、桑原の背中が見えた。花壇に向かって膝を曲げ、何やら土仕事をしている。ポニーテールが揺れ、葦原は何だか懐かしい気持ちを抱いた。

「桑原さん」

 葦原の呼びかけに、桑原の動きが止まった。サッと振り返り、顔を綻ばせる。

「みっちゃん!」

 桑原はスコップを放り投げると、駆け寄って握手を求める。やたらと情熱的な態度に、葦原は羞恥心を感じてしまう。ルナがそばで見ているからだ。

「今日はどうしたの?」

「どうってわけじゃないけど……」

 しまった、ルナは何がしたかったのだ。こんなことなら、裏手に回る前に、打ち合わせをしておけば良かった。葦原は、脳みそをフル回転させる。

「そ、そう言えば、この前のクリスマス会のことなんだけど……」

 葦原の台詞に、桑原はきょとんとなった。そして、クスリと笑う。

「もう2014年だよ? どうしちゃったの?」

「そ、そうなんだけど……あの招待状って、誰が配ったの?」

 葦原の問いに、桑原の笑顔が消えた。ずっと握っていた手を放し、視線を横に逸らす。

「キッズハウスのみんなだよ」

「へえ……大変だね……。西谷さんひとりってわけじゃないよね?」

 桑原は、一瞬口ごもった後、答えを返す。

「ううん、年長者と西谷さんで手分けしたんだ」

 葦原は、自分の質問が間違っていなかったことに気付く。桑原の態度は、葦原にとっては不可解そのものである。まさか、桑原が一枚噛んでいるのではないだろうか。あまり好ましくない疑念が、葦原の中で沸き起こる。

 葦原が次の質問に戸惑っていると、桑原は作ったような笑顔を浮かべた。

「それより、ちょっとお茶でも飲んでいかない? もうすぐ休憩時間だし」

 葦原はルナを盗み見る。ルナは気付かれないほどに素早く頷き返した。

 桑原はその横で、まだ植えていない花を片付け始めている。あいかわらず気の早い少女だと、葦原は昔を振り返った。中学校のときから、やたらとせっかちなのである。

「じゃ、私が案内するわね」

 そう言って桑原は、裏口の鍵を開ける。

 葦原とルナはお互いに顔を合わせた後、少女の後を追った。

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