令嬢誘拐未遂*3
「……それはまた、随分と危険が伴う仕事だ」
ランヴァルドは慎重に言葉を発し、考える。
……この危険な儲け話……『危ない橋』を、どう、上手く、かつ美味しく渡り切るか。ここは、悪徳商人の腕の見せ所だろう。
「危険は承知の上よ。けれど、あなた方はお強いようだから……その」
「まあ、多少の賊相手ならば、なんとかできるでしょうね。失礼ですが、お嬢様ご自身の武術のご経験は?」
「魔法を勉強中よ。少し炎を操るくらいならできるわ」
成程。つまり、ほとんど戦えないお嬢様だという訳だ。だからこそ、身代わりが欲しいということなのだろう。ランヴァルドは納得しつつ……お嬢様の隣に控えているメイドを観察する。
……銀髪を後頭部でまとめているところも、氷のような薄青の瞳をしているところも、何よりその動かない表情が、冷たく見えるメイドだ。だが、その体の軸がぶれないところも、手に水仕事由来ではないであろう傷があるところも見れば……彼女はそれなりに戦えるのだろうと推察できる。
それから恐らく、馬車の御者台に居た者も護衛なのだろう。まあ、お嬢様が非戦闘員だけと一緒に旅をしているとは思い難い。ランヴァルド自身も、自分の生家で『傍目にはそうとは見えない護衛』の類を数名抱えていた記憶があるだけに、彼らの実情も概ね、察することができた。
「それで、どうかしら。やって頂けるかしら」
令嬢エヴェリーナは身を乗り出し、心配そうにランヴァルドを覗き込んでくるが……ここですぐに快諾するわけにはいかない。
「……情報があまりにも足りませんので、現状では判断がつきませんよ。どの程度の危険があるのか、どの程度の報酬が得られるのかも分からずに取引をするほど向こう見ずではないのでね。……もう少し、事情を説明して頂けますか?」
もし、この話を断らなければならなくなったとしても、先に手に入れた情報だけはそのまま持ち帰れる。ランヴァルドは先に頂けるものは先に頂きたい性分なのだ。
エヴェリーナは少しばかり、隣で控えていたメイドとひそひそと話し合っていた。『どこまで話すか』を決めているのだろう。
だがそれも、大凡のところは既に決めてあったのかもしれない。案外早く2人の話は切り上げられた。
「ええと……事情、だったわよね。ではまず……あなた、ステンティール領内に賊が増えているのはご存じかしら」
「ええ。まあ」
賊が増えている、ということなら納得がいく。何せ、カパーストンから宿場までの道程で、1日に3回も賊に襲われたランヴァルドなので!
それに加えて……鉱山を占拠する賊を退治したのも、つい2日前のことだ。記憶に新しい。あれも賊が増えたことによるものなのだろう。
「ステンティールは今、急激に治安が悪くなっているみたいなの。それは賊が急激に増えたからで……何故急激に増えたのかといったら、誰かが手引きしているからだと思うわ」
「それは……」
だが随分と物騒な話が続いてしまい、ランヴァルドは少々、怯む。
……ただ賊が増えているだけならいい。生活が厳しく、賊に堕ちざるを得ない領民が増えているのだろう、と解釈できる。それならそれでいい。対処は『援助』か『制圧』かのどちらかだ。
しかし賊が『誰かの意図によって』増えているのだとしたら……それは、大変なことである。何者かがステンティールの転覆を目論んでいる、ということに他ならない。
そして……もし、今、ランヴァルドがこの情勢下でステンティールを傾けるとしたら……その意図するところは『武具の値を吊り上げたい』といったところだろう。
色々と話が繋がってきた。
カパーストンで聞いた情報には、『武具の類はステンティールで先に買われてしまっているので好き勝手には流せない』というようなものもあったが……ステンティールで武具を買い集めている者が居る、と考えられる。
そして、武具の在庫を十分に確保できたなら……そいつが次に介入するのは市場だ。ただでさえ買い占めで武具が品薄になっている市場に、更に『ステンティールは治安の悪化によって他領に武具を流す余裕がなくなった』となれば……武具の値はいよいよ吊り上がるのだ。
……まあ、ステンティールに賊を呼び込んでいる何者かが居たとして、そいつがランヴァルドと同じような悪徳商人であるとは限らないので、大凡は憶測でしかない。
カパーストンで聞いていた武器の品薄に関しても、ステンティール領主やステンティールの大商人が市場の混乱を防ぐために一度武具を買い集めてから分配するようにしている、といった理由ならまるでおかしなところが無い。或いは単に、ステンティール領主が治安維持のために武具を必要としているからか。
……と、ランヴァルドが推測していく横で、令嬢エヴェリーナの話は続く。
「今、ステンティールは大変なの。なのに……お父様が、ご病気で……」
どうやら、ステンティールのこの状況の悪化は、領主の不調によるところも大きそうである。
そう。元々、ステンティール領は治安のよい地域であった。人の良い領主が領内の治安維持のために投資を惜しまず、街道を整備し、鉱山を発展させて職の無い者を斡旋し……と精力的に動いていたからである。
だが、その領主が病床に臥せっているというのであれば、この状況にも納得がいく。
「では今、ステンティールの執政は、補佐官か誰かが?」
「いいえ……その、お母様が。補佐官を1人、新しく雇って……」
……この情勢で随分と下手な舵取りをしているのは誰だ、と思って尋ねてみれば、どうも、領主夫人その人であるらしい。が……どうも、エヴェリーナは歯切れが悪い。ついでに、控えているメイドもなんとなく、気まずそうにしている。
となると……ランヴァルドは『その補佐官、領主夫人の愛人か何かじゃねえだろうな』と厭な予感を覚えないでもないのだが、それはそれ、である。今は関係がないのでそっと忘れることにした。
「それで……私、狙われているの。多分、私の血が欲しい誰かが居るんだわ。ステンティール領主の血は、ステンティールの古い封印の鍵になっているのよ。だから私にも、封印の鍵としての力があるはずなの」
「封印?」
何やら物騒な話がまた出てきたぞ、と思いつつ聞いてみれば、エヴェリーナは真剣な顔で頷いた。
「ええ。ステンティールには大きなお山があるでしょう?そこに封印された災いは、ステンティール領主の血が封印しているのよ」
……ランヴァルドは『これ、俺が聞いてもいいやつか?』と心配になったが、メイドは特に何も反応しない。流石の鉄面皮である。
「だから私、何としても生き延びなければならないの。お父様がご病気で……命が危ないというようなら、私が唯一生き残ったステンティールの血よ。私までもが死んでしまったら、ステンティールに災いが……」
災い、というと一体何が起きるのだろうか。……まあ、その『災い』の詳細は、エヴェリーナは勿論、ステンティール領主本人に聞いても分からないだろう。その『封印』とやらが行われたのも、今から何百年も前のことなのだろうから。
古い名家にはよくある話だ。貴族に魔法の適性が出やすいというのも、元々は、その地域の要となる力を受け継ぐ者がその地を治めていたからに他ならない。貴族が魔法を使いやすいのではなく、魔法に適性のある者が貴族となったのだ。まあ、今はその限りではないが、その名残は確実に在る。
「しかし、賊は屋敷の中にまで入り込んでいるようなのです。このままではお嬢様の安全を確保できませんので、なんとか屋敷の外へ逃がさねば、と」
「で、そこをまた賊に襲われた、と」
「ええ」
ランヴァルドは『成程な。俺達が襲われ続けたのも、ネールがさっき攫われかけたのも、ネールの顔を見てエヴェリーナお嬢様だと勘違いした奴が居たからか』と察した。『お嬢様がこの街道を通ってこっちへ逃げる』と予め漏らす間者でも居れば、街道の途中に賊が大量に居たことも説明がつくのだ。
「そういうわけなの。だから、誰かを頼ろうにも、難しくて……私の身代わりをお願いしたいの」
そうして話は最初へ戻ってきた。
……賊が居る。領内に居る。ついでに、屋敷の中にも。
これは非常に危険な条件だが……同時に、敵の中枢、或いは中枢に近い何者かが、ステンティール家の屋敷の中にすでに紛れ込んでいる、と考えられる。となれば、おのずと犯人は絞られるのではないだろうか。
「……身代わりは、いつまで?永遠にはお供できませんが。この一件について、何か解決の策がおありですか?」
大方、『ある』のだろう。そう踏んで尋ねてみれば……エヴェリーナはにこにこと笑って、そして、控えていたメイドが半歩、進み出た。
「ええ。犯人の目星はついているのよ。後は……彼が一連の騒動にかかわっている証明を手に入れるだけ。そしてそれは……私のメイド、ウルリカがやってくれるわ」
……成程。この鉄面皮のメイド、護衛でもあり、密偵の類でもあるらしい。
「だから、そんなに長い間、身代わりをお願いするわけじゃないの。長くてもひと月かもう少し……それ以上待たせるようなら、先にステンティールが滅んでいると思うから」
「まあ、そうでしょうね……」
不敬とも受け取られかねない台詞を呟いてみれば、案の定、メイドのウルリカは少々鋭い目を向けてきた。だが、エヴェリーナ本人は、『そうなのよ』と頷くばかりである。
……さて。
ランヴァルドはここまで聞いて、いよいよ判断を下すことになる。
情勢は不安定。危険であることは間違いない。何より、厄介ごとに自ら首を突っ込む所業だ。
……だが。
「成程。分かりました。お引き受けしましょう」
それでも、ここは乗るしかあるまい。
ランヴァルドは悪徳商人。使えるものは何でも使って、稼げるだけ稼ぐのだ。
「本当!?ああ、なんてお礼を言ったらいいのかしら!」
「ただし、こちらからも条件が3つほど」
早速、喜びに声を上げるエヴェリーナの前に手を立てて、ランヴァルドは商人らしく、『契約』を詰めていく。
「1つ目。お嬢様が避難される先を、ハイゼル領ハイゼオーサの領主邸へ変更して頂きたい」
「は、ハイゼルの?」
「ええ。……領主バルトサールは公平、公正な方だ。そしてまあ……私は彼に1つ、貸しがありますので。『ランヴァルド・マグナスからの頼みだ』と伝えて頂ければ、きっと、お嬢様を助けてくださるでしょう」
……条件の1つ目は、賭けの勝率を上げるためのものである。
当然だが、この『危ない橋』は、エヴェリーナが生存したまま渡り切る必要がある。エヴェリーナが死んでは意味がないのだ。
よって……遠くの親戚になど、頼らせない。エヴェリーナには、ハイゼルへ逃げてもらう。
ここからハイゼオーサまでは、3日程度の道程だ。……途中で人助けに明け暮れなければ。移動距離が短ければ、当然、危険も少ない。
また、ステンティール領内では既に、敵の支配下に下っている者も多いだろう。特に、頼れる親戚筋がもうそこしかない、となれば、それを見越して賊を待ち伏せさせておく程度のことはできてしまうはず。
……そこで、ハイゼルだ。
エヴェリーナと全く接点の無いハイゼルへ避難することなど、敵は予想できないはず。距離といい、相手がステンティール領の支配を受けないことといい、エヴェリーナが逃げるには、丁度いい。
……ついでに、ランヴァルドが恩を売ることができる。ハイゼル領主のバルトサールに対して、『貴殿が追い出したランヴァルド・マグナスは今日も善行を積んでいるぞ』と圧を掛けてやる効果も大きい。つまり、いいことづくめなのだ!
「2つ目ですが……報酬をお約束頂きたい。後から反故にされる訳にはいきませんので」
「分かったわ。何がお望みなの?」
「ステンティール領との末永いお付き合いを。そして末永いご愛顧をお願いしたい」
「そうなのね。あなた、商人さんだって言っていたものね。分かったわ。お父様にもお伝えするわ。そして私自身も、きっと、あなたの売るものを買うし、あなたが買いたいものをできるだけは融通するわ。……あなたが嘘を吐いたり、私達を裏切ったりしない限りはね」
そして2つ目には、商人が最も欲しいものの1つ……『縁』を頂く。
今後、ステンティールの武具を売り捌きたいとなった時、後ろ盾として領主令嬢が居てくれれば大変にやりやすい。……特に、この冬、そしてその先もずっと、治安の悪化は続きそうな気配があるので。
「そして3つ目に、もし、この問題が全て解決できたなら……その時には、名誉を賜りたい」
……そしてがめついランヴァルドは、ハイゼルで手に入れそこなったそれを望む。
「お嬢様をお守りした者への褒美として、白刃勲章を賜れたのなら、私はそれで十分です」




