探り合い*3
さて。
ダンスの練習を始めたその日の内であったが……ランヴァルドは、ネールを見て舌を巻く思いであった。
「お前……大したもんだな」
音楽を口ずさみつつ練習の様子を見ていたウルリカも、目を円くしてネールを見つめている。それはそうだ。何故ならば今、ネールは……ランヴァルドと共に、一曲、見事に踊りおおせたのだから!
「悪くない。お前くらいの歳頃のご令嬢なら、これだけできれば上出来だ」
ランヴァルドが心からの賛辞を送れば、ネールは嬉しそうにぴょこぴょこ跳ねた。……ダンスの練習を何度も繰り返した後にぴょこぴょこ跳ねる元気があるのだから、ネールの体力は無尽蔵なのかもしれない。
ネールはやはり、賢い。
見たものがあれば、それを覚える。見たものを手本に自分の動きを構築できるようだ。
無論、粗はある。頭を働かせることはまだ不慣れな様子であるし、『客観的にはどう見えるか』までは意識しきれないようであるし、そもそも、見て覚えるべきものを判断する能力には欠けているように見える。まあ、それは仕方が無いだろう。だからこそ、ネールはカルカウッドで浮浪児同様の暮らしをしていたのだ。
……だが、誰かがネールを導くなら、その限りではないのだ。
ネールに、覚えるべきことがどれかを教え、学び方を教え、そして、一緒にやってみてやる誰かが居さえすれば……ネールは、恐ろしい速さでそれらを習得してしまう。特に、ダンスのように、体を動かすことに関しては、尚更だ。
「……お前、お嬢様の素質があるぞ」
跳ねて喜ぶネールを更に褒めてやりつつ、ランヴァルドは小さくため息を吐く。
……この人材を、自分は無駄なく利用することができるだろうか、と、少々怖気づきつつ。
ダンス以外にも覚えることは山のようにある。
特に、今回は立食パーティーであるらしいので、その作法を一通り教えるのが大変だった。
何せ、パーティー会場は今ここには無い。ウルリカがなんとかそれらしく練習用の場所を作ってはくれたが、やはり、本番と練習とでは雰囲気が違うだろう。
ネールは見て覚えるのは得意だが、想像上のものを頭の中で組み立てて、そこから何かを学ぶ、ということはまだ苦手なようだ。よって、ここには不安が残る。
「……まあ、パーティーの時は、俺が傍にいることにしよう。そうすれば多少は粗があっても誤魔化せるだろ」
結局のところは、ネールの傍に誰かがついていて、ボロが出ないように……或いは、ボロが出ても拾って隠してしまえるようにしておく、ということになる。まあ、ダンスとは違って、立食や談笑の場では、いくらでも傍にいることができるわけだ。当然、ネールを1人きりにするつもりは無い。
「ところでネール。お前、ドレス着てても戦えるだろうな」
また、もう1つ更に心配なことがあるとすると……慣れない環境、慣れない格好のネールが、いつものように戦えるかどうか、というところだ。
ネールを襲いに来る者が居るであろうと予想される以上、ここだけは何が何でもやってもらわなければ困る。ランヴァルドはまだ、ネールを失う訳にはいかないのだ。
「いざとなったら、ドレスは破いてしまっても構いませんので」
「そういうことだ。できるな?ネール」
ネールに確認してみたところ、ネールは『ドレスを破くなんてとんでもない!』というような、愕然とした顔をしていたが……。
……不安である。
「いっそのこと、パーティー会場を告発の場にしてしまいましょう」
ネールの休憩中、ウルリカが事の進捗を報告するついでに、そう提案してきた。
「間に合うんですか」
「そうですね、かなり厳しいですが……それでも、近隣諸侯がお目見えになるというのであれば、これ以上の機会はありません。この機会を利用し、マティアスの悪事を告発します。そして領主様のお裁きを知らしめるのです」
どうやら、マティアスの悪あがきを逆手にとってこちらの武器としてやるつもりらしい。大した女傑である。ランヴァルドは『こういう人がファルクエークにも居たらよかったんだが』と内心でひっそりと思う。
「ああ、いいですね。とてもいい。あの野郎に大恥をかかせてやりましょう」
「そうですね。まあ、恥で済むとは思えませんが……」
……まあ、ランヴァルドにもそのくらいは分かる。
マティアスは処刑が妥当だろう。領主の暗殺を試みていたのだから。……マティアスの命運もここまで、ということになる。
それについてランヴァルドとしては多少は思うところがあるが……口には出さない。口に出せばいよいよ、迷いになってしまう気がするので。
「……ところで、領主夫人も一緒に裁くことになりますが、それはいいんですか」
迷うといえば、もう1つある。それは、事の全てではないにせよ、少なくとも一部はマティアスと共謀していると見られる領主夫人についてだ。
マティアスを告発して裁くとなれば、領主夫人もそうせざるを得なくなるだろうが……。
「覚悟の上です」
ウルリカは鉄面皮を崩さずそう言った。
「エヴェリーナ様にとっては実の母親ですが……愛人とのひと時の恋に目が眩み、娘の真贋すら見抜けない者を、母親として傍に置いておくべきでしょうか」
「……どうでしょうね。本人次第のような気もするが」
「私なら、そんな母親は不要です」
ウルリカの、すぱりと物事を断ち切るような物言いにランヴァルドは感心するような、少しばかり怖いような……それと同時に、何か、憐憫のようなものをも感じ取る。
「……何か、そういったご経験が?」
「人に話すことでもありませんので」
ウルリカは相変わらずの鉄面皮である。が……まあ、ウルリカを見ていればなんとなく察せられることではある。
彼女の本業はメイドではなく、密偵や護衛の類……悪く言ってしまえば、裏稼業の者だ。
まだ若い娘がこんな技能を身に付けているとなれば、まあ、生い立ちは概ね、察せられるところではある。親に売られたか、はたまた、元々そういう者が親だったか。大方、前者であろうが。
ということで、ウルリカはウルリカなりに、思うところがあるのだろう。ランヴァルドとしても、そのあたりに深く切り込む気はない。ランヴァルドだって生い立ちに少々色々ある身だ。お互い様、ということにしておきたい。
「まあ腐っても領主夫人ですからね。処刑にはなりますまい」
「ええ。……その後のことは、エヴェリーナ様がお決めになることです」
「そうですね。まあ、あのお嬢様は聡明でいらっしゃるようだから……何とでもなるでしょう」
ウルリカと共に見つめる先で、ネールは1人、ダンスのステップの練習をしている。……本物のエヴェリーナであるならば、この場で何を言うだろうか。
一応、報告は行っているのだろうが……幼い彼女がここに居ないことが、幸福なことなのか不幸なことなのか、ランヴァルドにはどうも、判断しかねるところだ。
だが……鉄面皮を崩さないながら、その目が妙に心配そうに揺れているメイドの姿を見れば、『まあ、こういう人が傍に居るんだからなんとでもなるだろ』と思える。
エヴェリーナお嬢様は、幸福だ。少なくとも、こうして案じてくれる味方が居るのだから。
+
その日もネールはダンスの練習をした。
どうも、明日、パーティーが開かれて大勢の人がやってきてしまうらしい。だからネールは頑張らねばならないのだ。
ランヴァルドは、『こっちの準備はギリギリになるだろうな。ウルリカ達が頑張ってるらしいが……』と零していた。そして、その『ギリギリ』のところで間に合うように、ネールが時間を稼ぐのだ、とも。
……少し、緊張している。ネールが上手くやれなかったら、ランヴァルドに迷惑を掛けてしまうかもしれないのだ。
マティアスという悪い奴をちゃんと捕まえるためには、ネールがボロを出してはいけないのだ。ネールの存在は、こちらの弱みなのである。だからネールは、頑張らなければならなくて……。
……そう思い悩みつつ練習をしていたネールの耳に、ふと、音が聞こえた。
そう。微かではあるが……何かが罅割れるような音が聞こえてきたのだ。
ネールは、はっとしてすぐ、音の出所を探す。だが、扉も窓も、特に何も無い。
「どうした?ネール……ん?今、何か聞こえたか……?」
ランヴァルドにも同じ音が聞こえたらしい。ネールは慎重に、周囲の気配を探る。絶対に、ランヴァルドに危害は加えさせないぞ、と。
……だが。
「これ……お前の背嚢から聞こえてきてないか?」
ランヴァルドの言う通り、ぱき、ぴき、というような音は、部屋の片隅に隠すように置いてあるネールの背嚢から聞こえてきている。
背嚢の中には、ネールがあの洞窟で拾ってきた宝石が沢山詰まっているだけなのだが。ネールは不思議に思いつつ、背嚢を開けてみて……。
「……おい、ネール。お前、なんてもんを持って帰ってきたんだ」
一緒に覗き込んだランヴァルドが表情を引き攣らせている。そしてネールは、大変に衝撃を受けている!
だって、だって……つやつや丸くて綺麗だな、と思った石の玉に、罅が入っているのだから!
折角の石が割れてしまう!と、ネールは慌ててその玉を取り出して眺めてみる。だが、入っていく罅は、止まる気配が無い。……だが、ランヴァルドは玉に罅が入る様子を見て呆れているばかりだ。
「ネールお前、それを瑪瑙か何かの玉だと思ったんだな……?」
更に、ランヴァルドはそう、呆れたように聞いてきた。めのう、というのが何かは分からないが、綺麗な玉だと思ったのは確かだ。ネールはこくりと頷く。
……すると。
ぱきり。
ネール達が見ている前で、瑪瑙の玉が2つに割れた。
そして……。
「……これはな、ネール。多分……岩石竜の卵だ」
玉の中から現れたのは、小さな……ネールの膝の上に乗るくらいの大きさの、ぷに、と柔らかな子ドラゴンであった!
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