16.こっそり魔法の訓練です
春の光が差し込む廊下を歩きながら、リンネアはキョロキョロと周囲を見回した。
「どこで訓練したらいいと思う?」
彼女は声を潜めてフランに声をかける。
「主は何も考えずに出てきたの?」
フランの呆れたような声が返ってきて、ぎくりとした。
「私、思いついたら即実行するタイプなの」
「よくそれで今まで魔女だって知られずに生きてこられたね」
フランのツッコミが胸に刺さる。
「おばあちゃんができるだけ人と関わるなって言って……ずっと遠くの村のはずれの森の奥に住んでたから」
「……おばあちゃんの判断は賢明だったね」
フランの目が皮肉めいて歪んだ気がした。
今となってはその通りなのだと思う。
おとなしく村で一生を終えていれば、聖剣を抜くこともなかったし、冷血皇帝と結婚する羽目にもならなかったのに。
「まあ、結婚のことも手続きだけで、本当に夫婦みたいなことをするわけじゃないし、竜を倒したら離縁してくれるって約束してくれたから、早く魔力を磨いてこんな所から早く逃げ出すわ」
そのためにはなりふり構っていられない。
「へえ……君の希望を聞いてくれるなんて優しいやつじゃん」
「優しくなんかないわよ。向こうも私と結婚するのは不本意なんだって」
リンネアは軽く頬を膨らませた。
「いい所なんて一つも……」
そう言いかけて、ふいに夜会での一幕を思い出す。転びそうになった時、ラーシュの腕に抱かれた感触が、まだはっきりと思い出せる。
「……あれは事故だし」
自分に言い聞かせるように呟くと、抱えていたフランがむにっと揺れた。
「なんか顔にやけてるけど?」
「そんなわけないっ……ていうか、フランちゃん、しーっ……!」
ちょうどそこへ、廊下の先からあたふたと侍女たちが現れるのを見て、リンネアは慌ててフランの口に手を当てた。
「早く人を呼んできて――」
「わかってる。急がないと」
彼女たちはなにやら焦った様子で話しながら、こちらの方へ足早に向かってくる。
「何かあったんですか?」
リンネアが声をかけると、侍女たちはハッとして頭を下げた。
「騒がしくして申し訳ありません。掃除をしていたら燭台が傾いてしまい、それが大変重くて、このままでは下敷きになってしまうかもしれないので、男の方の手を借りに行くところなんです!」
侍女が青い顔をして、頭を下げ、この場を立ち去っていく。
「下敷き? それは大変だわ」
彼女たちがやってきた方向へ向かうと、角を曲がったところに、台座に置かれた大きな燭台が傾き、三人がかりでそれを支えている様子が目に入った。
「私に任せて!」
リンネアは燭台に手を置き、「レヴィアータ」と口の中で小さく呪文を唱えた。
魔力が指先を通って流れ、体の奥からじんわりと熱が立ち上ってくる。
目を閉じれば、それが確かに巡っているとわかる――微細な、でも確かな手応えだった。
すると、大岩のように圧し掛かっていた燭台の重さが無くなり、片手ですんなりと元の位置に戻る。
「えっ⁉ 支えるので精いっぱいだったのに……」
侍女の一人が目を丸くしてリンネアを凝視した。
「ありがとうございます! 魔法でも使ったんですか?」
侍女が安堵の笑みを浮かべて声をかけてくる。
「え! ち、ちがいます。私、こう見えて力持ちなの。で、では、ごきげんよう~」
リンネアは侍女たちに手を振ると、慌ててその場を離れた。
「この様子じゃ、すぐ正体ばれそう」
抱きかかえているフランがボソッと呟く。
「だって考えてる時間なかったし、まだばれたわけじゃないからセーフ!」
そう反論して、リンネアは歩調を整え、すまし顔を作った。
「……まあいいけど。あれっぽっちじゃ訓練にはならないからね」
「フランちゃん、かわいいのにけっこうスパルタなのね」
「見た目で判断するのは早計ってことさ」
そう言って、フランがウインクしてきたような気がする。
見た目で判断するのは早計、ということならば、ラーシュの万年氷みたいな表情の下にも、実はさまざまな感情が隠れているのかもしれない。笑っているところを想像するのは難しいけれど。
「それにしても、広いわね」
すでにどこから来たのか忘れてしまったが、帰りは誰かに道を聞けばいいだろう。
その後も、彼女は廊下の壁飾りの高さを直し、止まった噴水に魔力を通し、さりげなく人々の手助けをして回った。すべて、魔法だと気づかれない程度に、控えめに。けれど確かに魔力を巡らせて。
「とても助かりました!」
人々は謝意と共に頭を下げてきた。
「いえ。聖剣の加護のおかげですよ」
リンネアはにっこりと笑って答える。
「ありがとございます、リンネア様、聖剣様!」
魔法を疑われればすべて聖剣の加護でごり押ししてきた。
「では、また何かありましたら、なんでも言ってくださいね」
そう言ってリンネアはまた歩き出す。
「聖剣様、だって」
人気のない場所までやってくるとフランがクスクスと笑いだす。
「なにがおかしいの?」
「いやぁ、気分がいいなと思って。もっと僕を崇め奉れ~」
「そういうの驕りっていうのよ」
リンネアはぬいぐるみの艶々な鼻をぎゅっと人差し指で押す。
「主、厳しー」
フランはもふもふの尻尾を揺らした。
「でも、千年もここにいてみんなから敬われていたでしょ」
「そうそう、だからもっと敬って? さあ、今すぐ崇めて? 神殿建てて?」
「その口、縫いつけちゃっていい?」
「やだー」
二人で軽口を叩きながら、庭園の奥までやってくる。
「行き止まり……?」
そこには、ひときわ目を引く青白い花が群生していた。形は素朴だけれど、透けるように淡く、風に揺れる姿はどこか幻想的だ。
「……あれ?」
その花は、見覚えがあるものだった。
「これ、ファルクス村のうちの周りにも咲いてたわ。懐かしい」
リンネアは花の前でしゃがみこんだ。
だが、目の前に広がる花は、茎も細く、葉もしおれかけている。花を咲かせるために、そこだけに養分を必死で集めているかのようだった。
「土に栄養がないのかしら?」
だが、周囲を見てみると他の花は瑞々しく咲き誇っている。
「これは魔力が不足してるんだよ」
フランがぽつりと言った。
「花を育てるのに魔力が要るの?」
リンネアは驚いて目を瞠る。
「馬鹿だなぁ…………は」
花を見つめていたフランが何か呟いたように聞こえたが、それは一陣の風にかき消された。
「何か言った?」
そう聞き返すと、背後から足音がしたので、リンネアは慌てて振り返る。
「そこで何をしている」
さきほどの風が生温く感じてしまいそうなほど、冷たい声だった。
「ラーシュ陛下……なぜ、ここに……」
リンネアは立ち上がって彼と向き合うと、ぎゅっとフランを抱きしめる。
――もしかして、魔法を使っていることがばれちゃった⁉
そう思ったら、一気に背中から冷や汗が噴き出してきた。




