調査*7
王城の兵士達が悲鳴を上げる。だが、ランヴァルドは慌てなかった。
慌てても助からない。この部屋の扉を開けた時点で、ランヴァルド達が助かる道は1つしかないのだ。
「ネール!」
……そう。この巨大なドラゴンを、ネールがやってくれることを期待するしか無いのである!
ネールはすぐさま壁を蹴り、天井近くを舞うようにして進んでいった。一方のドラゴンは、すぐさま動いた羽虫一匹よりも、固まって動かない沢山の餌……ランヴァルドと兵士達の方に興味があるらしい。
ならば、ランヴァルドの仕事はごく単純。
「おい、ドラゴン!こっちを見ろ!」
ランヴァルドはドラゴンに向けて声を張り上げ、より一層、注意がこちらに向くようにする。
……一切戦力にならないのだから、囮くらいは全うしなければなるまい。特に、そうすることによってネールがドラゴンを仕留めやすくなるのならば、尚更。
ランヴァルドが抜いた剣はランプの光を反射して、ぎらりと光る。兵士達もそれに倣って抜刀し、ドラゴンはいよいよ、こちらに注目せざるを得なくなった。
ドラゴンの目がランヴァルド達を睥睨する。『叩き潰せばそれだけで死ぬ存在』として、ドラゴンはじっと、こちらを見ているのだ。
だが。
「……よし」
ランヴァルドは、ふ、と笑う。緊張はしていたが、それも僅かな間のことだった。
何せ、ネールが居る。
……ネールは天井から急降下するようにして、巨大なドラゴンの眼球を光る刃で刺し貫いていた。
ドラゴンが暴れる。
まさか、傷を負わされるとは思っていなかったのだろう。このドラゴンがこの遺跡で生まれてからずっとここに居たとしたら、生まれて初めての傷である可能性もある。
そんなドラゴンの混乱ぶりは凄まじいものだった。暴れ、動き、そして目的も特になく振り回された尻尾がランヴァルド達を襲う。
「うわ……っと、おい!大丈夫か!」
ランヴァルドは瞬時に身を屈めて頭上を通り過ぎていった尾を避けたが、兵士達の何人かが、その餌食になった。全く狙ったものでもない攻撃で、これだ。ランヴァルドは吹き飛ばされた兵士達の元へ駆け寄って、なんとか治療を試みる。
……その間、ランヴァルドはひどく無防備になる。だが、ここで動かねば次のドラゴンの一暴れでいよいよ兵士達が死にかねない。
自分の魔力を使い切るようにして、なんとか兵士達を治す。そして幸い、兵士達は治ったのだ。……不思議なことに。
そう。不思議なことだ。折れた肋骨、肋骨が刺さったらしい肺や心臓……それらもするりと治してしまえたことに違和感を覚えつつ、ランヴァルドはそれでも『まあ儲けものだ』として、それ以上考えることを止めた。
そして一方のネールはというと……一撃加えてから死ぬまでに大分時間がかかっているドラゴン相手に、戸惑いつつもなんとか応対していた。
ぶんぶんと振り回される頭を狙って光の刃を繰り出しては傷を増やしていき、なんとかもう片方の目を狙って跳び回る。
……だが、ドラゴンの生命力は異常なほどであった。
眼球を貫き、更にそこから傷が増えても、ドラゴンは暴れるばかりで死ぬ気配が無い。
……おかしなことだ。そもそも最初、ネールは眼球の奥にある脳髄にまで、ナイフの刃を届かせたはず。光を纏ったあの刃で『刃渡りが足りない!』ということもあるまい。
「……まさかあのドラゴン、治癒の魔法を使ってるわけじゃないだろうな……?」
ランヴァルドは只々嫌な予感がしつつも、ネールの奮闘を見守った。見守ることしかできなかったのである。
+
ネールは懸命に勝機を見出そうとしていた。
何せこのドラゴン、大きい。刺しても斬っても、全然死なない!
ここまでしぶとい相手は初めてだ。前にステンティールの地下で戦ったゴーレムくらい……いや、もっと、このドラゴンはしぶとい。
戦いながら、ネールは気が気ではない。何せランヴァルドが居る。さっき、兵士達が何人か吹き飛ばされたのを見た。もし、ランヴァルドもああなってしまったら、と思うと気が気でないのだ!
だからすぐに決着をつけなければ、とネールは焦燥に駆られる。大好きなランヴァルドに怪我をさせないためには、ネールが頑張るしかないのだから!
……だが、そうして焦ったのがよくなかったのだ。
ネールは少し、間違えた。
ドラゴンのもう片方の目を狙って急降下したところで……ドラゴンの翼が大きく動いてネールを叩いたのである。
あっ、と思った時にはもう、ネールは吹き飛ばされていた。ドラゴンの翼の皮膜に横から攫われるようにして、ぽん、と宙に投げ出されたネールは……身動きの取れない空中で、ドラゴンの片方だけの目と目が合う。
その一瞬が永遠にも思えるような、そんな感覚の中……ドラゴンの振り回した尾が、ネールを今度こそ強く強く打ち据えていった。
……ネールは一瞬、意識を失っていた。或いは、一秒?もっと?それは分からない。
だが、部屋の隅っこにまで吹き飛ばされていたらしいネールが再び意識を取り戻した時、ネールの全身は痛みでまともに動かせなかったし、ドラゴンは相変わらず、部屋の中に居た。
ドラゴンが、兵士達を、そして大切なランヴァルドを、襲っている。だからネールが、あのドラゴンを仕留めなければ。
……そう思うのに、ネールの体は上手く動かない。骨が折れてしまっているのかもしれない。
でも、でも、だからといってここでネールが動かなければ、ランヴァルドが死んでしまう!
ランヴァルドを失う訳にはいかないのだ。ネールは……もう、大切な人を失いたくない。二度と。二度と!
「ネール!」
なんとか起き上がろうとするネールの耳に、ランヴァルドの声が聞こえる。心配してくれているらしい。やっぱり、ランヴァルドは優しい。
ネールはランヴァルドの声に元気づけられて、なんとか、痛む体を起こした。けほ、と咳き込むと、胸がとても痛い。吐き出された血が石の床を汚した。……肺が傷ついてしまったのかもしれない。
だが、なんとか……なんとか、この状況を、なんとかしなければ。
焦るネールは、よろり、と歩き出す。歩いて、なんとか、ドラゴンの元へ、と……。
……そんなネールの目に、ふと、見覚えのあるものが映った。
ネールのすぐ近くにあるのは、制御盤だ。もう1つの方の古代遺跡で、ランヴァルドが、『ここに手を置いて魔力を流せ』とやってくれた、あの、制御盤と同じもの。どうやら、部屋の奥まで吹き飛ばされてしまったネールはたまたま、この制御盤にぶつかって止まったか何かしたのだろう。
ネールには、古代魔法の仕組みなど分からない。この制御盤が何をするものなのかすら、よく分かっていないのだ。
だがネールは……この制御盤と同じようなものを今までの遺跡でも見てきて、そして、『この制御盤をランヴァルドが触ったら事態が好転した』ということを覚えていた。
だからネールは、制御盤へ手を伸ばす。ランヴァルドが『ここに手を置いて魔力を流せ』と教えてくれた箇所を思い出して、そこに手を乗せて……そして、魔力を流し、古代魔法の装置を起動させたのである。
途端、ぶわり、と風が吹く。体いっぱいに風を浴びて……その途端、ネールは元気が出てきた。
力が湧いてくるようだ。痛みも無い。これなら、何だってできそう。
……ネールが先程まで負っていた傷は、癒えていた。
ネールだけではなく、ドラゴンもまた、大人しくなっていた。痛みが癒えて、理性を取り戻したのだろうか。
……これならやりやすい。ネールは意を決すると、壁を蹴って宙を舞う。
ドラゴンは大人しく、どこか親しみすら感じさせるような目でネールを見た。だがネールはすぐさまナイフを構え……振り抜いた。
そのナイフに金色の光を集めて、凄まじい刃渡りの刃と成して。
……一太刀で、巨大なドラゴンの首を、落とすべく。
+
「ネール!」
ドラゴンの首が床に落ちると同時、ランヴァルドはネールに向かって駆け出していた。何せ、ついさっきネールはドラゴンの尾にやられて吹き飛ばされていたのだ。いくらネールが身体強化の魔法を使えるとしても、あれで骨の一本も折れていなかったとは思い難い。
その直後、ネールは古代魔法の装置を動かし、大人しくなったドラゴンの首を落としてしまったわけだが……あの凄まじい一撃は、残り少ない命を燃やし尽くすようにして発された魔法だったのでは、とさえ思われた。
だからこそランヴァルドは青ざめたまま、疲労の激しい体に鞭打って、かつ、古代魔法装置から吹き出す魔力の風に耐えながら、なんとかネールの元へ辿り着く。ネールを失う訳にはいかない、というその一心で。
……だが。
「ネール、おい、大丈夫か!ネール!ネー……ル?」
そこでランヴァルドは、にこにこと誇らしげなネールの……元気いっぱいな姿を見ることになったのである!
「うん。大丈夫そう、だな……?」
いつもとは逆に、ランヴァルドがネールの周りをくるくる回ってネールの無事を確認することになる。
……ネールの衣類には、ドラゴンの返り血とはまた異なるのであろう血の汚れが見える。恐らく、ネールが流した血だ。だが、ネールには傷の類が見当たらない。
ならば、体内か。内臓に傷を負ったままなのでは、とも思うのだが、その割にはネールがやたらと元気である。
そう!ネールはやたらと元気いっぱいであった!
先程、ドラゴンの攻撃を受けて死にかけていたであろうネールが、何故か、元気いっぱいなのである!
ランヴァルドは『これは一体』と暫し考えたのだが……ふと、余計なことを考えそうになって、考えるのを止めた。
「よし、ネール。とりあえず、魔力の風は止めるぞ。このままここに居たら俺が死にそうだからな……」
考えるのは後でいい。何せ……魔力の風は相変わらず吹き荒れていて、ランヴァルドはそれどころではないので!
ランヴァルドが『このままだと俺が死ぬ』と告げた途端、ネールは『大変だ!』とばかり、慌ててぱたぱたと走っていき、制御装置に手を触れ、魔力を流す。……が、魔力の風は止まらない。
「ああもう……貸してみろ。ちゃんと機能を逆にするように設定し直さないと、魔力を流しても意味が無いぞ。ほら……」
……ネールは、魔力こそ沢山持っているらしいものの、理論立てて魔法を使えるわけではない。今、魔法を使うようになってきたのも、自らの感覚から学んだものに過ぎないのだ。結局は、制御盤の操作はランヴァルドがやることになる。
『ああもう、こんな目に人生で3度も遭う奴が居るか?』と嘆きながら、しかし、1度目より、そして2度目よりも更に手早く制御盤を動かして、ランヴァルドは『よし、お前の出番だぞネール!』とネールの手を引っ掴んで、制御盤に、ぷに、と乗せて、魔力を流させて、そして装置を止めた。……実に手早い。
実に手早く魔力の風を止めたランヴァルドは、深々とため息を吐く。
「……死ぬかと思った」
その場に座り込みながら、ランヴァルドはもう一度、ネールを確かめる。
ネールは先程死にかけていたはずなのに、すっかり元気になってランヴァルドのことを心配しているようだった。
「念のため、治癒の魔法を掛けておくからな。ほら」
そんなネールに治癒の魔法を使ってやると、ネールは何とも心地よさそうに蕩けるような笑みを浮かべて、ランヴァルドにすりすりとすり寄ってくる。
……まあ、これだけの巨大なドラゴンを屠ったのだ。多少、甘えてくるのは許してやることにして……ランヴァルドはふと、先程脳裏に過ぎったことを思い出す。
あの時のネールは、まるで、魔力の風を受けて力を増したかのように見えた。
『まるで、魔物のようだ』と。ランヴァルドは一瞬、そんなことを考えたのである。




