14.気まずい朝食
朝日が差し込む窓辺から、優しい風と共に、ふわりと香る花の匂いがして、リンネアは「ん……」と小さく声を上げ、眉を寄せた。
「リンネア様。おはようございます、朝でございます。お支度を」
柔らかい声で告げたジゼルが、カーテンをタッセルで留めている。
「もう少し……寝ていたい……」
リンネアは眩しさに思わず顔を背け、枕を抱きしめるように身体を丸めた。
「ですが、本日よりご朝食は陛下とご一緒なさるよう、仰せつかっております」
「陛下……」
半分寝ぼけていたが、その言葉にすぐに昨日の記憶が脳裏に蘇って、パッと目を見開いた。
――そなたを余の妃とする。
ラーシュの冷ややかな声が、耳の奥に残っている。
リンネアは仕方なくのろのろとベッドを離れ、侍女の手を借りて身支度を整えた。
新しく用意されたドレスは、昨日の祝賀会のような派手さこそないものの、清楚で上品な一着だ。
髪を軽くまとめられ、淡い紅をさされた唇に、鏡越しに視線を向ける。
「――私は結婚するつもりなんて、ないのに」
誰にともなく零した言葉は、鏡の中の自分にも届いていた。
* * *
食堂へ向かう廊下は、とても静かだった。足音だけが規則正しく、磨かれた大理石の床に響く。宮殿の空気は冷たく澄んでいて、まるで彼――ラーシュの心をそのまま写したかのようだった。
扉が静かに開くと、すでにラーシュが席についている。完璧に整った金髪とアメジストを嵌め込んだような澄んだ紫色の瞳。端整な顔立ちはやはり人目を引くけれど、表情の気配が一切なく、まるで彫像のようだ。
「おはようございます……陛下」
一応の挨拶をする。
すると彼は視線だけをこちらに寄越した。返事はない。
――まったく、失礼な人ね。
リンネアがため息混じりに向かいの席につくと、すぐに朝食が運ばれてきた。
温かいスープと香ばしいパン、色鮮やかな果実が美しく盛られた皿。その香りに食欲は刺激されたけれど、空気が妙に重たいせいで、スプーンを持つ手に力が入らない。
「……昨日の件だが」
先に口を開いたのは、意外にもラーシュの方だった。
「古文書によれば、聖剣の乙女と皇帝の婚姻こそが、再び蘇る竜を封じる鍵だと記されている」
彼はパンをちぎる手を止め、淡々と告げる。
「鍵……」
リンネアは目を瞬かせる。
「陛下も本気で、竜がいると思っているんですか?」
「思っているというより――信じるしかない。先祖たちが記した言葉だ。理由は不明でも、それが国を守る道だというのなら、疑う理由もない」
その声音には、驚くほど迷いがなかった。あまりにも素直で、まるで洗いたての真っ白なリネンのようだ。
彼女はスプーンを皿に置いて、じっと彼を見つめた。
(この人、案外純粋な心の持ち主だったりして。そこに書いてあることが本当かどうかなんて誰にも――)
そこでリンネアは、フランの言葉を思い出していた。
――歴史とは、時に都合のいいように改変されるもの。
フランなら、古文書に書かれた内容が本当かどうかわかるかもしれない。
「私は結婚するつもりなんてないですよ。独身主義なんです、昔から」
きっぱりと告げると、ラーシュは僅かに片眉を動かした。表情筋は仕事していないけれど、わかりやすいほどの「面倒だ」と言いたげな感情が、そのわずかな動きに込められている。
魔女の血筋を後世に残したくないから、と本当のことを言うわけにもいかないし、他に適当な言い訳は思いつかなかった。
「かまわない。竜を倒すまでの契約結婚で充分だ。余も……そなたのような跳ねっ返りを、生涯の伴侶にするつもりはない」
「跳ねっ返りって……!」
ここまでハッキリと「魅力がない」と言わんばかりの言い方をされると、さすがにちょっと傷つく。
――こっちだって、あなたみたいな冷血漢と添い遂げたいとは思いませんよーだ!
頬がぷくりと膨らむが、リンネアはギリギリのところで言葉を呑む。
ラーシュはそんなリンネアの内心を知ってか知らずか、口調を変えず続けた。
「国のためだ。結婚はする。だが竜を倒したあとは、自由にしてやると約束しよう」
「話がわかる方でよかったです!」
やや声を張ってリンネアは自棄気味に答える。笑顔は引きつっていた。
「……では、手続きを進める。準備が整い次第、婚姻したことを発表する」
「決断が早くて助かりますわ、陛下」
皮肉混じりに言って、ギュッとスプーンを握りしめる。
ラーシュは何も返さず、ただナイフで肉を切る音だけが響いた。
――本当に何を考えているのかしら?
リンネアは呆れる。
だが、これでフランにお願いしなくても竜さえなんとかすれば、円満離縁してもらえそうなので、少しだけ安心だ。
二人の会話は、そこで途絶え、食堂は再び静寂に包まれる。
気まずさは残るけれど、料理は素晴らしくおいしかった。
リンネアはスプーンを手にしながら、ちらりとラーシュの顔を盗み見る。
(古文書、か。どこにあるんだろう。フランちゃんにも読んでもらいたいな)
それが、自分の運命を握っているのなら、なおさら――。




