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うろな町の不思議な人々  作者: 稲葉孝太郎
第2章 置行堀ひったくり事件
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第16章 被害者は語る

※本作は第13話と同日の出来事です。

 現場から被害者宅までは、歩いて10分ほどしか離れていなかった。大通りへ抜けてそれを右折し、後は道なりにまっすぐ進むだけである。貧しくもなければ豊かでもない、ごく普通の2階建て一般住宅であった。

 池守(いけがみ)は早速インターホンを押し、家人を呼び出す。

「こんにちはー、墨田(すみだ)さんはいらっしゃいますかー?」

「はーい」

 インターホンからではなくドア越しに直接返事があった。

 池守がボタンから指を離すや否や、把っ手が下がり、若い女性が顔を覗かせた。30代前半と言ったところだろうか。

 女性は前に立っている池守を無視して、紙屋(かみや)の方へと笑顔を向ける。

「あー、千鶴ちゃん。やっぱり来てくれたんだ」

「こんにちは、今日子(きょうこ)先輩」

 2人が垣間見せた親しさに、池守は心持ち顔をしかめた。

「知り合いか?」

 池守の問いに、紙屋と墨田はそちらへと注意を向けた。

「はい、うろな高校のOGで、墨田今日子さんです」

「知り合いに頼まれて捜査をしてるのか? そういうのはいかんぞ」

「あ、すみません……」

 紙屋は今日子へと向き直り、急に真面目な顔付きになった。

「今日子先輩……じゃない、墨田さん、今日の私はうろな警察署の紙屋警部補として参りました。そこのところ、お間違えないように」

 そういう意味で注意したのではないのだが。池守は呆れながらも、とりあえず事情聴取に取りかかることにした。いずれにせよ、乗りかかった船である。目的地くらいまでは、後輩を指導してやらねば。そんな義務感が、池守に手帳を開かせた。

「私はうろな警察署の池守です。昨晩の変質者事件でお伺いしました」

「そうですか、これはどうもありがとうございます。ささ、中へどうぞ」

「いえ、それは結構です。話はここで伺いますので」

 池守の遠慮に、墨田は怪訝そうな顔を浮かべた。

「しかし、ここは日も当たって暑いでしょうから。お茶など用意してますので……」

「被害者宅でごちそうになるのは、本署では禁じられています。ご了承ください」

 池守はそう言うと、再度入室を勧める女を遮り、すぐに質問へと取りかかった。

「紙屋からだいたいの話は聞いていますが、少し確認したいことがあります。昨晩、池の林で人魂を見たそうですが、それは本当ですか?」

「は、はい……」

「何かの見間違いということはありませんか? 懐中電灯とか、ライターの火とか……」

 池守の問いに、墨田はしばらく唇に指を添えて考え込んだ。

 それから、曖昧な言葉を返す。

「そう言われてみると、そうかもしれません……ただ……」

「ただ、何ですか?」

「断言はできないんですが、ライターの火ではなかったと思います。握りこぶしくらいの大きさはあったんじゃないでしょうか……まあ、何とも言えないのですけれども……」

「つまり、正確には覚えていないわけですね?」

 池守の探りに、墨田はほんの少しだけ不快そうな顔をした。

「すぐに逃げましたからね。変質者ならまだしも、痴漢だったりしたら怖くって……」

「……ごもっともです。では、次の質問へ移らせていただきます。墨田さんは、変質者に声を掛けられたと聞いていますが、相手は何と言ったのですか?」

 この質問にも、墨田はしばらく考えを巡らせる。

「置いて行け、と言われた気がします」

「気がしますというのは? 実際にはよく聞こえなかったのですか?」

「え、ええ……おいてえ、とか何とか言ってたような……」

「……おいてえ? それはひと繋がりの言葉ですか? それとも途切れ途切れの?」

 池守の質問を受け、女は返答に窮してしまったらしい。

 首を左右に捻った後、自信なさげにこう答える。

「よく覚えていません……声が遠くて、あまり聞こえなかったもので……」

 どうにも情報があやふやだ。池守は、事件の再検討を考え始めていた。

 彼は現場の再構成を諦め、盗まれたブツへと話を転じることにする。

「盗まれたアイスの箱と中身は、まだお持ちですか?」

「ええ、午前中に開けたばかりですからね。少々お待ちください」

 そう言って、墨田は家の中へと消えて行った。

 池守は後輩を振り返り、少し咎めるような目で彼女に話し掛ける。

「おい紙屋、君は被害者から個人的な依頼を受けたのか?」

「え、あ、あの、そ、そういうわけでは……」

 紙屋は何やら弁解しようとしたが、池守が黙って見つめ返していると、しょんぼりと肩を落として頭を下げた。

「す、すみません……昼前に、私の携帯に電話が掛かってきまして……」

「それで俺と相談して、ここへ来たってわけか。道理で対応が速いわけだ。深夜の事件から半日しか経っていなかったし、妙だとは思ったんだが……」

 怒られた生徒のように縮こまった紙屋は、ぐすりと鼻をすすった。

 池守はそれ以上咎める気にもなれず、またその暇もなかった。墨田が戻って来たのだ。

「遅くなりました。この箱です」

 墨田は池守に、紙製の四角い箱を手渡した。

 ゴミ箱へ捨てられていた形跡もなく、非常に奇麗な形で保存されている。

「紙屋さんに、取っておくように言われまして」

 墨田の説明に池守は納得すると、箱の上部を片手で器用に開いた。

 中には、空になったアイスのカップが1つだけ入っている。

 こびりついている欠片の色からして、バニラのようだ。甘い匂いが漂ってくる。

「これにアイスが6個入っていたのですね?」

「はい……あ、私が見たときには、既に5個でした」

 当然だ。池守は一瞬そう思ったが、すぐにその台詞のおかしさに気が付く。

「……ということは、6個入った状態は一度も見ていないのですか?」

「え? ……あ、はい、一度も見ていません」

「家に帰ってから中身を確認したとか、そういうことも一切?」

 墨田は首を左右に振る。

「帰った後で、すぐに箱を冷凍庫へ入れました。溶けるといけませんからね」

 尤もな理由付けに、池守は軽く頷き返す。

 それから、一番訊き難いであろう質問へと話を移した。

「お気を悪くしないでいただきたいのですが……お子さんが食べたということは……?」

 池守の予想に反して、墨田はそこまで気分を害されなかったらしい。

 むしろ、この質問を予期していた気配すらある。彼女はすぐに答えを返した。

「それはありえないんですよ……。あ、子供を庇ってるとかじゃありません。私だって、そこまで親バカではありませんからね。最初に疑ったのも、子供の盗み食いなんです。ところが、どう考えても無理なんですよ」

 池守は、箱から顔を上げた。理由を知りたいと思ったのだ。

「なぜ無理なのですか?」

「私が家に帰ったのが11時前で、子供たちはもう寝ていました。夜中に冷凍庫を開けてアイスなんか食べていたら、一発で気付きますよ。スプーンを洗ったり、カップを隠したりしないといけませんからね。で、翌朝一番最初に台所へ出たのも、私なんです。その後、夫と子供に朝食を作り、洗い物をしていたので、一番最後まで台所に残っていました」

「今日は仕事へ行かれないのですか?」

 池守の質問に、墨田はもちろんという顔をした。

「今日は仕事が休みなんですよ。夫はそのまま出社して、子供たちは友達の家で遊ぶと言って、8時には出掛けてしまいました。それから掃除と洗濯をしていると、10時くらいに子供たちが帰って来たんです。何でも、遊び相手の都合が悪くなったとかで。だから、午前中のおやつに、アイスを出そうとしたんです。そしたら……」

「チョコがひとつ無くなっていたんですね?」

 女は真剣な眼差しで頷き返し、その口を閉じた。

 池守は箱を紙屋へ手渡すと、ボールペンでここまでの話を書き取る。

 それを見ながら、女はさらに説明を付け加えた。

「びっくりしましたよ。ちょうど奇麗に1個分のスペースができてるんですからね」

 1個分のスペース。

 その言葉に、池守は紙屋の持つ箱を覗き込んだ。

 箱の容量とカップの大きさから、それが6個入りの仕様であることに気が付く。

「なるほど……他には何か?」

「その後は紙屋さんに電話して、ここに来てもらったんです。いえ、こういうコネを使うのがよくないのは分かってるんですけど、近所に変質者が出たとなるとですね……」

 墨田はもごもごと口を動かし、会話はそれっきりになった。

 池守はペン先で額を掻き、情報を整理した後、箱を返すよう紙屋に指示する。

「では、今日はこれで失礼します」

「あ、もうお帰りですか? 冷たいお茶くらいは……」

 墨田は箱を受け取りながら、汗だくの池守を見つめた。

「いえ、まだ調べることもありますし、規則は規則なので……では、失礼します」

 池守は軽く会釈をし、さっさと玄関を後にした。

 紙屋が小走りに彼の前へと回り込み、深々と腰を曲げて頭を下げる。

「申し訳ありません! 勝手な真似をして!」

 池守はポンと紙屋の頭を撫でると、彼女の横を通り抜けて先へと進んだ。

 紙屋も慌ててそれについて行く。

「ま、済んだことは仕方がない。事件性はあるようだしな……。今後、注意するように」

「はいッ!」

 元気よく答えた紙屋は、再び距離を縮めながら池守の横についた。

「これからどうするんですか?」

「もう一度池へ戻ってみよう。何か見落としてるのかもしれん」

 2人は路地を曲がって池の前へ到着する。

 池守が有刺鉄線を乗り越え、水辺を迂回して林の中へと入って行った。

 紙屋は鉄線が破れている場所を探し、そこから後を追う。

 2人は例の空き地へと足を踏み入れ、池守が腰を屈めた。

「何をしてるんですか?」

「証拠品のチェックだ……新しいゴミがないか探してくれ……」

 池守の意図を察知した紙屋も参加し、2人は現場を調べ始めた。

 空き缶、吸い殻、雑誌、その他諸々のゴミ屑。

 どれもかなり前に捨てられたものらしく、昨晩のものと思わしき品は見当たらない。

「ふむ……昨日の夜、不良グループがここにいなかったのは事実なわけか……」

「被害者を待ち伏せていたなら、煙草とかは吸わなかったんじゃないですか?」

 紙屋のアイデアに、池守は首を左右に振って答える。

「それだと、ただ脅かすためだけにここへ来たことになるだろう。ちょっと考え難い」

 池守は腰を上げ、雑木林の反対側へ続く獣道へと視線を伸ばした。

 この道は紙屋が通っただけで、池守はまだその行き着くところを知らない。

 どこへ繋がっているのか、池守は確かめてみたくなった。

「この道は、薮の反対側に続いてるんだな?」

「はい、そうです」

「……ちょっと見てみるか」

 池守はそう言うと、おもむろに獣道を辿り始めた。紙屋もそれに続く。

 夏場は人通りが少ないせいか、時々小枝とズボンが擦れ合った。

 進むに連れて周囲は暗くなり、本当に大丈夫なのかと訝ったところで、薮が開けた。

「ん……これは……?」

 池守は雑木林から抜け出し、見知らぬ路地へと出た。

 そこまでは計画通りだったが、周囲の景色は池守の予想とおおよそ異なっていた。

 左手が行き止まりなのだ。右手の方へと一本の道が続いているだけで、そのそばには古びた民家が建ち並んでいた。

「この道はどこから来てるんだ?」

「ずっと進むと、池の方の路地と合流します」

「合流する? ってことはその先は……」

「ええ、アイスクリームショップですね」

 池守は手帳を取り出し、これまでの情報から現場の地図を再現した。

 

挿絵(By みてみん)

 

「ええ、そういうことですね」

「しかし、これではますます分からないな……こっち側の路地が行き止まりな以上、変質者が逃げる道はひとつしかないことになる……そんなリスクをなぜ……?」

 池守はペンをくわえ、しばらく地図に見入っていた。

 その横で、紙屋がもじもじし始める。

「……なんだ? トイレか?」

「いえ……自分で捜査を始めてから言うのも何なんですが……」

「ん? 気付いたことがあるなら、言っていいんだぞ?」

 紙屋は少し気まずそうにしながら、小声で唇を動かす。

「もしかして、箱に最初から5個しか入ってなかったんじゃないでしょうか……?」

 紙屋の推理に、池守はペンを口から放した。

「それは俺も考えたんだが……さっきの墨田さんの話だと、どうも……」

「なぜですか? 6個入りの箱だからって、6個入れたとは限らないんですよ?」

「そこなんだよ……。彼女、『ちょうど奇麗に1個分のスペースができてた』って言っただろう? 彼女は、変質者に声を掛けられたとき、走って逃げたんだ。もちろん、そのときは箱がメチャクチャに揺れるわけだから、中身も動くに違いない。下手をすれば、中身がこぼれるかもしれないくらいだ。そうなっていないところを見ると、やはり家に帰るまではきっちり中身があって、隙間がなかったことになるんじゃないかな?」

 池守の推理に、紙屋は全く納得しない顔を浮かべた。

 先ほどの憂鬱はどこへやら、急に気性が荒くなり始めた。

「何ですかその安楽椅子探偵みたいな推理は!? 刑事は足ですよッ! 足ッ! 素人探偵に馬鹿にされながらも地道に証拠を集め、聞き込みをし、犯人を追い詰める! これが刑事ドラマの醍醐味です! 最後はカーチェイスに銃撃戦と、相場が決まってるんです!」

「変質者事件で銃撃戦になるわけないだろう……ドラマの見過ぎだ……」

 いきり立つ紙屋を宥めながらも、池守は彼女の主張に心を動かされていた。

 確かに自分は、安楽椅子探偵ではなく刑事なのだ。遠坂(とおさか)の手法に少しばかり毒されていたかと、池守は自分の職業を胸に刻み直した。

「少しばかり結論を急ぎ過ぎたようだな。それに、肝心のアイスクリームショップでの聞き込みもまだだ。紙屋、この道は本当に店へ通じてるんだな?」

「はい、自分は一度歩いて来たので、間違いありません」

 紙屋の断言を受け、池守は手帳を仕舞うと、路地を辿り始めた。

 道は次第に右手の方向へと傾斜していき、確かに池側の路地と繋がりそうに見える。

 しばらく歩いたところで、反対側から見覚えのある2人組みと鉢合わせになった。

 池守は思わず声を掛ける。

「入江ちゃん、まだここにいたのかい?」

「池守さんこそ、ずっとここにいるのです。暇なのですか?」

 高校生に暇と言われ、池守は少しばかり唇を歪めた。

 もっとも、杏の性格が変わっていることも承知しており、小さな子の手前もあって、池守はなるべく穏やかに言葉を返す。

「私たちは変質者の捜査をしているんだよ。さっきも言わなかったかい?」

「まだ捕まっていないのですか?」

 楽観的な杏の質問に、池守は首を左右に振った。

「変質者って言うのは、そう簡単には捕まらないもんだよ。今は昼間だからいいけど、暗くなる前におうちへ帰りなさい。……いいね?」

「その点は大丈夫なのです。家はここから近いのです」

 杏の返答に、池守は首を傾げた。

 少女はうろな町の住人ではないはずだ。親戚がいるのかもしれないと考え、池守は敢えて質問を続けなかった。紙屋を引き連れ、この場を後にする。

「それじゃ、遠坂によろしく伝えておいてくれ」

「分かりました。伝えておくのです」

 池守は背中越しに軽く手を振り、紙屋はにこやかな笑顔を向けると、そのまま店の方向へ姿を消した。

 杏は無表情にそれを見送った後、娘のミヨへと振り返る。

「ミヨ、この先に道はありそうなのですか?」

「うーんとね、ちょっと待っててね」

 ミヨは駆け足で路地の奥へと進み、それから行き止まりにぶつかってしまった。

「ママ! 行き止まりだよ!」

 娘の大声に、杏もさらに歩を進める。

 コンクリートの壁が現れ、道を塞いでいた。

「なるほど、やはり行き止まりなのですね。予想した通りです」

「予想通り? 何が?」

 不思議がるミヨを他所に、杏は雑木林へと目を凝らした。

「この道が池へと続いているのです。……ミヨ、探偵ごっこは楽しいですか?」

 杏の問いに、ミヨは100%の笑顔で答える。

「うん! 楽しいよ! ママも探偵ごっこ好きなの?」

「どうやら犯罪には、人間の心理が一番よく現れるようなのです。母星に帰ったら、このことを報告するのです」

 そう言うと、杏は雑木林の奥へと歩を進めた。

 ぴょこぴょことミヨがついてくる。

「ママ、まだ探偵ごっこするの?」

「いいえ、探偵ごっこはもう終わりなのです」

 母親の返事に、ミヨはつまらなさそうな顔をする。

「えー、もうちょっとやろうよー。ほら、空き地を虫眼鏡で調べたりしよ?」

「その必要はないのです」

 杏は急に立ち止まり、娘を振り返った。

 ミヨはきょとんとした表情で、母親を見つめ返す。

「私には、犯人が誰だか分かっているのです」

ここまでお読みいただき、誠にありがとうございました。

出題編は以上で終わりです。次回は解決編になります。

以前も書いた通り、「事件の全体像を再構成する」のが本作の主眼です。

というわけで、以下の点を読者への挑戦状とさせていただきます。


1、被害者の墨田今日子に声をかけたのは誰か?

2、なぜ声をかけたのか?

3、アイスはどのようにして消えたのか?


実は今週末が忙しいので、明日上げられるかどうか分かりません。

できるだけ頑張りますが、遅れた場合はご容赦を (;´Д`)


では、解決編でお会い致しましょう!

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