第25話 年の差の少年たち
「本当に大丈夫なの?」
助手席から降りた吉備津に、遠坂が心配げな声を掛けた。
少年は後部座席の窓へと視線を戻し、薄い唇を動かす。
「ご不満でしたら、取り止めるという手もありますが……」
吉備津が消極的な態度を見せると、遠坂は慌てて口を挟む。
「不満ってわけじゃないんだけど……。あなたって、見かけだけ高校生だから……」
見かけだけ。その一言に、吉備津は心持ち不愉快そうな顔をする。
「これでも高校ではうまくやっているではありませんか。遠坂先生とて、私が正体を明かすまでは、疑問をお持ちでなかったでしょう?」
吉備津の返答に、遠坂は押し黙った。納得したというよりは、ここまで来たのだからやるしかないと言った顔をしている。
助手席のドアを閉める前に、吉備津は運転席を一瞥する。ぶかぶかなシートベルトをした杏が、例の無表情な顔でこちらをじっと見つめていた。
「では頑張ってくるのです」
「……善処致します」
吉備津はドアをそっと閉め、それから繁華街へと足を運んだ。
池守と別れた後、葦原のアパートを見つけたまでは良かったものの、少年は留守であった。近所の住人に尋ねたところ、この時間帯は繁華街でアルバイトをしているのだと言う。再び杏に運転してもらい、繁華街近くのパーキングエリアにやって来たのだ。
「さて、少しくらい時間を取ってくれるといいのですが……」
吉備津は独り言を呟き、繁華街のアーケードに足を踏み入れた。左右を見回し、目標の揚げ物屋を探す。日曜日の人混みをかき分けながら、吉備津はある看板に目を留めた。
「あれですね……」
吉備津は向かって来る人の波を器用に横切り、揚げ物屋の前に辿り着いた。2時過ぎという時間帯もあってか、他に客はいない。店の中にも、ターゲットである葦原少年の姿だけが見えた。
しかし、問題はここからである。杏が快適な運転をしている間、吉備津は助手席で会話の切り出し方を考えていた。ただの客として振る舞うか、知人として振る舞うか……。
吉備津は後者を選んだ。一度しか顔を会わせていないとは言え、よそよそしくするよりはいいだろう。吉備津は行動に移る。
「こんにちは、葦原くん」
カウンターの前に立ち、吉備津はなるべく明るめな声で挨拶した。
接客業の笑顔を浮かべていた少年が、すぐに驚きの表情を浮かべる。
「あ、吉備津さん」
名前を覚えていてくれたのか。これは話が早いと、吉備津は先を続ける。
「やはり葦原くんでしたか。さきほど顔を見かけたときは、まさかと思いましたが……」
「びっくりしたのは僕の方ですよ。吉備津さんは、町外に住んでいるんじゃ?」
「今日は日曜日ですし、少し立ち寄っただけです。……ところで、今は仕事中ですか?」
「はい。……と言っても、もうすぐあがりですけどね。今日は3時までなので」
葦原少年の返答に、吉備津は店内へと視線を走らせた。壁に掛かっている時計が、14時30分を指している。
あと30分。吉備津はしばらく考えた末、おとなしく待つことに決めた。
「この後、暇ですか?」
吉備津の問い掛けに、葦原はきょとんとした顔になる。
「いえ、何もありませんが……。僕に何か用事ですか?」
「用事というわけではないですが、久しぶりに会えたことですし、話でも……」
吉備津の誘いに、葦原の顔が一瞬輝いた。だがすぐさま曇り空へと変わる。
「すみません、ちょっと遊びに出掛けるとか、そういうのは……」
なぜだ。吉備津は説明を待たず、それが金銭問題であることに気付いた。バイト三昧と聞いている。それだけ生活に余裕がないのだろう。
「いえ、遊びに行くつもりはありません。あまりそういう浮いたことは好きではありませんので……。適当に話せる場所はありませんか? どこか公園など……」
「それなら、いくらでもありますよ。後でご案内します」
これで話は整った。吉備津は見落としがないかを確認する。
計画に抜かりがないことを確かめた吉備津は、ふいにある疑問をぶつけた。
「葦原くん、別にそんな敬語を使わなくもいいのですよ。あなたは16でしょう? 私も16ですから、同年齢です」
「そ、そうですけど、吉備津さんは何か同い年って感じがしないもので……」
勘のいい奴だ。吉備津は目の前の少年を警戒する。
一方、葦原は軽く頬を掻いた後、同じ疑問を返してきた。
「吉備津さんこそ、僕に敬語ですよね? なぜなんですか?」
「……これは癖です」
「じゃあ、お互いに敬語はナシということでどうですか? じゃなくて、どう?」
葦原が控え目にそう言うと、吉備津も頷き返す。
その方が自然だと思ったのだ。相手の警戒心を解くにはちょうどいい。
「分かりまし……分かったよ。それじゃ、また後で」
吉備津はそう言い残し、店の前を離れた。それと入れ違うように、客がやって来る。
背後で葦原の挨拶を聞きながら、吉備津は時間つぶしの場所を探した。途中で碁会所を見つけ、ふらふらと立ち寄りそうになったが、30分では1局も打てないと、すぐに思いとどまる。本屋に寄り、適当に時間を過ごしてから、揚げ物屋に戻った。
吉備津が店の前まで来ると、既に葦原の姿はなかった。見知らぬおばさんがいる。
「あ、ここだよ、ここ」
振り返ると、店員服から着替えた葦原が立っていた。
「待たせたかい?」
なるべく気さくに話し掛ける吉備津。
高校で練習済みとは言え、何だか妙な気分になってくる。
「いや、今来たばかりだよ。……公園でいいの?」
吉備津が頷き返すと、葦原は先頭に立って繁華街を出て行った。どれほど歩くのかと思いきや、わずかに徒歩1分。子供連れの多い、小さな公共公園である。
空いたベンチに腰を下ろし、ふたりはしばらく押し黙る。
どう切り出したものか、吉備津は悩んだ。こういうときは、むしろ年の差があってくれた方が話がし易いのだ。一方的に話し手に回るか、あるいは聞き手に回れば良いのだから。同年代というのが、一番話題に困る。
葦原もそれほどおしゃべりではないのか、一向に口を開かない。
仕方がないので、吉備津はさきほど体験した出来事を話す。
「そう言えばさっき、面白いことがあったんだ。運転の下手な女性が、駐車場を探しにうろうろしていたら、駐車違反で捕まりそうになってたんだよ」
「自転車なら、僕も持ってかれたことがあるよ。……小学生の頃だけどね」
そう言うと、葦原は少し悲しそうな顔をした。
当たり障りの無いテーマを選んだつもりだったのだが……。吉備津は話をそらす。
「そのとき池守さんに会ったよ。日曜なのに仕事みたいだった」
「池守さんに? ……何かあったのかな?」
「交通課の刑事なんだろう? だったら駐車違反の取り締まりでも……」
吉備津の推測に、葦原は首を左右に振った。
「池守さんはそういう立場の人じゃないよ。ひき逃げとか、交通事件の中でも犯罪性の高い事件を担当してるんだ。最近はうろな町も平和で、比較的時間があるみたいだったけど」
葦原の説明を受け、吉備津はあのときの不吉な予感を思い出す。
今の池守には、何か困難が待ち受けているような、そんな気がしたのだ。陰陽師としての勘が狂っていない限り、自分の予感は当たる。吉備津はそのことに、絶対の自信を持っていた。
いや、今は刑事のことを考えている場合ではない。吉備津は気を取り直し、公園へと視線を向ける。子供たちが砂場で遊び、隅では高校生らしきグループがバスケに興じていた。お年寄りの姿も見える。昼間から16歳の少年同士がベンチで話をするのは、何だか奇妙に思えてならなかった。
吉備津が再びテーマ選びに苦心していると、今度は葦原の方から話し掛けてきた。
「そう言えば、遠坂さんは来てないの? あの髪の長い女の人」
遠坂。今回の首謀者の名前が出て、吉備津は急に話がしやすくなった。
すぐに答えを返す。
「遠坂さんは……」
○
。
.
「うーん、ここからじゃ、何を言ってるのか分からないわね……」
公園の茂みに隠れていた遠坂が、望遠レンズ越しにそう呟いた。
「ここは立ち入り禁止なのです。おまわりさんに見つかったらアウトなのです」
いきなりの遵法精神を示した杏に、遠坂は怪訝そうな眼差しを向ける。
「人のマンションに不法侵入しといて、よく言うわ」
「あれはノーリスクだからいいのです。現状はリターンよりリスクの方が大きいのです。こんな遠くから見て、何が面白いのですか?」
「恋愛感情のないあなたには、分からないでしょうね」
遠坂はそう言うと、再びレンズを覗き込んだ。
視界に葦原の顔が映り込む。何度見てもいいものだと、遠坂はニヤつかざるをえない。
しかし、双眼鏡では音が拾えない。いったい何の話しているのか。ときどき笑顔が見える分、遠坂は余計もどかしくなった。
「何とかしてそばに近寄れないかしら?」
「私が行けばバレないのです」
あっさりとそう答える杏。遠坂は溜め息を吐いた。
「それじゃ意味ないのよ。私が近付けないと……」
「なぜ意味がないのですか? 盗聴器を仕掛ければいいのです」
杏の発言に、遠坂は双眼鏡からハッと目を離す。
「持ってるの?」
「当たり前なのです。仕掛けるのですか? 仕掛けないのですか?」
遠坂は躊躇なく首を縦に振った。犯罪かどうかは分からないが、とにかくここはあらゆる手段を使いたい。そのためにわざわざうろな町まで来たのだから。
「では仕掛けて来るのです」
杏はのそりと立ち上がり、茂みから出て行く。
仲間の無事を祈りつつ、遠坂は再び葦原ウォッチングを再開した。
○
。
.
「そうですか、葦原くんは将棋が趣味なんですか」
「趣味っていうか、遊ぶだけだね。ちょっとおじさんっぽいけど……」
照れる葦原に、吉備津はかぶりを振る。
自分も囲碁狂いなのだから、他人のことは言えない。少年はそう思う。
「でもなんで将棋なんだい? 誰かから教わったとか?」
「家にはテレビもパソコンもないんだ。だからゲームとかはできないし、かと言って遊ぶ友だちもいないから……。そしたら店長が将棋好きで、教えてくれたんだよ」
店長。誰のことを指しているのかは分からないが、揚げ物屋のことだろう。吉備津はそう察しをつけた。
だんだん会話がスムーズになってきたところで、吉備津は異質な気を感じる。葦原から目を離すと、小さな女の子がこちらへ近付いて来るのが見えた。
杏だ。葦原も、吉備津の視線を追う。
「あれ? あのときの女の子……」
葦原が言い終えるが早いか、杏はふたりの前に立ち、無愛想に挨拶をする。
「こんにちはなのです」
「こ、こんにちは……」
葦原が戸惑っているのを他所に、杏は彼の右隣に座った。
いったい何をしに来たのか。吉備津は杏の目を見据える。
「どうしたのですか、杏さん?」
「ちょっとお話があるのです」
そう言って杏は、不自然に葦原の肩へ手をおいた。
何か仕組んだな。吉備津は瞬時に事態を把握した。大方、盗聴器か何かだろうとあたりをつけつつ、吉備津は杏を紹介する。
「こちらは入江さんです。私の……」
「覚えてるよ。事件を解決した後、一緒にいたからね」
そう言うと葦原は、入江に笑顔を向けた。
「入江ちゃんは、まだ小学生かな?」
「私は高校3年生なのです」
杏の一言に、葦原の顔が青くなる。吉備津に確認を求めるような視線を送ってきた。
吉備津が黙って頷き返すと、葦原は杏に頭を下げる。
「す、すみません、何か凄い失礼なこと言っちゃって……」
「身長が低いということですか? それはどうでもいいのです。地球人はそういうことを気にし過ぎなのです。重要なのは遺伝子のパターンだけなのです」
不味い。また口が滑り始めている。吉備津は葦原よりも、杏に注意を向け始めた。
「ところで、杏さんは何か御用ですか? そうでないならば、今は男同士の……」
「ひとつ訊きたいことがあるのです。葦原くんは、高校生ではないのですか?」
危険な話題だ。吉備津は杏を黙らせようとしたが、葦原は先に返事をする。
「ええ、高校には通ってないです」
「では普段、何をしているのですか?」
「アルバイトとか……。というか、アルバイトくらいですね、やってることは」
杏は興味深いサンプルを見るような、そんな目をしている。
彼女自身、高校生として地球に潜伏しているのだから、研究対象のほとんどは学校関係者なのだろう。だとすれば、葦原のようなタイプの若者は、少し珍しいのかもしれない。吉備津はそう推測した。
だがそれとこれとは話が別だ。吉備津は何とか話題を戻そうと努める。
「葦原くん、さっきの将棋の話ですが……」
「もうひとつ質問があるのです。葦原くんは、どうやって生活しているのですか? アルバイトだけでは、将来的に息詰まるのです」
最悪な質問をする杏。吉備津は諦め気味に肩を落とした。
だが当の葦原少年は、あまり嫌な顔をしていない。タブー中のタブーに触れたのかと思いきや、そういうわけではないようだ。吉備津もにわかに興味を示す。
「もちろん、アルバイトは喰い繋ぎです。将来はライターになりたいんですよ」
「ライター? ……放火犯になりたいのですか?」
杏の発言をジョークと受け取ったのか、葦原は爆笑した。
変なところに笑いのツボがあるようだ。ともかく、吉備津は一安心する。
「違いますよ。新聞の記事とか、そういうのを書く人です。別に新聞じゃなくてもいいんですけどね。雑誌でも何でも」
「なるほど、よく分からないのです」
杏は自分の知識不足を認め、ぼんやりと葦原の顔を見つめた。
会話が一段落したところで、少年はベンチから腰を上げる。
「それじゃ、僕はそろそろ行きますね。次のバイトがあるんで」
葦原はそう言うと、吉備津に向き直り、握手を求めた。
そのような習慣はないのだが、吉備津もそれを握り返す。
「今日はありがとう。楽しかったよ。また来てくれ」
「こちらこそ……お元気で……」
葦原は杏にも挨拶をし、その場を去った。
あとには、宇宙人と陰陽師だけが取り残される。
子供たちの歓声だけが響く中、吉備津は唇を動かす。
「杏さん、遠坂さんはどこに……」
吉備津が言い終わる前に、向こうの茂みから人影が現れた。
遠坂だ。彼女は小走りにこちらへと向かって来る。
「どうだった?」
それが遠坂の第一声だった。
杏が不思議そうに返事をする。
「どうしたも何も、ちゃんと盗聴していたのです。聞かなかったのですか?」
「受信機をもらってないのに、どうやって聞けって言うのよッ!」
そうだったと、杏はポケットから小さな金属片を取り出す。
それを手渡そうとしたところで、遠坂はますます憤る。
「もう遅いわよ。それより、どうだったの?」
「とりあえず……仲良くはなれたかと……」
吉備津の答えに、遠坂はホッと胸を撫で下ろした。
「ということは、作戦成功ってわけね……」
「外堀の外堀の外堀くらいは埋められたかと……」
目の前で喜ぶ遠坂を他所に、吉備津は葦原の消えた方向を見やる。
数ヶ月前に会ったとき、葦原には女難の相が出ていた。果たして自分たちが遠坂を近付けてよいものかどうか、数百年生きているにもかかわらず、吉備津には分からなかった。




