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うろな町の不思議な人々  作者: 稲葉孝太郎
第4章 駐禁違反取り締まり事件
35/71

第33話 決定的瞬間

 葦原(あしはら)少年は迷っていた。

 吉備津(きびつ)に探偵ごっこをすると約束したものの、自分にできることがあまりにも少なかったからだ。揚げ物屋のおばさんに尋ねてみたが、彼女は街中で聞ける月並みな情報しか持っていなかった。なんでも、回収業者がヘマをしたので、警察がそれを揉み消したのではないかという噂が立っているらしい。

 そんな馬鹿な。葦原は、池守(いけがみ)紙屋(かみや)の顔を思い浮かべる。

 このおかしな噂を消すためにも、自分は頑張らないといけない。でもどうやって。葦原は考え込んだ挙げ句、とりあえず現場へ行ってみることにした。池守から又聞きしたその通りに、彼はまだ一度も足を踏み入れたことがなかったのだ。

「多分、このへんなんだけど……」

 葦原はメモ帳に書かれた数字と、電信柱のそれを比較する。番号が1つずれている。もうひとつ隣の通りだったか。それともこのまま真っ直ぐ進めばよいのか。

 ……とりあえず真っ直ぐ進もう。葦原は、人気のない通りを進む。

「……やっぱり隣か」

 道はどんどん細くなるばかりで、とても回収業者が来そうにない。それに、電信柱の番号も、メモに近付くどころか逆に遠ざかっていた。

 どこか曲がり道はないだろうか。夕方からまたバイトがあるので、あまり悠長な捜索はしていられないのだ。

「んー、戻るしかないか……」

 そのときだった。道の向こう側が開け、別の大通りと繋がっていた。

 一瞬喜んだ葦原だが、すぐに顔色が曇る。池守が話していたのは、大通りではなく、少し路地に入ったところだ。

 間違いはもはや明らかだ。葦原は踵を返す。

「おい、そこの脇道でいいぞ」

 葦原は背後で男の声を聞いた。振り返ると、ちょうど大通りの角から、薄い緑色の制服を着た男が、こちらの小道へ入ってくるのが見えた。

 噂の駐車監視員だ。そのことに気付いた葦原は、咄嗟に物陰へ隠れた。電信柱とポストの後ろから、監視員の行動を見守る。

 葦原が息を潜めていると、男は放置されている自転車を2台まとめて担ぎ、そのまま大通りへと戻って行った。単なる回収作業に見えるが、男の態度はどうも怪しい。やたらと周囲を気にしているように思える。

 もしかして、決定的瞬間か。葦原はポケットから携帯を取り出し、撮影モードに切り替えた。バイトを始めるとき、電話番号が必要だと言われ、なけなしの金で買った旧式の携帯だが、画質はそんなに荒くない。

 葦原が距離を合わせていると、再び男が戻って来た。

 今だ……いや、違う。まだ早い。シャッター音を聞かれるとまずい。

 葦原はチャンスを伺う。

「今日は4、5台にしとくか……」

 男はそう言うと、3台まとめて担ぎ上げた。

 今だッ! 自転車のフレームがぶつかる音を利用して、葦原はシャッターを押した。

 ぱしゃりと心臓に悪い音がしたものの、男はそのまま大通りへ戻って行く。

 ……戻って来ない。葦原はすぐにその場を離れようとした。

「きみ、何やってるの?」

 肩に逞しい手がかかる。

 葦原は心臓が止まりそうになるほど驚き、その場で喫驚を上げた。

 振り向くと、ジーパン姿に野球帽を深く被った男が立っていた。恐怖で足が震え始める暇もなく、男は口を開いた。

「その携帯、ちょっと貸してく……!?」

 一瞬の判断だった。葦原は男に金的をくらわし、その場を駆け去る。

「待てこのガキッ!」

 悶絶した男が大声で罵声を放つ。

 葦原は全速力で走った。足に自信はないが、とにかく走る。

 男の声はだんだんと近付いてくる。引き離すのは無理だ。

「誰か助けてくださいッ! 誰かッ!」

 大声で叫ぶ葦原だったが、地理が悪かった。左右はブロック塀が続き、住宅ではなく無機質なオフィスビルが並んでいる。どこの玄関も真っ暗だ。

 とにかく反対側の通りへ逃げ切らないと。葦原は、これまでの人生最速を記録する。

 男との距離が、つかず離れずになった。これはいける。葦原はもう一度叫んだ。

「誰か助けてッ!」

 ちょうどそこで、目の前に反対側の通りが現れた。

 やった。その安堵がいけなかったのか、思わず足がもつれる。

「あッ!?」

 葦原は前のめりに倒れ、ザーッとアスファルトの地面を滑走した。

 すさまじい熱が肘と手のひらに走る。アドレナリンが大量放出されている葦原は、痛みもそっちのけで再び膝を上げた。

「させるかッ!」

 強烈なタックル。その瞬間、葦原の手から携帯が離れた。

 カラカラと音を立て、携帯は車道に滑り出す。

 パリンという軽快な破裂音。排ガスをまき散らし、ワゴン車が目の前を通り過ぎた。

 ……沈黙。葦原どころか、男も後ろで固まっているのが分かった。

「くッ!」

 先に動いたのは葦原だった。男に肘撃ちを喰らわせ、携帯を回収しようと前に出る。

 車道に出ようとした瞬間、耳をつんざくようなクラクションが鳴り、大型トラックが風を巻き上げて葦原の視界を覆う。

 寸でのところで衝突を免れた葦原は、歩道に尻もちをついた。

 そっと目を開ける……。

「ああッ!」

 携帯は木っ端微塵に砕け散り、プラスチックと金属片の残骸と化していた。

 大切な財産を粉砕されたショックもそこそこに、葦原はすかさず立ち上がる。背後を振り返り、虚勢を張ってファイティングポーズをとる葦原。

「……え?」

 いない。男がいない。葦原が視線を伸ばすと、路地を走り去るジーパンの姿があった。

 逃げ切った……。葦原は、へなへなとその場に崩れ落ちる。

「おい、きみ、大丈夫か?」

 数人の大人が、葦原を取り囲んだ。葦原は膝立ちで、彼らの顔を交互に見比べる。

 そっか、人がいたから逃げたんだ……。葦原は状況を把握し、そして気を失った。


  ○

   。

    .


 葦原が次に目を覚ましたのは、病院のベッドだった。

 病室の一角で、彼は何人もの知り合いに囲まれていた。池守さん、紙屋さん、吉備津くんに入江さん……。そんな中でも異様に目立っているのは、目頭にハンカチを当ててぐすぐすと泣いている遠坂さん。

 これじゃ臨終間際みたいだ。内心苦笑しながら、葦原は上半身を起こす。

「いたた……」

 葦原が苦痛に顔を歪めると、遠坂がすぐさま身を乗り出した。

 少年は笑顔を作り、彼女を制する。

「大丈夫です。ちょっと肘のあたりが……」

 ギブスを嵌められていない以上、骨折はしていないのだろう。葦原はシーツをまくり、肘に貼られたガーゼを覗き込む。赤い斑点がついていた。血か、それとも薬品か。

 葦原は、ぼんやりと自分の記憶を手繰る。

 ……男が立ち去ったところから、何も覚えていない。

「いったい、どうしたんだ? 救急車で運ばれたって聞いて、飛んで来たんだぞ」

 池守が葦原を気遣うように尋ねた。

 その質問に、少年はハッとなる。伝えなければならないことがあるのだ。

「池守さん、僕、見たんですッ!」

 突然の大声に、その場の誰もが度肝を抜かれた。

 興奮する葦原を宥めるように、意外な人物が口を開く。

「UFOを見たのなら、それは気のせいなのです。誰にも言わなくていいのです」

 一同が入江を盗み見る。吉備津は呆れ、遠坂はあからさまに怒っていた。

 だが残りのふたりは、妙に真剣な顔をする。

「何を見たんだい?」

「自転車泥棒ですよッ!」

 全員が息を呑む。やっぱり重要な情報なんだ。

 池守たちの期待の眼差しに、葦原は自分から先を続けた。

「池守さんから教えてもらった現場の近くで、自転車を回収してる男に会ったんです。それを携帯で撮影したら、いきなり別の男に声を掛けられて……」

「ちょっと待ってくれ。……それは一般人かい? それとも回収業者?」

「自転車を持ち去った男は、業者の制服を着てました。ペパーミントグリーンの奴です。もうひとりは私服で……確かジーパンに無地の白いTシャツでした。あと野球帽」

 葦原が男の特徴を説明すると、池守と紙屋が顔を見合わせた。

 おかしい。葦原は、期待とは別の反応に戸惑う。

「葦原くん……それはただの回収業者なんじゃないかい?」

 池守に疑念を向けられ、葦原は言葉に詰まった。

 ……言われてみれば、あの男をなぜ犯人だと思ったのか、自分でも分からない。何か理由があったような気もするのだが……。

 葦原が反論できないでいると、遠坂が怒ったように池守に食って掛かった。

「ちょっと、葦原くんを疑うの?」

 これには池守だけでなく、葦原もびっくりしてしまう。

 遠坂はコンビニ事件の冤罪を晴らしてくれた恩人だが、別に親しい間柄ではない。自分と会うときはいつもお洒落なスーツを着ており、お金持ちなのかな、と思うくらいだ。

 葦原の当惑を他所に、遠坂は彼へと向き直る。

「葦原くん、現場での出来事を、よーく思い出してちょうだい」

「現場……ですか……?」

「そうよ。あなたが怪しいと思ったのなら、何か根拠があるはずよ」

 遠坂は断定的にそう言い、じっと少年の目を見つめてくる。

 信頼に満ちた眼差し。そう言えば、遠坂は教師だと言っていた。葦原はそんなことを思い出しながら、じっと記憶の海に身を沈める。

 しんと静まり返った病室に、時計の秒針の音だけが木霊した。

「そう言えば……」

「何かあったのね?」

 葦原は遠坂に頷き返し、ゆっくりと言葉を紡いだ。

「僕が目撃したのは、すごく狭い路地だったんです。ああいう取り締まりって、普通は大勢が停める駅前とか大通りでやるじゃないですか。だからちょっと変に思って……」

 それではまだ根拠が薄い。そんな池守たちの視線を感じながら、葦原は理由を足す。

「それに作業員が、『今日は4、5台にしとくか』と言ったんです。ああいうのは、一斉撤去が普通じゃないでしょうか?」

 大勢の監視員が駅前などで、流れ作業のように回収する。それが葦原のイメージだ。ひとりの男がえっちらおっちら自転車を担ぐなど、見たことがない。

 2つ目の根拠を出されたところで、池守も表情を変える。

「男はひとりだったのかい?」

「はい、ずっとひとりでした。ただ、運転手か誰かの声を聞いたような……」

 葦原がそう答えると、池守はごま髭の生え始めた顎を撫で摩る。

 じっとベッドの片隅を見つめ、それから口を開いた。

「それは妙だな……駐車監視員は、二人一組が義務付けられているはず……」

「ほら、やっぱり葦原くんが正しいじゃないッ!」

 そう言って遠坂は、葦原のベッドの横へかがみ込む。

 そして優しく声をかけてきた。

「あとは私たちが解決するわ。葦原くんは、ここで療養してなさい」

「療養? ……僕、そんな大怪我なんですか?」

「そ、そうじゃないけど……体は大事にしないと……」

 遠坂はなぜか顔を赤らめて、プイッと横を向いてしまった。

 大人の色気を見たようで、葦原も何だか恥ずかしくなってくる。

 なんだろう、この人は……。普通の大人の接し方じゃないような……。

 葦原が自分の気持ちを訝っていると、池守がいきなり声を上げた。

「すまんが、これじゃ事件は解決しない……証拠が不十分だ……」

 池守の発言に、全員がそちらを振り向く。

 最初に反論したのは、やはり遠坂だった。

「どうして? あなたもさっき納得してたでしょ?」

「それとこれとは別だ。俺の中で鬼道(きどう)グループの嫌疑は濃くなったが、ただそれだけの話……。今の状態じゃ、逮捕状どころか捜査令状も取れない」

 キドウ。聞き慣れない言葉だ。葦原は会話に割り込む。

「キドウグループって何ですか?」

 葦原の質問に、紙屋が代表して答えた。

 全ての説明を聞き終えた少年は、自分が見たものの正体を悟る。

「じゃあ僕が見たのは、鬼道グループの社員……?」

「すんません。他の回収業者の制服って、そんな簡単に手に入るんっすか?」

 聞き慣れない声。葦原は、ついたての向こうから顔を出した少年と目が合う。

 誰だろう。葦原が疑問に思っていると、紙屋が返事をする。

「駐車監視員の制服は、国が貸し出してます。全国一律なんですよ」

「あ、ってことは、回収業者なら、誰でも持ってるんっすね」

 紙屋が頷き返し、少年は奥へと引っ込む。

 あいかわらず誰なのか分からないが、葦原は池守に視線を戻した。

「ぼ、僕が証言します。だからその警備会社を……」

「証人がひとりいるくらいじゃ、警察は動けないんだ。特に企業相手は難しい。それに俺は担当を外されてるから、検事に直談判もできん……。まずは、菅田(すがた)課長を説得しないと……」

「あんたそれでも男なのッ!?」

 再び遠坂が食って掛かる。

 このふたり、同窓生と聞いていたが、今回は雰囲気が険悪だ。

 まさか自分のせいではないかと、葦原は焦った。

「ま、待ってください……。僕が悪いんです……携帯さえ落とさなければ……」

 しょんぼりとする葦原に、遠坂が向き直る。

「そんなことはないわッ! 池守くんがへっぴり腰だからいけないのよッ!」

「おいおい、こっちの都合も考えてくれよ……。これだから恋は盲……」

 そこまで言って、池守は慌てて口を噤んだ。

 今、何て言った? 葦原は聞き逃してしまった。

 一方、遠坂も急にどぎまぎし始める。

「と、とにかくッ! 証拠がないなら集めればいいのよッ! 罠を張りましょうッ!」

「罠……?」

「そうよ。連中はまたこの町に来るはずよ。そのときに待ち伏せすれば……」

「しかしな、遠坂……」

 池守はそう言うと、ポケットに手を入れて窓辺に歩み寄る。

 ぱらつき始めた雨を眺めつつ、そっと唇を動かした。

「今回の件があっても、まだ来るのか……? このうろな町に……?」

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