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うろな町の不思議な人々  作者: 稲葉孝太郎
第3章 幽霊屋台食い逃げ事件
21/71

第20話 乱歩

「それでですね、課長は何と言ったと思いますか?」

 口元の焼酎を袖口で拭いながら、紙屋が睨みを利かせてくる。あれから屋台に腰を下ろした2人は、適当に夜食を取ることになった。完全に成り行きであり、池守自身これでいいのかよく分かってはいない。

 食事を優先した池守に対して、紙屋はいきなり酒を注文し始めた。これは池守にとってはかなり意外であった。署の飲み会でも、紙屋はそれほどアルコール好きには見えなかったからだ。ところが話を聞いてみると、そのような公の場では、なるべく酒を控えているだけのことらしい。その事実を聞かされた池守は、何だか複雑な気持ちになってしまう。

「課長は何と言ったと思いますか?」

 もう一度、同じ目付きで同じ質問をしてくる紙屋。

 大根の切れ端を摘みながら、池守はその視線を軽く受け流す。

「さあ……何て言ったんだ?」

「『そんなくだらん通報は放置しろ』ですよ。それが警察の言う台詞ですか!?」

 池守はよく出汁の染みた大根を口に放り込み、軽く咀嚼する。

 視線はあくまでも前方。カウンターの向こう側に腰を下ろし、ぷかぷかと煙草を吸っている店主に向けられていた。煙草の赤い火が、夜景に妙に映えている。

「市民の皆さんのご要望に応えるのが、私たち警察の仕事じゃないんですか?」

 紙屋はぶつぶつとそう呟きながら、コップの液体を飲み干した。

 飲酒時の反応にも色々あるが、池守もまさか絡み酒だとは思っていなかった。紙屋の饒舌に押されっぱなしである。付き合いで注いでもらった彼のコップには、まだ半分以上焼酎が残っていた。池守は、どちらかと言うと下戸な方である。

 池守はふぅと溜め息を吐き、箸を皿の上に置く。

「なあ紙屋、いつか言おうとは思っていたんだが……」

 池守の決断に、紙屋が目付き鋭く答える。

「何ですか?」

「その件については、課長が正しいよ」

「へ?」

 聴き間違いだと思ったのか、それともアルコールで反応が遅れたのか、紙屋はしばらく池守の横顔を眺めていた。

 そして、急に大声を出す。

「先輩までそういうことを言うんですか!?」

「まあ落ち着け」

 池守はそう言うと、少し前のめりになってカウンターに寄りかかる。

 店主はあいかわらず、手持ち無沙汰な様子で煙草を吸っていた。

「おまえが警察官になった動機とか、おまえの生き方に文句は言わない。だけどな、職場でその意気込みは押さえないといけないんだ。俺たちは個人業じゃないんだからな。協調性が求められる。そうだろう?」

「意気込み……? 協調性……?」

 紙屋は小声でその単語を繰り返す。

 それからしばらく考え込んだ後、唐突に反論に掛かった。

「そんなのは関係ありません。私は警察としての仕事をしてるだけです」

「違うな」

 あっさりと自分の意見を否定され、紙屋は少しケンカ腰になる。体を傾け、ぐいぐいと前のめりになって池守に絡んで来る。

「何が違うんですか?」

「俺たちの仕事は、法と公権力の命令に従うことであって、市民の要望に応えることじゃない。それは政治家の仕事だ。俺たちは公僕なんだ。……分かるか?」

「こうぼくぅ?」

 そう言って、ふらふらと姿勢を戻す紙屋。

 目が据わっている。

「私は奴隷じゃありませんよ……立派な人間です……」

「もちろん奴隷って意味じゃないさ。だけどな、この職業についたなら、おまえに指図するのは上司であって、市民じゃないんだ。それを混同するな」

「……」

 沈黙。食材の茹だる音だけがする。

 池守は気まずい雰囲気の中、ぼんやりと湯気の動きを目で追っていた。

「……失望しました」

 紙屋はそう呟き、いきなり席を立つ。

 驚いて立ち上がりかけた池守の手を払い、紙屋は店主に尋ねる。

「いくらですか?」

「980円」

 店主は、煙草をくわえたまま単刀直入にそう答えた。

 紙屋は財布から千円札を取り出し、カウンターの上に置く。

「お釣りは要りません」

「まいど」

 店主の短い礼を他所に、紙屋は暖簾をかきわける。

「おい、送ってくぞ?」

「一人で帰れます」

 それを最後に、紙屋の靴音が遠ざかる。

 池守は、しばらくその場で呆然としていた。

「……言い過ぎたかな」

「お客さん」

 カウンター越しの声に、池守は振り返る。

 店主はいつの間にか灰皿に煙草を押し付け、後片付けを始めていた。

「まだ何か注文しますかい? それともお帰りで?」

 池守は、まだ半分以上残っている焼酎に目を走らせた。

 だが飲む気にならない。財布を取り出し、会計を済ませる。

 腰を上げようとしたところで、池守はふとその動きを止めた。

「……ちょっと訊きたいんですが、よろしいでしょうか?」

 池守はそう言うと、懐から警察手帳を取り出す。

 先ほどの会話で既に察しがついていたのか、店主は眉ひとつ動かさなかった。

「刑事さんですかい?」

「ええ……実はこのあたりに、無人の屋台が出ると聞き、少しばかり調査を……」

「……」

 店主はもう一本煙草を取り出し、マッチで火を点ける。

 例の赤い光が、闇夜にポッと浮かび上がった。

「何かご存知ありませんか?」

「知りませんね」

 ぶっきらぼうにそう答えると、店主は白い煙を吐く。

「同業者の間で、何か噂には?」

「うちは他のところとはつるんでませんのでね」

「噂自体は耳にしたことがあるんですね?」

 池守の質問を受け、店主は不快そうに眉間に皺を寄せた。

 それが何を意味するのか、池守はいまいち把握できない。

 池守がじっと店主の顔を見つめていると、店主は先を続けた。

「申し訳ありませんが、営業中でしてね。移動したいんですが」

 店主はそう言い、折りたたみ式の椅子を片付け始めた。

 池守は、店主が住宅地から住宅地へ移動中だったことを思い出す。自分たち2人がここで食事をしたのは、店主にとっても想定外だったのだろう。そう考えた池守は、それ以上の詮索を止めた。商売の邪魔だと思ったのだ。

「では、私はもう帰ります。不審な屋台を目撃したら、署へご連絡ください」

 池守はそう言って、暖簾をかきわけた。

 左右を見回すが、紙屋の姿はない。

 池守はぼんやりと空を眺めながら、空しく家路を急いだ。


  ○

   。

    .


 翌朝土曜日、池守が署に顔を出したとき、紙屋の姿はなかった。

 昨晩のことを思い出し、多少胸が痛む池守。しかし、あれは間違った指導ではないと、彼は日付が変わった今もそう信じている。

 同僚のひとりに訊いてみると、紙屋は少し早く来て、そのまま出て行ったらしい。

 池守も自分の仕事があるので、スーツを羽織って町へと繰り出す。

 昨日と同じように、空は晴れ渡っていた。池守は今朝通報のあった当て逃げ事件の現場に急行し、被害者から事情を聴取する。加害者の特徴を署に連絡し、それからいくつかの交通事件を担当して見て回った。彼にとっては、ありきたりな午前である。

「ま、こんなもんだな」

 一息吐いた池守は、腕時計で時間を確認する。

 針は12時をわずかに過ぎていた。

 池守はあたりを見回す。見れば、商店街の近くだった。昨晩の葦原の話を思い出す。池守自身はメモを取っていなかったが、店の名前は覚えていた。

「……ちょっと寄ってみるか」

 池守はそう独り言を呟くと、商店街の歩行者天国に身を投じる。

 時間が時間だけに、人混みは限りない。

 熱気でここだけ秋であることを忘れてしまいそうなほどだ。

 池守は、左手に見えた看板の文字に目を留める。人の流れを断ち切って、池守はその店へと歩み寄る。

「いらっしゃい」

 中年の店主が、愛想良さげに池守に挨拶をした。

「何にしましょうか?」

 池守は、自分が少しばかりそそっかしかったことに気付いた。葦原の話では、店主の奥さんが情報を握っているのだと言う。店主自身ではないのだ。一介の客として来た以上、奥さんを出してくださいとも言えない。

 警察であることを告げようかとも思ったが、いくら何でも大げさだ。こうしている間にも後ろにぽつぽつと人が並び始めている。商売の邪魔をするわけにもいかない。

「コロッケ2つと唐揚げ」

 適当に商品を選び、池守は代金を支払った。

 どうせ食事をするつもりだったのだ。池守はそう思い、店の前を去る。

 熱々のコロッケを一口頬張り、商店街の出口へと向かう。

 どうしたものか。池守は逡巡した後、一旦署に戻ろうと決心した。

 そのとき、人混みの中にふと見慣れた女の姿を認めた。紙屋だ。

 声を掛けたものかと池守が戸惑っていると、紙屋の方が彼の存在に気付く。

「あ、先輩」

 昨晩のことなどまるで無かったかのように、紙屋は笑顔を見せた。

 池守もホッとして、手を振って合流する。

「どうしたんだ?」

「聞き込みをしてたんですよ」

「あの店でか?」

 紙屋は軽く頷き返す。

「さっき俺が寄ったとき、奥さんはいなかったぞ?」

「大丈夫です。裏口にいました」

 何と言う執念。池守は呆れ半分、感心半分でコロッケを差し出す。

「ひとつ食うか?」

「大丈夫です。私も買って食べましたから」

 なるほど、事情聴取の対価というわけだ。池守はコロッケの残りを頬張る。

「で、何か分かったのか?」

「ええ、ばっちりですよ」

 紙屋は手帳を取り出し、ページをめくる。

「葦原くんが言っていた通りです。奥さんは、常連のひとりからネタを仕入れたらしいですね。その常連さんの名前と住所も分かってます」

「住所が?」

 池守は怪訝そうに尋ね返す。

「はい。以前バイトで雇っていた大学生らしいです。現在は辞めていますが、客として来ることが多いとか」

「うーむ……個人情報保護に違反してる気もするが、まあいい。それで?」

「それで、今からその人の家に行ってみませんか? 大学生らしいので、土曜日の昼間なら在宅しているかもしれません」

 それはどうだろうか。池守は、あまり乗り気がしない。土曜日に講義を入れない学生は多いが、必ず週休二日になっているわけではないからだ。

 とはいえ、夜行けば見つかるかと言うと、そういうわけでもない。大学生の行動を予測することは難しいのだ。池守も手帳を取り出し、スケジュールを調整する。

「住所はどこだ?」

「うろな西のXX−Xです」

 池守は、頭の地図でその区域を検索する。

 イマイチよく分からない。

「どのへんだ?」

「えーとですね……あ、この前訪れた、置いてけ池の近くですね」

 置いてけ池。その名前を耳にし、池守はハッと顔色を変える。

「またあの池か……嫌な予感がするなあ……」

「何ですかその勘は?」

「男の勘だよ」

「男の勘は当たりませんよ。女の勘じゃないと」

 何だそれはと、池守は唐揚げにかぶりつきながら先を考える。

 片手で器用に手帳をめくり、スケジュールにざっと目を通した。

「……うろな西で担当してる事件があるな。そのついでに寄ろう」

「了解です」

 商店街を抜け、2人はうろな西への通りを選ぶ。

 置いてけ池までは、歩いて20分というところだ。それほど遠くはない。

 昨日のこともあり、池守は気まずい道中を覚悟していた。ところが、紙屋はそんなことに関心がないらしく、手帳を見ながら別の情報を提供してくる。

「すごく面白いことが分かりました。奥さんの話では、幽霊屋台が次に出るのは昨日の夜という噂だったらしいです」

「昨日の夜?」

 食べ終わった紙袋をたたみながら、池守は紙屋に視線を投げ掛ける。

「はい、昨日の夜です」

「どういう根拠だ? 何か計算方法があるのか?」

「いえ、もっと単純です。幽霊屋台が出るのは、週末あるいは祝日の前日だとか」

 新たな情報に、池守の目が鋭く光る。

「週末あるいは祝日の前日……? それは確かなのか?」

「うーん、何とも言えませんね。奥さんが色々訊いて回ったところ、だいたいそういうことになってるみたいです。例外は聞いたことがないとか」

 紙屋は少しばかりトーンダウンする。

「憶測が先行してるな。元ネタが半ば都市伝説なんだ。気をつけてかかろう……」

「あ、そこを右です」

 2人は例のアイスクリームショップに差し掛かり、そこを右手に曲がる。

 狭い路地裏を進むと、今度は分岐路が現れた。2人は左の道を選択する。

 その間、池守たちは電信柱の数字に気をつけ、紙屋の入手した番号と照合する。

 ついにあの池の前で、その数字が顔を出した。

「おい、ここって……」

 池守たちが辿り着いたのは、ちょうど池の前にある一軒家の民家。

 置いてけ池の不審者事件で訪れた、大学生の家の前だった。

「ここで合ってるのか?」

「……みたいですね」

 紙屋は住所を念入りに確かめ、表札を見る。

 そこには【蔵前(くらまえ)】という画数の多い漢字が踊っていた。

「どうします?」

「どうするもなにも……とりあえずチャイムを押そう」

 そう言って、池守はチャイムを押す。甲高いベルが鳴り、それから静寂が戻った。

「……誰も出ませんね」

「やはり留守か」

 そのときだった。玄関の奥からドタドタと足音がする。

 そして玄関が勢いよく開いた。

「どなたですか?」

 明らかに寝起きだと分かる青年が、ひょっこりと顔を覗かせる。

 前髪が眉毛までかかり、その下で眠そうな目がしょぼしょぼと瞬きしていた。

 夜更かししたのか、目の下には隈ができている。

「あッ!」

 青年は、池守たちの顔を思い出したのか、すっとんきょうな声を上げた。

「け、刑事さん?」

「こんにちは。寝てるところを邪魔してしまったようですが……ちょっといいですか?」

 青年はよれよれのシャツを直しながら、2人の顔を交互に見比べる。

「また変質者ですか? あれっきり話を聞きませんが……」

「別件です。君はこの町で、無人のおでん屋が出没しているのを知ってますか?」

 青年はすぐに、それが幽霊屋台のことであると察したらしい。

 顔付きが真面目になる。

「ええ、知ってます。大学のゼミで取り上げましたから」

 意外な答えに、池守は目を見開く。

「大学のゼミで……? 民俗学か何かですか?」

「違います。行動心理学ですよ」

 またまた予想外な返答。池守は手帳を取り出し、ペンを構える。

「心理学部の学生さんですか?」

「はい」

「なぜ都市伝説をゼミで?」

 青年は、池守の好奇心を不快にもせず、先を続ける。

「都市伝説じゃないです。……と言いますか、これが都市伝説じゃないことを行動心理学で説明するのが、僕の課題だったんですよ」

「……どういうことですか?」

 ワケの分からない池守。

 青年は数秒考えを巡らせた後、おもむろに口を開く。

「ランダムウォークってご存知ですか?」

 池守は首を左右に振る。

「ランダムウォークというのは、単純に言うと、人間が本当に無意識でランダムに行動している状態のことです。これに対して、意識的にランダムな行動をしようとすると、実際にはランダムにならず、一定の規則性が現れてしまうんですね。例えば、本当に公園のベンチでリラックスしている人と、ドラマなんかでリラックスした演技をしている人との間には、実証可能な差があるんです」

 池守は、青年の説明を頭の中で後追いする。

 そして、幽霊屋台とのある接点に気付いた。

「つまり、それを使って幽霊屋台が怪談かどうかを調べた……と?」

 察しのいい池守の反応に満足したのか、青年は口元に綻びを見せる。

「そう、その通りです。もし幽霊屋台が尾ひれのついた都市伝説なら、その出没場所はランダムか、あるいはランダムに限りなく近いものになるはずなんです。ところが、僕たちのゼミが収集したデータをマッピングしたところ、明らかな規則性が見られました」

 これは望外の収穫だ。池守の横で、紙屋も鼻息を荒くしている。

「その規則性というのは?」

「えーと、データがパソコンの中にあるので、すぐにはお見せできないんですが……」

「簡単に説明してもらえませんか? そのデータやマッピングを見ても、素人の私たちでは理解できないと思うので」

 素人にも分かる簡単な説明。これほど難しい注文もない。池守もそのことは承知だ。

 けれども、専門的な解説ではなおさら意味がない。池守は青年の回答を待つ。

「……そうですね、簡単に言うと、うろな西のある地点を中心に、そこから扇形を描きながらジグザグに移動しているんです。これは、意図的にランダムを狙うとき、やってしまいがちなミスなんです。直線に移動すると怪しまれるから、左右にずらすわけですが、そうするとかえって特徴的な線ができるんですね。もちろん、幽霊屋台は人気のない通りを選択しているので、単純なジグザグにはならないんですが、それでもランダムじゃありません」

「ある地点? それはどこですか?」

 池守の質問に、蔵前は困ったような顔をする。

 さすがに住所までは覚えていないようだ。

 そこへ、紙屋がポケットからスマホを取り出す。器用に操作して、画面を差し出した。

「どのあたりですか?」

 池守がちらりと覗くと、そこにはうろな町の地図が表示されていた。

「……ここですね」

 青年は、うろな西の上部に位置する一点を指し示す。

 池守と紙屋は、ともにその地点を凝視しながら、次の目的地を無言で理解し合った。

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