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うろな町の不思議な人々  作者: 稲葉孝太郎
第6章 合格通知不達事件
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第59話 入学式

 1月6日、葦原(あしはら)は入学式を迎えた。

 入学式と言っても、定時制の人数が人数なだけに、関係者挨拶もあっさりと終わり、制服と教材の配布に重点が置かれていた。制服は黒のブレザーで、ネクタイは黒と青のチェック柄。全日制とお揃いであることは、葦原にも一目で分かった。「悪用しないように」と風峰(かざみね)がアナウンスを入れているのは、冗談なのか本気なのか。

 教材も当然のことながら、普通の高校生が使うもののようだ。新品の教科書というのは、いつ見ても胸が弾むものである。

 教材に漏れがないかチェックをしていると、隣の少年がいきなり声をかけてきた。

「おまえが葦原?」

 いきなりの呼び捨て。実は葦原も、さきほどからこの少年が気になっているのだった。知り合いとかそういう理由ではなく、少年の衣服が煙草の匂いを漂わせていたからである。

 葦原は恐る恐る返事をする。

「は、はい、そうですけど……」

「合格通知が届かなかったって?」

 なぜそのことを。葦原は警戒心を抱いた。

 相手もそのことに気付いたのか、ハハッと笑って椅子を傾ける。

「みんな知ってるぜ。風峰さんが、『間違って葦原瑞穂の合格通知が入ってないか』って電話して回ってたらしいからな。俺の携帯にもかかってきた」

「あ、そういう……」

 葦原は、配布物の確認を行っている風峰を盗み見た。不達のメールを出した後、一応心配してくれたようだ。

 葦原が内心感謝の念を抱く中、少年は自己紹介を始めた。

「俺は有坂(ありさか)、年齢的には先輩だけど、呼び捨てでいいぜ」

 先輩。その言い回しが、葦原のアンテナに引っかかる。

「こ、今年で何歳?」

「おまえ、野暮なこと訊くなあ……。定時制だからみんな同級生だろ。それに……」

 有坂はそこで言葉を区切った。葦原は催促する勇気もなく、黙って続きを待つ。

「それに、俺はおまえのこと知ってるぜ。うろ中で見かけたからな」

「中学校で?」

 まさか同級生か。いや、そんなはずはない。こんな少年は同学年にいなかった。仮にクラスが3年間別だったとしても、かなり目立つはずである。しかも、有坂は自分の方が年上だと確信しているのだ。そこから導き出される結論は、ただひとつ。

「もしかして、ひとつかふたつ上の学年でした?」

 葦原の質問に、有坂は苦笑する。

「だから敬語使わなくていいんだよ。めんどくせえなあ……」

 機嫌を損ねたか、と思ったが、別にそういうわけでもないようだ。

 有坂は椅子にもたれかかり、両足を器用に机の上に乗せた。行儀が悪いというよりも、むしろそのバランス感覚の方に驚いてしまう。葦原が真似たら、そのまま後ろに転倒してしまうだろう。

「ま、どうせ俺たちが最年少グループだろうし、お互い仲良くやろうぜ」

「よ、よろしく……」

 有坂は急に関心がなくなったのか、それ以上は話し掛けてこなかった。

 ホッと胸を撫で下ろしたのも束の間、今度は右隣の人物と目が合った。

「こんにちは、あっしー」

「こ、こんにちは、瀬尾(せお)さん……」

「この前の闇鍋パーティ、楽しかったねぇ。またしようね」

 け、結構です……。危うくそう口にしかけた葦原だが、瀬尾に恨みはない。むしろ誘ってくれたこと自体には感謝していた。入学前からハブられている方が大問題なのだから。問題だったのは、鍋に突っ込まれたチョコレートの方である。

 瀬尾は還暦前くらいの容姿をしているが、いまいち年齢が判然としない。同じクラスのアラサー女性、吉川(よしかわ)と面識があるらしく、会話を聞く限りでは、瀬尾が吉川の上司か何かに当たるらしい。やたらとお金の話をしている。銀行マンだろうか。もしかすると株のトレーダーかもしれない。

「そう言えば、合格通知が届かなかったんだってねぇ。見つかったかな?」

「い、いえ、結局見つかりませんでした」

「そっかぁ、じゃあきっと盗まれたんだろうね」

 …点ん? 何だ今の結論は。葦原は首を傾げた。

「どうして盗まれたって思うんですか?」

 瀬尾は、うふふと笑って一言。

「勘」

 思わずずっこけそうになった葦原だが、すぐに気を取り直す。この瀬尾という老人が一筋縄でいかないことは、既に入学試験の段階で分かっていたのだから。

 それにしても、合格通知はどこへ行ってしまったのだろうか。初詣の帰り道、ルナにそのことを尋ねてみたが、「情報が少な過ぎる」の一言でばっさり切られてしまった。しかも仕事があると言ってうろな町から出て行ってしまったのだから、無責任にもほどがある。葦原はその日のオリエンテーリングを、もやもやとした気分で過ごすことになった。

 

  ○

   。

    .


 放課後、顔合わせということもあって、みんな教室に居残る。葦原も早くからそのことを想定して、シフトをずらしてもらっていた。とはいえ、人付き合いが好きでない人もいるらしく、眼鏡を掛けた若い男は、挨拶だけ済ませてさっさと教室を出て行こうとした。

「ちょっとくらい付き合ってくれてもいいよねぇ」

 と瀬尾。未練がましいというよりは、何とも甘ったるいお友だちモードだ。

 教室のドアに手を掛けていた青年は、眼鏡を押し上げてクラスメイトを振り返る。

「お金の掛からないことだったらいいんですがね」

「それじゃ鬼ごっこでもしようか?」

 瀬尾の提案に、ハァとあからさまな溜め息が聞こえた。有坂である。もっとも、有坂以外のメンバーも口には出さないだけで、鬼ごっこをやりたそうな人物は見当たらない。葦原もそれはちょっと、というのが本音だった。

「みんなで飯食いに行きゃいいんじゃねえのか?」

 ぶっきらぼうにそう言ったのは、少し強面のおじさん、本宮(もとみや)だ。彼がどういう経緯で定時制に通い始めたのか、葦原は知らない。まだ言葉を交わしてもいない間柄だ。

「外食をするなど、何年ぶりでしょうか……」

 と、隅っこに座っている青年が呟く。入学式当初からこの青年の顔に既視感を覚えていた葦原だが、何のことはない、あの風峰の実弟とのこと。名前は風峰(ほのか)。女みたいな名前だな。葦原は自分のことを棚に上げてそう思う。

「おいしいラーメン屋さんがあるんですよ。そこに案内しましょうか?」

 おっとりとした口調で提案したのは、吉川だ。瀬尾も賛成する。

「いいねぇ、まゆちゃんはセンスいいから」

 同級生とは言え、やはり大人を中心に話が進んでしまう。葦原を含めた少年少女組は、特に口出しもせず一ヶ所に固まっていた。有坂の他にも、有坂の幼馴染みだと言う金居(かない)、既に大阪で通信制を受けていたという日生(ひなり)、それに少しだけ歳が離れているように見える(いずみ)が控えている。3人とも女性で、葦原は若干肩身が狭い。金居は有坂にべったりだし、日生は泉を相手にマシンガントークを繰り広げている。女子の会話に絡むわけにもいかず、葦原はぼんやりと大人サイドの会話を追っていた。

「食事なら、お金がかかるんで先に帰らせてもらいますよ」

 そう言って駄々をこねているのは、さきほどの若い眼鏡だ。名前は……広前(ひろまえ)。どうやら相当な倹約家らしい。ラーメン代の親睦会も認めないとは、普段から粗食の葦原もびっくりである。

 しかし、最年長の瀬尾も負けてはいない。

「まだ夕食までは時間があるからね。ちょっとくらいお話して行こうよ」

「話ですか……まあそれくらいなら……」

 広前は渋々と言った感じで、入り口近くの椅子に腰を下ろした。積極的に会話に参加する意欲はないらしい。クラスは自然と、喋る組と喋らない組に分かれ始める。話題は今日のオリエンテーリングから、今後の学校生活について、あるいは雑多な趣味に及び、私生活についてはほとんど誰も触れなかった。それは定時制に来る上で、ひとつのマナーなのかもしれないと、葦原は思う。

「ねえ、葦原くん?」

 いきなり背後から声を掛けられ、葦原はびくりとなった。

 振り返ると、目を丸くした少女、泉の顔が映る。

「ご、ごめん……おどかした?」

「い、いや、そんなことないよ……」

「葦原くん、今日はやたらと考え事してるね。何か気になることでもあるの?」

 ぎくり。なかなか観察力のある少女だ。葦原は正直に打ち明ける。

「行方不明になった合格通知のことが気になってね」

 するとそこへ、金居が割り込んでくる。

「ああ、あの話ね。私にも風峰さんから電話あったよ。2枚入ってないかって。で、結局見つかったの?」

 葦原は首を左右に振る。

「いや……多分郵便事故だと思うんだけど……」

「だよねえ。私も昔、通販で買った本が届かなくてさあ。ママの動きが怪しいんで調べてみたら、郵便受けから抜いてたのよねえ。ほんと喧嘩になりそうでさあ」

 ……それは話がズレてないか? しかも母親に郵便受けから抜かれる本って何だ? 葦原は首を捻りつつも、一応耳を傾けた。

「でねえ、そのときの風峰さんがやたらしつこくてさあ」

「え? うちは結構あっさりだったけど?」

 日生がきょとんとした顔で尋ねた。金居はおばさんみたいに手を振って返事をする。

「それがさ、私と葦原くんって、名前が似てるんだよねえ。漢字で書くと一緒だし」

「そうなの?」

 日生は鞄から学生名簿を取り出すと、ふたりの名前を探し始めた。

「あ、ほんとだ……瑞穂(みずほ)瑞穂(みほ)……そっくりやね……」

 日生の口から関西弁が漏れる。普段は標準語だが、気が抜けたり興奮したりすると、地元の表現が出てしまうらしかった。そのくらいの観察眼は、葦原も持ち合わせている。

「でしょ、だから【瑞穂】違いで入れ間違えたんじゃないかって言うのよね」

「仮にそうだとしても、風峰さんの責任でしょ。名前を確認しないのが悪いんだわ」

 日生は金居を庇った。こういうときの女子の団結力には、恐ろしいものがある。

 金居もそれで満足したのか、椅子を動かして葦原に向き直った。

「で、結局見つからなかったんでしょ?」

 金居はそう言って、葦原の顔を覗き込んでくる。葦原も頷かざるをえない。

「だったら、風峰さんの責任でもなくて、郵便局の怠慢なんじゃないの?」

 と泉。その通りだ。葦原もそう思っていた。ルナが郵便物の照合を提案しなければ、今でもそう考えていたはずである。

 というより、ルナの勘ぐり過ぎなのではないだろうか。クリスマス会の招待状と合格通知が同じルートに乗って、ふたつとも不達した可能性を考慮に入れていなかった。郵便配達に対する過度の信頼が誤りだったとすれば、もはや万事解決である。

 葦原がこれまでの推理をやり直していると、再び金居が喋り始めた。

「ま、とにかくさ、合格通知なんで手続に必要なかったし、無くなってもいいじゃん」

「そういう問題じゃないと思うんだけど……」

 呆れる日生。ただ、言っていることは金居が正論である。合格通知は合格を知らせるためだけのもので、後から学校に提出しなければならないようなものではなかった。おそらくこの教室にいる生徒も、記念品にしない限り、そのうちゴミ箱に捨ててしまうだろう。

 だんだんと気が軽くなり始めたところで、ふいに泉が口を開く。

「本当にそれだけ?」

「え?」

 喫驚を上げた葦原だけでなく、他のメンバーも一斉に泉を見た。それがとてつもなく気恥ずかしかったのか、泉は頬を赤らめて両手を振る。

「あ、葦原くん、もっと深刻な顔してたから、何かあったのかな、と思って……」

「おっとー、初日から葦原くんウォッチング宣言ですかあ?」

 金居がからかう。泉は顔を真っ赤にして、それを否定した。

「そうじゃないよお……」

 女子ふたりのやり取りを他所に、葦原は自分を内省する。今回の紛失事件、ここまで騒ぐようなことだっただろうか。よくよく考えてみれば、大したことではない。合格通知がなくなっただけなのだ。たとえ窃盗だとしても、葦原の日常生活に支障は出ていない。

 そう考えた葦原は、にっこりと泉に笑いかける。

「何でもないよ。ただ入学したてで緊張して……」

「みんな、準備はできたかな? そろそろラーメン食べに行くよ」

 瀬尾の声に、誰もが席を立ち始めた。ひとり広前だけは、宣言通り食事会には参加しないつもりらしい。

「では、お先に失礼」

 眼鏡の位置を直しながら、そのまま教室を出て行く。付き合いの悪いヤツだなあという空気が、葦原の周りに漂った。

 だが、瀬尾はあいかわらずニコニコと笑いながら、クラスメイトに声を掛ける。

「じゃ、混まないうちに行こうね。駐車場がないから、車の人は注意だよ」

とにあさんの『URONA・あ・らかると』から、定時制メンバー一同、お借りしました。

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