地下にて*3
護衛達がすぐさま動く。ある者は領主を守るべくマティアスとの間に割って入り、ある者はマティアスをより一層締め上げる。
だが。
「おおっと、放してもらおうか。ただのかすり傷だが、今のには毒を仕込んであってね。2時間もすれば毒が回って領主は死ぬぞ。さあ、解毒剤を知りたいんじゃないか?」
首を絞められながらもマティアスは、そう言って笑う。
そこでマティアスを取り押さえていた護衛の手が緩んだのだろう。その隙にマティアスは何をどうやったのか、するり、と縄抜けまでもをこなし、通路の奥へと逃げ込んでいく。
ウルリカをはじめとする数名が追いかけていき、ネールもまた、飛ぶようにそちらへ向かっていくのでランヴァルドも追いかけざるを得ない、が……。
「僕だってこの程度は仕込んでいるさ。醜い貴族に一撃くれてやる程度のものはね」
地下通路の奥まった場所、ただの行き止まりであるそこに立って、マティアスは笑う。
笑って、笑って……ふと、その笑いを収める。
「何が貴族だ。のこのこ出てきて罪人を憐れんで、そのせいでこんな失態を犯す。愚かだ。実に愚かだ。愚鈍な奴に治められていたステンティールが哀れでならないよ。そのせいで、この地は滅ぶんだからね」
「滅ぶ?何のことですか?あなたにそれができるとでも?」
ウルリカが敵意を露わにマティアスに詰め寄っていくが、マティアスはそれを見てまた笑うと、懐に手を突っ込んで……取り出したものを放り投げた。
「ほら、解毒剤が欲しいならくれてやろうじゃないか」
投げられた瓶が宙を舞う。
それは、誰よりも前に出ていたウルリカが捕まえた。……だが。
「いや、違うな!」
その後ろから、ランヴァルドが突進する。
マティアスは、完全に不意を突かれたらしい。それはそうだ。マティアスの知るランヴァルドはこういう時、自ら動こうなどとはしないのだから。
だがランヴァルドはそうした。そしてマティアスを石の床の上に蹴り倒して、その懐を漁り……。
「お前が素直に解毒剤なんて出すわけがない。だが、解毒剤を自分の懐以外に保管できる程、自分以外を信用していない。……だろ?」
瓶を取り出して、ランヴァルドはにやりと笑った。
ランヴァルドが瓶を放ると、それをもまた、ウルリカが受け取った。これで領主は大丈夫だろう。
マティアスは自分が毒を扱う時、自分の為の解毒剤を必ず持ち歩く性分である。あれが解毒剤ではないという可能性は切っていい。また、もしあれすらも解毒剤ではないとするならば、恐らく『毒を仕込んだ』というのも嘘だろうとランヴァルドは踏んでいる。
となれば、後は……マティアスをどうにかするだけだ。
「随分と『愚か』な真似をしたじゃないか。なあ、マティアス」
ランヴァルドは床の上に押し倒したマティアスを覗き込んで、尋ねた。
「……なんでこんなことをした」
正直なところ、納得がいっていない。
そう。ランヴァルドはマティアスの行いに、納得がいっていないのだ。
……マティアスがしくじった理由は、まあ、分かる。概ねランヴァルドのせいなので。
領主の毒殺が露見したのも、それ故に毒の証拠を押さえられたのもランヴァルドが来てしまったからである。ついでに、ネールとランヴァルドが来てしまったせいで警戒の対象が増えて、手を割かなければならないことが増え、諸々が上手くいかなくなった。それも分かる。
だがそもそも……『何故こうしようとしたのか』が分からない。
「金儲けのためだっていうなら、奥方を誑かすだけでよかったんじゃないか?なあ。或いはもっと単純に、鉱山をいくつか賊で押さえておいてからみかじめ料を取るんでもよかったはずだ」
……単に、金が欲しかっただけならもっとうまいやり方があったはずである。それが分からないランヴァルドではないし、マティアスだってそうだろう。
だが、マティアスはそうしなかった。
彼は領主を徐々に毒で苦しめて殺し、領主の一人娘をも狙い、数々の鉱山を賊に占拠させたが……そこまでして手に入れたいものが金だけだったとは、思えないのだ。
「なあ、マティアス」
「それは勿論、金のためさ」
だが、ランヴァルドの問いへの答えは、至極あっさりと返ってきた。
「知っているかな、ランヴァルド。この山には、ステンティールの封印がある。そして封印が解けた時、災いが齎されるらしい」
マティアスはこの後、ここから逃げられるでもないだろうに余裕すら感じさせる笑みを浮かべていた。
「だから、その封印を守るためにステンティールには貴族が要るんだそうだ。馬鹿げた話だとは思わないか?そのせいで、必要のない奴を崇めなければならないし、僕らが稼ぐ機会も失われる」
「だからこんなものは廃した方がいい。……その方が金になることだしね」
マティアスが笑って言ったその時……何か、マティアスが魔法のようなものを使った気配があった。
途端、炎が巻き起こる。炎はマティアスと兵士達を隔て、その隙にマティアスは地下通路の最奥へと向かっていく。
「……マティアス?お前が、魔法を……?」
嘘だろ、と思いながらも、ランヴァルドはどこか納得したような、そんな気分にもなる。
マティアスが魔法を使えることも、ステンティールを滅ぼそうとする理由も、貴族を厭う様子も、それら全てを説明できる理由に思い当たってしまったので。
「さあ、封印はこれで終わりだ」
マティアスは奥……通路の行き止まり、何か模様の刻まれた壁に触れた。
……どこか遠く深い場所から、ぴしり、と罅が入ったような音が聞こえた気がした。
途端、床に亀裂が走る。
そう思った時には、もう遅い。走った亀裂はあっという間にマティアスを飲み込み、マティアスのみならず、ランヴァルドやウルリカが居る所にまで伝わっていく。
落ちる。
……そう感じ取った瞬間、ランヴァルドは動いた。
一歩。たった一歩分だけ、間に合う。落ちる前に一歩だけは踏み出せたランヴァルドは……その勢いのままに、ウルリカを突き飛ばした。
「あ」
ウルリカの表情が驚愕に彩られる。氷のような色をした目が、『どうして』とランヴァルドを見つめていたが、それも一瞬のこと。
「マグナスさん!マグナスさん!」
ランヴァルドに突き飛ばされ、床の崩落から逃れたウルリカの声が、ランヴァルドの頭上から降り注ぐ。
『あわよくば俺も助かりたいんだが』と駄目元ながら伸ばした手は確かに床の石材の端を掴んだが、その石材もまた割れ砕けて、ランヴァルドの手は宙を掻く。
そうなってしまえば、後は早い。
頭上から聞こえていた声もすぐに遠ざかっていく。ランヴァルドはただ、落ちていくのみだ。
……だが、これでいい。どうせあの位置じゃ、ランヴァルドは助からなかった。それに、解毒剤を持っているのはウルリカだ。そして、あの領主が死んだ時、苦しむのは多くの民だ。
だからランヴァルドはこうすべきだった。
貴族として……否、貴族になろうとした者として。
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マティアスが笑いながら落ちていく。ランヴァルドもそれに巻き込まれて落ちていく。ウルリカが取り乱して、声を上げている。
ネールはその光景を見て……抱いていた子ドラゴンを床へそっと置くと、床の亀裂へと駆けていく。
そして誰に止められるより先に、床を踏み切った。
ぽん、と宙に躍り出てしまえば、もう怖くない。落ちるのだって、怪我をするのだって怖くない。
それよりも怖いのは……ランヴァルドに置いていかれてしまうことだ。
ネールはウルリカの声を頭上に聞きながら、どんどん縦穴を落ちていく。
時々、壁を蹴って跳んで勢いを殺す。こうやって下りれば高いところからでも大丈夫だと、ネールは森で学んだ。だが……こんなに深く深く落ちていくのは、生まれて初めてである。
どんどん暗くなっていく。明かりなんて何も持っていない。だからネールは、僅かに上から差し込む光と、それから微かな音の反響だけを頼りに壁を探り当て、蹴って、踏み切って、徐々に下へと落ちていくのだ。
……が、そんなネールにも分かりやすく、光が降ってくる。
きゅー、と声を上げながら落ちてくるそれは……光る石を咥えながら、わたわた、と落ちてくる子ドラゴンである!どうやら、子ドラゴンもネールを追いかけて落ちてきてしまったらしい!
ネールは慌てて体勢を整えて、なんとか、降ってくる子ドラゴンに向かって跳んだ。横から攫うようにして子ドラゴンを抱き留めれば、ネールの腕の中で、『きゅっ!』と驚いたような声を上げて、ぷにぷにの体を震わせる。
……その拍子にか、子ドラゴンが咥えていた石が落ちていく。だが、その石はやがて、ぽちゃん、と音を立てて転がった。
そう。穴の底……そこに広がる地底湖が、見えてきたのだ。
ネールは少し考えると、湖に落ちてしまわないよう、壁を伝って下りていき、ぽん、と身を投げ出し、床をころころと転がり、殺しきれなかった勢いを殺して……なんとか地底湖の湖畔に着地した。無茶な動き方をしたが、これができてしまうのがネールのネールたるところである。
腕に抱いた子ドラゴンは無茶な動きへの抗議のためか、『きゅい』と声を上げていたが、ネールはそんな子ドラゴンをぷにぷにぷに、と軽くつついて黙らせつつ……周囲の様子を探る。
ランヴァルドが先に落ちたはずだ。だから、ランヴァルドを探さなければならない。
ネールは微かにしか光の無い地底湖の湖面に目を凝らして、ランヴァルドの姿を探す。どこに落ちてしまったのだろう、と、必死に。
ばしゃ、と湖から音がしたので、ネールはそちらを見る。ついでに耳を澄ませて、音の主がランヴァルドかどうかを探る。
……水の音に混じって聞こえる呼吸や、それに混じる『畜生が』という悪態。それらを聞いていけば、ランヴァルドが泳いでこちらへ向かって来ているのだと分かった。
ネールは大喜びで湖岸へ駆け寄り、ランヴァルドを出迎える。光は無く、ランヴァルドからネールの姿はあまり良く見えなかっただろうが、岩石竜の子がネールの腕の中で『きゅう』と鳴けばランヴァルドも気づいたらしい。
「おい……ネール、お前、来たのか……?」
やがて水から上がってきたランヴァルドを前に、ネールはこくこくと頷いて、ランヴァルドに笑いかけた。
……置いていかれなくてよかった!
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