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うろな町の不思議な人々  作者: 稲葉孝太郎
第4章 駐禁違反取り締まり事件
29/71

第27話 縄張りを越えて

 池守はあの後、該当の中年男性を難なく発見することができた。最初に訪れた住所が家具の小売店になっていて、その店主がコンビニ店員の証言と完全に一致したのだ。

 営業日ではなかったが、池守は男を呼び出すことに成功する。玄関で向かい合った池守と男は、秋の西日の中で会話を始めた。

「あなたが水曜日に自転車を停めたのは、何時頃でしたか?」

「そうですねえ……朝の9時頃だったような……」

 男性は腕組みをして、首を捻りながらそう答えた。

 あまりよく覚えていないらしい。池守は慎重に先を進める。

「紛失に気付いたのは?」

「多分12時頃ですね。昼飯にしようと思ったのを覚えてます」

 12時。およそ3時間も放置していたことになる。無くなって当たり前だ。池守は呆れながら先を続ける。

「盗まれた時間は、分からないわけですね?」

 その通りだと、男は首を縦に振った。

「あのあたりには、よく駐輪されるんですか?」

「え? まあ、たまに」

「しかし、駐車禁止区域でしょう? それはご存知なはずですが……」

 いきなり駐車違反を指摘され、男の顔が心持ち歪んだ。不愉快そうにも見えるし、焦っているようにも見える。

 池守が彼の目をじっと見つめていると、男は弁解を始めた。

「あの通りは、まともな駐輪場がないんですよ。かと言って、お得意先を歩いて回るわけにもいきませんし、どうしても自転車が必要になります。……これは行政の怠慢ですよ」

「……駅前は急速に開発されてますからね」

 池守は適当なことを言い、質問を変える。

「自転車がなくなったと気付き、すぐ警察へ行かれたんですね?」

「ええ、その足でうろな署へ行きました」

 さも当然のように答える男だったが、池守は不審の眼差しを向ける。

「なぜ撤去されたと思わなかったんですか? あなたの証言によると、自転車にはきちんと鍵を掛けてあったそうですね。そうなると、盗難より撤去の方が……」

「撤去済みの紙が置かれてなかったからです。以前にも撤去されたことがありまして、どういう紙かはちゃんと覚えていたんですよ」

 池守は、違法駐輪に使う用紙のことを思い出した。用紙と言ってもただの紙切れで、撤去日時と場所、それに保管先を記載してある簡単なメモだ。

 池守は今の証言を手帳に書き込む。

「つまり、撤去の形跡がないから、盗難だと判断したわけですね?」

「そういうことです」

「しかし実際には、撤去されていたわけですよね?」

 池守の質問に、男は戸惑いの表情を浮かべた。そしてこう付け加える。

「それは私にも分かりません。回収業者が、注意書きを置き忘れたのか……」

「いえ、回収記録は保管所に残っていました。場所がコンビニではなかっただけです」

 池守がそう指摘すると、男は思い出したように頷き返す。

「そ、そうでしたね……いやもう、何が何やら……」

 男は本当に困惑しているようだった。池守にも、それはよく分かる。自分たちも五里霧中の捜査を続けているのだから。

 池守は他に質問がないかを確認し、最後にひとつだけ尋ねる。

「いやがらせの線でも捜査しているのですが、お心当たりは?」

「いやがらせですか……。断言はできませんが、ないですね。それにあの日、自転車であそこへ行くことを、誰にも話してません。知り合いに会った記憶も……」

「そうですか……」

 池守は手帳を閉じる。怨恨の線はやはり低いようだ。そう考えたとき、携帯が鳴った。

「……これで失礼します。お休みのところ、お邪魔しました」

 池守は男が家の中へ引っ込むのも待たず、すぐにその場を離れた。

 物陰に隠れて、携帯を引き抜く。液晶画面を見ると、呼び出し人は紙屋(かみや)だった。

 池守は通話ボタンを押す。

「もしもし?」

《あ、もしもし? 先輩ですか? 蔵前(くらまえ)くんが犯人を突き止めたそうです》

 紙屋の唐突な一言に、池守は目を大きく見開く。

「犯人を突き止めた? どうやって?」

《それがですね……。あ、蔵前くんと換わります》

 紙屋の声が途切れ、携帯を手渡すような音が聞こえる。

 軽い鼻息がしたかと思うと、蔵前の声が入った。

《もしもし、池守さんですか?》

「ああ、俺だ。犯人を突き止めたって、それはどういう……」

《すみません、突き止めてはいません。誤解です。ただ……》

 そこで蔵前は言葉を区切った。池守は先を促す。

「ただ、何だい?」

《動機についてひとつ思いついたことがあります》

 動機。今回の事件で最も謎な部分に触れられ、池守の期待が否応にも高まる。

 肩と耳で携帯のバランスを取りながら、池守は手帳を取り出した。

「で、その動機ってのは?」

《先に断っておきますが、ただの思いつきです。それに、内容がちょっと……》

「それはこっちで判断する。話してくれ」

 池守が断固とした口調でそう言うと、蔵前はようやくを腹を決めたらしい。躊躇っていた推理を、一気に捲し立てた。

《紙屋さんに調べてもらったんですが、自転車が停めてあった区域は、杉田さんが勤めているうろなセキュリティの管轄だそうですね。ところが、自転車を回収した業者は、うろなセキュリティじゃないんです。うろなロードケアという別の会社でした。これが大きなヒントになると思うんです》

 うろな町内にふたつの交通整理会社があることを、池守は思い出した。しかしそれと今回の事件との間には、何の結びつきもないように思われる。

 池守はもどかしくなる自分を抑え、蔵前の話に耳を傾けた。

「どうヒントになるんだい? 詳しく教えてくれ」

《被害者が駐輪した区域を担当しているのは、うろなセキュリティ。実際に自転車が回収された地域を担当しているのは、うろなロードケア。つまり、縄張りを跨いだ事件です。ですから……》

 縄張り。その言い回しに、池守は蔵前の言いたいことを察した。

「まさか、うろなロードケアが他所の区域にある自転車も回収した、と?」

《……何とも言えません。本当にいろんなケースが考えられると思います。うろなロードケアがうっかり他の地域のものを回収してしまった可能性もありますし、あるいは逆に、うろなセキュリティが自分の区域の自転車を、他者に押し付けた可能性も……。いえ、予断は止めましょう。ひとつだけ言えるのは、被害者だけでなく、自転車回収業者からも話を聞いた方がいいということです》

 池守は、姿の見えない相手に頷き返す。

 霧の中に、一条の光が射し込み始めた。

「大変参考になったよ……こいつはまた後でおごらないとな」

《いえ、そういうのは結構ですよ。正しい保証なんてありませんから。……あ、紙屋さんに換わりますね》

 蔵前の声が消え、再び紙屋が電話に出た。

《もしもし? 私です。これからすぐ調べに行きますか?》

「今日は営業してるのか?」

《はい。警備会社の例に漏れず、両社とも年中無休です》

 池守は腕時計を確認した。既に4時を過ぎている。

 いくら営業日とは言え、色々口実を作られそうな時間帯だ。それに今日の出来事を、池守はまだ整理しきれていなかった。一旦自宅で考え直してみたい気に駆られる。

「……いや、明日の朝にしよう。俺がセキュリティへ行くから、紙屋はロードケアの方を頼む。その後、いつもの喫茶店で待ち合わせだ」

《了解です》


  ○

   。

    . 


 翌朝、池守は打ち合わせ通り、うろなセキュリティの本社を訪れた。

 それはうろな西にある、小さな3階建てのビルだった。

 池守(いけがみ)は入口の入居者名簿を確認し、そこに【うろなセキュリティ】の看板を見つける。ビルの全てを使っているのかと思いきや、表示は2階と3階だけになっていた。玄関に視線を走らせると、ガラス戸の向こうには小さな事務所が見える。看板を信頼する限りでは、保険会社のようだ。

 なるほど、警備会社と保険会社が同居しているのかと、池守も納得する。

「それじゃ、一丁探ってみますか」

 池守はガラス戸を開け、ビルの中へと入る。事務机に座っている若い女性が、営業スマイルで挨拶をした。

「いらっしゃいませ。弊社へご用事でしょうか?」

「2階へ上がる階段はありますか?」

 池守がそう尋ねると、事務員は入口から向かって右手に見える階段を指差す。

「うろなセキュリティへは、そちらからお上がりください」

「……どうも」

 池守のような客も多いのか、事務員は嫌な顔ひとつしなかった。

 それとも業務が別れているだけで、資本は同じ系列の会社なのかもしれない。これだけ小さな事務所で、保険金のやりくりができているとも思えないからだ。池守はそんなことを考えながら、階段を上って行った。

 踊り場で一回転し、池守が2階に辿り着くと、狭い廊下が現れる。段ボールなどがあちこちに置かれ、一番奥の部屋の扉が開いていた。中から話し声が聞こえてくる。

 あそこが事務所なのだろうと、池守は適当に見当をつけた。中を覗いてみる。

「こんにちは……」

 池守が扉の前に立つと、中には50過ぎらしき作業服の男と、何人かの事務員がいた。彼らは一斉に池守を見上げる。

「おっ、ちょうどいいところに来たね」

 50過ぎの男はそう言うと、いきなり立ち上がって池守に歩み寄った。

 何がちょうどいいのか、池守にはさっぱり分からない。唖然とする池守の腕に、男はいきなり掴み掛かった。

「いい体してるねえ。日頃から鍛えてるの?」

「まあ……柔道とかいろいろ……」

「そうか、じゃあ即日採用だな。ほんと人手が足りなくてね」

 男は勝手に話を進め、事務員のひとりに話し掛ける。

「ほら、契約書とハンコ持って来て。あと、適当なサイズの警備服もな」

 事務員が席を立とうとしたところで、池守は警察手帳を取り出した。

 男は池守に、にこやかな笑みを浮かべる。

「お、ちゃんと身分証も持参してくれたんだね。どれどれ……!?」

 表面のバッジを見た途端、男の顔が強ばった。一歩後ろに下がり、脂汗を流しながらぎこちない笑みを浮かべる。

「こ、これは失礼しました……。当社は警察のご厄介になるようなことは何も……」

「あなたがこの事務所の代表者ですか?」

 池守の質問に、男は冷や水を浴びせられたような顔をした。

 しどろもどろに頷き返す。

「い、一応、私がここの事務所を与ってます……」

「一応? 一応というのは、どういう意味ですか?」

「だ、代表取締役ではないという意味です……はい……」

 なんだそんなことかと、池守は相手を落ち着かせる。

「そんなに驚かないでください。今日ここへ伺ったのは、ある事件について教えていただきたいことがあるからです。貴社の誰かを逮捕しに来たわけではありません」

 池守がそう言い切ると、男は少しだけ平静さを取戻した。

 へこへこと腰を低くしながら、池守をソファーに案内する。

「誰かお茶を入れ……」

「お構いなく」

 池守は強めの口調でそう言い、男にも座るよう目配せした。

 男は畏まりながら、向かいの椅子に腰を下ろす。池守はペンを握りながら、男の異様な緊張に疑問を抱き始めていた。いきなり警察に訪問されれば、人間誰しも慌てるものだ。それは池守も理解している。だから容疑者が多少慌てたとしても、それがすぐに嫌疑を濃くするわけではない。

 しかし、この男の態度は妙だ。具体的には説明できないが、どこか引っかかる。池守は相手に警戒心を抱かせないよう、ゆっくりと唇を動かす。

「実は先週の水曜日、町内で大量の自転車盗難がありました。幸い、それらは他の場所で見つかったのですが、それについて何かお聞きですか?」

 池守の質問に、男は揉み手で答えを返す。

「あ、はい、それでしたら、伺っております」

 池守はこの回答を予期していなかった。眉をひそめて顔を上げる。

「どちらからお聞きで?」

 男はしまったと言う顔をしたが、すぐに愛想笑いを浮かべて答えを返す。

「知人に警察OBの方がいらっしゃいますので……小耳に……」

 そういうことか。池守は納得した。

 この手の警備会社は、警察官の再就職先として人気がある。それが天下りと言えるかどうかは、若い池守には判断がつきかねた。

 池守はその話に触れるのを止めた。関係ないと思ったのだ。

 すぐに本題へと入っていく。

「こちらで調べたところ、自転車が回収されたのは、うろなロードケアさんという会社の担当区域だったそうです。これについて、お互いに何か確認し合いましたか?」

「確認……と言いますと……?」

「うろなセキュリティさんとうろなロードケアさんの間で、担当区域に誤解があったとか、そういうことが判明しませんでしたか?」

 池守の質問に、男はかぶりを振った。

「いえいえ、ロードケアさんとそのような話をしたことはありません。あちらが今回の事件を知っているのか、それも分からないくらいですから」

「うろなロードケアさんは知っているはずです。自転車を回収した当事者ですから。……確認の電話が掛かってきたとか、そういうこともないのですか?」

 男は池守から視線を逸らすと、他の事務員たちに声を掛ける。

「ロードケアさんから電話は無かったよな?」

 男がそう言うと、事務員たちは顔を見合わせ、曖昧に頷き返した。

 これはもう自分で黒だと言っているようなものだろう。池守は手応えを感じる。

 しかしそれが今回の自転車盗難未遂事件と関係しているのか、それとも別の隠し事があるのか、どちらとも判断がつきかねた。

 それに池守の手元には、確固とした証拠が何もない。直感的に怪しいというだけだ。池守は手帳を閉じ、わざと満足したかのような顔を作る。

「そうですか。こちらとしては以上です。お邪魔しました」

 池守が腰を上げると、男も心底安心したらしい。笑顔で席を立ち、池守を送り出す。

「階段が急なので、お気をつけください」

「ご忠告どうも。……さようなら」

 池守はさきほどの廊下を戻り、階段の前まで来た。ちらりと事務所を振り返る。

「またここへ来るかどうかは、紙屋次第だな……頼んだぞ……」

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