こんなの! 石につまずくまで全部、計算してたんだからな!①
日差しに白く照らされた窓辺へ、黄緑色の小鳥が舞い降りた。
チチチ……チュルル……
どうにも癪に障り、クライドは舌打ちをひとつ、空いている椅子を蹴り付ける。
ガガッと、石床をこする音が響き、小鳥は飛び立っていった。
食卓部屋の壁には、昨日殴った跡がある。
漆喰が拳の形に崩れ落ち、日干し煉瓦があらわになっている。
自然とアエルの泣きっ面が頭をよぎり、鼻で笑い飛ばした。
「足手まといが消えてくれて、やっとまともに動けるってわけだな。……ったく、今まで何だったんだよ」
ネルウェンが前髪に触れる。藍色に混じる白い一房が目を引いた。
口を開くつもりはないようだ。
「ふんっ」
自慢の粗金の髪が耳に触れ、丁寧に撫でつけた。
玄関扉をいちべつし、むず痒くなった眉間を寄せる。
「だいたい、あいつの性格、冒険者に向いてると思ってんのかよ! 遠出もできねえ、難しい仕事も回せねえ、邪魔しかしてねえだろ!」
口を動かしながら、がしがしと砥石を刃先に滑らせた。
幅広で長めの直剣――冒険者用の剣だ。
仕事がなくなっても、手入れを欠かしたことはなかった。
小さな息遣いが室内に漂う。
しばらくして、コトと木製のカップが卓に置かれた。
「アエルの治癒魔法なしで、本当に……なんとかなるのか」
ジェイスキンの手は力を込めたまま、わずかに震えていた。
ひげ面に似合わず、大きな体格が丸まっている。
「当たり前だろ」
クライドは言った。
「考えてもみろよ。いままでアエルの魔法が役に立ったことなんて、一度もなかっただろうが」
シャリ……シャリ……
鍛えられた鋼を、砂石がすべる。
「……そう、かもしれないが」
消え入りそうな声を、大きめの研ぎ音でかき消した。
力が入りすぎて手元が狂う。
手の端がわずかに切れていた。
「いいか……」
砥石を置く。
「今まで治癒魔法が必要だった場面なんて、なかった。治療なら教会で間に合うし、足並み崩すくらいなら、最初から身軽な方がマシだ」
扉は締め切られたままだった。
だからこそ、さらに口が開く。
「なんなら怪我なんてしなければいい。いいか、俺たち三人で十分なんだよ」
返事はない。求めているわけでもない。
しかし、肌に湿気がべたついた。
握りつぶす勢いで、砥石を持ち直す。
すると、横から「はあ」とわざとらしいため息がした。
「あのさ、クライド。強そうなことばっかり言ってるけど、扉見すぎ。そんなの、気にしてますって顔に書いたようなものじゃん。プライドなのかわかんないけどさ、僕たちまで巻き込まないでくれる?」
息が止まる。
ネルウェンはほおづえをついていた。
「ちげえよ! 音がしたような気がしただけだ。勘違いだった。それだけだ」
いつものように毒気を吐く姿にはがみする。
アエルがいるときだけ笑顔を貼り付けるが、それ以外には隠しもしない。
「クライド……。剣、研ぎすぎだ。そんなにやると、刃が欠けるだろう」
ジェイスキンは背を丸めたまま、ボソリとつぶやく。
顔が熱くなり、砥石を卓に叩きつけた。
……言葉が詰まる。
そんな胸のつかえを、無理やり押し流すように声を張った。
「大きなお世話だ!」
漆喰の剥がれた壁から、土くずが落ちる。
しかし、二人は肩をすくめることすらしない。
「うるさいって。まあ、クライドって……怒鳴ったり壊したりするのは得意だけど、直すのは苦手だよね。たとえば、壁も。関係も」
思わず拳を握りしめる。
それを、ジェイスキンに半分閉じたような目で見つめられた。
「っくそ! なんだよ、何かあるなら堂々と言えよ!」
もそりと揺れながら、口ひげが開く。
「クライドはいつも言葉が足りない。冒険者やめろじゃなく、危ないことはやめろと言えば良かった」
喉が鳴った。
それがなぜかはわからなかった。
「お前も便乗したじゃねえか。何が新しい生き方だ。誤解するような言い方しやがって」
ジェイスキンはひげをもごつかせ、視線を横に流した。
「俺に口のうまさを求めるのは、違うと思う。それに、ネルウェンがいつもの変な病気を出さなければ……こんなことにはならなかった。そうじゃないか?」
ネルウェンが椅子の背に軽くもたれる。
「変な病気って言い方は良くないよ。教育って、ちゃんとした人間になるために必要なんだ。あの子には清楚さを身につけさせるべきだと思っただけ。……僕たちのためにもね」
軽く視線が向けられ、背中がかゆくなる。
どうにも、舌に苦みを感じた気がした。
「うるせーぞ、清楚厨! お前の趣味にアエルを巻き込むんじゃねえ! 中途半端に洗脳まがいのことをするから、あいつが妙なポンコツになっちまったんだろうが!」
ネルウェンはわざとらしく、耳に指を突っ込んだ。
さらにまくしたてようとすると、すいと手で制される。
「清楚であることが魅力なんだよ。女の子らしい振る舞いってのは、心を映す鏡なんだ。あの法衣を着せて違和感を感じさせなくしたのは僕の成果だし。毎日眺めてたくせに」
話しながら、目が据わっていた。
まばたきは止まり、何を見ているのかわからない。
「……それに比べて、ジェイスキンは最悪だ。被虐趣味に付き合わせるから、アエルの距離感がおかしくなった。あんなに気安く触るのは清楚じゃない」
ジェイスキンが飲んでいた水を吹き出した。
湿ったひげを拭いながら、隠れて見えない口を開く。
「誘導なんてしていない。のびのびとしているのをただ見ていただけだ。それに、しっかりと礼儀についても教えていただろ」
ネルウェンが勢いよく立ち上がる。
「あんなの、言葉攻めを覚えさせてただけじゃないか。ひげを引っ張っていいですか。なんて礼儀あるわけないだろ」
ジェイスキンも卓に手を置いて立ち上がる。
「アエルがはねっ返りになったのは、クライドだ。昔からきつく当たっていた、だからあの性格になったんだろう」
クライドも椅子を蹴立てて立ち上がった。
「俺はあいつを守ってやってたんだよ! いつもちょろちょろして危なっかしいから。俺が育てたんだ!」
絡み合うように視線がぶつかる。
熱が満ちて、影が踊る。
クライドが、先に声を上げたはずだった。
「よくもポンコツにしやがったな、清楚厨!」
「距離感がバグったのは、どっかの被虐趣味のせいだ!」
「クソガキになったのは、クライドが悪い!」
ギシリ……と、歯が鳴る。
十年以上の付き合いがある相手との、繰り返されてきた争いだった。
しかし、今回は何かが違う気がした
そこで、ふっとネルウェンの口元が緩む。
「僕は純粋にアエルを愛でたいんだ。あんなに可憐なのに、なんで君たちはわからないんだ」
言い終わる前に、空気が震える。
異音。雄たけび。
そうではなく、ジェイスキンのけたたましい引き笑いだった。
「無邪気なのが可愛いんだろう。あの笑顔で罵られるんだぞ。なぜこの良さがわからない」
ドンッ――と、卓に衝撃が走る。
気づいたら、拳に痛みが広がっていた。
下唇を噛み、必死にこらえる。
しかし、胸の熱さは抑えられなかった。
「お前らみたいなやつがいるから。俺は、俺は、三歳からずっと一緒にいるんだぞ! 俺が守ってやってたんだ! 邪魔ばっかりしやがって!」
肺の中身を出し切った。
耳に届くのは、ざらついた呼吸の音だけだ。
あご先から汗が滴り落ちる。
それを見届ける前に、椅子に座ったネルウェンがささやいた。
「……言っとくけど、今一番嫌われてるのはクライドだと思うよ」
白い一房の髪を指で巻き、ピンと引っ張る。
視線はどこか上向いていて、クライドを見てはいなかった。
「素直になれないとか言ってられる歳じゃないでしょ。僕とジェイスキンは大切にしてたのに……、自分のものを取られたくないみたいに邪魔してさ。嫉妬にすらなってない、アエルを怒らせるだけじゃないか」
血が駆け巡り、耳が熱くなる。
見られるわけにはいかず、無理やり後ろを向いた。
「俺のせいじゃねえ!」
漆喰で白く塗られた壁には、木製の棚が打ち付けられていた。
食器が並ぶそこに、一つだけカップが残されている。
まるで子供用のように思えるくらい、小さかった。
「やっぱり探しに行かないか? もし冒険者ギルドに行ってたらヴォルフガングが……」
口が勝手に動いた。
「駄目だ!」
続く言葉は出なかった。
指先だけが、無意味に動く。
結局、振り返ることはできなかった。
「探しに行ったらあいつが調子に乗るだけだ。どうせ腹減ったら戻ってくる。待ってればいいんだよ。それに……あんなおっさんには何もできねえよ。歳が離れすぎだろ」
水を頭から被りたかった。
目を合わせないように、中庭に続く扉に手をかける。
「……不器用」
言い返す気力はでない。
扉が開き、柔らかい海風が肌をなでる。
ふわりと、桜色の髪が舞う。
昼の光に照らされて、きらめきながら、消えていく。
クライドは目をしばたかせた。
そこにはいつもの通り、手入れのされていない、中庭があるだけだった。
「そうやって、都合が悪いとすぐ逃げ……、どうかしたの?」
見たものを言い表せる言葉が見つからない。
振り返ると、座る者のいなくなった椅子がある。
ふっと、息を吐き。つばを飲み込んだ。
「いや、なんでもない……」
ネルウェンは訝しむ目を向けてきた。
首元に手をあて、ことりとかしげる。
「その顔、なにかあるって思われても仕方ないよ。そうやって一人で抱え込むのは、アエルじゃなくても……僕たちだって、少し……困るんだ」
滑らかな口調に、背筋がぞわりとした。
瞳が笑っていないのに、目尻が弧を描いている。
「やめろ。気持ち悪い」
まるで仮面を外したように、ネルウェンは表情を戻した。
「じゃあ、話しなよ」
冷たい視線が突き刺さる。
それで、胸の中まで見通されている気がした。
顔の熱も、背中の汗も、全て……
「ちっ、わかったよ! 塀の上に桜色の髪が見えた気がしたんだよ! 俺は正気だぞ! あいつが戻ってきたら、こんなことにはならねえ!」
息を大きく吸い込む。
髪を両手でなでつけて、睨むように二人に視線を向ける。
しかし。
とくに笑い出すでもなく、顔を見合わせていた。
「ばかクライド! もっと早く言えよな!」
ネルウェンは玄関扉に飛びついた。
「だめだ。もう見えない」
ジェイスキンは窓に首を突っ込んでいた。
「当たり前だ、追うしかないよ!」
言うが早いか、そのまま外へ飛び出していく。
クライドは、意味もわからず動けないでいた。
靴音が、石畳を打った。
家の裏手に回り込んだ頃には、ネルウェンとジェイスキンはその場にへたり込んでいた。
壁なのか塀なのかわからない、日干し煉瓦に挟まれた通りは狭苦しい。
いつから置いてあったのか、木箱が通りに放置してあった。
「説明くらいしろよ」
手に膝をついているネルウェンの前に立つと、ちょうど顔に影がかかる。
「アエルが壁を登れること、忘れてたんだよ」
そう言って、木箱を指で示した。
触ってみると簡単にたわみ、とても大人が乗れるようには思えない。
「これに……乗れたのか?」
ネルウェンは首を横にふる。
「クライドとジェイスキンは無理だよ。僕が慎重に角に体重を乗せてギリギリだった」
頭を抑えて周囲を見渡す。
左右と正面。それぞれに道は伸びていた。
「三人で分かれて追えば、あいつに追いつける。それくらい、わかるだろ」
そう言って、正面の道に足を向ける。
「待って! クライド」
息が上がった声で呼び止められた。
「俺はいくぞ。お前らも早く……」
手を掴まれる。
「違う。もっといい、方法がある。何がなくなったか調べよう。それで、どこに行ったかわかるから」
無理やり払い除けた。
「なくなったものったって、食いもんに決まってんだろ」
延びる道の先に目を向ける。
思わずつま先で石畳を蹴った。
「そうだけれど、アエルはそんなに馬鹿じゃないよ。今日食べるものだけを持っていくわけがない」
ジェイスキンがひげをなでる。
「武器か……」
物置には、使わなくなった古い剣が置いてあった。
「アエルに剣なんか振れねえだろ!」
ネルウェンは口調を緩めて言った。
「そうじゃないよ。遺跡の地図を確かめなきゃ」
おもわず眉が持ち上がる。
ネルウェンは晴れた空を見上げた。
「僕たちがこの街にこだわってたのは、遺跡の探索がしたかったからだよね。仕事が貰えなくてできてなかったけど、アエルはまだ、遺跡の探索をすれば冒険者として成り上がれると思っているかもしれない」
一匹の鳥が、広大な海に向かって飛んでいく。
絞り出せたのは、一言だけだった。
「いや、ないだろ……」
自分に言い聞かせるように、繰り返した。
「探索許可がないんだ。行けるわけないだろ」
ジェイスキンが頭を抱える。
「そういう言い方をされると、アエルなら、やりかねない気がする」
パチンと、ネルウェンは手を叩いた。
「とにかく、僕たちの目的のためにも、遺跡の地図を失うわけにはいかないんだ。確かめないと」
胸の奥が熱くなった気がした。
「目的……」
その言葉に、頷きあう。
「そうでしょ。忘れたとは、言わせないよ」
ネルウェンが拳を突き出した。
「そうだったな……」
ジェイスキンもそれに重ねる。
「アエルを……」
最後にクライドが、二人の拳を打った。
「――本物の女の子にする」
いがみ合っていたことも忘れて、互いに微笑み合う。
「忘れるわけねえだろ。俺たちは、そのために冒険者になったんだ」
これは、何年も前にアエルと出会ってから。
そして、新大陸では魔法が手に入るということを知ってから。
ずっと、抱いていた夢だった。
§
海の先には何も見えなかった。
境界線もなく空の青さとつながって、吸い込まれそうになる意識を波の音が引き戻す。
アエルは息を止めていた。
一人で街の境界に立つのは、はじめてだった。
視線の先には、海岸に沿って岩が連なり、その脇を草の踏み倒された細い道が続いていた。
潮の湿り気に混じって、土と草、そして獣の匂いが鼻をかすめる。
どこにでも行ける。
それだけで、口元がわずかに緩んだ。
海に沿って岩場を歩こうか。
草が踏み倒された獣道のような小径を分け入ろうか。
選べるのは、自分だけ。
ホーミス村を出た日よりも、成長している――そう思えることが、何より心を軽くした。
背負った袋を降ろす。
口紐をほどいて手を突っ込み、手にあたったパンを取り出してかじった。
噛みしめながら、袋に巻き付けた剣帯を解く。
嬉しさに、手が震えた。
アエルは剣を手にするのも、はじめてだった。
鞘から抜き放ち、構えてみる。
それほど重くはなく、洗濯棒とあまり変わらない気がした。
横に一振りしてみる。
簡単に脇道の雑草が葉の先をうしなった。
次に取り出したのは、地図だった。
紙の端が黄ばんでいて、ごわついた手触りがする。
黒い線だけで、海岸の形が描かれていて、街の先に、大きくバツ印がついている。
まるで宝の隠し場所を印しているようだ。
最近になって見つかった遺跡のことは、アエルも聞いていた。
新大陸に、元から住んでいた住民は見つかっていない。
しかし、遺跡があるということは、きっと居たのだろう。
詳しいことはわからない。
けれども、遺跡では魔法が手に入るという噂は知っていた。
冒険者とは、そういった未知を見つけるものだと思っている。
だからこそ、胸の奥が熱くなる。
――冒険者になろう。
いつかのクライドの言葉だった。
――俺たちは冒険者になって、夢を叶えなきゃいけない。つらい現実に立ち向かって、笑い飛ばせるような力を手に入れなくちゃならない。
アエルもそのとき、夢を追い求めることを約束したのだ。
海から吹き付ける風が、桜色の髪を揺らす。
長いそれを、そっと耳にかけた。
冒険者としての強さ。
男としての情熱。
幼馴染との誓い。
これが、アエルの選択だった。
残りのパンを口に突っ込んだ。
背負い袋を担ぎ直し、腰に吊るした剣に手を置く。
そして、一歩を踏み出した。
アエル「僕は負けてないぞ、最初にやった人が一番能力が高いんだからな! 僕が最初なんだからな! お前らが評価とかブクマとか今更付けたって、僕が一番なんだからな!
ここまでお読みいただき、ありがとうございます。
一章が終わったここで、なろうのシステム的には、一旦完結にさせていただきたいと思います。
え、この回は二章の一話じゃないかって……?
クライドたちの思惑が出るここが、一番区切りが良いんじゃないかな、と……
続きは……書きます。
更新を再開したときにはまた開けますので、その時はどうぞよろしくお願いいたします。




