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うろな町の不思議な人々  作者: 稲葉孝太郎
第4章 駐禁違反取り締まり事件
27/71

第25話 年の差の少年たち

「本当に大丈夫なの?」

 助手席から降りた吉備津(きびつ)に、遠坂(とおさか)が心配げな声を掛けた。

 少年は後部座席の窓へと視線を戻し、薄い唇を動かす。

「ご不満でしたら、取り止めるという手もありますが……」

 吉備津が消極的な態度を見せると、遠坂は慌てて口を挟む。

「不満ってわけじゃないんだけど……。あなたって、見かけだけ高校生だから……」

 見かけだけ。その一言に、吉備津は心持ち不愉快そうな顔をする。

「これでも高校ではうまくやっているではありませんか。遠坂先生とて、私が正体を明かすまでは、疑問をお持ちでなかったでしょう?」

 吉備津の返答に、遠坂は押し黙った。納得したというよりは、ここまで来たのだからやるしかないと言った顔をしている。

 助手席のドアを閉める前に、吉備津は運転席を一瞥する。ぶかぶかなシートベルトをした(あんず)が、例の無表情な顔でこちらをじっと見つめていた。

「では頑張ってくるのです」

「……善処致します」

 吉備津はドアをそっと閉め、それから繁華街へと足を運んだ。

 池守と別れた後、葦原(あしはら)のアパートを見つけたまでは良かったものの、少年は留守であった。近所の住人に尋ねたところ、この時間帯は繁華街でアルバイトをしているのだと言う。再び杏に運転してもらい、繁華街近くのパーキングエリアにやって来たのだ。

「さて、少しくらい時間を取ってくれるといいのですが……」

 吉備津は独り言を呟き、繁華街のアーケードに足を踏み入れた。左右を見回し、目標の揚げ物屋を探す。日曜日の人混みをかき分けながら、吉備津はある看板に目を留めた。

「あれですね……」

 吉備津は向かって来る人の波を器用に横切り、揚げ物屋の前に辿り着いた。2時過ぎという時間帯もあってか、他に客はいない。店の中にも、ターゲットである葦原少年の姿だけが見えた。

 しかし、問題はここからである。杏が快適な運転をしている間、吉備津は助手席で会話の切り出し方を考えていた。ただの客として振る舞うか、知人として振る舞うか……。

 吉備津は後者を選んだ。一度しか顔を会わせていないとは言え、よそよそしくするよりはいいだろう。吉備津は行動に移る。

「こんにちは、葦原くん」

 カウンターの前に立ち、吉備津はなるべく明るめな声で挨拶した。

 接客業の笑顔を浮かべていた少年が、すぐに驚きの表情を浮かべる。

「あ、吉備津さん」

 名前を覚えていてくれたのか。これは話が早いと、吉備津は先を続ける。

「やはり葦原くんでしたか。さきほど顔を見かけたときは、まさかと思いましたが……」

「びっくりしたのは僕の方ですよ。吉備津さんは、町外に住んでいるんじゃ?」

「今日は日曜日ですし、少し立ち寄っただけです。……ところで、今は仕事中ですか?」

「はい。……と言っても、もうすぐあがりですけどね。今日は3時までなので」

 葦原少年の返答に、吉備津は店内へと視線を走らせた。壁に掛かっている時計が、14時30分を指している。

 あと30分。吉備津はしばらく考えた末、おとなしく待つことに決めた。

「この後、暇ですか?」

 吉備津の問い掛けに、葦原はきょとんとした顔になる。

「いえ、何もありませんが……。僕に何か用事ですか?」

「用事というわけではないですが、久しぶりに会えたことですし、話でも……」

 吉備津の誘いに、葦原の顔が一瞬輝いた。だがすぐさま曇り空へと変わる。

「すみません、ちょっと遊びに出掛けるとか、そういうのは……」

 なぜだ。吉備津は説明を待たず、それが金銭問題であることに気付いた。バイト三昧と聞いている。それだけ生活に余裕がないのだろう。

「いえ、遊びに行くつもりはありません。あまりそういう浮いたことは好きではありませんので……。適当に話せる場所はありませんか? どこか公園など……」

「それなら、いくらでもありますよ。後でご案内します」

 これで話は整った。吉備津は見落としがないかを確認する。

 計画に抜かりがないことを確かめた吉備津は、ふいにある疑問をぶつけた。

「葦原くん、別にそんな敬語を使わなくもいいのですよ。あなたは16でしょう? 私も16ですから、同年齢です」

「そ、そうですけど、吉備津さんは何か同い年って感じがしないもので……」

 勘のいい奴だ。吉備津は目の前の少年を警戒する。

 一方、葦原は軽く頬を掻いた後、同じ疑問を返してきた。

「吉備津さんこそ、僕に敬語ですよね? なぜなんですか?」

「……これは癖です」

「じゃあ、お互いに敬語はナシということでどうですか? じゃなくて、どう?」

 葦原が控え目にそう言うと、吉備津も頷き返す。

 その方が自然だと思ったのだ。相手の警戒心を解くにはちょうどいい。

「分かりまし……分かったよ。それじゃ、また後で」

 吉備津はそう言い残し、店の前を離れた。それと入れ違うように、客がやって来る。

 背後で葦原の挨拶を聞きながら、吉備津は時間つぶしの場所を探した。途中で碁会所を見つけ、ふらふらと立ち寄りそうになったが、30分では1局も打てないと、すぐに思いとどまる。本屋に寄り、適当に時間を過ごしてから、揚げ物屋に戻った。

 吉備津が店の前まで来ると、既に葦原の姿はなかった。見知らぬおばさんがいる。

「あ、ここだよ、ここ」

 振り返ると、店員服から着替えた葦原が立っていた。

「待たせたかい?」

 なるべく気さくに話し掛ける吉備津。

 高校で練習済みとは言え、何だか妙な気分になってくる。

「いや、今来たばかりだよ。……公園でいいの?」

 吉備津が頷き返すと、葦原は先頭に立って繁華街を出て行った。どれほど歩くのかと思いきや、わずかに徒歩1分。子供連れの多い、小さな公共公園である。

 空いたベンチに腰を下ろし、ふたりはしばらく押し黙る。

 どう切り出したものか、吉備津は悩んだ。こういうときは、むしろ年の差があってくれた方が話がし易いのだ。一方的に話し手に回るか、あるいは聞き手に回れば良いのだから。同年代というのが、一番話題に困る。

 葦原もそれほどおしゃべりではないのか、一向に口を開かない。

 仕方がないので、吉備津はさきほど体験した出来事を話す。

「そう言えばさっき、面白いことがあったんだ。運転の下手な女性が、駐車場を探しにうろうろしていたら、駐車違反で捕まりそうになってたんだよ」

「自転車なら、僕も持ってかれたことがあるよ。……小学生の頃だけどね」

 そう言うと、葦原は少し悲しそうな顔をした。

 当たり障りの無いテーマを選んだつもりだったのだが……。吉備津は話をそらす。

「そのとき池守(いけがみ)さんに会ったよ。日曜なのに仕事みたいだった」

「池守さんに? ……何かあったのかな?」

「交通課の刑事なんだろう? だったら駐車違反の取り締まりでも……」

 吉備津の推測に、葦原は首を左右に振った。

「池守さんはそういう立場の人じゃないよ。ひき逃げとか、交通事件の中でも犯罪性の高い事件を担当してるんだ。最近はうろな町も平和で、比較的時間があるみたいだったけど」

 葦原の説明を受け、吉備津はあのときの不吉な予感を思い出す。

 今の池守には、何か困難が待ち受けているような、そんな気がしたのだ。陰陽師としての勘が狂っていない限り、自分の予感は当たる。吉備津はそのことに、絶対の自信を持っていた。

 いや、今は刑事のことを考えている場合ではない。吉備津は気を取り直し、公園へと視線を向ける。子供たちが砂場で遊び、隅では高校生らしきグループがバスケに興じていた。お年寄りの姿も見える。昼間から16歳の少年同士がベンチで話をするのは、何だか奇妙に思えてならなかった。

 吉備津が再びテーマ選びに苦心していると、今度は葦原の方から話し掛けてきた。

「そう言えば、遠坂さんは来てないの? あの髪の長い女の人」

 遠坂。今回の首謀者の名前が出て、吉備津は急に話がしやすくなった。

 すぐに答えを返す。

「遠坂さんは……」


  ○

   。

    .


「うーん、ここからじゃ、何を言ってるのか分からないわね……」

 公園の茂みに隠れていた遠坂が、望遠レンズ越しにそう呟いた。

「ここは立ち入り禁止なのです。おまわりさんに見つかったらアウトなのです」

 いきなりの遵法精神を示した杏に、遠坂は怪訝そうな眼差しを向ける。

「人のマンションに不法侵入しといて、よく言うわ」

「あれはノーリスクだからいいのです。現状はリターンよりリスクの方が大きいのです。こんな遠くから見て、何が面白いのですか?」

「恋愛感情のないあなたには、分からないでしょうね」

 遠坂はそう言うと、再びレンズを覗き込んだ。

 視界に葦原の顔が映り込む。何度見てもいいものだと、遠坂はニヤつかざるをえない。

 しかし、双眼鏡では音が拾えない。いったい何の話しているのか。ときどき笑顔が見える分、遠坂は余計もどかしくなった。

「何とかしてそばに近寄れないかしら?」

「私が行けばバレないのです」

 あっさりとそう答える杏。遠坂は溜め息を吐いた。

「それじゃ意味ないのよ。私が近付けないと……」

「なぜ意味がないのですか? 盗聴器を仕掛ければいいのです」

 杏の発言に、遠坂は双眼鏡からハッと目を離す。

「持ってるの?」

「当たり前なのです。仕掛けるのですか? 仕掛けないのですか?」

 遠坂は躊躇なく首を縦に振った。犯罪かどうかは分からないが、とにかくここはあらゆる手段を使いたい。そのためにわざわざうろな町まで来たのだから。

「では仕掛けて来るのです」

 杏はのそりと立ち上がり、茂みから出て行く。

 仲間の無事を祈りつつ、遠坂は再び葦原ウォッチングを再開した。


  ○

   。

    .


「そうですか、葦原くんは将棋が趣味なんですか」

「趣味っていうか、遊ぶだけだね。ちょっとおじさんっぽいけど……」

 照れる葦原に、吉備津はかぶりを振る。

 自分も囲碁狂いなのだから、他人のことは言えない。少年はそう思う。

「でもなんで将棋なんだい? 誰かから教わったとか?」

「家にはテレビもパソコンもないんだ。だからゲームとかはできないし、かと言って遊ぶ友だちもいないから……。そしたら店長が将棋好きで、教えてくれたんだよ」

 店長。誰のことを指しているのかは分からないが、揚げ物屋のことだろう。吉備津はそう察しをつけた。

 だんだん会話がスムーズになってきたところで、吉備津は異質な気を感じる。葦原から目を離すと、小さな女の子がこちらへ近付いて来るのが見えた。

 杏だ。葦原も、吉備津の視線を追う。

「あれ? あのときの女の子……」

 葦原が言い終えるが早いか、杏はふたりの前に立ち、無愛想に挨拶をする。

「こんにちはなのです」

「こ、こんにちは……」

 葦原が戸惑っているのを他所に、杏は彼の右隣に座った。

 いったい何をしに来たのか。吉備津は杏の目を見据える。

「どうしたのですか、杏さん?」

「ちょっとお話があるのです」

 そう言って杏は、不自然に葦原の肩へ手をおいた。

 何か仕組んだな。吉備津は瞬時に事態を把握した。大方、盗聴器か何かだろうとあたりをつけつつ、吉備津は杏を紹介する。

「こちらは入江(いりえ)さんです。私の……」

「覚えてるよ。事件を解決した後、一緒にいたからね」

 そう言うと葦原は、入江に笑顔を向けた。

「入江ちゃんは、まだ小学生かな?」

「私は高校3年生なのです」

 杏の一言に、葦原の顔が青くなる。吉備津に確認を求めるような視線を送ってきた。

 吉備津が黙って頷き返すと、葦原は杏に頭を下げる。

「す、すみません、何か凄い失礼なこと言っちゃって……」

「身長が低いということですか? それはどうでもいいのです。地球人はそういうことを気にし過ぎなのです。重要なのは遺伝子のパターンだけなのです」

 不味い。また口が滑り始めている。吉備津は葦原よりも、杏に注意を向け始めた。

「ところで、杏さんは何か御用ですか? そうでないならば、今は男同士の……」

「ひとつ訊きたいことがあるのです。葦原くんは、高校生ではないのですか?」

 危険な話題だ。吉備津は杏を黙らせようとしたが、葦原は先に返事をする。

「ええ、高校には通ってないです」

「では普段、何をしているのですか?」

「アルバイトとか……。というか、アルバイトくらいですね、やってることは」

 杏は興味深いサンプルを見るような、そんな目をしている。

 彼女自身、高校生として地球に潜伏しているのだから、研究対象のほとんどは学校関係者なのだろう。だとすれば、葦原のようなタイプの若者は、少し珍しいのかもしれない。吉備津はそう推測した。

 だがそれとこれとは話が別だ。吉備津は何とか話題を戻そうと努める。

「葦原くん、さっきの将棋の話ですが……」

「もうひとつ質問があるのです。葦原くんは、どうやって生活しているのですか? アルバイトだけでは、将来的に息詰まるのです」

 最悪な質問をする杏。吉備津は諦め気味に肩を落とした。

 だが当の葦原少年は、あまり嫌な顔をしていない。タブー中のタブーに触れたのかと思いきや、そういうわけではないようだ。吉備津もにわかに興味を示す。

「もちろん、アルバイトは喰い繋ぎです。将来はライターになりたいんですよ」

「ライター? ……放火犯になりたいのですか?」

 杏の発言をジョークと受け取ったのか、葦原は爆笑した。

 変なところに笑いのツボがあるようだ。ともかく、吉備津は一安心する。

「違いますよ。新聞の記事とか、そういうのを書く人です。別に新聞じゃなくてもいいんですけどね。雑誌でも何でも」

「なるほど、よく分からないのです」

 杏は自分の知識不足を認め、ぼんやりと葦原の顔を見つめた。

 会話が一段落したところで、少年はベンチから腰を上げる。

「それじゃ、僕はそろそろ行きますね。次のバイトがあるんで」

 葦原はそう言うと、吉備津に向き直り、握手を求めた。

 そのような習慣はないのだが、吉備津もそれを握り返す。

「今日はありがとう。楽しかったよ。また来てくれ」

「こちらこそ……お元気で……」

 葦原は杏にも挨拶をし、その場を去った。

 あとには、宇宙人と陰陽師だけが取り残される。

 子供たちの歓声だけが響く中、吉備津は唇を動かす。

「杏さん、遠坂さんはどこに……」

 吉備津が言い終わる前に、向こうの茂みから人影が現れた。

 遠坂だ。彼女は小走りにこちらへと向かって来る。

「どうだった?」

 それが遠坂の第一声だった。

 杏が不思議そうに返事をする。

「どうしたも何も、ちゃんと盗聴していたのです。聞かなかったのですか?」

「受信機をもらってないのに、どうやって聞けって言うのよッ!」

 そうだったと、杏はポケットから小さな金属片を取り出す。

 それを手渡そうとしたところで、遠坂はますます憤る。

「もう遅いわよ。それより、どうだったの?」

「とりあえず……仲良くはなれたかと……」

 吉備津の答えに、遠坂はホッと胸を撫で下ろした。

「ということは、作戦成功ってわけね……」

「外堀の外堀の外堀くらいは埋められたかと……」

 目の前で喜ぶ遠坂を他所に、吉備津は葦原の消えた方向を見やる。

 数ヶ月前に会ったとき、葦原には女難の相が出ていた。果たして自分たちが遠坂を近付けてよいものかどうか、数百年生きているにもかかわらず、吉備津には分からなかった。

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