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うろな町の不思議な人々  作者: 稲葉孝太郎
第3章 幽霊屋台食い逃げ事件
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第19話 秋の夜長に都市伝説

 夜10時。駅前は人の群れでごった返していた。残業から帰って来たサラリーマン、これから都心に繰り出して一夜を明かす大学生。時折、制服姿の高校生も見える。見つかれば当然補導対象になるのだが、池守は無関心そうに噴水の前で後輩を待ち続けていた。いくら捜査とはいえ、勤務時間外である。若者の邪魔をする気はしない。

 時計の長針が12を少し過ぎたところで、大通りの方向から小走りに駆けて来る女の姿が見えた。それが紙屋であることは、夜の闇でもすぐに分かる。

 紙屋も池守の顔を認め、さらにその足取りを速めた。遅刻したと思っているのだろう。たかが数分のことだが、紙屋はこういうところで妙に神経質なところがある。他人の遅刻も自分の遅刻も許せないたちなのだ。

「すみません、遅くなりました!」

 噴水前に到着した紙屋は、息を切らせながら頭を下げた。

「2、3分だろ? 気にするな」

 池守は、駅前の時計を確認してそう答えた。

 紙屋自身は納得がいかないのか、少々渋い顔をしている。けれども、池守の関心はもはやそこにはなかった。とりあえず、これからの行動を決めなければならない。

「で、どこから手を付けるんだ? 駅前に幽霊屋台は出ないんだろ?」

 幽霊屋台という言葉を聞き、紙屋の顔が真剣味を帯びてくる。

 手帳を取り出し、ぺらぺらとそれをめくった。

「今夜必ず見つかるという保証はないんですが……」

「そうだろうな。そこらの駐禁を取り締まるのとは分けが違うぞ」

「ええ、ですから、少しルートを考えたんです。あの後の聞き込みで、幽霊屋台はうろな北から西にかけて出没することが分かりました」

「なるほど、北から西にかけてか……」

 一見重要な情報に見えるが、池守はひどく冷静だった。彼は、幽霊が屋台を経営しているなど、微塵も信じていないのである。人間の行動範囲に限界がある以上、屋台の出現地域も当然に制約されるはずだ。それが、池守の予想だった。紙屋の報告は、それを裏付けるものに過ぎない。

 とはいえ、それでも捜査の網はまだ絞りきれていない。池守は慎重に話を進める。

「もう少し正確なルートは分からないのか?」

 池守の質問を受けた紙屋は、残念そうに首を左右に振る。

「分かっているのは、同じルートには二度と現れないということだけなんです」

「ん……? それは本当か?」

 池守は、その何気ない情報に興味を示した。

 紙屋が先を続ける。

「はい。目撃者自体が少ないので、断言はできませんが……」

「妙だな……」

 池守はそう言うと、大通りの方へ視線を伸ばす。

 ネオンライトと高層マンションの灯りが、奇麗な夜景を形作っている。

「どうかしましたか? 何が妙なんです?」

「普通、そういう屋台はそれぞれ縄張り……要するに営業区域を持ってるはずだろう? 客が来ないとかでない限り、同じ場所で営業するのが基本だ。そうしないと、常連がつかなくなるからな」

 なるほどと、紙屋は納得したような視線を送る。

 池守はあいかわらず大通りを眺めながら、しばらく沈思黙考した。

 紙屋は声をかけずらそうに、男の横顔を凝視する。

「……とにかく、探してみるとするか」

 池守の一言に、紙屋も力強く頷き返す。

「どこから始める? 大通りを選ぶなら、うろな北からだが……」

「西から始めましょう」

 紙屋の提案に、池守は大通りから視線を戻す。

「……それは何か理由があるのか?」

「はい、あります。目撃例は、どうやら西の開発区の方が多いらしいんです。それに、北区は学校などの施設も多く、道が複雑過ぎるかと」

 後輩の理由付けに、池守は相槌を打つ。

 大通りを諦め、直接開発区へと向かう道を選択した。数分と経たないうちに、人通りが絶える。賑わっているのは、隣接する車道だけだった。新興住宅地に住む人々の多くは、移動に車を利用するからだ。

「しかし、こうなるとますます分からんな……歩行者がいなけりゃ、商売にならんだろ」

 池守は、誰もいない歩道を振り返る。駅前の灯りが既に遠くなり始めていた。

「ええ、だから幽霊屋台なんじゃないですか?」

 理由になっているようななっていないような、そんな返事をする紙屋。

 池守は肩をすくめ、しばらく押し黙った。

 闇は深さを増し、新品の街灯だけが一定の間隔で並んでいる。

 池守は反対側の歩道も隈無くチェックしていたが、屋台らしきものは見当たらない。

「おっと、もう住宅地だぞ」

 そう呟くが早いか、左右に新築の家が並び始めた。

 しばらく進んだところで、紙屋が足を止める。

「えーと……とりあえずどうしましょうか?」

 紙屋は少し困ったようにアドバイスを求めてきた。

 池守は左右を見回し、それからひとつ質問を放つ。

「この住宅地の中には出ないんだな?」

「そういう報告はありま……ムッ!?」

 紙屋は一声唸ったかと思うと、いきなり前方へと駆け出した。

 びっくりする池守が振り向いて進行方向を確かめると、曲がり角に人影が見える。

「そこの君、こんな時間に何をしてるんですか?」

「はい?」

 見れば、一人の少年が、曲がり角の近くに立っていた。

 少年は驚いた顔で、紙屋を見つめ返している。

「高校生ですか? もう10時を過ぎてますよ」

 いきなり補導を始めてしまった紙屋に、池守は動揺を隠せない。

 そばに寄って、哀れな青少年の顔を覗き込む。

 その途端、池守は大声を上げてしまった。

葦原(あしはら)くんじゃないか!」

 紙屋と少年が一斉にそちらを振り向く。

「あ、池守さん、こんばんは」

 怪訝そうに2人を見比べる紙屋。

 池守は、葦原少年と紙屋との間に面識がないことを思い出す。

「彼は、俺の知り合いで葦原(あしはら)瑞穂(みずほ)くんだ」

 池守の紹介を受け、少年は紙屋に頭を下げた。

「はじめまして」

 それに合わせて、紙屋も畏まって頭を下げる。

「あ、はじめまして、紙屋(かみや)千鶴(ちづる)です」

 二人のよく分からない挨拶が済んだところで、池守は話を継ぐ。

「葦原くん、こんな時間に何をしてるんだい?」

「洗剤を切らしてたので、コンビニへ買いに行くところだったんです」

 池守は、葦原がうろな西に住んでいることを思い出す。

 すると、そこへ紙屋が割って入ってきた。

「ご両親が買いに行かれないんですか?」

 池守は後輩の口を慌てて押さえようとしたが、全ては後の祭り。

 少年は物悲しそうな顔を浮かべ、視線を地面に落とした。

「父と母は、もう亡くなってるので……」

 紙屋の顔色が変わる。

 自分の迂闊な質問が少年を傷付けてしまったことに気付いたのだろう。

 おろおろする紙屋だったが、当の葦原から話題を転じてきた。

「池守さんたちは、ここで何を為さってるんですか? 見回りですか?」

 自分が補導されかかったことから、そのように察したらしい。そう読んだ池守も、敢えて少年の話に合わせることにする。

「ああ、ちょっとした夜回りってところかな」

「幽霊屋台を探してるんですよ」

 一言多い紙屋に、池守は呆れて夜空を仰ぐ。

 そんな刑事の反応とは裏腹に、葦原の方は興味を示してきた。

「例の無人おでん屋ですか?」

「ん? 知ってるのかい?」

 池守は、そのことを意外に思った。

 怪談話や都市伝説に興味があるタイプには見えなかったからだ。

「ええ、バイト先の奥さんは、こういう話が好きなんです」

「ああ……そういうこと……」

 納得する池守。その横から、紙屋が手帳を持って身を乗り出す。

「その話というのは、どんな話ですか? ぜひ聞かせてください」

 いきなり聴取を始めた後輩に、池守は呆れ顔で話し掛ける。

「おいおい、噂話の収集はいかんぞ。又聞きの又聞きになるからな」

「大丈夫です。ちゃんと二次資料扱いしますので」

 そういう問題ではないのだが。そう思った池守だが、ここは後輩に任せることにする。

 これも職業訓練だ。池守は、実地を重視するタイプである。

「で、どういう話なんですか?」

「どうと言われましても……ありきたりな都市伝説ですね。誰もいないおでん屋が町中に現れて……気味悪がって立ち去る人もいれば、そこで食べてしまう人もいるという……」

「うーん、もっと詳しい話はありませんか?」

 紙屋の催促に、葦原は困ったような顔を浮かべた。

「僕も仕事の合間に耳にしただけですので……」

 さすがにやり過ぎだと、池守は彼女を制止しようとする。

 ところがそれよりも早く、葦原がハッと顔を上げた。

「そう言えば……」

「何か思い出しましたか?」

 身を乗り出す紙屋。

 葦原は何かを思い出すように、ゆっくりと話を進める。

「あんまり信用しないで欲しいんですが……奥さんの話だと、屋台の出没には、一定の法則があるらしいんですよ」

「一定の法則?」

 紙屋は手帳から顔を上げ、池守と視線を合わせる。

 池守は先を促すように顎で紙屋に合図した。

 紙屋は少年に向き直り、質問を続ける。

「どういう法則ですか?」

「えーと、それは知りません」

 思わずずっこけそうになる2人。

 葦原は申し訳なさそうに先を続けた。

「すみません。でもバイト先の奥さんも、よく分かってないみたいなんです。ランダムがどうこうとか言ってましたが、どうもお客さんの誰かから聞いたみたいで……」

「お客さん……? つまり、お客さんとの雑談で仕入れたネタということですか?」

「そうだと思います」

 紙屋はそれを手帳に書き留めると、さらに質問を放つ。

「バイト先というのは、この町のお店ですか?」

「え? あ、はい。商店街の揚げ物屋です」

「お店の名前を教えていただけませんでしょうか?」

 池守は、紙屋の質問の意味をようやく悟った。

 葦原もほぼ同時に気付いたらしい。困ったような顔をする。

「あの……お店にいらっしゃるということですか……?」

「はい、重要な情報だと思いますので」

 紙屋のあっさりとした返事に、葦原少年はしどろもどろになる。

 見かねた池守は、助け舟を出すことにした。

「どこからその話を聞きつけたのかは、分からないようにするよ。こちらが幽霊屋台の話を持ち出せば、奥さんの方から話してくれそうだしね」

 信頼できる池守の助言に納得したのか、葦原は店の名前を告げる。

 紙屋はそれを書き留め、おもむろに手帳を閉じた。

「どうもご協力ありがとうございました」

 年下の少年に敬礼をする紙屋。

 池守は後輩の生真面目さに苦笑いしてしまう。

「それじゃ、僕はそろそろコンビニに行かないといけないので」

「ああ、また今度な」

 池守の挨拶に笑顔を返し、葦原は住宅地の通りの向こうに消えた。

 池守はふぅと溜め息を漏らすと、紙屋に声を掛ける。

「どうする? まだ探すか?」

 紙屋は驚きの表情を浮かべて言葉を返す。

「まだ全然調査していませんよ?」

「さっきの話を聞いただろう。もし幽霊屋台の出没に法則があるなら、明日にでもそれを確かめればいい。それから捜査しても、遅くはないだろう? 情報が間違っていたところで、一日分のロスにしかならないんだ」

 片想いの女性と二人切り。その事実も、池守の信念を揺らがせはしない。仕事は仕事である以上、最善の捜査方針に従わなければならない。ここから闇雲に探すより、葦原のバイト先で情報を仕入れる方がずっと効率的なはずだ。それが池守の考えだった。

 ところが、紙屋の方がそれに納得しない。

「仮にそうだとしても、せっかくここまで来たんですし、もう少し探しましょう」

「もう少し探すって言ってもなあ……」

 池守は路地の奥を覗き込む。

 街灯があるばかりで、人っ子一人いない。

「ここは新興住宅街だから、幽霊屋台が出る環境じゃないと思うんだが……」

「あ、そんなことはありませんよ」

 紙屋に否定され、池守は目を細める。

「幽霊屋台は住宅地には出ないんだろう?」

「もちろんそうです。でも、この住宅地はまだ開発中ですから、左手の方にちょっと抜ければすぐに人気がなくなるんです」

 池守は、紙屋が生粋のうろな町人であることを思い出す。池守自身は、うろな署に配属されてからこの町に引っ越して来たのだ。町の地理に関しては、紙屋の方が圧倒的に詳しい。おかしな抜け道もよく心得ていて、たまにそれで助けられているのだ。

「分かった。じゃあ今夜はこの周辺を調査しよう」

 池守は紙屋に案内され、住宅地を抜けた。彼女の言う通り、小さな一軒家を最後に家並みが途切れ、刈り入れの終わった田んぼが続いている。秋風に吹く野原からは、もはや虫の音も聞こえてはこなかった。

「ここは私が子供の頃、大きな原っぱだったんです。開発区に選ばれてからは、遊べなくなりましたけど」

 紙屋は、何だか懐かしそうにそう呟いた。

 池守は、少年たちに混じって野球やサッカーに興じる紙屋の姿を思い描く。どうせわんぱくな少女だったのだろうと、池守は思わずにんまりしてしまった。

「それじゃ、行きましょうか」

 紙屋は歩き慣れた道を先に進んで行く。

 池守が目を凝らすと、数百メートル先に灯りが並んでいた。この道を抜けると、別の住宅街に繋がっているらしい。

 そのことに気付いた瞬間、池守はある違和感を覚えた。

「おい……あそこの灯りだけ、かなり手前にないか?」

 池守の指摘に、田んぼを眺めていた紙屋が顔を前に向ける。

「え、どれですか?」

「ほら、道の左端にある奴だ……」

 池守が指差した先には、確かに他の光よりも距離の近いものがあった。

 二人は無言で足を速める。

 灯りはどんどん近付き、数歩手前で二人は呆然と立ち止まった。

「おい……マジか……?」

 それは、おでんの屋台だった。赤い暖簾にカウンター席の椅子。

 だが、人の気配はない。

 池守と紙屋は、念を入れて屋台の背後に回ってみる。

「……誰もいませんね」

「まさかこれが幽霊屋台……?」

 二人は表に回り、暖簾を掻き分けた。

 火はかかったままで、壁には『代金はカウンターに置いてください』の張り紙。

 池守と紙屋は顔を見合わせ、お互いに信じられないといった視線を交わす。目標がいきなり見つかってしまったのだ。池守は、喜びよりもむしろ困惑を感じていた。

「まさかこんなに早く見つかるとはな……」

「びっくりですね……」

 紙屋は、カウンターの上に並べられた箸と皿をチェックしている。

 一方、池守はおでんの具を観察し、すぐさま眉間にかすかな皺を寄せた。

「ん……この具……」

「具がどうかしましたか?」

 顔を上げた紙屋に、池守は指で卵を指し示す。

「これ、かなり煮込んであるな……一日とか、そういうレベルじゃない……」

 紙屋も容器を覗き込み、軽く頷き返す。

「そうですね。……それが何か?」

「だとすると、毎晩火をかけっぱなしってことに……」

「なるほど。やっぱり、店主に事情を聴かないといけませんね」

 池守はポンと自分の額を叩き、困ったような顔をする。

「こんなことなら、ちゃんと軽犯罪法を復習しとくんだったな。おそらく、何かの法規には触れてると思うんだが……」

 池守は、警察学校で勉強したことを思い出そうと首を捻る。

 紙屋も胸元で腕組みをして考え込んでいると、ふいに人の気配がした。

「いらっしゃい」

 突然の男の声に、二人はその場で飛び上がりかけた。

 見れば、カウンターの向こう側に、はちまきをした老人が姿を現している。

「いらっしゃい、何にしやしょう?」

 目を白黒させる池守と紙屋。

 先に口を開いたのは、池守の方だ。

「あの……どこにいらしたんですか?」

 店主は長箸で商品の位置を揃えながら、無愛想に答える。

「そこで煙草を吸ってましたよ」

「煙草……?」

「ええ、ちょっと休憩してたんですよ。……あっちの住宅街からこっちの住宅街に移動しようと思ったんですが、最近体が衰えてきましてね。一息にとは行かないんでさ」

 そこで会話が途切れる。

 店主は愛想笑いもせず、商品を器用に弄っていた。

「食べないんですかい?」

「え、ああ……」

 池守は紙屋と視線を交える。そして一言。

「大根とちくわぶひとつ」

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