59.妻の涙(1)
デーセオは屋敷と飛竜舎とを往復する生活を送っていた。元々、結婚する前はそのような生活であったため、苦ではないようだ。
レーニスはこのフルヘルト領のために祈りを捧げていた。個人にではなく、土地に祈りを捧げるという方法もあるとわかったのは、書庫からもってきた一冊の本がきっかけだ。このメランド城には歴史がある。そうやって歴史を紐解いていくことによって、聖なる力のあり方と使い方を理解していく。
残念ながら神殿ではそのようなことは教えてくれない。
聖女様が聖なる力を持った人間を見つけると、神官たちによって神殿の中に閉じ込められてしまう。神殿の中と外。神殿の中に入ってしまえば、外で起きていることなどわからない。
聖女候補となった聖なる力を持つ女性たちは、その力がどのようなことに適しているのかを聖女様や神官たちによって判断される。レーニスの力はとにかく広く浅く。特化した能力はなかったが、様々なものに向いていた。
成長を促し、治癒を施し、感謝を与え、幸福を願い、そして解毒と解呪。
広く浅くとは言っているが、そもそも持っている力の質と量が違う。そして解呪ができる聖女様や聖女候補が少ない。そのため、レーニスが主に解呪を担当していた。
だが神殿は拒めなかったのだろう。いや、拒みたくなかったのだ。金を詰んでレーニスの祈りを希望する禿エロ親父たちを。だから、あのパエーズ卿なんかはレーニスに会うことを目的に三日に一度神殿を訪れていたのだ。
聖女様が国の平穏と民たちの幸せのために祈りを捧げるのではなく、神殿に金を落とすために祈りを捧げていたという事実。
それがいつからかはわからない。レーニスが神殿に足を踏み入れた時からそうだったのだから。
それでも聖女に救いや心の拠り所を求める民たちは多い。誰だって悩むし、気持ちが沈むときがある。だからこそ、背中を押して欲しい時はあるし、静かに寄り添って欲しい時もある。誰だって、のはずが、いつの間にか金持ちのみ聖女に救われるようになっていただけ。
だからこそレーニスは、お金の無い民たちにもわずかでありながらも祈りを捧げていた。そうやって背中を押された民たちは、新たな生きがいを見つけ、自分の足で立ち上がろうとする。
――腐りきった神殿から膿を出し切りたい。
デーセオが真面目な顔をしてレーニスに伝えた言葉はそれ。このクレイデル王国を隣国サライトから護ると同時に、神殿の考えを一掃したい、と。
同時にできることなのかわからないけれど、レーニスは夫の考えに賛同した。だからこそ、この聖なる力を、国を護るために使う、と決めた。
「レーニス様。手紙が届いております」
静かに本を読んでいるレーニスの元へ手紙を届けにきたのは執事のジョナサン。彼はいつも穏やかな笑みを浮かべている。デーセオが言うには鉄仮面とのことらしいのだが、恐らく穏やかな笑みの鉄仮面なのだろう。
「ありがとう」
レーニスが礼を言ってそれを受け取る。封を切られているのは、中身を確認されたためだそう。危険なものが同封されていないか、とか。恐らく、それを行っているのはデーセオ本人。使用人たちではない。夫に読まれて困るような手紙はこないはずなので、夫に文句を言うようなことはしないのだが。
「レーニス。手紙を読んだか」
と、先に手紙を読み、こうやって妻を心配してくるところが彼らしいというかなんというか。
「旦那様。落ち着いてください。ジョナサン、旦那様にお茶を」
承知しましたという穏やかな笑みのまま、ジョナサンはお茶を準備する。
「これから読むところです。私より先にお読みになったからって、そうやってすぐに興奮なさらないでください」
ビシっとデーセオに言う姿は、犬の躾をしているようにも見えなくはない、と思っているのはジョナサンである。
デーセオはジョナサンが淹れたお茶を手にする。
「熱いですよ」
とジョナサンが言うのと。
「あ、あちっ」
とデーセオが言ったのはほぼ同時だった。レーニスがいつもゆったりとお茶を嗜んでいるため、少し熱めにお茶を淹れるようにしている、というのがジョナサンの言い訳ではなく事実。
そしてこれが愛する妻の好みであるなら仕方ないと受け入れてしまうのが妻に惚れているデーセオという男なのだが。お茶を飲みながらも、横目でちらちらと妻の様子を伺っているのも、この男。




