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うろな町の不思議な人々  作者: 稲葉孝太郎
第0章 30年目の恋
4/71

第3話 迷案

※今回はうろな町外のお話です。

「はぁ……」

 梅雨時の湿っぽい風を頬に受けながら、遠坂はグラウンドを見ていた。静かに溜め息を吐き、3階建ての校舎の2階にある書道室から、ぼんやりと視線を伸ばす。靴を脱ぎ、畳敷きの床に女座りした遠坂は、既に30分もの間こうしているのだった。

「はぁ……」

 遠坂は窓枠に両腕を乗せ、その上に身を委ねた。なんとも物憂い表情が、遠坂の顔に滲んでは消えた。今は放課後。いつもなら、うろな町行きの電車に揺られているはずなの時間帯だが、今日は仕事で校舎を出ることができない。だから、葦原(あしはら)との(本人曰く)密会も、お預けになっていた。一日千秋とはよく言ったものだと、遠坂はあらためて古人の格言に思いを寄せる。

 その後ろで、同じく畳の上に座り、背筋を伸ばして正座をする少年。その少年は、遠坂の頭の中を占めている葦原とはまた違ったタイプの、だが疑いなく美少年と言ってよい顔立ちで、流暢に筆を走らせている。もし彼の開襟シャツと黒の長ズボンに目を留めなければ、女性と勘違いする者もいるかもしれない。そんな中性的な少年だった。

「はぁ……」

 もはや何度目か分からない溜め息が、室内を覆う。

 少年はそこで筆を止め、遠坂の背中を見やった。表情を変えずに、だが少し咎めるような口調で、遠坂に声を掛ける。

「申し訳ありませんが、大仰な嘆息はほどほどに願います」

 およそ高校生らしからぬ言い回しに、場の雰囲気が一瞬だけ凍り付く。

 しかし、本当に一瞬だけだった。少年と遠坂以外には誰もいないこの部屋で、彼の叱責に耳を貸す者などいない。

「はぁ……」

 遠坂は、少年の注意が聞こえなかったかのように、もう一度溜め息を吐いた。

 少年は筆を置くと、腰を上げ、窓際の遠坂に膝立ちで歩み寄る。

 遠坂はそれでも校庭の風景を眺めながら、ぼんやりと顎に手をついていた。

「先生、何やら御病気とお見受けしますが」

 病気という言葉に、遠坂はようやく少年の方を振り向いた。

 まるで何年ぶりかのように、少年の顔を穴が空くほど見つめた後、ぽつりと一言。

吉美津(きびつ)くん、そこにいたの?」

「先ほどからずっといましたが……それはさておき、先生は御病気ですか?」

 吉美津の質問に、遠坂は首を左右に振る。

「いいえ……私は元気よ……」

 遠坂はそう言うと、再び窓越しに校庭を眺め、ハァと溜め息を吐いた。

「やはり御病気なのですね」

「だから違うってば……」

「いいえ、これは恋の病に間違いありません」

 遠坂は慌てて身を起こし、少年の方を振り向く。

「ち、ち、ち、違うわよ!」

 頬を染め、台詞を噛みまくりな遠坂とは対照的に、吉美津は平然と視線を返した。じっと遠坂の目を見据え、その外見に不相応な超然とした態度を保っている。

 遠坂は、他人の心を覗き込むようなその視線に耐えられず、思わず目を逸らした。それと同時に、吉美津がその薄い唇を開く。

「恋は恥じいるものではありません。シラを切らなくてもよいのですよ」

「だ、だ、だから違うってば!」

「……」

 遠坂の態度に、吉美津は首を捻る。どうにも腑に落ちないようだ。

 しばらく考えを巡らせたものの、適当な解答が見つからなかったので、吉美津は無駄な努力を止めた。

「何百年生きても、女心というものは分かりません……。ところで、そのお相手は、どこのどなたなのですか? 遠坂先生ほどの堅物が惚れた相手となれば、やはりどこぞの博学な紳士と予想致しますが……」

 遠坂の否定を無視して、吉美津は先を続けた。

 遠坂が逃げ場を求めようと体を捻ったところで、突然部室のドアが開く。

 何の前触れも無い第三者の登場に、2人は一斉にドアの方へと目を向けた。

「いづな、あなたは女心が分かっていません」

 ドア枠に現れた小柄な少女が、唐突にそう口走った。

 身長の低い、おかっぱ頭の無表情な女。この学園の制服を着ていなければ、校舎に紛れ込んだ中学生かと誤解されそうな幼い容姿。カエルマークのヘアバンドが、なおさらその印象を強めている。

 だが、その顔だけは、老練な落ち着きを見せていた。少女は部室に堂々と踏み込むと、窓際にいる2人を交互に見比べる。そして、吉美津の方へ視線を固定した。

「いづな、あなたは女心が分かっていません」

 一言一句違わぬ繰り返しに、吉美津の顔色が変わる。

 目を細め、挑むように少女の顔を睨みつけた。

「これはこれは、入江(いりえ)先輩……いかがなさいました?」

「いづな、あなたは女心が分かっていません」

 三度目の同じ台詞に、吉美津はクスリと笑みを漏らす。少し小馬鹿にした感じが、後ろにいる遠坂にも伝わった。

 けれども、肝心の入江にはそれが伝わらなかったようである。無表情な入江に、吉美津は別の台詞を投げ掛ける。

「入江先輩に女心が分かっていないと言われるのは、少々心外ですね……」

「なぜです?」

 ジョークを理解できなかった聴衆のように、入江が吉美津の真意を尋ねた。

「女心が分かるというのは、人間の心が分かるということ……果たして入江先輩に、人間の心がお分かりなのでしょうか……? そうは思えませんが……」

 念のため、吉美津は最後の一文を付け加えておいた。反語が通じる相手ではないのだ。

 すると、入江は相変わらず無表情なまま、答えを返す。

「その心配は要りません。私はこれまで179体のXX型染色体地球人をサンプリングし、そのデータを解析した結果、地球人の生殖本能について、一定の知見を得ることに成功したのです。ずばり、遠坂先生のXY型染色体への傾向性は、この星で《ショタコン》と呼ばれるタイプに分類されます」

 入江の何ら恥じ入ることのない研究成果に、遠坂は顔を赤らめ、その前に座る吉美津は微かな戸惑いの表情を見せた。

 そして、吉美津はゆっくりと遠坂に顔を向け、申し訳なさそうに頭を下げる。

「失礼致しました……そういうことでしたら、先ほどの話は無かったことに……」

 一瞬、遠坂には吉美津が何を喋っているのか理解できなかった。

 しかし、自分が異常性癖の持ち主と思われたことに気が付き、大声を上げる。

「違うわよ! 何を勝手に話を進めてるの! 2人ともそこに座りなさい!」

 吉美津と入江は、教師の生徒の関係を尊重し、畳の上に正座になる。

 そしてその前に、鬼の形相の遠坂がスカートの端を掴んでワナワナと震えていた。

 言葉の出ない遠坂を他所に、入江が口を開く。

「先生、隠しても無駄です。我々の技術力を侮ってはなりません。私もこのように、どう見ても地球人そのもの。日常生活へ完璧に溶け込んでいます」

「ということは、先ほどの分類も疑わしいということですね……」

 吉美津が、さりげなく皮肉ってみせた。案の定、入江はきょとんと吉美津を見つめるだけで、リアクションを起こさない。

 そんな2人の漫才を眺めていた遠坂が、ついに口を開く。

「あなたたちは何ですか! 教師の恋愛に勝手に首を突っ込んで! だいたい、入江さんが何で私の恋人を知ってるの!? まさかストーキングしたんじゃないでしょうね!?」

「いいえ、私はストーカーではありません」

 入江は、あっさりとその可能性を否定した。

「ただ少し、遠坂先生の脳を調べさせてもらっただけです」

 予想斜め上の回答に、遠坂はめまいがしてくる。

 自分の頭を触り、どこかにインプランとの形跡がないかを確認した。その動作を見た入江が、解説を続ける。

「インプラント手術はしていないので、ご安心ください。それに、他のマンションの住人も気付いていません。私たちのアブダクション技術は完璧なのです」

「勝手に人を誘拐するんじゃありません!」

「誘拐ではありません。サンプリングです」

「サンプリングもダメ! 絶対!」

 遠坂の気迫を前に、入江は黙って口を噤んだ。だが、悪びれた様子は一切ない。

 場の雰囲気を和ませようと、今度は吉美津が口を開く。

「この吉美津いづな、日頃のお礼に、何かお手伝いしとうございます。お相手の特徴など教えていただければ……」

「私が教えてあげましょう」

 さらなる入江の乱入に、吉美津は一瞬口元を歪めたが、すぐにその気配を消した。

 その横で、入江はポケットから一枚の写真を取り出す。

「これがその相手です」

「ええ!?」

 大声を上げたのは、吉美津ではなく遠坂だった。

 何でおまえが葦原の写真を持っているんだと、入江の手から強引にそれを奪い取る。横から覗き込もうとしていた吉美津の頬を掠め、写真は遠坂の手に収まった。

 ……その写真には、確かに葦原の姿が映っている。しかも、自宅と思わしき部屋のベッドですやすやと寝息を立てている、ありえないショット。こんな可愛い寝顔なのかと、遠坂は思わず涎が垂れそうになったのを袖で拭い、入江と視線を合わせる。

「ど、ど、ど、どうやって撮ったのコレ!?」

「ですから、我々のアブダクション技術は完璧だと……」

「これが遠坂先生の恋人ですか……なかなかの美少年ですね……」

 自分よりは少し下だな、と言った感じで、吉美津が横合いから呟いた。

 このナルシストがと、遠坂は内心毒づく。

 吉美津は遠坂の目線を無視して、再び畳の上に腰を下ろした。

「それにしても、どのようにして恋仲になったのですか? この学校の生徒ではないようですし……かと言って、遠坂先生が街でいきなり声を掛けたとも……」

「え? あ、その……」

 遠坂は、あからさまに動揺してみせた。

 不審に思った吉美津がもう一度尋ねようとしたところで、入江が口を挟む。

「いづな、この2人はまだ正式なつがいではありません。いわゆる一方的求愛行動に出ている段階です」

 入江の解説に、遠坂は睨みをきかしたが、時既に遅し。

 吉美津は、入江の奇怪な言い回しをすぐに理解した。

「一方的求愛行動……つまり、片想いということですか……」

「ぐっ……!」

 怒りに任せて両手の指に力を入れる遠坂。

 そこへ、涼しい顔をした入江が言葉を継いだ。

「先生、サンプルを毀損しないでください」

「え?」

 遠坂は自分の手元に視線を落とす。彼女の手の中で、写真がぐにゃりと曲がっていた。

 慌てて膝の上へそれを置き、表面を伸ばそうと手のひらで擦ってみる。

 だが、元には戻ってくれない。葦原の顔にも、おかしな折り目がついてしまった。

「あわわ……」

 他人の持ち物を傷付けてしまったことよりも、大好きな人のスナップショットを台無しにしてしまったことのショックの方が、遠坂にとっては大きかった。

 執拗に折り目を除こうと悪戦苦闘する遠坂。

 そんな遠坂を不思議そうに見つめながら、入江が唇を動かす。

「先生、ご安心を。サンプルはいくらでもありますので」

 そう言って、入江はポケットから写真の束を取り出し、トランプのように片手で器用に開いてみせた。

 遠坂の動きが止まる。

「……それ、全部葦原くんの写真?」

「はい、起床から就寝まで、彼の1日をサンプリングしたものです」

 入江の抑揚の無い声に、遠坂はスッと腰を上げ、靴を履き、入口へと向かう。そしてドアを開け、廊下に出ると、おいでおいでと入江を手招きした。

 入江はそれに応じて立ち上がり、やはり一緒に廊下へと出る。

 ガラリとドアが閉まり、部屋の中に吉美津一人が残された。

「これは重症ですね……」

 吉美津は硯に向かい、再び筆に墨をつけると、手習いを再開した。神経を集中させ、ゆったりと筆を走らせる。

 紙に《永夜清宵何所為》の7字を続けたところで、扉が再び開いた。遠坂が現れ、部屋の中へ入ると、澄まし顔で靴を脱ぎ、畳の上に足を乗せる。そして、先ほどと同じように窓際に腰を据えた。

 吉美津は筆を置き、後から戻って来た入江と並んで、遠坂と向かい合う。

 神妙な面持ちの2人の前で、遠坂はこほんと咳払いをした。

「さて……さっきの吉美津くんの提案ですが……」

 提案? 何のことだ? 吉美津は、自分が言ったことを半分忘れかけていた。自分もさすがに歳かと危ぶんだが、すぐにその内容を思い出す。

「ああ、お手伝いするという話ですか?」

「そうよ……あのね、私と葦原くん、あ、さっきの少年ね……その間には、ちょっとだけ年齢差があって、気持ちの疎通が難しいのよ……だから、同世代の吉美津くんの……」

 そこまで言ったところで、吉美津が割って入る。

「申し訳ありませんが、私とその少年とは同世代ではありません」

 あ、忘れてたと、遠坂は肩を落とす。

「そっか……あなた、中身は爺なのよね……」

「そのような言い方は承服致しかねます」

 吉美津の抗議を無視して、遠坂は首を左右に捻る。

 いいアイデアだと思ったのだが、いきなり頓挫してしまった。

 その失敗を補うように、入江が口を開く。

「先生、私に素晴らしいプランがあります」

「……イヤな予感がするけど、とりあえず言ってみて」

 あまり期待していなさそうな顔で、遠坂が先を促す。

「私は、先生と葦原少年の年齢差、体格差、経歴、DNA配列など、諸々の条件を量子コンピューターで解析した結果、ある結論に至りました」

 コンピューター解析と聞いて、遠坂の目が光る。

 これは期待できそうだと、身を乗り出した。

「で? その結論は?」

「はい、先生の目的を99.3%の確率で達成できるプランを発見しました」

 遠坂の顔が綻ぶ。

 まさか、こんなところで入江のオーバーテクノロジーが役に立つとは、遠坂も予想していなかった。目を輝かせながら、遠坂は続きを待つ。

「よろしいですか。まず、葦原少年のバイト先と自宅との間にある工事現場の跡地で、彼を待ち伏せます。少年は平均して21時38分頃にそこを通過するので、先生は『空き地で財布を落とした』と彼に声をかけてください。葦原くんはとても親切なので、必ず協力してくれるはずです。そして、跡地の一番奥へ誘い込んだところで、後ろから猿ぐつわを噛ませ、地面に押し倒し、ズボンを降ろし、下半身を……」

「あのね、それはこの星ではレイプって言って、犯罪なの……分かる?」

 聞いた私が馬鹿だったと、遠坂は溜め息を吐いた。

 ところがそこへ、なぜか吉美津がちょっかいを出して来る。

「ひとつお尋ねしますが……入江先輩は、コンピューターに何を訊いたのですか? 量子コンピューターが間違った解を出すとは思えないのですが……」

 入江は、無愛想な顔を吉美津に向ける。

「遠坂先生が葦原くんと生殖行為に及ぶことができる方法です」

「なるほど……それならば間違っているのはコンピューターではなく……」

 あなたですね、という一文を、吉美津は敢えて言わなかった。

「……」

 3人の間に、重い沈黙が流れる。

 しかし、気まずい思いをしているのは、遠坂一人だった。平然とした顔で、遠坂を見つめる吉美津と入江。その視線に耐えられなくなり、遠坂はこの場を収めることにした。

「いいわ……一人で何とかするから……」

 こうして、全てが徒労に終わった——

 

 例の写真以外は。

ついにやってしまいました。

出さないかもと言っていたキャラクターの登場です(@@;


もともと、警視庁恋愛課乙女組のスピンオフ作品として書き始めたので、少し世界観が融合してしまいました。作風の自己紹介という意味も兼ね合いましたので、ご容赦願います。


次回からは、うろな町へ舞台を戻らせていただきます^^

今後超常現象が頻発することはありませんので、ご安心ください。

吉美津くん、入江さんには、今後ノーマル?キャラとして登場してもらいます。

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