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うろな町の不思議な人々  作者: 稲葉孝太郎
第4章 駐禁違反取り締まり事件
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第24話 ゴールドの女

 晴天の秋空の下、ひとりの男がスーツ姿で町を闊歩していた。

 彼の名は池守(いけがみ)瞬也(しゅんや)。うろな警察署に勤務する、交通課の刑事である。

 道行く家族連れや若者たちを横目に、池守はうろな南へと向かっていた。せっかくの休日だと言うのに、彼の顔は浮かない。それもそのはず。勤務中なのだから。

「何で日曜日も仕事があるかねえ……」

 治安活動に休息はない。池守とて、それは承知している。新米警官でもあるまいし、今さら自分の職場環境についてどうこうする気はなかった。だがそれでも、時には愚痴のひとつもこぼしたくなってくるものだ。池守にとっては、今がそのときであった。

 それに今回の仕事は、彼にとって久々に大きな山だった。万引き、痴漢、恐喝。どれも市民の安全を脅かす犯罪には違いないが、池守の本分ではない。どれも場当たり的に解決してきたものばかりだ。

 池守はポケットから手帳を取り出し、念入りにページをめくる。

「このへんだな……」

 池守は周囲を見回し、電信柱で現在地を確認した。

 うろな南XXーXX。池守はプレートと手帳を見比べる。

「……うむ、ぴったしだ。今日は冴えてるな」

 池守は満足げにそう言うと、左右の道を軽く一瞥した。

 ずらりと並んだ自転車の列。全て駐車違反である。

 池守は溜め息を吐き、頭を掻きむしる。

「これだから面倒なんだよなあ。一台ずつ調べろってか……ん?」

 池守はぴたりと手を止め、道の奥へと視線を走らせた。少し離れたところで、奇妙な人の輪ができている。成人女性がふたりに、高校生と思わしき制服姿の少年がひとり。さらには背の低い女の子が、姉妹のように寄り添っていた。

 それぞれの顔に、池守は見覚えがある。

「おいおい、まさか……」

 池守は手帳を仕舞い、その集団へと足を運んだ。距離が縮まるにつれて、池守のまさかが現実になっていく。

 あと数メートルのところで、女の言い争いが聞こえてきた。

「駐禁の看板に気付かなかっただけなのよ。意図的にここへ停めたわけじゃないわ」

「不知は理由になりません。れっきとした駐車違反です」

「私たちが降りてから、30分も経ってなかったわよね?」

「30分ルールは、もう7年も前に無くなったんですよ。あなたは車を放置して、この場を5分以上離れていました。ですから……」

 言い争っている女のうち、一方の声には聞き覚えがあった。

 池守がさらに近付くと、予想通りそれは遠坂(とおさか)朱美(あけみ)その人である。

「遠坂、何やってんだ?」

 状況を把握できぬまま、池守は彼女に声を掛けた。

 遠坂も即座に彼の声と分かったのか、サッと振り返り、もう一方の女を指差す。

「この警官が、私のことを駐車違反だって言うのよ」

 池守は、彼女の指先へと視線を伸ばす。

 するとそこにいたのは、ペパーミントグリーンの制服を着た若い女性だった。年齢は20歳を超えているように見えるが、いまいち判然としない。どこか垢抜けない、眼鏡を掛けた生真面目そうな顔をしている。

 池守がそんな観察をしていると、女は眼光鋭く彼に話し掛けてきた。

「あなたは誰ですか? この女性のお知り合いで?」

 池守は警察手帳を取り出し、女に自己紹介をする。

 手帳のマークを見た女は、慌てて居住まいを正した。

「し、失礼しました……警察の方でしたか……」

「いや、別に謝らなくてもいいんだが……駐車監視員の人だよね?」

 池守がそう尋ねると、女は誇らしげに首を縦に振った。

「はい、うろなセキュリティの杉田(すぎた)と申します」

 そう言って杉田は、ぎこちない敬礼のポーズを取った。これには池守も参ってしまう。駐車監視員は、警察とは全く別の組織。うろなセキュリティと言えば、この町にある中堅の警備会社だった。

 刑事と駐車監視員。ふたりの職業柄が近いことを悟ったのか、遠坂の顔が曇る。

「とにかく、駐車違反はしてませんからね。……池守くんからも何か言ってちょうだい」

「それはできんだろ……汚職だぞ……」

 池守は呆れたようにそう答えた。警察に知り合いがいるからと言って、駐車違反を免れられるわけがない。ましてや彼は、この場の状況を正確に把握していないのだ。介入のしようがなかった。

 それでも遠坂は、後に引かない。畳み掛けるように先を続ける。

「私は今まで無事故無違反なのよ。その証拠に、ゴールド免許も持ってるわ」

 遠坂はそう言うと、頼まれてもいないのに免許証を取り出した。

 池守はカードを覗き込み、有効期限の欄が金メッキになっていることを確認する。なるほどゴールド免許だ。しかし池守には、何の感慨も湧いてこなかった。

「ゴールドなんて、車に普段乗らない証拠だろ……。ってか、車持ってたんだな」

 遠坂が運転しているところを、池守は見たことがなかった。うろな町へ来るとき、彼女はいつも電車を使っている。池守は若干訝しがりながらも、遠坂の後ろにある真っ赤な車体へと視線を走らせた。

 車種を把握した途端、池守は大きく目を見開く。

「おまえ、いい車持ってるな……BMWの320iかよ……」

 教師は儲からないと言ってたではないか。しかも、買ったばかりの新車に見える。全身ピカピカだ。どこからそんな金が出ているのか、池守は不思議に思った。

「車種はどうでもいいのよ、車種は。問題は、私のゴールド免許が……」

「あ、それでしたらご安心を。私たち駐車監視員は、切符を切りませんから」

「へ?」

 遠坂はきょとんとして、杉田を振り向く。

 どうやら、何も分かっていないらしい。池守が助け舟を出す。

「駐車監視員ってのは、警察じゃないんだ。路上へ放置された車に、駐車違反の標章を取り付けていくだけさ。違反金を収めれば、裏技で減点も回避できる」

「……ご説明ありがとうございます。では早速、確認標章を……」

 クリーム色の紙片を取り出し、何やら記入を始める杉田。

 遠坂はしばらく自分の免許証を見つめた後、池守にそっと尋ねる。

「違反金って高いの?」

「そこそこ高いぞ。反則金と同じ額だからな」

「いくらぐらい?」

 遠坂の質問に、池守は辺りを見回す。青地に赤線一本の標識が目に留まった。

「駐車禁止区域だから……1万5千円だな」

 それを聞いた遠坂は、再び杉田に抗議を始めた。

「ちょっと、そんな額払えないわよ」

「500万もする車に乗ってる人が、払えないはずないでしょう」

 杉田は無愛想にそう言うと、標章をフロントガラスに貼付けようとした。

 遠坂がそれに腕を伸ばしたところで、池守が間に割って入る。

「待て待て、実力行使は公務執行妨害だぞ」

 公務執行妨害。その言葉に、さすがの遠坂も怯んだ。おとなしく腕を引っ込める。

「刑事さん、ご協力感謝致します」

「ちょっと待て、君にも質問がある」

 池守は杉田を制止し、刑事特有の醒めた眼差しを送った。

 本職の刑事に睨まれたせいか、杉田の態度が萎縮する。

 講習で受けた細則を思い出しながら、池守は先を続けた。

「駐車監視員は、単独行動をしないはずだ。相方はどこにいる?」

「あ、(みなもと)さんでしたら、ちょっとトイレに……」

 源。珍しい名字だ。該当する知人を、池守はひとりしか知らない。

 本日2度目のまさかと思ったところで、背後からしわがれた男の声がした。

「すまんすまん、遅くなった」

 池守が振り返ると、眼鏡を掛けた細身の老人と目が合った。

 お互いに視線を交わし、池守は思わず声を上げる。

(げん)さん!」

「おや、池守くんじゃないか。……今日も仕事かね?」

 ふたりが知り合いであることに、杉田も驚いたようだ。眼鏡の奥に戸惑いの色を浮かべつつ、(げん)さんと呼ばれた老人の方に話し掛ける。

(みなもと)さんのお知り合いですか?」

 杉田の問いに、老人は懐かしそうな笑みをこぼした。

「ああ、こいつはうろな署でワシの後輩だった奴だよ」

「それでしたら、話が早いです」

 話が早い。今までトイレに行っていた老人は、はてと首を傾げた。遠坂たちの存在にもようやく気が付き、怪訝そうに杉田を見つめ返す。

「何の話だい?」

「実はですね……」

 杉田はこれまでの出来事を老人に報告した。

 それを聞き終えた老人は、ふむと溜め息を吐き、遠坂に視線を向ける。

「今の話は本当ですか?」

「え、ええ……でも一ヶ所だけ違うわ。私は車を放置してません」

 容疑を否認した遠坂に、杉田がムッと唇を歪めた。

「いいえ、していました。私が来たときには、そこの……」

 杉田は、カエルマークのバンダナをした少女を指差す。

「お子さんしか近くにいませんでしたよ」

「彼女は私の子供じゃないんだけど……まあいいわ。近くに人がいたのなら、放置したとは言えないでしょ?」

「放置というのは、移動命令が出せない状態のことです。お子さんだけでは……」

 そのときだった。それまで傍観していたバンダナ少女が、杉田の前に出る。

 彼女が入江(いりえ)(あんず)であることに、池守はもちろん気付いていた。

 杏は杉田を見上げながら、唐突に唇を動かす。

「それなら放置ではないのです。私が運転して移動させれば良かったのです」

 突然話し掛けられた杉田は、膝を落とし、少女の目線の高さでこう諭す。

「子供は免許がないから運転できません。お母さんを庇うのは分かるけど……」

「免許なら持っているのです」

 目が点になる人々を他所に、杏はポケットから免許証を取り出した。

 杉田は震える指でそれを受け取り、中身を確認する。

「あ、あなた、18歳なの?」

 杉田の質問に、杏は答えない。代わりに池守が口を挟んだ。

「ああ、彼女は高校生だよ。遠坂さんとの血縁関係もない」

 杉田は困惑しながら免許証を返し、眼鏡を掛け直す。

「し、失礼しました……」

 杉田が気まずそうにしていると、(みなもと)老人が遠坂の前に歩み出る。

 頭頂部の薄くなった頭をぺこりと下げて、それから詫びを入れた。

「どうも失礼しました。彼女は今日が初仕事ですし、許してやってください」

 年上に頭を下げられては、おかんむりの遠坂もさすがに顔色を変えた。

 腕組みをしながら、ぶつぶつと言葉を紡ぐ。

「まあ……今回はいいとしましょう……」

 場が収まったところで、源老人は池守の方へと振り返る。

「それじゃ、ワシらは仕事があるんで、またな」

「あ、はい……ちょっと残念ですが……」

「なあに、うろな町にいれば、そのうち会えるさ」

 老人はそう言い残すと、杉田を連れて通りの向こうに消えてしまった。

 後に残された面子は、お互いの様子を伺う。

 最初に口を開いたのは、やはり池守だった。

「ここで何してたんだ?」

「駐車場を探してたのよ」

 即答する遠坂。池守は眉間に皺を寄せる。

「駐車場……?」

 これまた奇怪な。車から降りて探す奴があるか。池守は訝しく思う。

「駐車場なら、ここから真っ直ぐ行って右、3番目の道を左だ」

「そ、そう。じゃあ、そこへ移動するわ。ありがとう」

 遠坂がキーを持って車に近付くと、他の面子の顔色が変わった。

 お互いに目配せし、代表して制服姿の少年が声を掛ける。

 彼の名前が吉備津(きびつ)であることを、池守はようやく思い出していた。

「遠坂先生、ひとつお願いがあるのですが……」

 ドアノブに指を掛けていた遠坂は、ゆっくりと顔を上げた。

「どうかしたの? 車酔いでもした?」

「大変言い難いのですが……。運転を杏さんに代わっていただけないでしょうか?」

 頭に?マークを浮かべる遠坂。

「入江さんに……? どうして?」

「何と言いますか……安全性のために……」

 安全性。その一言で、池守は少年の言いたいことを察した。

 顎に手を当て、にやけ顔で彼女に話し掛ける。

「おまえ、もしかして運転下手?」

 池守の指摘に、遠坂は顔を赤らめた。

「そ、そんなことはな……」

「あるのです。高速に乗ったときは、死ぬかと思ったのです。あれで事故が起きなかったのは、一種の奇跡なのです」

「ジェットコースターみたいで、ミヨ楽しかったよ」

 杏とミヨのWパンチに、遠坂は歯ぎしりしてキーを握り締める。

 池守がフォローしようとした瞬間、遠坂は大声を上げた。

「分かりましたッ! 勝手に運転しなさいッ!」

 遠坂はそう言うと、後部座席に乗り込んで、プイッと拗ねてしまった。

 池守は苦笑しつつも、今度は別の点が気にかかる。運転席のドアノブへ手を掛けた杏に、彼は心配そうな視線を送った。

「入江くん、免許はあるみたいだけど、腕前は大丈夫なのかい?」

 杏が答えるよりも早く、隣にいたミヨが答えを返す。

「ママは上手だよー♪ スペースグランプリで優勝したんだもんね♪」

 ミヨはそう言うと、嬉しそうにその場でぴょんぴょん跳ねた。

「優勝ではないのです。入賞したのです。あのときはグリボゴネフのマシーンの調子が良過ぎて勝てなかったのです。次こそはリベンジするのです」

「わーい♪ リベンジ、リベンジ♪」

 意味不明な会話が始まり、池守は首を捻った。

「スペースグランプリ……? 新手のレーシングゲームかい?」

「違うよ、ミヨの星の……」

 その瞬間、吉備津がパンと手を叩いた。ただそれだけの動作にも関わらず、有無を言わせぬ迫力を持っている。その場にいた誰もが、少年の方を振り返った。

「少々急いでおりますので……。杏さん、ミヨさん、ご乗車を……」

 杏が運転席に、ミヨが後部座席に座り、少年は助手席へと回った。

 エンジンがかかる。ハンドルを握った杏の姿は、予想以上に頼もしかった。

「じゃ、気をつけてな」

「はい、池守さんもお気をつけて……」

 少年はそう言うと、助手席に体を滑り込ませた。

 いったい何に気を付けろと言うのか。池守が尋ねる前に、車はその場を走り去った。

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