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うろな町の不思議な人々  作者: 稲葉孝太郎
第5章 青少年記憶攻防事件
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第46話 蘇った記憶

 恋人連れの客で賑わう店内。席に案内された神楽(かぐら)吉備津(きびつ)は、お冷やを持って来た店員に注文も告げず、客席を見渡した。……おかしい。金髪サングラスの姿はない。あれだけ人目につく格好をしているのだ。見落とすはずはないのだが……。神楽は不安になり始めた。

 吉備津も同じ感想を抱いたらしい。彼女に目で合図する。

「奇妙ですね……どこにも見当たりませんが……」

「もしかして、店員の嘘……?」

 神楽の中で緊張が走る。この喫茶店自体が敵の経営だとすれば、それもありうるからだ。

 そう考えた神楽だが、吉備津は即座に否定を入れた。

「いえ、さきほどの調子からして、嘘を吐いていたようには見えません」

「あら……ずいぶんな自信ね?」

「人相見には多少心得がありますので……。もしや、手洗いに立っているのでは……」

 そのときだった。吉備津の視線が、店内のある一角で釘付けになる。それは、神楽の肩越しに見て右側、観葉植物の置いてある隅のテーブル席だった。やや窮屈な格好で振り向いた神楽は、じっと少年の視線を追う。

 ……少々ギャルっぽい感じの高校生が、制服姿で携帯を弄っているのが見えた。表情から察するに、どことなく不機嫌なように思える。何かあったのだろうか。

「……一人席?」

 神楽は特に考えもなくそう呟いた。

「いえ、一人席は用意されていないはずです……神楽さん、お耳を……」

 神楽は吉備津に耳を貸す。何事かを囁かれ、彼女の顔色が変わる。

「……私が訊いてくるの?」

「男の私よりは訊き易いと思いますが……」

 いや、そうでもないだろう。神楽は思う。吉備津はかなりの美少年なのだから、彼に話し掛けられれば、口を滑らせてしまう女子も多いはずだ。むしろ同性は警戒され易い。

 しかし、吉備津が頑な態度を取るので、神楽の方がついに折れた。

「じゃあちょっと行って来るわ。……注文はまだしないでね」

 神楽は席を立つと、会話の弾むカップルたちの間を通り抜けた。女子高生のもとへと足を運ぶ。神楽がテーブルの前に立ったところで、相手はようやく顔を上げた。接近に気付いていなかったのか、それとも自分に用事があるとは思わなかったのか……。

 お互いに睨み合う格好で、先に口を開いたのは女子高生の方だった。

「あたしに何か用?」

 やはり苛立っている。神楽は怯まずに尋ね返した。

「金髪サングラスの男を見なかった?」

 神楽の質問に、女子高生はふざけたような笑みを漏らす。

「何? あんたがあいつの本カノってわけ?」

「いいえ……。でも知ってるのね?」

「あいつなら、そのまま裏口から出て行ったよ」

「!」

 しまった。神楽は一瞬で事情を把握した。あの金髪男、この女子高生に頼み込んで一緒に入店してもらったに違いない。大方、お金でも渡したのだろう。

 神楽は自分の席を振り返り、吉備津に指で裏口を指し示す。吉備津も席を立った。神楽はその足で裏口の扉に向かう。

「お、お客様?」

 注文を取りに来た店員を無視して、ふたりは店を飛び出した。裏口は階段の踊り場に直接続いていた。道理で表にエレベーターしかないわけだ。神楽は舌打ちをする。

「上? 下?」

「逃げるなら下のはずです」

 泰人(ひろと)が危ない。神楽の本能がそう叫んでいた。

 階段を駆け下り、雑居ビルの裏手に出る。左右を見回すと、ビルと隣の建物の間に、細い小道が見えた。ビルの表側へ戻るための通路だ。ふたりは大急ぎでそこを駆け抜けた。

 薄ら寒い闇を抜けると、ふたりはレストランの前に辿り着く。エレベーターの入り口を覗き込むが、そこに泰人の姿はなかった。神楽たちはレストランの自働ドアをくぐる。

 二度目の訪問に、レジの店員は少し驚いたように声を掛けてきた。

「い、いらっしゃいま……」

 神楽は店内を一瞥する。……ない。泰人の姿がない。

「さっき私たちといた男の子が来なかった?」

「い、いえ……どなたも……」

 戸惑う店員を他所に、ふたりはレストランを飛び出す。

 最悪の事態だ。敵の罠に嵌まってしまったのだ。一度勝ちを収めていたことで、無意識のうちに慢心していたのかもしれない。神楽は下唇を噛んだ。

 呆然とその場に立ち尽くす神楽の意識を、吉備津が現実へと引き戻す。

「泰人くんは携帯を持っていますか?」

 当然だ。神楽は言葉なく頷き返した。喉が震えて声が出せない。

「ならば追跡は可能です。……(あんず)さんを呼びましょう」


  ○

   。

    .


 ピッピピ ピッピピ

 スマホのタイマーが鳴る。ルナは双眼鏡から目を離し、時刻を確認した。

 ……14時ちょうど。アルバイトが終わる時間だ。あっという間の2時間だった。案外に楽な仕事だったかもしれない。ルナがそんなことを考えていると、廊下で足音がした。何の前触れもなく、扉が開かれた。

 中の様子を伺うように、扉の隙間から、試験場で出会った女子大生が顔を覗かせた。女子大生はルナの姿を認めると、にっこりと微笑みかける。

「あ、ちゃんとやってるんだね。感心、感心」

 そう言いながら女子大生は室内に足を踏み入れ、調査用紙を一瞥した。そして驚いたような顔をする。

「凄いッ! ……こんなに見つけたんだ」

「交代ですか?」

 褒められたルナだったが、特に感じるところもなくそう尋ね返した。女子大生も事務的に頷き、ルナから双眼鏡を受け取る。

「14時からは私のシフト。……そうそう、入り口で彼氏が待ってるわよ」

 意味が分からない。ルナはそう思った。自分に恋人はいないはずだ。それとも、記憶がなくなる前に付き合っていた男性がいたというのだろうか。

 ……ルナは詮索を止めて、女子大生に別れを告げる。

「次回はいつですか?」

「平日はずっとよ。できないときは連絡して。……っと、ハトを一羽発見」

 双眼鏡を覗き込んだまま、女子大生はそう答えた。毎日仕事が入るのはいい。暇を持て余さなくて済む。そんなことを考えながら、ルナは本屋の2階を後にした。

 1階に降り、出口へ向かう途中、ふと見覚えのある背中が視界に入った。……葦原あしはらだ。何やら立ち読みしている。ルナはそっと後ろから近付いた。

「……何を読んでいるのですか?」

「うわッ!?」

 飛び上がる葦原。何か不味いものでも読んでいたのか。ルナは背後から覗き込む。

「……受験参考書?」

 葦原が読んでいたのは、数学の参考書だった。ページを埋め尽くす数式を見つめながら、ルナは唇を動かす。

「高校を受験するのですか?」

「まだ決めてないけど……」

「高校生になると、バイトができないのでは……」

 悪気があって言ったわけではない。そもそもルナは軽口を言うタイプではないのだ。ただ彼女の空気の読めなささが、単純に疑問を呟かせただけである。

 葦原は参考書を閉じてそれを本棚に戻すと、悩むように答える。

「今度、定時制の高校ができるらしいんだよね……。知り合いから聞いただけで、具体的な話は何も知らないんだけど……」

「定時制でも入学試験があるのですか?」

 ルナの質問に、葦原は肩をすくめてみせる。

「さあ……学校によるとしか……」

「入試要項を読んでいないのですか?」

 ルナの質問攻めに、葦原はハァと溜め息を吐いた。少し疲れているようだ。バイト開けだからだろう。ルナはそう推測する。

「そもそも受付事務所がまだできてないらしいんだよね……」

「それではどうしようもありませんね」

「12月には募集が始まるらしいから、そのあたりで訪ねれば……」

 葦原はちらりと参考者のコーナーを一瞥する。中学校の勉強をやり直すのは、かなりしんどいだろう。葦原の浮かない表情も、それを如実に物語っているように見えた。

 ルナがそんなことを考えていると、葦原は気を取り直して口を開く。

「とりあえず外に出ようか。何も買わないでいると悪いし」

 葦原はルナの返答を待たず、そそくさと本屋を後にした。ルナもそれに続く。

 通りに出た瞬間、葦原は冬場の風に身を震わせた。

「うぅ、寒いなあ……」

「なぜ高校へ行きたいと思うのですか?」

 ルナの質問に、葦原は二の腕を擦りながら答える。

「将来の夢がジャーナリストだからね。フリーでって道もあるけど、さすがに……」

 ルナの足が止まる。眉間に皺を寄せ、軽く苦痛に顔を歪めた。それを見た葦原は、慌てて彼女に駆け寄る。

「どうしたの?」

「あ、頭が……」

 頭痛。右のこめかみが痛い。軽く目眩もした。

 なぜだろうか。ルナには見当がつかなかった。葦原も困惑している。

「頭が痛いの?」

 葦原が心配そうに声を掛けた。ルナは目を開け、ゆっくりと姿勢を戻す。

 痛みが和らぎ始めたのだ。

「もう大丈夫です……」

「持病か何か?」

 葦原の質問に、ルナは答えない。答えようがなかった。記憶がなくなってから1週間。それ以前に持病を持っていたかどうかなど、分かりようがないのだ。

「葦原くんと会ってからは、初めてです……」

「うーん、気温差かな……それとも目の使い過ぎとか……」

「確かに……眼精疲労かもしれません……」

 ルナは背筋を伸ばし、先へ進もうとした。ところが最初の一歩を踏み出したところで、再びその足が止まる。葦原は頭痛が再発したと思ったのか、また顔を曇らせた。

「本当に大丈夫? 疲れてるなら、一回そのへんで休憩を……」

「思い出しました……」

「……何を?」

 訝しげに尋ね返す葦原。

 だがすぐに彼女の言葉の意味を察したらしい。表情が一変した。

「まさか記憶が戻ったの?」

「はい……一部だけですが……」

「一部だけでも凄いよッ。どんなこと?」

 ルナの顔を覗き込むように見つめてくる葦原。なぜかルナは恥ずかしくなった。

 ……恥ずかしい? なぜだろうか。ルナは自分がよく分からなくなってくる。もしかすると、自分が思い出した記憶と関係あるのかもしれない。彼女は適当な答えで済ませた。

「思い出したのは、私の職業です」

「職業……? じゃ、じゃあ仕事場とか会社も……」

「いえ、それは思い出せませんでした」

 ルナの返答に、葦原はがっかりしたような顔をする。

「仕事の内容だけだと、特定は難しいかな……。で、何の仕事?」

「ドリームアドバイザーです」

「ドリーム……アドバイザー……?」

 聞いたことがない。少年はそんな顔をしていた。ルナ自身、いまいち内容を思い出せないでいる。何をする職業だっただろうか。精神科医か、それともセラピストか……。あるいは占い師の類いかもしれない。

 ルナは持てる知識を全て動員してみたが、該当する職業は思い浮かばなかった。葦原の方も全く心当たりがないような顔をしている。

「ごめん……それってどういう仕事……?」

「詳しくは覚えていませんが……うッ!?」

 再び頭を押さえるルナ。葦原は慌てて彼女を抱きかかえる。

「ちょ、ちょっとどこかで休もう」

「い、いえ……大丈夫です……もう痛くありません……」

 異義を唱えたルナに、葦原はやや怒ったように言い返す。

「ダメだよッ!」

 葦原の真剣な声。ルナには、少年が何に怒っているのか理解できなかった。

 そんなルナを他所に、葦原は先を続ける。

「きみはちょっと無頓着過ぎるよ。そこの公園で休もう」

 葦原はルナの手を強引に引くと、そのまま近くの公園に連れ込んだ。足がついていかないルナは、前のめりになりながら少年に引っ張られて行く。

「ほら、座って」

 ルナは押し込められるようにベンチに座らされた。だが彼女の思考は、休息とは別のところに向かっていた。それは手を触れられたときの感覚。異性として、ではない。相手の皮膚に触れるという行為が、なぜか極めて重要なことのように思われた。そしてその意識は、さきほどの【ドリームアドバイザー】なる存在と関連付けられている。

 しかしどこで? ルナが首を傾げていると、葦原も隣に座った。何となくだが、手はまだ繋がれたままになっている。少年の温もりが、ルナの手に伝わってきた。

 何かが必要だ……。記憶を蘇らせるきっかけが……。ルナは目を閉じる。

「……どうしたの? また頭痛?」

 少年の声を無視して、ルナは神経を集中させる。……この感覚。相手の意識に溶け込んでいくような感じ……。

「もしもし? 烏丸さん? もしもーし?」

 闇の向こうに何かが見えかけた瞬間、ルナは意識を失った。

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