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うろな町の不思議な人々  作者: 稲葉孝太郎
第5章 青少年記憶攻防事件
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第51話 撃たれた少女

 きらきらと砕け散るガラスの結晶。腕に鋭い痛みが走る。神楽は床の破片を踏みしめ、手近なテーブルの影に身を隠した。彼女の頭上を掠めるように、鉛玉が棚のガラスを割る。

 罠だった。全てが罠だったのだ。爆弾テロも、神楽をこの隠し通路に誘き出すための非常灯に過ぎなかった。おそらくルナは、警察がデモ隊を一人残らず逮捕するように仕向けたのだろう。神楽が機動隊に捕まれば、そこでゲームセットになる。そしてルナ自身は、唯一警官に包囲されていない出口で待ち構えれば良いのだ。

 なぜこれほどの短時間で作戦を練ることができたのか、それだけが分からない。まさかこの大学の構造が頭に入っているというのだろうか……。ありうる。ルナの夢現化(ドリマライズ)は、異常な記憶力に基礎付けられている。冗談のような話だが、機械類を正確に再現できる以上、建物の見取り図など楽に覚えられるはずである。それが吉備津(きびつ)の夢に潜入する前だったのか後だったのか、それはどうでもよいことであった。今はルナの銃口から逃げるのが急務だ。

 神楽はルナの姿が屋外にないことを確認し、教室のドアに手を掛けた。ここが学部棟の一角であることは、容易に察しがつく。敵が飛び道具を持っているのだから、屋内に避難したのは正解だと思うのだが……。空になった教室から、窓の開く音が聞こえた。ルナだ。神楽は足音を消しながら、できる限りの速度で階段を駆け上がる。

 ……ミスか。上へ逃げたのは間違いだったかもしれない。かと言って、1階をぐるぐるしていたのでは、どこかで捕まってしまう公算が高かった。最悪、2階からの飛び降りも視野に入れなければならないだろう。神楽は踊り場を抜け、廊下へと出た。

「これは……」

 神楽は慌てて口を噤む。神楽は聴覚に神経を集中しながら、移動を再開した。

 廊下を進む間、化学薬品の香りが幾度となく漂ってきた。間違いない。ここは理系の学部棟だ。薬品を使うところから見て、理学部か薬学部、あるいはそれに類似したものだろう。

 何か武器になるようなものはないだろうか。神楽は窓から中を覗き見る。あるものが見えた瞬間、神楽は迷わずひとつの実験室を選んだ。蝶番の滑らかさに感謝しながら、彼女はその部屋の中へと身を潜める。内側から鍵を掛け、すぐに扉のそばを離れた。

 時間がない。神楽はテーブルへと向かう。彼女が目指したのは、ビーカーでもフラスコでもなく、たったひとつのマッチの箱だった。学生がこっそり煙草でも吸っていたのだろう。喫煙マナーにルーズな時代だ。神楽はマッチを一本取り出し……。

「きゃッ!?」

 頬を弾丸が掠めた。神楽は踊るように実験台の背後に隠れる。

 ……今のは命中していてもおかしくなかった。射撃の腕が良くないのだろうか。かなりの至近距離だったはずだが……。

 息を継ぐのもそこそこに、神楽はマッチを擦った。炎のついたそれを、作業台の上に放置されているノートの山へと放り込む。炎は一気に燃え上がり、辺りに煙が充満し始めた。建物自体が古く、机や椅子も木でできたものばかりだ。可燃性の物質には事欠かない。

「自殺する気ですか?」

 窓ガラス越えに、ルナの声が聞こえてきた。

 まさか。神楽はルナの能天気ぶりに感謝する。後はアレに最後の一撃を加えるだけだ。神楽は、ルナの次の行動を待つ。

 ……発砲音。鍵を壊す音。神楽は火災報知器に向けてダッシュした。

「これで終わりよッ!」

 神楽は火災報知を全力で叩き付けた。校内にベルが鳴り響く。神楽は返す刀で窓へと駆け寄り、2階から身を乗り出した。下が草地になっていることを確認し、全身を身構えて一気に飛び降りる。それと前後して、彼女の頭上を再び銃弾が飛び越えた。

 この一連の動作が、ルナには分かっただろうか。後は謎解きの問題だ。ルナが間違えば神楽の勝ち。もし正解すれば……。神楽はよろめきながら地面に着地する。足に痺れが走ったものの、すぐに体勢を立て直した。左右を見渡し、右手の方向に進路を取る。

 再び発砲音。少し離れたところで、鉛玉が軽快な音を立てる。地面に人の着地する音が聞こえたところで、神楽は次の十字路に辿り着く。

 ……見えた。予想通りだ。遠く【左】手に、彼女の希望の光が……。

 神楽は最後の力を振り絞り、【右】へと舵を切る。数メートルほど進んだところで、疲れ切った彼女の足は走るのを止めた。カードは全て提示されたのだ。後は、誰がジョーカーを引くかだけ……。神楽か……ルナか……。

「今回ばかりは、私の勝ちのようですね」

 ルナの声。追いつかれた。……神楽は目を閉じる。

 ……銃声。青空の下で、火災報知の音と交わるように、いくつもの銃声が重なった。

 神楽は後ろを振り返る。

「な……ぜ……」

 そこには、目を見開いて胸元を押さえるルナの姿があった。シャツが血で赤く染まる。ルナは銃口を斜めに構え、あらぬ方向に引き金を引いた後、その場に倒れ込んだ。彼女の向こう側には、膝立ちで銃を構える機動隊の列……。

 賽は投げられ、そして、神楽の望む目が出た。……テロリストは射殺されたのだ。

「おいッ! 放火だッ! 火が出てるぞッ!」

「消防隊を呼べッ! ……そこの女は動くなッ!」

 ジェラルミンの盾を構えた機動隊員数名が、神楽を取り囲んだ。神楽は武装した男たちになど目もくれず、地面に倒れたルナの亡骸を悲しげに見下ろす。

「テロの現場でオモチャを振り回してちゃダメよ……ルナさん……」

 神楽は目を閉じる。心地よい疲れとともに、ルナは意識を現実へと旅立たせた。


  ○

   。

    .


 淡い光。居心地の悪い椅子の上で、神楽は目を覚ました。

 ふたつの眼差しが、神楽を見つめている。後輩の逆木(さかき)泰人(ひとろ)と、依頼人の吉備津(きびつ)いづな。神楽は覚醒しきらない頭で、ぼんやりと勝利の余韻に浸っていた。

 ……勝ったのだ。その事実を、少女は再認識する。

「やりましたね、先輩ッ! さすがっすよッ!」

 泰人が自分のことのように、その場で小躍りしながら叫んだ。

「お見事でした。まさか、機動隊に射殺させるとは……」

 隣に立っている吉備津も、感心したようにそう呟く。そう言えば、あの夢は吉備津の記憶の一部だった。彼はどこにいたのだろうか。潜入の原理からして、あのキャンパスのどこかにいたはずなのだが……。それに、あの遠坂(とおさか)に似た女性は一体……。

 しばらく考えた後、神楽はそれらの疑問を、そっと胸の奥に仕舞う。勝負がついた今、吉備津の過去を詮索する権利などないのだから。

 神楽はふたりの少年から視線を逸らし、廃工場の四方を見回した。

 ……誰もいない。ルナも金髪男もスキンヘッドも、車ごと姿を消していた。

「……ルナは?」

「あいつらなら、もう町から出て行きましたよ」

 タイヤの痕が、工場の敷地から道路へと伸びていた。神楽はそれを目で追いながら、質問を続ける。

「ルナは目を覚ました? それとも……気絶してた?」

 泰人と吉備津はお互いに視線をかわした。そして泰人が答える。

「ふたりに担がれてましたから、気絶してたんじゃないっすかね?」

 そうか……。射殺の衝撃で、意識が吹き飛んだのかもしれない。神楽はそう分析し、吉備津へと視線を移す。

「あなた、私より先に目が覚めたの?」

「ええ……」

「ずいぶんと夢の行き来に達者なようね」

 神楽は半分冗談めいた口調で、木箱から腰を上げた。お尻がちくちくする。衣服に傷がついていなければ良いが……。神楽はぐっと背伸びをし、大きく息を吐いた。

「さてと……これで一件落着ってわけね……」

「あの三人組、本当に葦原(あしはら)くんを諦めるでしょうか……?」

 吉備津が慎重な態度を取る。神楽は口の端に笑みを浮かべてこう答えた。

「ミッションは失敗したのよ……。それに、ルナはこれで私に2連敗。彼女が派遣されることは、もうないでしょうね。もしかすると、組織をクビになるかも……」

「そうですか……しかし……」

 吉備津は扇子を取り出すと、はらりとそれを開いた。夏場でもないのに、ずいぶんと奇妙な仕草だ。神楽は何だかおかしくなってしまう。

 そんな少女の苦笑いを他所に、吉備津は真面目な顔付きで先を続けた。

夢狩人(ドリームハンター)は諦めるかもしれませんが、鬼道(きどう)グループは諦めないでしょう。別の組織に依頼する可能性が高いと思います」

 それはそうだろう。神楽も相槌を打つ。しかし……。

「でも、それは私たちの仕事じゃないから。……あなたたちの仕事よ」

 神楽は吉備津に人差し指を突き立て、そして軽快にウィンクをしてみせた。悪気があって言っているわけではない。ただ、仕事付き合いの境界線は、はっきりさせておきたいと、そう思ったのだ。依頼料も、約束通り徴収するつもりである。

 吉備津もそんなことは百も承知なのか、あっさりと首を縦に振った。

「ええ、この先はお任せください。(あんず)さんとの勝負、私の方はまだ2回の猶予を残していますしね……」

 そう言って、吉備津は不敵な笑みを浮かべる。神楽は少年の顔に、どこかぞっとするものを感じざるをえなかった。この少年、本当に何者なのだろうか。ただの陰陽師という言い方も奇妙だが、神楽は【ただの陰陽師】とは思えない何かを感じ取っていた。

 ……いけない。自分の悪い癖だ。神楽は首を左右に振る。

「それじゃ、請求書は杏さんに渡しておくから、どっちかが払ってちょうだい。……宇宙人の貨幣はダメよ。ちゃんと日本円でね」

「分かりました。現金でも振込でも……お好きなように……」

 吉備津の返答に満足し、神楽は泰人へと向き直る。泰人は、あの憧れと尊敬に満ちた眼差しで、神楽を見つめていた。

 神楽は少し照れくさくなる。

「あんたも、夢案内人(ドリームアドバイザー)として独り立ちできるようになりなさいよ……」

「す、すんません」

 泰人も照れ笑いを浮かべ、頭を掻く。神楽はわざとらしく溜め息を吐いた。

「だいたい、今回の件だって、一人っきりになったら即誘拐とか、小学生じゃ……」

 神楽は説教をしながら、工場の出口へと向かう。泰人もそれに続く。吉備津の視線を背中に感じながら、神楽は一度も振り向かず、戦場を後にした。


  ○

   。

    .


「ふぅ……今日も疲れたな……」

 葦原は肩の凝りをほぐすように腕を回し、玄関の鍵を開ける。安物のシリンダーが音を立て、ドアノブが引きもしないのに数ミリ前にズレる。この扉、大丈夫なのだろうか。帰宅する度に、いつもそう思う葦原だった。

 とはいえ、盗まれるものなど何もない。貧乏アパートへ空き巣に入るような、奇特な泥棒もいないだろうと、葦原は扉を半開きにした。

「ん……?」

 葦原はふと、101号室を見やる。……人の気配がした。だが少年の記憶では、隣には誰も住んでいないはずであった。現に電気もついておらず、彼が感じ取った気配も、瞬く間に雲散霧消している。

「……気のせいか」

 幽霊でなければいいが。集合住宅で隣が延々と空き家であるというのは、騒音の心配をしなくてよい一方で、時折妙な居心地の悪さを覚えることがある。まさか自殺者が出て、事故物件扱いになっているのではないだろうか……。葦原は身を震わせながら、玄関の敷居を跨いだ。室内は冷えきっていたが、今日は小春日和。暖房の必要はなさそうだ。

 コンビニの袋をキッチンに置いた途端、ポケットでメールが鳴った。少年は慌てて端末を取り出し、液晶画面に触れる。……バイト先の店長からだった。病人が出たので、明日のシフトをずらしてくれという内容。葦原はそれを快諾し、お湯を沸かし始めた。

 薬缶が湯気を立てている間、葦原はテーブルの上に放り出したスマートフォンを見やる。携帯ショップを訪れたら、来店1万人目に当選し、最新機種のサンプルを無料で提供してもらえたのだ。なかなかツイていると、葦原はほくほく顔だった。

 薬缶が笛を鳴らす。葦原はお湯をカップに注ぎ、箸を持って床の上に座り込む。お腹がぺこぺこだった。室内が寒いので手を摺り合わせていると、再びメールが鳴った。

 葦原はスマホをテーブルの上に置いたまま、画面だけ指でなぞる。少年の顔が曇った。

烏丸(からすま)ルナ……? 誰だっけ?」

 顔が思い出せない。名前からして女のようだが、該当者に心当たりはなかった。電話帳に登録されているということは、どこかで知り合ったはずなのだが……。バイト先でアドレス交換でもしたのだろうか。葦原は怪訝に思いつつ、メールをワンプッシュで開いた。

 長々とした文章が表示される。

 

 先日はありがとうございました。しばらく会えないと思うので、お礼はまたの機会に。ところで、同僚の話によれば、カップラーメンばかり食べると栄養が偏るそうですね。たまには別のものを食べてください。では、お元気で。Lunaより

 

「……」

 呆然とメールを見つめる葦原。しばらくして、自動的に画面が暗くなった。

 二重の困惑。ひとつは、メールの相手が誰だか分からないこと。もうひとつは……。

「余計なお世話だよ……」

 3分経ったことを確認し、葦原は麺を啜り始めた。その間も、ルナという名前が、頭からこびりついて離れなかった。

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