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うろな町の不思議な人々  作者: 稲葉孝太郎
第3章 幽霊屋台食い逃げ事件
23/71

第22話 幽霊屋台は見ていた(解決編)

 午後11時。人通りの無い寂れた路地裏に、一台の屋台が停まっていた。

 人影もなければ物音もしない。ただ煮えたぎる鍋が、ぐつぐつと音を立てている。

 屋台が自らの存在意義を問うような、そんな光景。

 どれほどの時が経っただろうか。ふらふらとその屋台に近付く人影があった。その人影はあたりを見回した後、ゆっくりと屋台の暖簾をくぐる。

「すみませーん、誰かいませんかー?」

 若い男の間延びした声が、路地裏に響いた。

 答える者はいない。

 男は湯気を上げる鍋を見つめ、誰かに言い聞かせるように不自然な声を上げる。

「あーあ、危ないなあ。警察に連絡しちゃおっかなあ」

 男は耳を澄まし、しばらく様子を伺った。

 するとやや離れた物陰から、はちまきを巻いた初老の男が姿を現す。

「いらっしゃい」

 どうやら店主のようだ。老人はカウンターの向かい側に立ち、客の顔を凝視する。

「何にしやしょうか?」

「あれ、どこにいらしたんですか?」

 客の青年は、したり顔で店主にそう尋ねた。

 店主はバツが悪そうに額を掻き、小声で返事をする。

「ちょっと煙草を吸ってたんですよ……」

「煙草ですか? その割には火が見えませんでしたし、臭いもしませんでしたが……」

「で、何にしやす?」

 店主は取り箸を手に持ち、青年の言葉を遮った。

 青年もそれ以上の追及はせず、具材を色々と物色する。

「そうですねえ……。あ、そうそう知り合いもいるんですが、呼んでいいですか?」

 店主は訝しげに視線を上げ、青年の顔をじろじろと眺め回す。

 なぜ許可を求めるのか、それを怪しんだのだろう。

「……ええ、どうぞ」

「ありがとうございます」

 青年は暖簾から顔を出し、大通りに向かう路地の闇に声をかけた。

池守(いけがみ)さん! 紙屋(かみや)さん! ここですよ!」

 そのふたつの名字に、店主はぎくりとして箸を取り落とした。

 青年はそれを無視して、ふたりが闇の中から姿を現すのを待つ。

 ぼんやりとした街灯の外側に、背広姿の男女が浮かび上がった。

蔵前(くらまえ)くん、どうもご協力ありがとう」

「いえいえ、大したことじゃありませんから」

 蔵前と呼ばれた青年は、照れたように自分の髪の毛を撫でた。

 池守は彼の横を通り過ぎ、紙屋を連れてカウンターに陣取る。

 店主は箸を拾い上げ、それをぎこちなく手ぬぐいで拭いている最中だった。

「こんばんは……またお会いしましたね……」

「ええ、またお越しいただいて……嬉しいですね……ハハッ……」

 店主は愛想笑いを作り、それから紙屋の方へと視線を移す。

 ところが、紙屋の真剣な瞳にぶつかると、すぐに顔をそむけた。

「3人様ですね……まずは何か一杯……」

「その必要はありません。食事に来たわけではないので」

 池守の発言に、店主の手が止まった。

 あからさまに指が震えている。

「食事をなさらないなら……帰っていただかないと……」

「私たちがなぜ来たのか、もうお分かりだと思いますがね」

 池守は身を乗り出し、右肘をカウンターの上に乗せる。

 店主は煮えたぎるおでんを見つめながら、うっすらと唇を開いた。

「さあ……何のことかさっぱり……」

「あなたが幽霊屋台の店主ですね?」

 あたりが一瞬静まり返る。

 目の前で始まった捕り物劇に、紙屋と蔵前は緊張の面持ちを浮かべた。

「あっしが幽霊屋台の店主……? 冗談はよしてくださいよ……」

 店主は自分を励ますように、鍋の中の具材を整理し始める。

 卵を動かそうとしたところで、箸が滑った。

 ぽちゃりと汁が飛び、池守のスーツの袖に降り掛かる。

 池守はそんなことなど気にも留めず、先を続けた。

「もう証拠は上がってるんですよ。そこに……」

 池守は、屋台の隅を指し示す。小さな木箱に、丸い穴が空いていた。

「監視カメラがあるんでしょう?」

 池守がそう言い終わらぬうちに、店主は屋台を飛び出した。

「待てッ!」

 池守は大声で店主を制止したが、止まる気配はない。

 池守も腰を上げ、弾き出されたように屋台を後にする。

 カウンターに座っていたため出遅れてしまい、池守は舌打ちをした。

 紙屋を外で待機させておけば良かったと思うが、後の祭りである。

「待てッ! 待たんと罪が重くなるぞッ!」

 池守の言葉に、店主は振り向きもしない。路地裏を颯爽と駆けて行く。

 T字路にぶつかったところで左に曲がり、ゴミ箱をなぎ倒してどんどん奥へと走る。池守もその後を追ったが、歳の割に鍛えているのか、なかなか距離が詰まらなかった。

「ぐッ!」

 店主は呻き声を上げ、その俊足に急ブレーキをかけた。

 目の前にコンクリートの壁が立ちはだかったのだ。左右に道はなく、袋小路に迷い込んでしまったことに気付いた老人は、身体に鞭打って壁をよじ登ろうとする。

 しかし、それを見た池守がラストスパートをかけ、老人の背中に飛びついた。

 老人は壁にしがみつこうと踏ん張ったが、そこはさすがに年齢差がある。

 池守は老人を引きはがし、地面に組み倒して両腕を掴んだ。

「恐喝容疑で逮捕する!」


  ○

   。

    .


 翌日、うろな町のビストロ流星で、池守たちはささやかな祝勝会を開いていた。捜査に協力してくれた蔵前をねぎらおうという、紙屋の提案である。

 3人はテーブル席につき、昼前ということで喫茶メニューを注文していた。池守と紙屋はコーヒー、蔵前だけはそれにケーキがついている。秋の味覚を使ったシェフご自慢のモンブランだ。蔵前はほっぺたが落ちそうな顔で、それを口に運んでいく。

「いやー、逃げられたときはどうなるかと思いましたよ」

 紙屋はコーヒーを飲みながら、ホッと胸をなで下ろした。

 すると蔵前は手を休め、紙屋に声をかける。

「あれは逃げられませんよ。袋小路に誘導しましたからね」

「誘導した……?」

 紙屋は頭に?マークを浮かべ、天井を見上げた。

 池守も首を捻る。

「どうやって誘導したんだ?」

 蔵前は口の端についたクリームを紙のナプキンで拭き、答えを返す。

「簡単ですよ。まず大通りへ向かう道に、僕が立ちます。屋台は大通りから来たわけですから、反対側の道は店主も不案内ですよね」

「だけど、奥の道も途中で分かれていただろう? どちらへ逃げるか分からない」

「はい、それで僕、屋台へ行く前に、少しだけ細工をしておいたんですよ」

「細工?」

「ええ、細工です」

 蔵前はもったいぶった感じでコーヒーを飲み、ふたりに考慮時間を与える。

 けれども、ふたりは謎を解くことができない。池守が肩をすくめて降参の意思表示をすると、蔵前は先を続けた。

「ゴミ箱です。あの路地、ゴミ箱が結構並んでるじゃないですか。そこで僕、袋小路とは反対側の道に、ゴミ箱を目立つよう配置しておいたんです。これで心理的に右を選びにくくなるんですね。しかも人間は、無意識のうちに利き足と逆の方向を選ぶ習性があるんです。まあ習性というか、反射的に筋力が高い方の足を使うってだけですけどね。マジョリティは、右が利き足なんですよ」

 説明を終えた蔵前は、さらにもうひと口、モンブランに舌鼓を打った。

 池守と紙屋はお互いに顔を見合わせ、蔵前の貢献度にあらためて確認する。

「うーん、きみは探偵か刑事になったらどうだい?」

 池守は、半分冗談でそんなことを呟く。

 蔵前自身、それが冗談だと分かっているのか、苦笑いして首を左右に振った。

「いえ、僕は警察志望じゃないんで。将来はマーケティングをしてみたいんです」

「マーケティングか……」

 それも群衆心理のひとつだと、池守は素人ながらにそんなことを思う。

 皿についたクリームをスプーンで集めながら、今度は蔵前から話を切り出す。

「結局、あの人は何をしてたんですか? 僕はまだ教えてもらってないんですが……」

「ん……? ああ、そうだったな」

 池守は、蔵前に事件の真相を話していないことを思い出した。協力してもらっておきながら内容を教えていないというのも妙な話だが、池守は裏を取りたかったのである。万が一推理が外れていた場合、警察が一般市民に誤った嫌疑を告げてしまうことになる。そうなっては大変なので、蔵前にも敢えて伏せておいたのだ。

 池守はコーヒーを一口啜り、カウンターをちらりと盗み見た。

 シェフは奥で片付けをしているようだ。今のうちに話そうと心に決める。

「事件の真相は、極めて簡単なんだ……。あの店主は、恐喝をしてたんだよ」

「恐喝……? どうやってですか?」

「幽霊屋台を使ってさ」

 池守の意味深な眼差しに、蔵前は目を白黒させる。

 スプーンを皿の上に置き、しばらく考えに耽った。

「……あ、なるほど」

「分かったかい?」

 蔵前は顔を上げ、自分の推理を確かめるように何度も頷き返す。

「食い逃げした人を脅迫してたんですね?」

「正解」

 池守は感心したように親指を立て、ぐっと背もたれに寄りかかる。

 そして、事件の全体像を説明し始めた。

「まあ、答えを聞いてしまえば簡単なんだが……。あの店主、屋台をわざと無人にして、食い逃げする人を待っていたのさ。現場は監視カメラで記録され、そのテープを証拠に相手を脅す……。食い逃げする人なんて滅多に出ないだろうが、一人に十何万円も吹っかければもとは取れるさ。週末と祝日の前日を狙ったのは、酔っぱらって理性をなくした客をターゲットに選んだからだ。うまい手を考えたもんだよ」

「池守さんも、よく気付きましたね。僕はそんなこと考えもしませんでした」

 蔵前は尊敬のこもった眼差しで池守を見つめ返した。

 年下に褒められて、池守は何だか複雑な気持ちになる。

「……俺が気付いたのは、幽霊屋台があくまでも打算的に行動してるという前提を貫いたからだと思う。相手を馬鹿にしてたら、この事件は解決しなかっただろうね」

「打算的に……つまり、必ず儲かる仕組みがあるってことですね?」

「そういうこと」

 池守はコーヒーを啜り、しばらく目を閉じた。心地よい回想に耽る。

 そんな彼に代わって、紙屋が会話を続けた。

「いきなり解決したって言われたときは、びっくりしましたよ。それに、被害者も最初は見つからなかったんですからね」

 紙屋の台詞を聞き、蔵前も納得げに頷き返す。

「食い逃げで脅迫される……。自分が先に罪を犯しているから、警察に相談できないというわけですか……」

「そうなんですよ。だから私、検挙は無理なんじゃないかと思ったんですけど……」

「ところがどっこい、いちかばちかの予想が当たったのさ」

 池守がコーヒーカップを置き、再び会話に復帰した。

 紙屋は説明を先輩に譲る。蔵前は好奇心に満ちた目で、池守の顔を覗き込んだ。

「予想というのは?」

「夕方これを思いついてな……署へ戻って、被害者からの通報がないか調べたのさ」

 蔵前は、眉間に皺を寄せて考え込んだ。それから、当然の質問をひとつ放つ。

「被害者が通報してたんですか……? だったらなぜもっと早く……」

「もちろん、食い逃げされたから脅迫されてる、なんて通報は無かったよ。だから、別の方向から調べてみたんだ」

「別の方向……? 何ですかそれは?」

 蔵前は、前髪に隠れかけた目をぱちくりとさせる。

 池守は右肘をテーブルの上に乗せ、人差し指をピンと突き立てて答えた。

「『名前を名乗らず、食い逃げの罪状を尋ねて来た人物はいないか?』ってね。そしたら見つかったのさ。一週間前、とある男性から『屋台で食い逃げをした場合、どのくらいの罪になるのか?』って相談があったってね。職員が不審に思って個人情報を尋ねたところ、電話が切れてしまったらしい」

 蔵前は池守の機転に感心し、しきりに指先をこねくり回していた。

「なるほど……それは名案でしたね……。で、それからどうしたんですか?」

「残念ながら、その男性の身元は分からなかったよ。だがこれで状況証拠は揃ったし、カマをかけてみようと思ったんだ。そしたら、案の定カメラはあったし、逃亡して自分からしっぽを出してくれたからね」

 蔵前はその作戦に、少しばかりの違和感を覚えたようだ。

 口元をへの字に曲げ、軽いジャブをかましてくる。

「それは捜査方法としてどうなんでしょうか……? 相手をハメてる気が……」

 ハハッと池守は笑い、誤摩化すようにコーヒーを飲んだ。

 一方、紙屋はこれが合法的であることをしきりに説明する。あまりにも熱心に自分たちの正当性を主張するので、蔵前はついに音をあげてしまった。

「分かりました、分かりました。僕は素人ですし、口出しはしませんよ」

 蔵前は紙屋との舌戦を避け、携帯の時計を見る。

 それからすぐに腰を上げた。

「もう行くのか?」

「はい。午後から授業があるんで、大学へ行かないと」

「そうか……」

 池守も立ち上がり、右手を差し出す。

「ご協力、感謝するよ」

 握手を求めた池守に、蔵前も若々しく手を結んだ。

 そして、蔵前はケーキセットの礼を言うと、そのまま店を後にする。

 青年の背中を見送った池守は、ふぅと溜め息を吐き、頬肘をついた。

「若いってのはいいねえ……夢がある……」

 コーヒーを飲みかけていた紙屋は手を止め、訝しそうに池守の横顔を見返す。

「あれ? 先輩ってまだ30ですよね?」

「ああ、30ぴったし」

「まだ若いじゃないですか」

 紙屋の言葉に、ささやかな慰めを見て取る池守。

 紙屋はさらに言葉を継ぐ。

「先輩は夢とかないんですか?」

「夢ぇ……? 30にもなって夢か……」

「あ、そういうのは良くないですよ」

 少し怒ったような顔をする紙屋。

 こういうところで垣間見える直情的な性格が、池守にはなぜか好ましく思えてしまう。

 自分の夢。そんなものがあるとしたら……。

「結婚かね……」

 知らないうちに動いた口を、慌てて押さえる池守。

 だが時既に遅し。紙屋は一語逃さずそれを聞き取っていた。

「結婚ですか。いいですねえ、夢があって。お付き合いしてる人がいるとか?」

 池守は大げさに首を振る。すると紙屋は、ますます無邪気に反応してきた。

「じゃあ、まずは相手を見つけるところから始めないといけませんね」

 気まずくなった池守は視線を逸らし、窓から外を見やる。

 何とか話題を変えようと、適当な質問をぶつけた。

「そういうおまえはどうなんだ?」

「……何がですか?」

「夢だよ、夢」

 なんだそんなことかと、紙屋は即答する。

「もちろん私の夢は、善良なる市民のみなさんの安全を守ることですよ!」

 両手でポーズを決め、ドヤ顔をする紙屋。

 池守はそんな後輩を横目で眺めながら、笑いが込み上げてくるのを押さえられない。

「何だ、この前の説教は意味なしか?」

「意味なしです! あんなのはポイですよ、ポイ!」

 紙屋はおどけてゴミ箱に捨てる仕草をする。

「言ったなあ、おまえ、そういう聞き分けのない後輩はお仕置きだぞ」

 弾けた笑いを浮かべ、でこぴんの真似をする池守。

 紙屋は大げさにそれを避け、きゃっきゃと黄色い声を上げる。

「キャー、これはパラハラです! パワハラ! 誰か助けてーッ!」

 子供のようにはしゃぐふたり。

 洗い場から戻ったシェフがカウンターで苦笑しているのに気付いたのは、それから間もなくのことだった。

綺羅ケンイチさんの『うろな町、六等星のビストロ』で登場する、

葛西拓也さんに顔出ししていただきました。


今回で新たな住人、蔵前くんが登場ということで、

これからもよろしくお願い致します^^

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