嘘から出す真*2
「賊を討伐してほしい」
「……またもや賊ですか」
ランヴァルドは領主の前で、只々呆然としている。この期に及んでまだやってんのか、と。
ランヴァルドは思う。『今は絶対にそれどころじゃないぞ』と。
この領主、耳が遅い。判断が遅い。どちらだろうか。どちらもだろうな……とランヴァルドが領主ドグラス評を頭の中でぼやいている中、領主ドグラスは渋面を隠そうともしない。
「そもそも、2匹目のドラゴンとやらはどうなった?ついでに3匹目の目撃情報まで届いているところだが?」
「そちらは領主様の討伐隊が、ということでしたので、賊退治に出ておりましたが」
「だがどうだ?賊は増える一方ではないか!」
「領主様の仰っていた北東の山の山賊はこのランヴァルド・マグナスが確かに片付けました。ご確認頂ければ、あの山に山賊がもう1人たりとも残っていないことが分かるかと」
ランヴァルドは微笑を湛えたまま、領主ドグラスに答える。まあ、『こういう態度は気に食わないだろうな』ということは理解した上で。
「……そっちはもういい。今回討伐してほしいのは、このロドホルン近郊に集まりつつある賊だ。ロドホルン郊外の……古城が1つあるだろう。あの辺りに賊が出ているらしい」
領主ドグラスは言葉を濁したが、要は、あの老貴族トールビョルンの屋敷の近場、という訳だ。ならば……ランヴァルドには大凡のところが察せられる。
つまるところ、あの老貴族はいよいよ動く気なのだ。今の領主を引きずり下ろし、そして恐らく、自分自身か自分の身内を次の領主にすべく、動き始めている。中々に血気盛んで結構なことだ。
まあ、賛否はあろうが、ランヴァルドとしてはトールビョルンの動きを歓迎する立場である。当然だ。波風が立てば立つほど、儲け話も大きくなるのだから。
「ロドホルンにほど近い場所に集まっているというのであれば、いよいよ領主様の討伐隊をそちらに動かすべきなのでは?古城というと、確かドラクドダーレ家の傍系の……」
「こちらはこちらで動くべきことがあるのだ。貴殿らにはそちらを任せたい、というだけのこと」
ランヴァルドは一応、領主ドグラス相手に思案顔を見せてみる。だが、それすらも面倒そうに、領主ドグラスはそう言ってのける。
ランヴァルドとネールのことを、体のいい召使か何かだと思っているのだろうか。体よく使いたいのであればせめて、最初のドラゴン討伐の際にこちらを取り込むべく、出すべき金を出しておいて欲しかったものだが。
……まあ、『今から』というのならば、それでもいい。ランヴァルドは領主ドグラスを真っ向から見つめた。
「そうですか。……ならば、先に北東の賊を討伐した分の報酬を頂きたい」
内心で、『ま、どうせ出てこねえだろうけどな』と嘲笑いつつ。
「……何?」
領主ドグラスは眉を顰めた。まるで、『そんな想定はしていなかった』とでも言わんばかりの様相だ。隣の側近が頭を抱えんばかりにしている。
「こちらはドラクスローガの民でもない根無し草にございます。頂けるものがあってこそ、ようやく動けるというもの。我々に命を賭せと仰る以上、そのお覚悟を領主様にもお見せいただきたく」
領主が揺れる一方、ランヴァルドはまるで揺るがない。
金だ。金。金が無ければ動かない。それがランヴァルドなのである。
「……褒章は全てが片付いた後、まとめて出す。それでよかろう」
領主ドグラスは如何にも面倒そうに、苛々とそう言いだしたが……。
「いいえ。私は商人ですので信用の無い相手に金は貸さないことにしております。それと同じことで、信用の無い相手からのツケは請けません」
ランヴァルドは悪徳商人なので、物怖じせずに言ってのけた。
「無礼な!」
案の定、領主ドグラスが怒鳴る。だがランヴァルドは涼しい顔である。怯えたら舐められる。だから、ランヴァルドは表情を崩さない。
一方のネールは怒鳴り声に少々怯えた様子であったが、これはこれでいい。罪の無い美少女が、理不尽に怒鳴られて怯えている。この状況を見ている護衛の兵士達を味方につけるには、こうして被害者ヅラをしてやるのも悪い手ではないのだから。
……そして、領主ドグラス自身もまた、ネールの様子に気づいたのか気まずげな顔をして、立ち上がりかけた体を玉座へ戻した。
「……いいか?これは民の為なのだ。このドラクスローガの、全ての民の為なのだ。分かるな?」
自分自身に言い聞かせるかの如き言葉に、ランヴァルドは思わず笑ってしまいそうになる。
嗚呼、なんと稚拙な言い訳だろうか。……ランヴァルドはこの領主を、心底軽蔑する。
「賊退治をご命令になるのは、本当に民の為でしょうか?……領主様の為、ではなく?」
ランヴァルドは、意を決した。
喧嘩を売るなら躊躇は要らない。傾けるなら一気に揺らせ。
そして……奪う相手に容赦は要らない。
領主ドグラスは唖然としていた。側近が、一歩、二歩、と領主の玉座から離れていく。
只々、室内の高い天井までが全て静寂に支配され、その中でただ、ランヴァルドは待つ。
……愚かな領主が、言葉の意味を理解できるのを。
領主ドグラスは、ずっと詰めていた息をゆっくりと吐き出していく。その額には青筋が浮かび、血の上った顔は竜の鱗かという程に赤い。
「……ああ、もういい」
努めて冷静に発そうとしているのであろう声は怒りに震え、なんとも惨めたらしくその場に響く。
「ドラゴンを仕留めてきたというから、多少は見どころのある武人なのかと、思ったが……所詮は薄汚い守銭奴か」
渾身の捨て台詞なのであろうそれを聞いて、ランヴァルドは隠しもせずに笑う。
「自分の財産や命を守ろうとするのは当然のことでは?特に、信用ならない盗人相手なら尚更だ」
捨て台詞を安易に捨てさせない。拾って投げ返してやるくらいのことはやる。それも、相手が一番嫌がるであろうやり方で。
「そうだ、領主様。あんたは正に盗人だ。あんたは領民から一体いくら盗んだ?不適切な税に苦しむ民衆を見て、あんたは一体何をしていたんだ?」
領主ドグラスを煽りに煽って、それでいてランヴァルドは真剣な表情でいてやる。まるで、こちらが正義だというかのように。
「何もしていない。あんたは苦しむ民衆を見捨てたんだ!」
いよいよ、とどめを刺してやることにする。
「竜殺しの名はどこへ行った?ああ、今日から領民殺しとでも名乗ったらいい!」
「殺せ」
……そうして領主ドグラスは、そう周囲の兵に命じたのだった。
ランヴァルドの狙い通りに。
兵士達が戸惑いながらも槍を構える。その数は20程度か。
到底、勝てる数ではない。……ネールが居れば、まあ、なんとでもなるのだろうが。
「ったく、下手打ちやがって……おいおい、こっちはドラゴン殺しの英雄だぞ?ロドホルン中で今を時めく英雄を、『殺せ』と?」
だがランヴァルドには、剣の腕が無くともよく回る舌がある。
「あんたが買い渋ってくれたおかげで、ロドホルン中の民衆がドラゴンの鱗を買い求めてくれたよ。だから全員、ネールのことを知ってる。ドラゴン殺しの、それも、優しくて気立てのいい、とびきりの美少女を……おい、ネール。落ち着け。こっちを見るな」
ネールが『優しくて気立てのいいとびきりの美少女!?』と輝かんばかりの表情でランヴァルドを見てきたので、ランヴァルドは『前を向いていなさい』と告げた。ネールはそわそわもじもじしながらナイフを抜いて構え始める。緊張感があまり無い!
「なあ、領主様よ。民衆の為、と言うのなら、もっと民衆の声を聴くべきだったな。そうすりゃあ……民衆が『どっち』に味方したいか、分かっただろうに」
「……は?」
領主は未だ、意味を理解していないだろう。だが、これから分かる。
分からせるべく、ランヴァルドは悠々と笑い……。
「ネール!逃げるぞ!」
驚くネールの手を引いて、一目散に駆け出したのであった!
まさか、ここでランヴァルド達が逃げるとは思わなかったのだろう。兵士達も領主も、動くのが遅れた。
「な……何をしている!追え!殺せ!」
ランヴァルドとネールが揃って玉座の間を脱出しようという頃になってようやく兵士達が動き始めたが、もう遅い。そもそも、鎧兜に身を包んだ彼らが、旅商人の装束のランヴァルドとふかふかコートのネールに追いつける訳がないのである。
ならば、とばかりに槍が飛んできたが、それはネールが蹴って弾き飛ばした。ランヴァルドでもネールでもなく、壁にぶつかった槍がけたたましい音を立てる。
この騒ぎに、領主邸の使用人達も、玉座の間の外に居た兵士達も、皆がなんだなんだと騒ぎ出す。つまり……ランヴァルドの本領発揮だ。
「助けてくれ!領主様は竜殺しの英雄ネレイアを殺すつもりだ!」
……ランヴァルドは堂々と被害者ヅラしながら、ネールと共に領主邸の廊下を駆け抜けていく。
戸惑う使用人や兵士達に阻まれて、結局、『殺せ』と命じられた兵士達はランヴァルドとネールに追いつけずじまい。そしてこれが、領主の致命的な失敗となったのである。
長い廊下を駆け抜け、ランヴァルドとネールは領主邸をいよいよ脱出する。
夕暮れの空は、いよいよ沈みゆく太陽に焼かれて燃え上がるかのように赤く、美しい。
そして、その夕暮れの光に照らされながら駆けてきたランヴァルドとネールの姿は、家や酒場へ急ぐ人々の目に留まった。
「皆!聞いてくれ!」
ランヴァルドが凛と通る声を張り上げれば、民衆はなんだなんだと足を止める。『ありゃ、竜殺しの英雄さんじゃないか?』『ああ、鱗をアイツのところで買った!』『酒場で英雄譚を聞いたぞ』と人々はざわめき……そして。
「今……領主様はご乱心なさった!」
ランヴァルドの声が、広場に響く。
ようやく追いついてきた兵士達が止めることもできない内に、ランヴァルドは堂々と、演説し始めたのである。
「領主様は竜殺しの功績を妬んで、この英雄ネレイア・リンドを……殺せ、と命じたのだ!」
広場はざわめき、中には悲鳴を上げる者も出てくる。
……領主はこれくらいは見越すべきだった。
ランヴァルドの言葉が完全に信用されなかったとしても……それでも、ただ『口実』があるだけで、人々は動いてしまう。それを、理解しておくべきだったのだ。
「竜殺しのドラクスローガに、あのチンケな領主は相応しくない!違うか、皆!」
ランヴァルドが声を上げ、拳を突き上げれば人々の中から『応!』と声が上がる。……声を上げたものの1人は、ハンスだ。あれからも酒を飲んでいたのか、赤ら顔である。まあいい。酔っ払いは扱いやすいから。
そして、ハンス同様に日暮れ前から飲んだくれて気の大きくなった連中が、『そうだ!』『あいつは俺達を見殺しにする気だ!』と声を上げ始める。
……一度声が上がり始めれば、もう、それは止まらない。雪の谷を転がり落ちていく雪玉が、どんどん大きくなっていくかの如く、人々の声は大きくなっていくのだ。
「皆の血には、まだ北の誇りは残っているか!?武勲と正義に輝く血を、確かに受け継いでいるか!?」
ランヴァルドは躊躇せず、煽る。人々はそれに応じて拳を突き上げる。何人かが駆け出して行ったのは、恐らく、郊外のトールビョルン老の元へこの事態を報告しに行ったのだろう。
「領民の声を踏み潰し、更には真の竜殺しを亡き者にしようとまでする領主に、北の誇りがあると思うか!?」
民衆は『そんなものは無い!』『あいつに誇りなんざねえ!』と声を上げる。
……そしていよいよ、彼らの声に、こう混ざり始めるのだ。
『殺せ』と。
「さあ、今こそ竜殺しの誇りを失った愚者を、玉座から引きずり下ろす時だ!」
ランヴァルドは勇ましくもそう言い放ち、つい先ほど自分達が逃げ出してきたその領主邸の扉を、抜き放った剣で指し示し……。
……その時だった。
竜の咆哮が、聞こえたのは。




