地下にて*8
「なあネール。何度も言うようだが、人助けってのは大切なことだ。困っている人が居たら助けてやるっていうのは、まあ、実に素晴らしいことで……」
ランヴァルドは全くの無駄であろう言葉を自らの精神の安寧のために吐き出しつつ……同時に、深い深いため息をも、吐き出した。
「だが何度も言うように、限度ってもんがあるんだぞ!人間のみならず、ドラゴンまで助けるってのは、その、どうなんだ!?」
尚、今、ランヴァルドは岩石竜の背の上に居る。
そして、癒しの魔法を使っている。
……ついでにネールは神妙な顔で頷いている。分かっているのだろうか。分かっていないのだろう。ランヴァルドは最早、途方に暮れるしかないのである!
そうして全くもって不本意なことに、ランヴァルドは岩石竜の傷を可能な限り治した。
ひとまず、これで一命は取り留めたと言えるだろう。後はドラゴンならではの生命力でなんとかしてくれ、と投げやりになるランヴァルドである。
それもそのはず、ランヴァルドにはもう、魔力が残っていないのだ。……本来ならば自分の治療に使いたかった分の魔力を、まさか、ドラゴンの治療に使う羽目になるとは!
「……まあ、これで良かったのかもな……」
げんなりしつつ、ランヴァルドは深々とため息を吐き……しかし同時に、安堵してもいた。
岩石竜はもう、ランヴァルドやネールを襲おうとはしない。時折、子ドラゴンをぺろりと舐めたり頬ずりしたりしつつ、ネールのことも同様に可愛がるような素振りを見せているのだ。そしてランヴァルドのこともまた、特に気にする様子もなく、存在を黙認している様子である。
ネールと子ドラゴンが何やら1人と1匹ではしゃいでいる様子を見て、ランヴァルドはいよいよ、訳が分からない。
だがまあ、ひとまず命は助かったのだろう。恐らく、考え得る限り最も、被害が少ない形で。
……なので、ランヴァルドは文句を言えない!言えないのである!助かってしまったので!
「……う」
さて。そんなランヴァルドは、少々吐き気と眩暈に苛まれていた。
ランヴァルドが殺しきれなかった呻きを聞きつけたネールが慌てて飛んでくるが、『大したことじゃない』と身振りで伝えてやりつつ、ランヴァルドは吐き気の波をなんとかやり過ごす。
「……魔力の使い過ぎだ。後は、この場の魔力に中てられてるか、だな」
幸か不幸か、吐き気と眩暈の原因は分かっている。単に、急に魔法を使い過ぎた。それだけのことで……ついでに、魔力が減ったり怪我をしたりで疲労が貯まったところにこの場の多すぎる魔力があるものだから、軽い魔力中毒を起こしている、というだけのことである。
「ったく、古代人ってのはどれだけ魔法が使えたんだかな。この部屋の中で体調を崩さずに居られる奴が今、どれぐらいいるんだか」
ランヴァルドは多少、魔力に弱い性質である。魔獣の森でもそうだったが、魔力の濃すぎる場に居るとどうにも、体調を崩す。
「……お前は大丈夫そうだな」
一方のネールは、けろりとしている。全く堪えた様子が無い。まあ、つまり、ネールは大丈夫なのだろう。ランヴァルドからしてみると羨ましい限りである。
「で……あっちも、魔力に関しては大丈夫そうだ。全く、羨ましいこったな」
ランヴァルドはぼやきつつ……ちら、と後ろを振り返る。
……そこには、相変わらず倒れたままのマティアスが居るのだ。
「よお、マティアス。悪いが怪我の治療はお断りだぜ。もとより、俺は俺を殺そうとする奴まで治してやるようなお人よしじゃないし……何より、魔力切れだ。ドラゴン相手に使い切ったからな」
挨拶がてらそう言ってやれば、マティアスはいよいよ、何と返していいのか分からないらしい。
……ランヴァルド自身、何故自分が岩石竜の怪我を治していたのか全く分からないが、マティアスにはより一層分からなかったことだろう。むしろ、未知への恐怖がある分、マティアスの方が状況の理解もとい状況を諦めるのが遅いらしい。
「一体……どんな手を、使った?後学のために教えてもらいたいものだね……」
「後学?お前に『後』があるとでも?まあ、後学のため、ってわけじゃないが、冥途の土産に教えてやってもいい。何が聞きたい?」
ランヴァルドは隠すこともなく喧嘩腰である。……流石に、自分の脚を引っ張る奴相手に遠慮は要らないだろう。
「全部だ。ランヴァルド。お前、一体、どこまで読んでいた?」
「ああ、要はお前がなんで負けたか、ってことか?そうだな……」
ランヴァルドが話す内容から何か情報を得ようとしているらしいマティアスだが、ランヴァルドは少し考えて、話してやることにした。
「幾らでも挙げられるが、まずは、そうだな……雇った賊に武器を支給するなら、せめて半数には横流しじゃないのを配っておくべきだった。賊の数を見誤らせておけば、ウルリカ達の警戒だってもう少しばかり緩んだだろうに……出くわす賊が悉く横流しの武具を使っていたら流石にバレる」
1つ1つ、思い出す。随分と酷い目に遭ったが、それでもランヴァルドがなんとかなったのは、そこかしこにマティアスの手落ちがあったからである。
「それから、領主様のことは病に見せかけたかったんだろうが、なら俺にバレない程度に分かりにくい毒を使うべきだったな。或いはいっそ毒殺を疑われてもいいと割り切ってさっさと殺しておいた方が良かっただろ。奥方を誑かす時間が必要だったっていうんなら、それはお前の技量不足だ」
『技量不足だ』と言ってやれば、マティアスの表情が憎悪に歪んだ。ランヴァルドとて、マティアスの腕が足りなかったとは思っていない。女を誑かして愛人の枠に収まる、という点においては、マティアスは実に上手くやった。これ以上を望むことは難しいだろう。
「ああ、更に言うならば、お嬢様に瓜二つのお嬢さんが現れることも想定しておいた方が良かった。ついでにそいつが、武神のように強いってことも」
ランヴァルドは更に無茶なことを言う。
想定しようがない。ネールの存在など、誰も想定できるはずがないのだ。そんなことは、ランヴァルドにもよく分かっている。
「おい……無茶苦茶なことを言うじゃないか」
「そうだな。無茶苦茶だ。理不尽だろ?だがその無茶苦茶な理不尽を、俺はやっちまったんだ。お前に敗因があったとすれば、ここに俺が来ちまったことで……俺がお前と手を組もうとするより先に、お前を殺そうと考えるように仕向けちまったってことだ」
世の中には想定しようもないことが起きたり、それによって酷い目に遭ったりすることも多い。ランヴァルド自身、そんなことばかりの人生を送ってきた。
だが……だからこそ、悪徳商人をやるのであれば、そんな『理不尽』と上手くやっていかなければならないのだと、ランヴァルドは思っている。
商談を反故にされるのであれば、どの相手に媚を売っておけばその分を補填できるか考えて実行すべきだ。金貨500枚分の積み荷を奪われるのであれば、即座に立て直すべく別の商売を始めなければならないし……家族に毒を盛られるのならば、毒の知識と耐性を準備しておかなければならない。そういうものだろう。
「俺は、俺を殺そうとした奴に優しくできるような度量は持ち合わせちゃいないんでね」
……もしマティアスの一番の落ち度を挙げるのならば、やはり、ランヴァルドを殺そうとしたこと。或いは、殺そうとしたのに殺し損なったことだろう。
悪徳商人をやっていくのならば、作った敵の処理を考えてから、敵を作るべきなのである。
「……へえ。貴族『だった』割に器が小さいじゃないか」
「ああそうだ。だから放逐されたのかもな。だが……それでも、だ。お前よりは余程、俺の方が上手くやれそうだ。え?どうだ、マティアス。お前もそう思わないか?」
ランヴァルドがそう言えば、マティアスはいよいよ嫌そうな顔をするので、ランヴァルドとしては少々楽しい。
自分を殺そうとしてくれた相手が今、自分のせいで嫌な思いをしている。これは中々の愉悦である!
「ああそうだな。僕をこの場で殺していかない辺り、甘っちょろい貴族らしさは板についているようだ」
「言ってろ、負け犬」
ランヴァルドはマティアスの挑発すら楽しく受け流しつつ……ちら、とネールを見る。
岩石竜の子をきゅうきゅうと抱きしめて喜んでいるらしいネールは……ネールならば、きっと、マティアスを殺すことを真っ先に考えるだろうな、と。
……だからランヴァルドは、マティアスを殺してはいけない。
さて。
マティアスが不機嫌になっていくにつれ、ランヴァルドは只々楽しい。その愉悦ついでに、ランヴァルドは『よっこいしょ』とマティアスをマティアスの衣類などを用いて適当に縛り上げていく。縄抜けされないように、少々特殊な縛り方をしつつ……。
「お前は連れていく。ありがたく思えよ。ついでに、自殺はしてくれるな。パーティーの余興が無くなるだろ?」
「……パー、ティ?」
マティアスがぽかんとしているのを見て、いよいよランヴァルドは笑った。
「おいおいおい!自分で開催を決めたパーティーだってのに、もう忘れたのか!?困るぜ、マティアス!近隣諸侯揃い踏み、豪華なパーティーになるんだろ?なら……当然、俺はそこでやらなきゃいけないことがある。だろ?」
恐らく、マティアスはこのあたりで死んでおきたかったところだろう。ランヴァルドもそうだが、お互い、死ぬより酷い目というものをある程度知っているので。
「お前に盗られた金貨500枚分の武具。あれの損失をどう埋めるべきか、領主様方にキッチリお伺いしなきゃな。……ついでに、お前に正しく沙汰が下ることを祈っておこう。ああ、それから……ステンティール領主邸には、拷問が得意なメイドが居るんだ。知ってたか?」
……ランヴァルドは無慈悲だ。だから、マティアスをここで殺していくよりは、連れて行った方がいいと判断した。
要は、マティアスを殺したことについて、逆恨みするような連中の情報は可能な限りウルリカ辺りに調べ上げてもらおう、という訳である。
ついでに、マティアスの隠し財産などがあれば、それを領主達の正式なお認めの元、ランヴァルドのものにできるかもしれないのだ。マティアスを『人道的に』生かして連れ帰る利は大いにある。
「この野郎……」
マティアスは、これから自分に起こることを想像したのか、青ざめた。だが、その悪態を吐く口も、ランヴァルドによって猿轡を嵌められればそこまでだ。ランヴァルドは、にやりと笑う。
「忘れたのか?悪徳商人なのはお前だけじゃない。俺もだ」
+
ネールは困っていた。
何せ、ランヴァルドはマティアスとの話が終わったらしく、マティアスを担ぎ上げようとしているし、一方で子ドラゴンは岩石竜の背中から離れようとしないし。
……ネールは子ドラゴンを連れていくつもりだった。かわいい子ドラゴンとまだ一緒に居たい。折角仲良くなれたのにお別れするのは、寂しい。だから、ランヴァルドがネールを連れ出してくれたように、ネールも子ドラゴンを連れて行こうかと思っていた。
でもそれは勝手だな、ということもまた、ネールは理解している。
だって子ドラゴンは、岩石竜から離れようとしない。……子ドラゴンは、ネールより親ドラゴンの方がいいのだ。
それを恨む気持ちは無い。元はと言えば、ネールが間違えて親ドラゴンの巣から持ってきてしまった卵の子だ。親元に返してやるのが筋というものだろう。子ドラゴンだって、その方が幸せに決まっている。
ただ……。
……ネールは、自分がもう親元に帰れないから、その感覚がよく分からないというだけだ。
ネールはランヴァルドの視線を背中に感じながら、そっと、岩石竜の親子に近付いた。
親ドラゴンは、ネールが近づくとじっと見つめてきて、ぺろ、とネールの頬を舐めた。……多分、この親ドラゴンは、ネールが親ドラゴンの子になりたいと言えば、ネールのお母さんになってくれるのだろう。
でも、このドラゴンは、ネールのお母さんではない。
……ネールは寄ってきた子ドラゴンを、ぷに、と抱きしめて、頬ずりした。ぷにぷにと柔らかい体が心地いい。ずっとこうしていたいくらい。……でもお別れだ。
ネールは子ドラゴンを離して親ドラゴンの鼻面にそっと乗せると、ランヴァルドの方へ向かって駆け出した。
背中に、きゅい、と子ドラゴンの声がぶつかる。でも、振り返ってしまったら寂しいから、ネールは振り返らずにランヴァルドの元へ駆け寄る。
ランヴァルドはネールが戻ると、少しほっとしたような顔をしていた。だからネールは、これでいいんだ、と改めて思う。ネールが戻ってくることをランヴァルドは喜んでくれるから、だから、ネールの居場所はここなのだ。
……『親子』が、羨ましくないわけではないけれど。
「よし、じゃ、戻るか。……ちょっとばかり重いが、仕方ないな」
ランヴァルドはマティアスを担いで、ネールに笑いかけてくれた。
……ネールならばここでマティアスを殺していただろう。だが、ランヴァルドはそうしないらしい。そしてそれはきっと、ランヴァルドが賢いからなのだ。ランヴァルドはネールが知らないことを知っていて、ネールが考えないことを考えられるのだ。
ネールも、『多分、殺すより良い解決策はあるのだろう』ということはうっすらと理解している。ただ、ネールはその答えを知らないし、実行する力が無いというだけで。
だからネールは、少しでもランヴァルドの荷物が軽くなるように……と思って、とりあえず、マティアスの靴を脱がせた。
「……何してるんだ?ネール」
靴は意外と重い。ネールはそれを知っている。ついでに、ズボンも結構重い。ネールはそれを知っているのでマティアスのベルトに手を掛け、しかし、マティアスは念入りに縛り上げられているのでズボンを脱がすのは難しそうである。
上着はロープ代わりになっているので良いとして、では、ズボンは切って脱がそう……とナイフを取り出したところで、ランヴァルドに、『やめてあげなさい』と言われたのでやめた。……確かに、ズボンが無くなったら寒いかもしれない。ランヴァルドは優しいな、とネールは思った。
マティアスを少し軽くしたところで、歩き出したランヴァルドの後に続いてネールも歩きはじめる。
きゅい、きゅい、と子ドラゴンの声は聞こえていたが、ネールは振り返らずに進む。
だが。
『見つけた』。
ふと、声が聞こえた気がした。だが、それは声ではない。
途端、ごう、と吹雪が吹き荒れた。
はっとして振り返ると……さっき、真っ二つに割れたはずの魔石が、凍り付いている。
「……は?おい、アレは一体……?」
真っ二つに割れたはずの魔石が氷によって補修され、歪にくっついている。そしてその歪な魔石はまた先程までのように、氷の刃を生み出し始めていた。
「お、おい、冗談だろ?まさかまた復活するってのか……?」
ランヴァルドが青ざめるのを見て、ネールは事の重大さを知る。
きっとこれは、ありえないことなのだ。
何の理由だったかはさておき、魔石は割れた。魔法は終わった。ゴーレムは再生しなくなった。それで、終わりだったはずなのだろう。
だというのに……割れた魔石をくっつけてまで、魔法が再び動き出そうとしている。
「いくら古代魔法だっつっても、限度ってもんが……」
ランヴァルドが呟き、岩石竜の親ドラゴンが唸って魔石を警戒する中……。
「見つけた」
今度こそ、声がした。
続いて、氷の手が、ネールへ伸びる。
ネールは咄嗟に動けない。聞こえた声が、なんだか……誰かの声に似ていた気がして。
「ネール!」
ランヴァルドがマティアスを放り出してネールに向かってくる。迫りくる氷の手はすぐ目の前にあって、しかし、ネールははっとしてランヴァルドへ手を伸ばした。
ぱくん。
……そして、そんな間の抜けた音が聞こえ、続いて、『きゅー』と満足げな声が聞こえて、それきりであった。
氷の手は気づけば消えていたし、ネールの視線の先には、先程までそこにあったはずの大きな魔石が無くなっていて……代わりに、満足気な顔をしている子ドラゴンが居た。
……子ドラゴンが、ゴーレムの核となる魔石を……食べてしまった!
食べてしまったのである!
食べちゃった!
あれは食べちゃっていいものだったのだろうか!なんか、駄目なやつだったんじゃないだろうか!ネールは大いに混乱した!
……ネールが混乱している内に、ランヴァルドが笑い出した。
親ドラゴンも、なんとなく笑っているように見えた。
だからネールもくすくす笑ってしまったし、さっきの声のことは、記憶から消えていった。
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