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うろな町の不思議な人々  作者: 稲葉孝太郎
第4章 駐禁違反取り締まり事件
28/71

第26話 不条理なメリット

 池守(いけがみ)は喫茶店を出た後、再びあの通りへとやって来た。

 駐輪違反の自転車は全て撤去されてしまったのか、通りは小奇麗になっている。新たに停めたと見られる数台を除き、昼間見た光景は既に跡形もない。

 池守は通りを一瞥し、早速調査を始めた。愉快犯という線を追うため、近くにあったコンビニに入る。奥で暇そうにしている男の店員に、池守は警察手帳を見せた。

「け、警察の方ですか? ……何の御用でしょうか?」

「水曜日の午前中に、ここで働いていましたか?

「水曜日ですか? は、はい。その時間帯なら、10時から13時までシフトが……」

「そのとき、不審な車両を目撃しませんでしたか?」

「不審な車両……? 怪しい車ということですか?」

 池守は軽く頷き返す。

 本当ならば【トラック】あるいは【幌付きの荷台がある車】など、キーワードを散りばめた方がいいのかもしれない。だが池守は、店員に先入観を持たせない方針を選んだ。

 池守が黙って待っていると、男の店員は自信なさげに答えを返す。

「比較的混雑する時間なので、店外の様子はちょっと……」

 さすがに無理があるか。池守は質問を変える。

「最近このあたりで、何かイタズラが頻発するというようなことは?」

 イタズラ。池守の台詞に、店員はよく分からないような顔をした。

 池守は遠回しに例を挙げる。

「壁に落書きがされているとか、インターフォンを用もないのに押すとか……。あるいは、何か盗まれたようなことは?」

 池守は、最後の例にとりわけ力を込めた。店員もそこに反応する。

「万引きのことですか? 万引きならしょっちゅうですよ。コンビニの宿命みたいなもんですね。こちらとしてはもう諦めてます」

 話が逸れてしまう。万引きに関心があるわけではない。

 池守は婉曲な表現を止めて、単刀直入に質問する。

「お客さんの中で、自転車が盗まれたと言って来た人はいませんか?」

 自転車に話が及び、店員はようやく合点のいったような顔をした。

 何か知っているようだ。池守はペンを取り出し、店員に先を促す。

「そういう話があったのですね?」

「え、ああ、はい……。詳しくは知らないんですが、『店の前に停めておいた自転車を知らないか?』と訊いて来た人ならいます。なんでも、うちの店の前に無断駐輪したら、どこかへ消えてしまったとか。ずうずうしい客だとは思いましたが、よほどのことがない限り違法駐車を通報したりはしませんので、知らないと答えました。まあ、この通りではよく取り締まりが行われていますし、業者に持って行かれたんだと思いますが」

 そこまで来て、池守はぴたりとメモの手を止めた。

 くるりとボールペンを一回転させ、店員の台詞について考えを巡らせる。仮に今回の事件が愉快犯の仕業だとすれば、犯人は駐車の許可された区域から禁止された区域へと移動させるはずだ。でなければ、いやがらせになっていない。ところがこの通りは、どうやら全面的に駐車禁止になっているように思える。駐車監視員の杉田(すぎた)(みなもと)に出会ったのも、もともとはここが取り締まりの重点地域だからだろう。だとすれば、いやがらせなどしなくても、自転車を回収される可能性は高いわけだ。

 池守はだんだんと、愉快犯説に自信がなくなってきた。よくよく考えてみれば、蔵前(くらまえ)には詳しい状況説明をしていないのだから、彼の回答は曖昧なものになっている。せめて「駐車禁止区域から別の駐車禁止区域へ移動させる動機は?」くらい、踏み込んで訊けばよかったかもしれない。

 池守はあのときの軽率さを後悔しながら、とりあえず質問を続けた。

「その客の特徴を教えてもらえませんか?」

 池守の質問に、店員はしばらく考え込む。

「そうですね、ほんと普通の人なんですが……。40代くらいの男性で、平日にスーツを着ていなかったので、自営業だと思います。ただこのへんでは見かけない顔でしたね。眼鏡を掛けた小太りの人です。髪の量は普通でした」

 池守はその特徴をメモし、再びボールペンを一回転させる。

 これでは人物像が漠然とし過ぎている。眼鏡を掛けた小太りの男など、うろな町では雲を掴むような話だ。もしひとつだけ可能性があるとすれば……。

 池守は唐突に話を切り上げる。

「ありがとうございました。お邪魔してすみません」

 聞き込みが終わり、店員はホッとしたような顔を浮かべた。

「いえいえ、こちらも駐車違反には手を焼いてますからね」

 どうやら店員は、池守が駐車違反の取り締まりに来たと勘違いしたようだ。池守は特にそれを訂正することもなく、コンビニを後にした。

 あたりを見回し、物陰に隠れて携帯を取り出す。電話帳からある部署名を検索した。

 池守が発信ボタンを押すと、無機質な呼び出し音が流れる。

《……はい、こちらうろな南自転車保管所》

 電波の向こうから、中年男性の声がした。

「もしもし、うろな署の池守ですが……」

 池守は周囲に人がいないことを確認し、挨拶をする。

《ああ、池守さんですか? 日曜日にどうしたんです?》

「実は調べてもらいたいことがあるんです。先週、放置自転車を取りに来た住民の中に、駐車場所と回収場所が違うと言って来た人がいるのを、覚えてますか?」

《覚えてますよ。ああいうのは大抵何かの言い訳なんですが、あのときはやたらと大勢いましたからね》

「その中に、次の特徴に該当する人物はいませんでしたか?」

 池守は、手帳に書き留めてあるメモを読み上げた。

 あまりにも乏しい情報だが、池守は万が一の可能性に賭けて見る。

 すると、向こうから唸るような声が聞こえた。

《うーん……40代くらいの眼鏡を掛けた自営業者風の男ねえ……》

「禿げてない、という特徴もあります」

《禿げてないおじさんなんていくらでもいるしなあ……。池守さん、すまないけど、こちらでは何とも言えませんよ。私が自転車を返却したのは、一部の人だけで、他の職員もやってるし、ちょっと相談してみないと……》

「そうですか……」

 池守はそこまでがっかりしなかった。もともと無理な相談なのだ。

 こうなったら自分で調べよう。そう決心して、通話を終える。

「お忙しいところ、ありがとうございました」

《なあに、構いませんよ。池守さんこそ、日曜日くらいは休んだ方がいいですよ。嫁さんが来なくなりますからね》

 アッハッハと笑って、電話が切れた。

 最後のは余計なお世話だと、池守は苦笑してしまう。

「確か個人情報はメモしてたよな……」

 池守はページをめくり、今回の被害者の一覧に目を通す。全部で11人。

 うろな町を転々とするのは気の滅入る作業だが、全員を調べる必要はないのだ。

 池守は早速、被害者の年齢と性別をチェックする。

「まず女は除いて……それから、30歳以下と60歳以上も除外っと……ん?」

 池守が名前を器用に消していくと、最終的に残ったのはふたりだけだった。

 彼はそのふたりの住所をチェックする。どちらもこの近くに住んでいた。

「……ま、そりゃそうか。自転車で移動できる範囲だもんな」

 これは案外早く会えるかもしれない。池守は腕時計を確かめる。

 午後4時前。日曜日の夕方だから、家にいる可能性はそこそこある。

「じゃ、今日中に寄っておくか……」

 池守は手帳を閉じると、物陰から出て、一人目の住所へと向かって行った。


  ○

   。

    .


「え? そういう事件だったんですか?」

 蔵前(くらまえ)がコーヒーカップを持ったまま、あんぐりと口を開ける。

 あれからおよそ2時間以上。延々と喋り続ける女子ふたりを他所に、蔵前はスマホのアプリで遊んでいた。今さらながら、池守たちの担当している事件の内容を、紙屋(かみや)の口から聞き出したところである。

 蔵前はカップをテーブルの上に置き、少々気まずそうに頬を掻く。

「だったらあのアドバイスは見当違いもいいところでしたね……」

「あれ、先輩に何かアドバイスしたんですか?」

 紙屋の問いを受け、蔵前は事情を説明した。

 全てを聞き終えたところで、紙屋はポンと手を叩く。

「それはいいアイデアですね。愉快犯の線は、まだ考えていませんでしたから」

「いや、全然いいアイデアじゃないんですよ」

 褒められたにもかかわらず、蔵前は自説を全力で否定した。

 紙屋はぽかんとした顔で、彼を見つめ返してくる。

「どうしてですか? 可能性は高いと思いますけど?」

「愉快犯だとしたら、駐輪場の自転車を狙うはずです。駐車禁止区域の自転車は、そのままにしておいてもどうせ持って行かれるんですからね。犯人が誰であれ、そこまで間抜けなことをするとは思えません」

「なるほど……」

 紙屋は両腕を組み、納得したように頷き返した。

 その隣に座っている杉田が、横合いから口を挟む。

「紙屋先輩、いろんな事件を担当してるんですね。カッコいいです」

「いやあ、それほどでも……」

 恥ずかしそうに頭を掻く紙屋。まんざらでもなさそうだ。

 蔵前が見るところ、紙屋は成り行きで警察になったようなタイプではなく、正義感に燃える熱血女刑事という感じだった。それに杉田の方も、どうやら似たような性格らしい。そうでなければ、駐車監視員の仕事など引き受けないだろう。

 このふたりの前では悪いことはできないなと、蔵前は自分に言い聞かせた。

「しかしそうなると、ずいぶん奇妙な事件ですね……。駐車禁止区域から、別の駐車禁止区域に自転車を移動させるなんて……。窃盗罪に問われるリスクすらあるのに……」

 蔵前の独り言に、紙屋が真剣な顔をする。

「そうなんですよ。だから途方に暮れてるんです。何かいいアイデアはありませんか?」

 素人の自分に訊かないでくれと、蔵前は首を左右に振った。

「全然分かりません。ただの異常行動とも考えられますが、犯人が理性的と考える限り、まともな説明があるようには……」

 そもそもメリットが見出せない。自転車を移動させることで儲かるわけでもなければ、誰かに復讐できるわけでもない。自転車はそのままでも、いずれ回収されただろう。

 情報が少な過ぎる。そう考えた蔵前は、紙屋に質問を投げ掛けた。

「それにしても、よく駐車場所と回収場所の違いが分かりましたね。そういうのは、警察に記録されてるんですか?」

「警察ではなく、うろな町にある自転車保管所に記録されるんです。うろな町には、それぞれの区にひとつずつ保管所があるんですよ。今回は、うろな南保管所が担当です」

「そうなんですか……。僕はほとんど自転車に乗らないんで、知りませんでした。その保管所というのは、警察が経営してるんですか?」

「いえ、町営です」

 紙屋はそう答えると、本日3杯目のコーヒーを口にした。

 蔵前はさらに質問を続ける。

「町営……? ということは、自転車の回収は警察ではなく町がやってるんですか?」

「そうですよ。今は全国的にそうなってますね」

「しかし、町役場の人手が足りないような……」

 なんだそんなことかと、紙屋は訂正を加える。

「いえ、実際の回収は役所の仕事じゃありません。私企業に委託されてます。放置車両確認機関という法人経営なんです」

 ああ、そういうことかと、蔵前は納得した。最近は何でも民間委託だ。これもその一貫なのだろう。

 蔵前は杉田へと視線を向ける。

「杉田さんは、その法人で働いてるんですね?」

「ええ、バイトですけどね。ただ、私みたいなバイトは珍しいんです。駐車監視員は国家資格なので、普通は常勤になります。うろなセキュリティが人手不足なので、知人を通じてこの話が来たんです」

「しかし、なぜまた駐車監視員を選んだんですか? バイトなら他にもあるでしょう?」

 蔵前の疑問に、紙屋が代わりに答えた。

「さなえちゃんは、昔からそういう仕事が好きだったのよね」

「はい、子供の頃によく、駐車違反取り締まりごっことかしてました」

 何だそれは。蔵前は危うくそう口に仕掛けた。

 少し距離を取った方が良さそうだと、蔵前は身構える。

「そのうろなセキュリティというのが、駐車取り締まりを請け負ってるんですね?」

「もう一社あります。うろなロードケアって言うんですけど。もともとうちはうろな町の警備会社だったんですが、委託のときに入札したんです。そのときもう1枠を獲得したのが、うろなロードケアなんですよ」

 蔵前の確認に、杉田は長々とそう答えた。

 なかなか難しい役割分担だ。蔵前は整理をつける。

「つまり、うろな町の交通整理は、うろなセキュリティとうろなロードケアの2社で共同処理しているわけですか?」

 杉田は頷き返す。

 蔵前はじっと視線を落とした。今の会話が、彼の中で何かを訴えかけている。

 駐車禁止区域から駐車禁止区域へ自動車を移動させるメリット。もしそのようなものがあるとすれば……。

 蔵前はハッと顔を上げる。

「どうしました? 何か思いつきましたか?」

 紙屋は彼の顔に、何かを読み取ったようだ。興味津々と言った感じで、テーブル越しに体を乗り出してくる。

 蔵前はもう一度自分の推理を確認し、おもむろに唇を動かした。

「ひとつだけ……ひとつだけ確かめて欲しいことがあるんですが……」

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